デビッド・フィンチャー監督の新作である。絶対見逃すわけにはいかない。今回も2時間半の長尺なのに最後まで楽しませてもらえた。だが、そういう風にしか書けないところが今回の作品の特徴だ。全米では『セブン』を凌いでフィンチャー史上最高のヒット作となったらしいが、アメリカ人がいかにも喜びそうな映画になった。彼は確かにヒットメイカーではあるが、同時に自分の作風にこだわりを持つ作家主義の監督だった。それだけに、今回の何でもありの娯楽映画には納得がいかない。
前半は確かに面白かった。こういうスリラーは嫌いではない。予告編そのままで、期待通りの滑り出しなのだが、途中からいきなり失踪した妻が登場してきて、彼女が主人公になり、彼女の主観でお話が展開していくのには、驚く。事件の顛末が彼女の語りですべてあきらかにされていくのだ。
もちろん、こういうのもありだろう。意表を突く展開である。だが、そこから話がだんだんつまらなくなる。俗な映画になり下がる。妻対夫の対決になる。どちらも大概な奴らでどっちが勝とうがどうでもいいや、と思わせるのでは、映画としてどうだか。凄腕弁護士も登場して、知恵比べみたいになる。そうなると、映画はトリックや、仕掛けで見せることになる。お話の面白さで確かにラストまで一気に引っ張ってはいくのだが、いかんせん単純すぎて僕には退屈。しかも、誰にも共感できない。
わかりやすさは必要だが、それだけではお話に奥行きがなくなる。滑り出しが好調だったのは、この夫が突然の妻の失踪に不安を抱き、最初は被害者だったのに、だんだん自分が犯人に仕立て上げられていくのではないか、という別の不安に駆られていくところにある。しかも、彼女の抱えていた闇が浮上していく。なぜ、どうして彼女はいなくなったのか。そこに焦点が絞られていくというよくあるミステリなのだが、彼女の両親のことや、そこから生じた彼女の過去にあった事件の数々が明るみになることで、闇の深さがさらに深まる。理想の女の子を演じ続けることのプレッシャー。現実の「本当の自分」との落差。表と裏。結婚5年目の記念日に謎が仕掛けられる。お膳立てとしては最高の設定だった。だが、それがただの娯楽映画のための仕掛けになる。
わるい女の話でいい。でも、その「わるさ」とは何なのか。問題はそこなのだ。大体、彼女以上にベン・アフレック演じる夫の方が悪い。可哀そうな女であるはずの彼女が実はとんでもない悪。というのも、安直ではないか。これはただの善悪の問題なんかではないはずなのだ。とはいえ、どっちもどっち、なんて話ではない。
理想の結婚なんてないはずだ。でも、理想を夢見ることは大切なことで、ふたりで力を合わせてそれを実現していければいい。最初はみんなそんなふうに思って一緒になった。だが、だんだん現実が浸蝕してくる。そんな簡単なものではないことは、最初から覚悟していたはず。でも、こんなはずじゃなかった、とみんな思う。ニューヨークのマンションを引き払って、末期がんの母親のお世話のために田舎に帰る。そのことが都落ちとして、彼女を失望させたわけではない。最悪だったはずなのに、そのことで反対に豊かな生活は維持できている。だが、空虚感が漂う。こんなはずじゃなかった。刺激のない毎日。しかも、夫は若い女と浮気をしている。こんなものを自分が望んだのではない。
彼女の内面をもっと掘り下げていけば、いろんなことを描くことができる。だが、映画はそちらにはいかない。ただの怖い話にしてしまう。針の筵の上で暮らす彼を見せて終わる。彼女はこれで満足したのか。そんなはずはない。この夫婦に戻ってきた日常こそが、この映画が見せたかったものなのか。それにしては、あまりに女が悪女すぎてつまらない。彼女の倦怠はこんなことで収まらないはずだ。夫を死刑にしてやりたい、と思った気持ちは、この結末によって、それに匹敵する仕打ちをこれで成し遂げたと満足したとは思えない。これでは終わらない。でも、被害者は彼女ではない。本当はこの映画が描かなくてはならない部分はそこにあるのではないか。
前半は確かに面白かった。こういうスリラーは嫌いではない。予告編そのままで、期待通りの滑り出しなのだが、途中からいきなり失踪した妻が登場してきて、彼女が主人公になり、彼女の主観でお話が展開していくのには、驚く。事件の顛末が彼女の語りですべてあきらかにされていくのだ。
もちろん、こういうのもありだろう。意表を突く展開である。だが、そこから話がだんだんつまらなくなる。俗な映画になり下がる。妻対夫の対決になる。どちらも大概な奴らでどっちが勝とうがどうでもいいや、と思わせるのでは、映画としてどうだか。凄腕弁護士も登場して、知恵比べみたいになる。そうなると、映画はトリックや、仕掛けで見せることになる。お話の面白さで確かにラストまで一気に引っ張ってはいくのだが、いかんせん単純すぎて僕には退屈。しかも、誰にも共感できない。
わかりやすさは必要だが、それだけではお話に奥行きがなくなる。滑り出しが好調だったのは、この夫が突然の妻の失踪に不安を抱き、最初は被害者だったのに、だんだん自分が犯人に仕立て上げられていくのではないか、という別の不安に駆られていくところにある。しかも、彼女の抱えていた闇が浮上していく。なぜ、どうして彼女はいなくなったのか。そこに焦点が絞られていくというよくあるミステリなのだが、彼女の両親のことや、そこから生じた彼女の過去にあった事件の数々が明るみになることで、闇の深さがさらに深まる。理想の女の子を演じ続けることのプレッシャー。現実の「本当の自分」との落差。表と裏。結婚5年目の記念日に謎が仕掛けられる。お膳立てとしては最高の設定だった。だが、それがただの娯楽映画のための仕掛けになる。
わるい女の話でいい。でも、その「わるさ」とは何なのか。問題はそこなのだ。大体、彼女以上にベン・アフレック演じる夫の方が悪い。可哀そうな女であるはずの彼女が実はとんでもない悪。というのも、安直ではないか。これはただの善悪の問題なんかではないはずなのだ。とはいえ、どっちもどっち、なんて話ではない。
理想の結婚なんてないはずだ。でも、理想を夢見ることは大切なことで、ふたりで力を合わせてそれを実現していければいい。最初はみんなそんなふうに思って一緒になった。だが、だんだん現実が浸蝕してくる。そんな簡単なものではないことは、最初から覚悟していたはず。でも、こんなはずじゃなかった、とみんな思う。ニューヨークのマンションを引き払って、末期がんの母親のお世話のために田舎に帰る。そのことが都落ちとして、彼女を失望させたわけではない。最悪だったはずなのに、そのことで反対に豊かな生活は維持できている。だが、空虚感が漂う。こんなはずじゃなかった。刺激のない毎日。しかも、夫は若い女と浮気をしている。こんなものを自分が望んだのではない。
彼女の内面をもっと掘り下げていけば、いろんなことを描くことができる。だが、映画はそちらにはいかない。ただの怖い話にしてしまう。針の筵の上で暮らす彼を見せて終わる。彼女はこれで満足したのか。そんなはずはない。この夫婦に戻ってきた日常こそが、この映画が見せたかったものなのか。それにしては、あまりに女が悪女すぎてつまらない。彼女の倦怠はこんなことで収まらないはずだ。夫を死刑にしてやりたい、と思った気持ちは、この結末によって、それに匹敵する仕打ちをこれで成し遂げたと満足したとは思えない。これでは終わらない。でも、被害者は彼女ではない。本当はこの映画が描かなくてはならない部分はそこにあるのではないか。