19歳で作家デビューした雪村は、自分が、女であることに違和感を抱いている。性同一性障害ではない。女であることは受け入れるし、見た目は普通に女の子だ。でも、作家としての自分は男であることを望む。ただ、男のフリして書く、というのではない。男の部分をプロデユースする。自分の中に男がある、と思う。
普通に女性として生活してきた。特別違和感があったわけではない。自分が美人ではないことにコンプレックスを感じたこともなかった。しかし、ネットでブス呼ばわりされて心からがっかりする。男とか女とか、もうどうでもいいと思う。なのに、女は特に見た目で差別を受ける。作家である。小説が良いか、悪いかで、あれこれ言われるのならわかるのだが見た目を揶揄されるのは腹立たしい。
著者近影ってやつを、自分の担当である編集者の男性の写真にした。やがて、自分自身も、男性の格好をするようにした。髪の毛も短くした。あげくには、乳房を取り除いた。ここまでいくと、ちょっと過激すぎる。でも、彼女のなかではこれは自然な展開だ。
恋人はいた。時田くんはいい人だ。かっこいいし、それより何より、彼女をそのままで受け入れてくれる。「付き合ってください」と言われて、受け入れた。だが、恋愛感情を抱けない。小説を書くことのほうが大事だ。彼女を理解し、応援してくれる編集者の男性のことを好きだと思う。だが、告白できない。言うと拒絶されることは目に見えている。彼女は誰ともセックスをしない。そこを避けてかかる。自分の中に男も女もいるからだ。
こんな彼女の19歳から20代の後半までの10年ほどの時間が描かれていく。恋愛小説ではない。小説を書くという行為を通して世界と向き合い、自分自身と向かい合う小説だ。だが、具体的に彼女の書く小説は出てこない。どんな小説を書いているのかさえ定かではない。作家としての苦悩とか、そんなのは、この小説の中からはわからない。わざと、避けてある。
読んでいていったいどうなるのか、先がまるで読めないのがおもしろい。彼女がヒマラヤに行くエピソードが最後に入る。恋人だった時田くんと、彼の2人の友だちと一緒に山に登る。自然なままを受け入れる。それは彼女が自分の生き方を肯定することだ。でも、最初からそうだった。悩みながらも彼女はいつも自然体だった。なんとも不思議な小説である。ナオコーラはこの雪村という人間をまるごとそのまま受け止める。それ以上でも以下でもない。
普通に女性として生活してきた。特別違和感があったわけではない。自分が美人ではないことにコンプレックスを感じたこともなかった。しかし、ネットでブス呼ばわりされて心からがっかりする。男とか女とか、もうどうでもいいと思う。なのに、女は特に見た目で差別を受ける。作家である。小説が良いか、悪いかで、あれこれ言われるのならわかるのだが見た目を揶揄されるのは腹立たしい。
著者近影ってやつを、自分の担当である編集者の男性の写真にした。やがて、自分自身も、男性の格好をするようにした。髪の毛も短くした。あげくには、乳房を取り除いた。ここまでいくと、ちょっと過激すぎる。でも、彼女のなかではこれは自然な展開だ。
恋人はいた。時田くんはいい人だ。かっこいいし、それより何より、彼女をそのままで受け入れてくれる。「付き合ってください」と言われて、受け入れた。だが、恋愛感情を抱けない。小説を書くことのほうが大事だ。彼女を理解し、応援してくれる編集者の男性のことを好きだと思う。だが、告白できない。言うと拒絶されることは目に見えている。彼女は誰ともセックスをしない。そこを避けてかかる。自分の中に男も女もいるからだ。
こんな彼女の19歳から20代の後半までの10年ほどの時間が描かれていく。恋愛小説ではない。小説を書くという行為を通して世界と向き合い、自分自身と向かい合う小説だ。だが、具体的に彼女の書く小説は出てこない。どんな小説を書いているのかさえ定かではない。作家としての苦悩とか、そんなのは、この小説の中からはわからない。わざと、避けてある。
読んでいていったいどうなるのか、先がまるで読めないのがおもしろい。彼女がヒマラヤに行くエピソードが最後に入る。恋人だった時田くんと、彼の2人の友だちと一緒に山に登る。自然なままを受け入れる。それは彼女が自分の生き方を肯定することだ。でも、最初からそうだった。悩みながらも彼女はいつも自然体だった。なんとも不思議な小説である。ナオコーラはこの雪村という人間をまるごとそのまま受け止める。それ以上でも以下でもない。