湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆サティ:ヴェクサシオン(抜粋)

2016年10月15日 | サティ

◎アラン・マークス(P)(LTM)CD

全曲版なんてありえないわけで、しかしこの悪ふざけを律儀にまるまる一枚のCDに入るだけ繰り返し録音した人というのは何人かいる。ここには意味性を剥奪された無調的な単旋律の問い掛けと不協和音の堆積による宗教祭儀的な不可解な答唱からなるフレーズが40回繰り返されているが、サティの本意ではなかったにせよ計らずも極限までロマンチシズムを削ぎ落とし宗教臭さやアマチュア的な実験性も余りの単純によって際立たず、何にも似ていない、音楽ですらなくなっているこの曲は、ある意味最も先鋭でサティの生涯をかけた理念を最も純粋な形で体言した傑作と言うこともできるわけで、このようにウェットな音でありながらもまったく同じ調子を崩さない演奏家の態度が、ミニマルな側面を印象づけ、ああ、ケージがやりたがったわけだ、これは凄いと感嘆させる。初期の教会のオジーヴから生硬さを抜き去り、永遠の連続性をまるでヤコブの梯子のように続く祭壇への階段、、、これは恐ろしい作品だ。◎。
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☆サティ:゛本日休演゛のための交響的幕間「映画」

2016年10月02日 | サティ
○ソゲ指揮管弦楽団(the criterion collection)1967・映画DVD

シャンゼリゼのメンバーによるものか。68年映画館”初”上映用の編集版に、67年ソゲの指揮下で録音された旨のオープニングクレジットが入るが、「音楽監督」と解釈できなくもなく、実のところ誰が振ったのかはやや不明瞭ではある。しかし、ここに解釈は不要だ。リズムとフレーズのひたすらの連環。単純に区切られた世界の中で単純な役割を割り当てられた各楽器が忠実になぞるだけの曲であり、この演奏はそこに何か付け加えようという感じもない。ただやけに鄙びた音は意図的に古い録音のような雰囲気を狙ったのか何かの事情でそうなってしまったのか知らないが多分前者だろう。サティのアイデアが最初にあったかどうか真相は知らないが、ピカビアのメモ→クレールの映像→サティのメモ→サティの作曲→デゾルミエールによる指揮(上映)→(ブランク)→ソゲの上映用録音→(トーキー版上映)という流れはいかにもシステマチックで機械的な冷徹な律動が新鮮に好まれた時代をうつしたもののように一層見える。ちなみに前に載せたが、ピカビアのメモとサティのメモはソゲのサティに関する大コレクションに含まれているもので非常に簡素である。敬意を表して○。それにしても耳に残るサーカス音楽だ。ピッピ~ラリ。
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サティ:夜想曲

2010年09月17日 | サティ
○J.ウィーナー(P)(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP

ウィーナーはピアノ曲集がCD化もされている。さりげなくぶっきらぼうにサティ風の演奏を目指しているが、ニュアンス表現に特有の解釈が読み取れる。ペダルを効果的に使い分けるなど、なかなかいい。
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サティ:潜水人形抜粋

2010年09月17日 | サティ
○ベヌイ?(SP)J.ウィーナー(P)(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP

同時期に作曲されたピアノのための夜想曲、ソクラート抜粋からなる二回分の放送記録。ウィーナーはピアノ曲集がCD化もされているが、ここではヴィエネルとされている。三曲をとりだしているが子供の歌唱に近づけ(ほんとに子供か?)おもしろく、サティの手慣れた小歌作曲手腕を楽しめる。サティの独自性とパロディのバランスが1番とれていた時期だろう。幼児性が素直に発露しているのがいい。歌手名疑問。○。
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サティ:三つの交響的ドラマ「ソクラート」

2008年03月12日 | サティ
◎レイボヴィッツ指揮パリ・フィル他(EVEREST他)

モノラルもあるというが未聴。レイボヴィッツはフォルムを明瞭にし繊細な叙情を注意深く音色にこめて、臭くならない起伏をつけてこのカンタータを非常に聴きやすく仕立てている。美しさの中に秘めたる感傷性が素晴らしく迫ってきて、春のうららかな陽気の中に、皮肉で残酷でしかし化石化した遠い事件を見るような思いがする。歌唱も適度にやわらかくサティの突飛さや内容の強さを適度に緩めている。6人組的な演奏とも思った。◎。
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サティ:左右に見えるもの(眼鏡なしで)

2007年06月21日 | サティ
◎ルビン(Vn)スパロウ(P)(fantasy)

この曲でまさか鮮やかな技巧を見せ付けるスタイルの演奏記録があるとは思わなかった。繊細でひそやかな表現をとったり、キッチュで生硬な表現をわざととったり、サティをどのように表現するか、という点でわりと「予想通りのサティ」を演出する向きが多い中、これは気合が入りまくりで二曲目の速弾きなどちょっと勘違いのような感じをおぼえるが、逆にサティが皮肉った名技的な楽曲「側」のスタイルをとることで逆説的に意図を読み取り表現したのか、とはたと膝を打った。カッコイイ。◎。

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サティ:馬に乗った三つの小曲

2007年02月26日 | サティ
○ロザンタール指揮フランス国立放送管弦楽団(COLUMBIA/ADES他)CD

組み立てられた三つの小品、組み合わせられた三つの小品、いったいどれがほんとうの題名なんだと言いたくなるが、結局意味の無い言葉と隔絶した奇矯で美しい音楽の集まりである。あきらかに対照的な作風ではあるものの発想の源泉にアイヴズと同じものをかんじる。ただ、ロザンタールのアクリル板でできたキューブのような透明で軽く固い演奏できくと、中期の面白さをかんじることができる。しょうじきあんまり印象には残らない。
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サティ:馬の装具で

2007年02月26日 | サティ
○ロザンタール指揮フランス国立放送管弦楽団(COLUMBIA/ACCORD/ADES他)CD

パラードとのカップリングはちょっと分が悪い。まあ、ちょっとヘンな曲という印象をのこすだけであった。
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サティ:バレエ音楽「パラード」

2007年02月26日 | サティ
○ロザンタール指揮フランス国立放送管弦楽団(COLUMBIA/ACCORD/ADES他)CD

パリ国立歌劇場管弦楽団とかシャンゼリゼ劇場管弦楽団とかフランス国立管弦楽団とかORTFとかいろんな書き方をされていて、じつはそれぞれ(ものによってはびみょうな)差があるはずなのだが実質一緒とみなされることが多い、私は打つのが面倒なのでORTFと書いてしまうが実は余り適切な表記じゃないとかなんとかどうでもいいことに拘る人は書誌学者になれ。ORCHESTRE NATIONAL(後年は外国向けにこのあとにデ・フランスとか書いたのでますますわけがわからなくなった)はすくなくともミュンシュのフランス国立管弦楽団じゃないことは確か。

前口上ばっか書いてますが、この演奏、ロザンタールらしいというか透徹した演奏で輪郭がはっきりとし見通しがよすぎる。ただでさえ現代硝子のように何の色も綾もない、しかし硬度は高く、防弾加工もなされたサティの音楽が、ますます磨かれてまったく見えなくなってしまうほどに「美しすぎる」。スワロフスキー社がひとしくん人形を作ったような(祝1000回・・・そんなになるのかよ)不釣合いな美しさが原始主義的な側面を持つキュビズムを意図した趣旨から外れている気がする(コクトーとの書簡でもサティがピカソの芸風により惹かれていたことがわかる、ちなみにコクトーはさほど相手にせず結局敵とみなしたが、コクトーはまたピカソから画風を絶賛されたり相互的な関係はあり、芸術の世界というのはことほどさようにひとつの論に断ずるのが難しい・・・何がいいたいんだおれ)。ロザンタールのラヴェル系の芸風が強すぎて(音楽的には透明すぎて)、純音楽的すぎてちょっと違和感しきりだった。といってもリズム処理などにはロザンタールならではのハッキリした表現がきかれるのだが、それはある種のアタックの強さであり、リズミカルとかいったものではない。まあ、音盤にすればこうなるわな。しかし「サティは音楽だけでも十分に完成されている」。アリだろうな。ロザンタールのアデ録音あたりに慣れていないと、なんかちょっと遅くて客観的すぎると感じるかもしれない。リズム処理は水際立っているのだが。相対的には恐らく今いちばん薦められる古典的名演だと思うが、劇場で見ないとね。そういや97年くらいに現代美術館でピカソの緞帳撮影したデジカメ写真がどっかへいってしまった。ここに載せるのには格好の獲物だったのにな(当時はデジカメの画素数なんてたかが知れてたわけだが)。やっぱりちょっと古い織物だけど(事実上ピカソの絵は下絵であり織ったのは職人さんであろう)迫力はあった。ディーアギレフ劇としてはミヨーが曲をつけたブルートレイン関連画もあったな。

ようは古典的名演ではあるが極めて現代的なさばき方をしていて決してロマン派さん方式の演奏じゃないってことです。
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サティ:左右に見えるもの(眼鏡なしで)

2006年03月03日 | サティ
ギドン・クレーメル(Vn)エレーナ・クレーメル(P)(PHILIPS)1980版・CD

ゆっくりすぎると思った。だいたい70年代の再発見以後録音されたサティは硬質な不協和音を一つ一つ忠実に響かせることを目的とし、横の流れ(「時間」)を無視するかのように非常に遅くインテンポで演奏されることが多いのだが、この曲は珍しく擦弦楽器を使っていることからもわかるとおり、ある程度「生きている」必要があり(死んだ神の目線からの現代楽器ピアノと卑俗な人間の目線からのロマン派楽器ヴァイオリンの取り合わせが妙なのだ)、クレーメルの余りに丁寧で「哲学的な」演奏は含みとしてある本質としてのエスプリに不向きだと思う。いかにサティが破壊的意識をもって「和声」を組み立てていたかがわかるものの、クレーメルが技巧派すぎるということもあってちっとも血が通っていない。だから面白みがないのだ。各曲の描き分けも不明瞭である・・・コントラストが重要なのに。音色が硬く金属質で比較的細いため、共にサティ的な静謐なフレーズを奏でるときでさえピアノ負けしている気もする。とにかく、考えすぎだ。無印。
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