湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

スクリアビン:交響曲第4番「法悦の詩」

2010年05月31日 | スクリアビン
○ブーレーズ指揮VPO(DIRIGENT:CD-R)2009/6/12LIVE

完全アウトな音源だがまあいい。とにかく響きが美しく、調和しており、いささか古めかしいながらも当時先端の妖しくゆらめく楽想を、しっかりつなぎ止めるように厚みを保ちながら足どり確かに進めていき、畳み掛けるような表現をまじえながら長大なクレッシェンドをぶらすことなく最後、激しく引き延ばされた終止音にいたるまで明確に作りあげる。最初はいかにも鈍重だが響きに耳を集中すると「聞き方」がわかってくる。NYPのような雑味なく、録音はともかく、のめり込んで聴ける。
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スクリアビン:交響曲第4番「法悦の詩」

2009年06月19日 | スクリアビン
○ミトロプーロス指揮NYP(GUILD)1953/4/19live・CD

このレーベルは一日のコンサート放送をアナウンス含めまんまCD化するというどこかの海賊レーベルで聞いたことのあるような企画からスタートしたものだが、新発見が時々混ざるのと比較的低価格であるがゆえ侮れない。もっともデータが「正規化」されているだけで既出の「誤データ盤」と同じだったりもするようなので注意は必要だけれども。音質改善は無い、ノイズ慣れしていないかたには向かない。これはルビンシュタインとのサン・サンがメインとなるプログラムだが、裏メインとしてミトプーの音盤カタログにも出ていなかったこのスクリャービンがあげられる。ミトプーのスクリャービンは現役は法悦の詩しかなく、スタジオ正規盤でなおかつかなり抽象的な即物性を持った、自身の芸風に寄せた演奏で、法悦の微塵も無い力感だけで出来上がったものだった。単品なら面白いが、スクリアビン側より聞き比べると没個性的な所は否めない。だがこの演奏は「ここまでやりきったらもう楽しいとしか」。運動なのだ・・・そっちの運動ではなく・・・素直にスポーツとしての運動。これは艶かしさの一切無い、オケがひたすら機能性を発揮して筋肉を見せ付ける、マッチョな演奏なのである。ミトプーとバンスタにつきまとうソッチのイメージとつなげられてもまた困るが、そういう不自然なマッチョではなく、健康的な運動公園でこじんまりと日常的に行われている運動選手のトレーニング、そういったイメージ。いやこじんまりといってもそれは録音状態に起因したもので、実演の迫力は凄かったと思う。集中力、演奏精度共にスタジオ録音を上回っている(後者は録音が悪いせいで聴こえないだけかもしれないが)。○。


Rubinstein & Mitropoulos - Recordings 1953: Saint-Saens, Borodin, Franck, Scriabin / Arthur Rubinstein, Dimitri Mitropoulos, NYP

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スクリアビン:交響曲第2番

2009年04月30日 | スクリアビン
○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(lanne:CD-R)1985/5/19ウィーンlive

ゴロワノフ以来のスクリアビン指揮者と言えるスヴェトラ、しかもその同曲演奏における最盛期と言える時期の西側エアチェック音源だが、録音が茫洋とし悪いのに加え演奏も覇気が感じられず精細に欠ける。もちろん白眉たる3楽章(中間楽章)の美しさといったらrussiandiscのライヴ録音(近年限定廉価再発されたボックスに収録)に匹敵する法悦感を漂わせるものだが、スヴェトラ本来の前へ流されずフォルムを明確に設定してしまう理知的な部分が出ており、オケの内圧が高まって暴発するような箇所はいくつもある曲なのにいずれ余り響いてこず迫力に欠ける。オケが萎縮しているようなさまは解釈の恣意性を際立たせてしまい、終楽章のゲーム音楽のような盛り上がりの演出が空々しく、まるで外様オケを振ったような、一瞬N響かと思うような変な固さが気になった。ペットの長い音符にスピットピアノから異様なクレッシェンドをかけていたり、こういうところは薄い書法のせいもあるのだが、何かしらの「勢い」が維持されていないと小っ恥ずかしくなる。聴衆も曲を知らないらしく第一部最後で拍手が入ってしまう。若干戸惑い気味でも少しだけブラヴォが入る。無印でもいいのだが恐らく録音の問題がかなりあると思うので、○にしておく。

それにしてもロジェストも早くから振っていて録音も早かったんだけど、今やスヴェトライメージがついてしまった。
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スクリアビン:交響曲第2番

2009年03月18日 | スクリアビン
○ネボルシン指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団他(VISTA VERA)1950/6/27・CD

このあたりのmelodiya音源まで発掘してくるとなるとこのレーベルも凄いが、同時に中堅指揮者というのはプレミア感なしではやっぱり中堅指揮者でしかない、という印象もあたえる。典型的なロシアスタイルをもう少しトスカニーニ寄りに安定させたような、ムラヴィンスキーに近づこうとしたような芸風だが、処理は荒っぽく武骨で、同曲のアーチ構造の頂点に位置づけられる天国的な緩徐楽章においてはスヴェトラーノフの繊細な音表現にはとても敵わないリアリスティックな楽器表現に終始している。録音は悪い。この指揮者は余り長生しなかったがクーセヴィツキーの弟子筋あたりの世代ではなかったか。

Russian Conductors Vol.10 -Vassili Nebolsin / Vassili Nebolsin, USSR State SO, Bolshoi Theatre SO, etc


同曲について書くのはひょっとするとサイト初期以来かもしれない。スクリアビンの最も形式的な交響曲で、既に古い世代となっていたリムスキーらにもおおむねは好感をもって受け容れられたものだが、5楽章制で1,4楽章は続く楽章の序奏となっており、前半と後半がほぼ同じ、闘争的な暗い楽想、、、できて最後だけしっかり転調着地してベートーヴェン的大勝利というかなり恥ずかしい(ロシア的な)音楽となっているため、現代においてもロジェストくらいしか演奏せず、当人も恥じて後年は余り好まなかったようである。管弦楽法は正直単調だが下手ではなく、特に楽器法や音色操作には円熟したものを感じさせる・・・それがワグナーの模倣であったとしても。ピアニスティックな発想というと古い系統に属する弦楽器や木管楽器にはしばしば演奏困難な細かい装飾的音符の散りばめられパズル的に組み合わされたアンサンブルや、楽器毎の性格や音色の違いを加味せず数理的に処理された結果の複雑なハーモニー志向などが挙げられる。スクリアビンの場合、それはもっと素朴な程度で留まっている。シューマンのようなものだ。改訂も加えられていたと思う。スコアは極めて単純だがそれでここまでの演奏効果を与えられるというのは非凡以外の何者でもない。悪魔的な詩という副題をつけられることもある。スクリアビンのシンフォニーとみなされうる作品は全て後年の人智学的誇大妄想スタンスに基づき神秘主義的な題名を伴っており一部は自身による。
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スクリアビン:ピアノ・ソナタ第10番

2008年12月24日 | スクリアビン
○ソフロニツキー(P)(Arlecchino,MELODIYA)1960/2/2LIVE・CD

このあたりになってくるとスクリアビンは動きと響きの微妙なうつろいを聴かせる「雰囲気作曲家」になってくるので、悪い録音はその状態だけでマイナスである。ただ最初こそイマイチ即物的というか、あからさまに律動的すぎて「楽譜を思い浮かべてしまう」感じが否めないものの、どんどん観念的な夢幻世界に引き込まれていき、痙攣的なトリルが鮮やかに、しかしリアル感なく脳髄を震わせてくる。あ、スクリアビンだ、と改めて認識させる頃には曲が終わる。ソフロニツキーの真骨頂は寧ろこういう表現力にあるのだろう。けして技術的にホロヴィッツと拮抗できる人では無いと改めて思うが、ロシアのピアニストらしい豪快さと感情表現の幅の広さが聴ける演奏。○。
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スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)

2008年03月05日 | スクリアビン
○アシュケナージ指揮ベルリン放送交響楽団(DECCA)CD

重量級の演奏で安定感のあるひびきとスピードが心地よい。洗練されているのか野卑ているのかわからない美しさがある。原曲の「難しさ」・・・たとえばペットの終始難しさ、終盤の音程など・・・はやはりどうしてもそのまま残っている。このあたりがプロフェッショナルな根からの指揮者ではないところか。
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スクリアビン:交響曲第3番「神聖な詩」

2008年03月05日 | スクリアビン
○アシュケナージ指揮ベルリン放送交響楽団(DECCA)CD

1楽章が少し乱れるのはフーガ的な構造を駆使した凝った書法に散りばめられた細かい音符を、きっちり全部聞かせようとするがため流れが失われたということか。ねっとりしたフレージングに裏づけされた響きはよく、3楽章など聴きごたえがあり、またリズミカルな楽想の表現にも長けているが、頭拍のアクセントが強く聴きやすい反面裏拍の音符が抜けスカスカやグズグズに聴こえるところもある。ヴァイオリンに雑味あるものの魅力がある。オケの冷たい音色を生かした音響が美しい。
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スクリアビン:夢op.24

2008年02月16日 | スクリアビン
○アシュケナージ指揮ベルリン放送交響楽団(DECCA)CD

ピアニストとしてかつてはスクリアビンを弾きこなしていたアシュケナージはわりとスクリアビンの指揮においても適性をはなっている。力強くしかしゆるくうねる旋律が濃厚な響きを伴って一節ぶってくる。オケがあるていど意識的にかっちりやるオケでないと、ワグナーの構造を抜いた旋律構造のみを流用したようなゆるゆるの横長音楽スクリャービンの管弦楽曲は聴いていられないものになりがちで、ワグネリズムの匂い濃厚な特にこの作品、録音を調べるとけっこう職人的オケに発掘系職人指揮者がやっているのはそのせいと言えよう。○。
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スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)

2007年11月09日 | スクリアビン
○グーセンス指揮フィルハーモニア管弦楽団(medici)1956/2/14・CD

美しく清潔な演奏。グーセンスらしい押しの弱さがあるが、明るい色彩と無難な解釈の演奏ぶりであり、初心者向けかもしれない。スヴェトラをはじめとするロシアのデロデロ節を知ってしまうとこういうのは歯ごたえが無いと感じるかもしれない。○。
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スクリアビン:交響曲第5番「プロメテ」

2007年07月25日 | スクリアビン
○ミトロプーロス指揮VPO(M&A)1958/9/28live・CD

ミトプーにしては良好な録音状態で聞けるスクリアビン畢生の誇大妄想。現代作品に意欲的であった反面わかりやすさを追求しバンスタへの芸風の橋わたしをした側面もあるミトプーではあるが時代の旧い前衛なだけにそれほど聴きづらい演奏でもなく、とりとめのない楽想も印象派音楽的に聞き流せ、むしろあっさり聴きとおせてしまうところがミトプーの巧みなところといっていいだろう。VPOとは完全に相性がいい。アンサンブルと指揮がずれるという場合がこのオケにはしばしば聞かれるがここにはまったく合体して「奇怪な幻想を妖しく」演出していく。リアルにすぎる演奏の気もしなくもないが、スヴェトラと言われて信じてしまう人もいそうなほどに自然に聴ける演奏。職人です。

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スクリアビン:交響曲第4番「法悦の詩」

2007年01月30日 | スクリアビン
○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(DA:CD-R)1947live

実に明るく音響的な演奏だ。このオケの硬質で開放的な響きが確実な技巧に裏付けられているさまは表現の奇矯さを除けばストコフスキの法悦を思わせるところもある。オケの実力が発揮されたシカゴ並の機能的な演奏として特筆される演奏であるが、反面「機能」が前面に出てしまっているがために情緒的な部分が金属質のアンサンブルに払拭されてしまいがちなところもある。しかし「音」としてこれは理想に近いものを表現できており、モントゥの構築性と計算ずくの推進力にめくるめく色彩の渦に巻かれてしまう感覚を覚える。惜しむらくは途中で録音の継ぎがあること(別日のつぎはぎかもしれない)、あと継ぎではないと思うのだが、ストコのような妙なパウゼが挿入される箇所があるところで、モントゥらしくもなく、不思議な感覚をおぼえた。○。
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スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)

2006年07月31日 | スクリアビン
○クレツキ指揮フランス国立放送交響楽団(KARNA:CD-R)live

分厚く力強く厳しい演奏でオケはかなり本気である。テンポに実はかなりデジタルな起伏があり、遅くなると異常に粘るため、冒頭の木管アンサンブルを始めとして音線が繋がっていかないところも散見されるものの、おおむね精緻な整え方ですっきりとした響きが支配的になっている。スクリアビンのスコアは単純だが響きはなかなかに複雑で分厚く、その響きをいかに明瞭に浮き彫りにするかが鍵になってくる。その点よくできている。リマスターは快適だが録音自体バランスがよくないモノラルのため時々スカスカに聞こえたり、ヴァイオリンなどどことなく音がばらけて聞こえたりもするが、これは仕方ないだろう。スクリアビンは非常に耳のいい作曲家で、20世紀音楽への幕をあけたと言われるのもなるほどと頷ける響きが横溢していることがこの演奏を聞くとよくわかる。後年の音列書法による新ウィーン楽派の作品とよく似た楽器法が現れたりするところもはっとさせられる。ラフマニノフは微分音まで正確に聞き分けることができたというが、スクリアビンも自然音に含まれる倍音要素を分解し明確に捉えることができたようであり、神秘和音に代表される独特の重低音を含む不協和音も、共振音を含む自然音を再現もしくは「凌駕」しようとしたと思われるものである。弦楽器の響きに厚みを持たせるために長い音符を刻ませるということは古来よくやられてきた方法だが、(ロシアにはグラズノフのように長い音にトリルを多用し厚みを持たせる「伝統」があり、その延長上と考えることもできるし、ピアノの書法からの単純な移しかえとも考えられるが)この曲など非常に刻ませる場面が多く、それはともすると単純に厚みを持たせる以上に、その音響的な「ブレ具合」を音色のひとつとして取り入れていたようにも感じられる。いずれ神秘のものだがこの古い録音ではそこまでは聴き取れないものの頭で理解することはできる。最後の盛り上がり方は実に誇大妄想的でスクリアビンにふさわしいスヴェトラ的伽藍の構築だ。終演後客席がややどよめき気味だが成功していると言っていいのではないか。○。盤にはただ「交響詩」とあるが法悦の詩は元々詩曲のひとつとして(ドビュッシーの夜想曲のやり方だ)かかれたもので、「交響曲」「交響詩」のどちらでもなく、どちらでもあるから、間違ってはいない。初期の習作に交響詩のような題名をつけている例もあるが、それとは違います。
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スクリアビン:ピアノ・ソナタ第5番

2005年04月09日 | スクリアビン
ソフロニツキー(P)(classound)live・CD

どのライヴなのかわからないので同一のものを既に持っている可能性もあったのだが、一応買って聴いてみた。かつてはCD化が進まずマニアが血眼でLPを探すたぐいの伝説のピアニストだったのだが、今はソヴィエトで活躍したひと世代前の大家として普通に聞かれるようになっている。録音が悪いものも多く正当な評価を受けてこなかった一面もあるが、ライヴを含めると膨大なレコーディングが残っており(ステレオもあり)同じ曲でも結構印象の違う演奏をしてみたりもしている。というわけでこの義理の父親の曲なわけだが、曲自体私は大好きであり、ソフロニツキーでよく聴いている。ダイナミックでロマンティックながらもモダンで隙の無いかっこよさを兼ね備えた中期スクリアビンでも野暮さのない聞きごたえ十分の単一楽章の楽曲であり、無闇なトレモロも無調的な哲学性も確実に存在はするものの未だ表面化せず非常に入り易い。だが、そういった曲だけにリスト張りに大仰にやってほしいところで、この録音はその点いささか性急で即物的すぎる感がある。余り揺らさずに速めのテンポで弾き切ってしまう。細かいニュアンスがイマイチだ。音が比較的よく、逆によすぎてそう感じるのかもしれないが、音が一様に大きすぎてダカダカ弾いてハイおしまいみたいな味気無さすら感じる。この曲にはもっとドラマが欲しい。無印。
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