芥川龍之介賞にノミネートされたタイトル作の中編に短編を併せて(『アキちゃん』)の2編からなる1冊。先日読んだばかりの東山彰良の『わたしはわたしで』に通じるものがある。今コロナ禍を背景にした小説には枚挙にいとまがないけど、これもたぶんそんな一冊。スカスカの紙面に驚く。会話が多いから改行する。下が空く。ページの三分の一くらいが白いまま、という感じ。(少し盛ってます)だからサクサク読める。なんか詐欺っぽい。余白を大切にしているのだ。彼女の心の空白がそこに象徴される。
彼女は仕事を失い壊れていく。いきなり未来が見えなくなって戸惑う。コロナだけが原因ではないけど、きっかけにはなっているのだろう。独立してフリーで働くことにした。会社に所属しての安泰より自分の力で切り開く自信があった。
だが、何かをきっかけにして壊れていく。なんとかして踏み止まろうと密かに努力はしている。人には知られないようにひっそりと。だけどもう限界まで来ている。
仕事を辞めてフリーでピアノレッスンをしている。ピアノで生活の糧を得ることはこんなにも困難。ピアニストとして活躍できるといいがそれも難しい。遠距離恋愛になった恋人はもう彼女を振り向かない。深夜バスで会いに行くが忙しいからと会ってもくれない。途方に暮れるが、平気なフリをする。
誰かがかまってくれる。友人はいる。親友夫婦は優しいけど、彼らの親切が腹立たしい。そんなふうに思ってしまう自分に失望する。親友は失明しているけど頑張って生きているのに。だけどもう限界。平然としていることは無理。自分の内部に溜め込んでギリギリで踏み止まるのも不可能になる。
こんなにも傷ましい小説だとは思わなかったから読み進めながら驚く。最初はなんなんだこいつ、って思っていたが、徐々に彼女の現状が見えてくる。そのイライラが伝わってくる。最後の爆発まで。ゆっくりと絶望が襲う。久しぶりに連絡した友人は死んでいた。その旧友の残してくれたアイスネルワイゼン(ツィゴイネルワイゼンをもじったオリジナル曲)を口ずさむラストに震える。
『アキちゃん』も衝撃的な作品だった。終盤のまさかの展開には唖然とさせられる。アキちゃんがアキヒコだったこと、女ではなく男だったなんて。
これが小学5年生の男女の話で、虐めの話だけど恋愛小説でもある。そして肝心なことは、11歳が自分の性癖を受け止めて生きること。さらにはそれを受け入れる女の子がいること。彼女は、彼女(彼)からの虐めを受け止め耐える。『アイスネルワイゼン』同様傷ましい。