湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲

2018年03月04日 | アメリカ
○クルト・ライマー(P)ストコフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団(SCC:CD-R)1972TV放送用録音

クルト・ライマーは一部で著名なピアニスト兼作曲家だが、映像は自作自演の協奏曲のみでこちらは余り明瞭ではないモノラル録音のみである。ストコフスキのガーシュイン自体が珍しく、小品編曲の非正規録音しか知られていないのではないか。ストコフスキらしさは全般にわたる改変(同曲自由に改変されるのが普通でありまたソリスト意向が強いと思われる)、あくの強いソリストに付ける絶妙な手綱さばきと最後のストコフスキ・クレッシェンドにあらわれてはいるが、けしてジャズ風には流さず比較的実直な解釈をみせており(ソリストは一部ジャズ風にリズムを崩しテンポを揺らした結果オケと齟齬を生じている)、クラシック演奏のスペシャリストとして意地をみせている。

というわけでストコフスキよりライマーの素晴らしい腕とイマジネイティブな表現を楽しむべき録音であろう。レヴァントに近い即物的なテンポでぐいぐい引っ張り、諸所楽しげな遊びを織り交ぜている。ただけして硬質の表情を崩さない。細部まで明確なタッチにもスタンスはあらわれている(事故はあるけど)。スタジオ録音のため即興性が薄まっているところもあるとは思うが、ガーシュインをあくまでクラシック側から表現したということだろう。曲がやたらと冗長で、それがそのまま出てしまったのは裏返しで仕方ないか。わりと攻撃的な演奏ではあるけれど。○。

※2010-04-11 16:52:33の記事です
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☆パーシー・グレインジャー:イン・ア・ナットシェル組曲

2018年03月03日 | アメリカ
○作曲家(P)ストコフスキ指揮ハリウッドボウル交響楽団(scc:CD-R)1946/7/21live

この題名は言い回しではあるのだが一般的にそのまま呼称とされるのでここでもそれに従う。オリエンタルで民族的な一楽章から西部劇の幌馬車のような二楽章と、雑多なアメリカ文化を象徴するようないささか古臭い旋律音楽。好きな人は好きだが、20世紀音楽好きにはどうにもむず痒くなるところがあるパーシー・グレインジャー。新民族主義というより旧民族主義というような冒険の無い作風だ。ピアノも平易で旋律に寄り添い、とくに見せ場もない。三楽章はちょっと面白い。ストコフスキー風味の甘ったるさが露呈して、後期ロマン派ピアノ協奏曲というか、ラフマニノフを少し燻らせるが、それも最初だけ。ピアノがなかなか不思議な効果をあげ、打楽器との響きの合わせ技が面白い聴感になっているところもあり、これはプロコ前期の影響かもしれない。旋律はアメリカ的で独自性を感じさせるリリカルなフレーズが美しい。確かなグレインジャーのタッチと甘いストコフスキーとハリウッドボウル(LAフィルか)のオールドスタイルがあいまって、終盤は深い思索に落ちる。四楽章は調子外れの舞踏というか、これもまたアメリカ的というか、楽天的である。ピアノと楽団の響きのズレや打楽器的なやり取りが面白い。思うがままに書いたというようなふうで、起伏に富んでいるが、さすが自作自演というようなドライブ感に上手く合わせていくストコフスキー、録音は悪いがひとつの規範にはなる録音ではないか。グレインジャーはオーストラリア出身だがアメリカの作曲家としておく。

※2013-07-18 22:02:30の記事です
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☆ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

2018年02月17日 | アメリカ
○ゲール指揮コンサート・ホール交響楽団、アントルモン(P)(CONCERTHALL/MMS他)

ちょっと真面目にクラシックをやってしまっているかアントルモン。滅法上手く詩情あふれ美しいが、ガーシュインとして面白いかというとどうか。ガーシュイン(グローフェ)は割合積極的に表現することを求めるが、その点ややつまらないかもしれない。ゲールのほうは、オケが余り上手いどころではない仮面オケなのが、人により好嫌別れるところだろう。比較的解釈的なものを入れてきているが激することはない。総じて知見だけを評して○。

※2006-09-20 09:07:16の記事です
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☆クレストン:交響曲第2番

2018年01月31日 | アメリカ
○モントゥ指揮オケ名不詳(NYP?)(DA:CD-R)1956/2/24放送live

クレストンは案外人気のあるアメリカ穏健派の作曲家で舞踏要素はコープランドに似ながらももっとアメリカ・アカデミズムに忠実な聴き易さと映画音楽的描写性を持ち合わせており、ハンソンやウォルトンを彷彿とするロマンティックな側面も垣間見せるまさに「アメリカ穏健派」の健全な交響曲を、しかしマンネリズムに陥ることなくけっこう複雑に聞かせることのできる人である。振る人によって曲評価が分かれるであろうことは明確だが、モントゥなどもうまさにうってつけであり、前半楽章の暗い中にも透明感のあるロマンティックなパッセージにはもたれることの決してないドライヴがきいており、舞踏楽章など猛烈にリズムを煽りモントゥらしさ全開のほんとに「クレストンが恐縮するくらい素晴らしい」演奏を繰り広げている。最後は少し失速してしかしきちっと締める曲ではあるが、モントゥはそこも的確にまとめて交響曲らしいまとまりを見せている。バンスタあたりがやったらどうなっただろう?恐らくのるかそるか、ロマンティックな側面をあおりすぎて一部信望者しかついていけないものになったか、リズムがグダグダになり曲自体台無しになったか。強引にミュンシュ的に突き進んだとしても、舞踏が主要素となるクレストンの交響曲においては舞踏伴奏のプロに任せるのが正解だろう。録音はいくぶん新しいが一般的水準からいえば悪い。オケ激ウマ。アンサンブルがここまできちっとかみ合って水際立った丁々発止を聞かせられないと曲の魅力が出ないのはウォルトンなんかもいっしょだが、ウォルトンの難点はスピードを出せないほどにパートを別けすぎているところなんだよなあ。サンフランシスコあたりの新鮮な音にきこえなくもないが恐らくNYPの調子のいいときの音だろう。○。

※2007-01-29 23:50:50の記事です
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☆ベネット:ヴァイオリン協奏曲イ調(一般的な様式による)

2018年01月24日 | アメリカ
○カウフマン(Vn)バーナード・ハーマン指揮ロンドン交響楽団(PRSC)1956/5/20BBCスタジオ放送(英国初演)

素晴らしい掴みを持つ曲で、ルロイ・アンダーソンのような魅力があって、通俗的な部分含めたまらない。しかしソロに要求されるテクニックはクラシカルな王道の難しさ。この職人的な書法の融合ぶりがとても面白い。カウフマンはこの作曲家の初演をよく受け持っているようだが、安心して聴ける技巧家である。とにかくハーマンが振ってるからという意味もあって、古きよき楽しさがある。○。

※2010-06-28 16:57:51の記事です
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☆ルー・ハリソン:ヴァイオリン、ピアノと管弦楽のための小組曲

2018年01月23日 | アメリカ
◎アナヒド・エイジュミアン(Vn)マロ・エイジュミアン(P)ストコフスキ指揮彼のオーケストラ(CRI他)1952/10/29-31・CD

この作曲家といえばガムランだがこの曲はまさにガムランを昇華させた素晴らしく爽やかな組曲で、特筆すべきは(ミニマル的に繰り返される楽章はともかく)メロディの親しみやすさと巧みに組み合わせを変え響きの面白みを追求するアンサンブル(ピアノと高音打楽器とハープとチェンバロ?がそれぞれ場面を変えたち現れ木管ソロなどと重なるのがまた透明感ある不思議な世界をかもす)に最後まで耳を奪われる。ガムランといえばドビュッシーだがドビュッシイズムの遠い継承者という印象を持つ緩徐楽章の典雅な響きも特筆すべきだろう。長い音符を多用する点ルーセル前期に近い気もするが印象はドビュッシーのほうに近い。ま、とにかく冒頭序曲のいきなりの明るいガムランに圧倒される。アメリカのガムランだ。ストコの色彩的な処理がもともと色彩的な楽曲を引き立ててモノラルでも聴きごたえがある。◎。

※2013-07-03 09:25:39の記事です
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☆ピストン:交響曲第6番~Ⅳ.

2018年01月20日 | アメリカ
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(放送)1956モスクワlive

これは近年一度出たと思うのだが(そのとき記事書いたと思い込んでいた)現在はwebに出回っており聴くことが出来る。アナウンス込みの放送二回分で一回目は米ソ両国歌から始まり、エロイカ3番の1,3,4楽章、二回目はピストン6番終楽章、ダフクロ2組と、私にはよくわからないアンコール一曲(古いぽい)の組み合わせ。同曲全曲ライブは1960年6月のニュージーランド録音が残っているそうだが、音源化は不明。しかしぜひ聴いてみたい魅力に溢れており、この演奏で同曲に一時期ハマったことをお伝えしておきたい。いつものピストンの、ヒンデミット的対位法を駆使した立体的構造は極めて見通しよく、何より旋律の美しさと管楽器の輝かしさに尽きる楽章。もちろんここにいたる楽章は暗いわけだが、でもいいのだ。コープランドよりもアカデミックだが、それは他国にはない「アメリカ・アカデミズム」である。フィフティーズの舞い上がる気分すらある(言いすぎ)。演奏自体、ミュンシュにしては手堅く踏み外さない面は否定できない。スピーチからはリラックスしたムードは感じられるのだが客席反応はどうかという部分もある(いちばん悪かったのはソヴィエト国歌(笑)のときだが)。ただ、ピストンはガウクもやっている曲であり、作風もソヴィエトアカデミズムに似通った部分があるので、受け容れられなかったわけではないだろう。

※2010-09-15 12:31:00の記事です
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☆バーンスタイン:交響曲第3番「カディッシュ」

2018年01月18日 | アメリカ
○トゥーレル(Sp)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA:CD-R)1964live

1月31日のアメリカ初演時のものか。女声の語りによって進行する異例の(しかしバンスタらしい)合唱交響曲。三部構成のテキスト付オラトリオである。楽想は概ね悲歌的で陰鬱だがショスタコふうの清澄さのある現代的な交響曲であり、第三部スケルツォ最後のリズミカルな楽想ではバンスタらしい世俗ダンスが耳を惹く。完成直前のJFK暗殺にさいし急遽委属者であるBSO&クーセヴィツキー財団の許可を得てJFK追悼献呈となった。内容的にはユダヤ教の主として葬送に用いられる朗誦に基づくがバンスタらしい(ユダヤ教らしい)ニヒリスティックで自由な解釈が施され一部問題にもなり改変された。初演もまた委属者への許可を得てテルアヴィブで作曲家とイスラエルの楽団により行われている。

ミュンシュの力強くブレの無いスタイルはバンスタの曲の分裂的な気質を一本の野太い音線に取りまとめて聞きやすくしている。どうしても長々しく静謐な語りが続くあたりは睡気を禁じえないが、注意深く美観を保つミュンシュの音響処理のスマートさにも起因しており、悪いことではないか。モノラル。

※2008-04-02 21:15:04の記事です
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☆ベネット:ソング・ソナタ

2018年01月15日 | アメリカ
○カウフマン(Vn)ザイデンベルク(P)(concert hall siciety)LP

通俗音楽系の作家のようだが寡聞にして聞かない。曲自体はいかにもアメリカ近代のもので、適度にモダンに書き込まれているが、「歌謡ソナタ」とあるとおり基本は平易な旋律音楽。印象派的な感傷性を孕んだハーモニーがふんだんに盛り込まれているが、寧ろフランクやサン・サンのものに近いか。俗謡主題をラプソディックに展開するところなど初期ディーリアスのようなみずみずしい表現がみられ、構造的には生硬さもあるものの比較的手馴れた作曲手腕・・・部分的に新味はあるけれどブルーノートを混ぜる程度の通俗的な「幅」の中に納まってしまう程度で複雑ではない・・・を素直に楽しむのには向いている。珍しく四楽章制のヴァイオリン・ソナタだが、それゆえ交響曲的発想を思わせるところがあり、終楽章終盤でピアノから主旋律が対位的に再現されるところなど「ヴァイオリンソナタでそれをやるか!」といった具合で、それが面白いといえば面白い。カウフマンは太くブレの無い音を駆使し、この単純な曲に多用される長い音符をだれさせない。下手な奏者だと陳腐に過ぎる結果を招きかねないから、ここはクラシカルな演奏家としての腕の見せ所だろう。演奏的には過不足ない。○。

※2009-01-30 16:58:24の記事です
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☆バーバー:ヴァイオリン協奏曲

2018年01月10日 | アメリカ
◎カウフマン(Vn)ゲール指揮ルツェルン祝祭管弦楽団(ミュージカル・マスターピース交響楽団)(MUSIC&ARTS/MMS)1951・CD

だんぜんレコードのほうが音がいい。◎にしたのは改めてLPで聴いてカウフマンの生めかしい音色に聴き惚れたからだ。前の時代の演奏様式(主としてボウイングとヴィブラートと微妙な音程操作、アーティキュレーションの付けかたにあらわれる)というのはロマンティックな曲想を最大限に生かすようにできているのであり、ロマン派回帰をうたったかのようなこの作品においてただ冷徹に音だけを表現するのは曲の価値自体を損ねることになりかねない。きわめて叙情的な旋律と流れよく効率のいい構成によって現代のロマン派協奏曲というものを(いくぶん古風になりすぎるところは新古典派の影響だろうが)表現しきっている。ウォルトンの作品とよく似た響きや構造的な部分があり(更に元ネタとなっているプロコの1番のほうを思い浮かべる向きのほうが多いだろうが)、3楽章などは尊敬していたヴォーン・ウィリアムズの「コンチェルト・アカデミコ」終楽章の世界を換骨奪胎したものとも思える。同時代性というのもあるのだろう。そしてカウフマンもまた「同時代の演奏家」なのである。しかも戦後モノラル期の演奏家というのは前時代の艶と現代の技術の共に兼ね備えた超人的な技巧家が多いわけで、カウフマンはその中でも非常にバランスのとれた技巧家であり、オイストラフの安定感とシゲティの表現性にフランチェスカッティの美音(あれは完全に奏法の勝利であり解釈の勝利ではあるが、音はよく似ている)がのったような演奏を時折していたようで、これはその範疇にある。つまりは、名演。よくわからない曲、という印象はきっと、こういうのめりこむような演奏に出会えていないということだと思います。

※2007-01-16 09:44:41の記事です
Comments (2)
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☆ピストン:交響曲第6番

2018年01月07日 | アメリカ
○メイズ(Vc:3楽章)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA/BMG)1956/3/12,14・CD

ピストンはナディア・ブーランジェ門下のバリバリのアメリカ・アカデミズムの作曲家にもかかわらずドイツ・オーストリアふうの形式主義的な作風を持ち、半音階的な音線を多用し重厚な響きをはなつのが特徴的な作曲家である。この作品は両端楽章にコープランドらの舞踏表現に近い垢抜けた力強さとけたたましさを持ち合わせていながらも、全般に後期ヒンデミットの影響がじつに顕著であり、ピストンの楽曲に聴かれる堅牢な構築性の中にヒンデミットの血が脈々と流れていることは確かだと改めて思わせられる。ヒンデミットと異なるのはその主として旋律表現や変容方法にみられる「ハリウッド的な」通俗性だろう。聴き易い半面そういった臭みもある。マーラーすら想起させるロマン的感傷を孕む3楽章アダージオの木管や弦の用い方など全くヒンデミット的である。チェロソロが印象的だがそういった端のほうにはピストンの独自性は感じ取れはする。

ミュンシュはヒンデミット指揮者では全くないがその血にドイツ・オーストリア圏のものが含まれていることは言うまでもなく、フランス派を象徴するような指揮者でいながら「本流のフランスではない」アルザスの力強い音楽性を前面に押し出し、結果アメリカでも中欧色の濃いボストンでその活動の頂点を極めることになった異色の指揮者である。ドイツ音楽を得意としていたのもむべなるかな、こういった底からくる力強さとオケの技巧を些細ではなく明確にひけらかす場面を多く兼ね備えた楽曲にはうってつけである。曲がむしろオケや指揮者にすりよったものなのであり(BSO設立75周年記念依属作品)、しっくりこないほうがおかしい。ピストンは聴き易い。しかしそれは飽き易いことも示している。ミュンシュを聴けばもう他はいらない、とまでは言わないが通俗音楽のように「使い捨てられた」オーダメイド作品としてはこれだけ聴けば十分だろう。力感やアンサンブルの堅固さにかけてはこれを覆すほどのモチベーションをもった団体はとうぶん現れまい。

※2007-02-02 23:15:27の記事です
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☆バーバー:弦楽四重奏曲

2018年01月02日 | アメリカ
○ストラディヴァリ・レコーズ弦楽四重奏団(stradivari records)LP

ストラディヴァリウス四重奏団とは違う模様。チェロのGEORGE RICCIはジャズやポップス畑で活躍。ドイツ的な演奏を行う非常に巧い団体である。この曲の演奏にも緊張感が満ちていて、山っ気のないマジメで真摯な態度が聞いてとれる。その意味で古いモノラル録音時代のものとしては貴重な記録とも言える。いつも聞いているのと違う曲かと聞きまごうほどである。有名なニ楽章はしかし結構テンポの起伏はつけていて、音色が渋く非常に安定しているため派手さがないだけで、実は結構感情的な演奏様式をとろうとしているのかもしれない。とにかく私は始めブダペスト四重奏団かと思ったくらい緊密で、弦楽四重奏という形態をよくわかった構造的な演奏ができる団体とみた。◎にしたいが録音が弱いので○。バーバーのカルテットの、ニ楽章以外にみられる現代的なごつごつした特質にかんしては、けして浮き彫りにしようとせず、丸めて聴きやすくしてくれているところが寧ろ特徴。

※2006-10-18 09:51:56の記事です
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☆バーバー:クリスマスに

2017年12月24日 | アメリカ
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1960/12/23live・CD

クリスマスへの前奏曲、という説明のとおり、クリスマスにまつわる童謡や賛美歌からの旋律が引用されメドレーのように管弦楽により綴られてゆく。いわば編曲作品だ。バーバーの職人的な仕事はかなりの技巧を要求する一筋縄ではいかないもので、そここそが聞き物である。バーバーはメロディストではあるが、このように聞き知ったメロディを使ったほうがその作曲手腕の見事さが明確になり、魅力的に感じる。ミュンシュは案外曲にあっている。勢いで突き進むだけでも曲になるわかりやすさゆえ、かもしれない。楽団の即物性が余計な色付けをしないのも聴きやすい。○。

※2012-01-08 17:44:43の記事です
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☆リーズ:弦楽四重奏曲第2番

2017年12月23日 | アメリカ
○パガニーニ弦楽四重奏団(Liberty)LP

比較的新しい作品ではあるが現代音楽ではない範疇で非常に特徴的であり、中国出身というこの作曲家の特異性を意識せざるをえない。いきなり低音だけで始まる焦燥的な気分を煽るリズムに恐らく中国的な響きを取り入れた(ものの殆どそれを感じさせない)斬新な音や旋法が載り、いかにも戦中戦後の周辺国の殺伐とした気分をかもす(西海岸の実験主義ともフランスの香りをかいだアカデミズムとも違う)。しかし緊密で適度に抒情的でもありバルトークを更に灰汁抜きしたような鼻につく民族性は排されており、人好きはしないが同時代他作曲家のカルテット作品との共通点も多く聞き取れる。ゴリゴリのカルテットマニアは聴いておいてもいいと思う。パガニーニ四重奏団はストラディという楽器の特性上ちょっと音線が細くそれを力で補う(個人的にはそういう力づくで出た弦の金属音は嫌いである)感じもあるが、「意図的な不安定さ」がないとカルテットというのはまるでデジタル音楽的な「つまらなさ」に昇華されてしまうので、こういうスタイルは決してバカにはできない。○。

※2007-01-11 10:16:24の記事です
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☆ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

2017年12月22日 | アメリカ
○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・フィル(SOMERSET)LP

ハイテンションで弾ききる娯楽的スピードの演奏で、生々しい録音が更に気を煽る。余りに率直だと感じられるかもしれないが、この力感にメタ・クラシックらしくハスッパな発音で応えるオケもまたやる気が漲り、クラシカルな演奏家にもジャジーな演奏家にも見られないまさにライト・クラシックはこれだ、という自信も漲り清々しい。◎にしたいくらい飽きないが、解釈上の工夫がないので○くらいが妥当か。

※2006-09-20 08:56:54の記事です
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