湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

シベリウス:交響曲第5番

2012年10月29日 | シベリウス
ケンペン指揮ACO(polydor)1943・SP

平凡。1,2楽章ともぱっとせず、終楽章は冒頭こそ盛り上がりの兆しをみせるもののそのまま平板な表現で中庸に終わる。音源の状態も悪いのだが、同曲の演奏はどんなものでもそれなりに盛り上がるもので、このオケを使ってこの軽い調子はいかんともしがたい。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第3番

2010年12月20日 | シベリウス
○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1946/12/9live

クリーヴランド客演時代の古い記録になる。シベリウスとセルは元々相性がいいということもあるのだが、シェフになって以降の演奏ぶりと少し違った感じで、楽しめる演奏。録音が古いので力強さは伝わりづらいのだが、緊張感がびしびしと漲り、なお前進力と内声からえぐるような底深い表現が、とくに1楽章では聴かれる。3楽章がやや力弱い気もするが相対的なものだろう。この曲自体尻すぼみな形態である。とにかく演奏精度が高い、これは客観的に整えたという以上のものを感じる。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第7番

2010年12月10日 | シベリウス
○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(CO)1965live・CD

録音状態がよく、セルのヨーロッパ的な側面もよく聴き取れるというか、意外と重みある響きとスケールの大きな盛り上がり、そこにライヴ的前進力の加わる程よいマッチングを楽しむことができる。シベ7の演奏にはバルビローリのようにいわゆる作曲家晩年スタイルに沿った形で遅いテンポと透明感を保ちアンサンブルの妙を繊細に示していくやり方が適していると思うが、ここでは2番や5番を思わせる「まっとうな交響曲のやり方」に近い、力強さを示すような表現が通されている。しかし不自然さはもちろんない。もっと古い指揮者の大づかみにまっすぐ突進するような解釈ではなく、音符を緊張感の中すべて表現し尽くすようにしっかりと、なおかつ力感の不自然さや不恰好さを排除し、結果深く印象的な聴感をのこす。結構な名演であり、客席反応は穏やかだが、もっと聴かれていい。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第4番

2010年12月10日 | シベリウス
○ロジンスキ指揮NYP(columbia)1946/3・LP

力強い演奏ぶりでオケの技量も最大限に引き出されている。この曲がけしてシベリウスの特異点ではなく5番の前、7番の前に位置づけられる「交響曲」であることを強く印象付ける演奏。ロジンスキはライヴにおいては解れも辞さない前進力をもって押し通す傾向がみられるが、スタジオではその特質のみ残し弱点を解消したスケールの大きな響きの感覚も味わうことができる。録音状態はけしてよくはないが、ぎりぎり鑑賞に堪えうるレベル。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第4番

2010年04月25日 | シベリウス
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCC:CD-R)1962/3/16live

ストコフスキにこの曲は珍しいか。さまざまな解釈のなされてきた詩的な交響曲だが、ストコフスキ・フィラデルフィアらしい拡散的な響きの中にも終楽章冒頭の重くねっとりした伸縮する弦楽合奏に象徴される、ロマンチシズムとダイナミズムの独特のバランス感覚に支えられた演奏。きほんは主旋律を追うような線的な演奏ではあるものの、迫力を出すためにブラスを強く弦楽器は雄渾にハーモニーの重心を低く、厚みがあるので聞き応えがある。小虫がうごめくような細かい動きこそ雑でまとまらない感があるが、前期交響曲のフォーマットに沿うような劇的なメリハリがつけられているので気にはならない。かといってありがちな、楽曲を単純化した即物的演奏よりも多彩な仕掛けを一応漏らさず奏でているので面白い。悪い録音ではあるがそれでもスケール感が伝わってくるストコフスキらしい演奏。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第7番

2010年03月13日 | シベリウス
○ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(RCA)1942・LP

確かに録音は悪いのだが、色彩的でもけして軽くはなく、比較的ロマンティックな動きを交え盛り上げていく。ゴルシュマンは前時代的な部分を大事にしながら近代曲に取り組む。それは耳にやさしく、聞きやすいものだ。シベリウスの7番ともなるとどうしても新しい録音に分がある。だが、この時代はこういう演奏が行われていたのだ、威勢のいい、力感に溢れた演奏にも耐えうるしっかりした交響曲なのだとも思わせる。同様の嗜好を持つミュンシュなどに比べるとオケの差もあり少し雑然とした部分も否定できないがそのぶん、ラテン的な開放的なまとめ方が、音に含まれる情報量や質に制約を設けないから、いろいろな聞き方を許す。「ついていけないや」が減るのだ。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第7番

2010年02月16日 | シベリウス
○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(CO)1965live・CD

クリーヴランド管弦楽団ボックス収録の音源だが他で出ているかもしれない。わりとミュンシュ的なところがあり、アンサンブルの妙を聴かせるよりも全体の流れを聴かせる、旋律的な力強い演奏になっている。もっともミュンシュよりは寧ろライナーに近いというべきだろう、厳しくスコアを音にさせるよう鍛え上げた演奏であることも聴き取れる。たとえばバルビローリら(バルビローリも旋律寄りになりがちではあるが)がやっていたような、いわゆるシベリウス的な精妙な響きに主眼を置き雰囲気音楽的に聴かせる演奏とは違っており、これを聴きやすいととる人は2番のような曲が好きなのだろうな、とも思った。録音はよい。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第2番

2009年10月16日 | シベリウス
○パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury,warner/tower records)1960/2・CD

シベリウスでもだんとつの旋律美としっかりした構成感を誇る交響曲だが、パレーの芸風だと少なくとも「美」は機械的なアンサンブル能力の披露と明るく明瞭な響きの維持にすぎない。そこに特有の剛速球、高速度が加わるとデトロイトの弦ですらついていけない箇所が散見されるようになり、このようなスタジオ録音でさえばらけたままにされている部分がある(パレーは何度も録り直しするような人ではなかろうが)。緊密な演奏を指向する指揮者にもかかわらずやはり、「楽器」の機能性の限界を超えるような解釈についていかせるほど暇がなかったようだ。

だが迫力は凄い。1楽章から既に力む声が入っている。3,4楽章にいたっては、シベ2の正規録音でもトップクラスの出来といえよう。スコア指示すら単純化解釈し緩急に欠けるところはもうスピードと力で押し切る。でもこれはそういう曲なのだ。そのやり方だと、2楽章はきつい。スコアを即物的に音に換えるパレーの方法論はこの楽章にはきかない。ただ音が鳴っているだけだ。南風の吹くフィンランド、といった音色(しかもいつもどおり単調)も好悪あるとは思うが、セカンドチョイスにはいいかも。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

2009年09月28日 | シベリウス
○シェリング(Vn)ブール指揮コロンヌ管弦楽団(odeon/EINSATZ)1951・CD

かなり攻めた演奏で我が曲のように自在に操っていくシェリング最盛期の凄みを味わえるもの。板起こしでやや硬い音だが後年のシェリングの冷えた細い音とは違う、「肥えた女性演奏家のような」我の強さが音の太さにもあらわれたものとなっていて、1楽章など小さい音符を思いっきり詰め引っ掛けを多用したりカデンツァを極端に煽ってみたり、不要と判断したのか音の存在はわかるものの殆ど音として認識できないような加速指廻しをしてみたり、まあコンクールならアウトである(コンクールなど盤には無意味だが)。2楽章の印象的なロマンティシズムはシェリングにドイツ的な重みある表現も可能だったことを認識させる。だがロマンティックにはけしてならない。ヴァイオリンの名手だったシベリウス、そのチャイコフスキーの一歩前を行く書法の特徴でもあるのだが、民族音楽的な表現を更に極端に煽るような弾き方をしているにもかかわらず、まったく舞曲風味が出ない。3楽章に顕著である。これは強弱コントラストが強くしかし余り主張してこないデジタルな透明感のある伴奏との併せ技でもあろうが、シェリング自身が後年芸風として確立していく「冷めた音による熱い音楽」の萌芽が既に十分見えていたということだろう。私はこの頃のシェリングは好きだ。ライヴ感溢れる、瑕疵もあるが、なかなかのテンション系演奏。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第4番

2009年09月15日 | シベリウス
○ロジンスキ指揮NYP(DA:CD-R)1946/2/21live

この音源をエントリしてないことに気づいたのでアップ。4番を5番のように演奏するという、新しい演奏になじんでいる向きには違和感のあろう録音である。しかしこの時代には珍しいことではなかったようである。ドビュッシーの影響どうのこうの、というハーモニーについての配慮は(録音のせいもあるが)殆ど聞き取れず、旋律とそれにつけた和音、というシンプルな方法論のもとにトスカニーニというか、もっとメカニカルなアンサンブルのスリルを愉しませるために、オケをギリギリ引き締めて、そこにロケットエンジンをつけたような・・・「4番」なのである。憂いもなく、序奏的な部分はすっとばされ、弱音部ははしょられ、結果、終楽章は盛大に(「大」ではないけど)盛り上がった挙句、チャイコの「悲愴」のような蛇足的な重い響きで終わらせる・・・「静寂」ではなく「歩み」。RVWが9番の最後に「無」と書いたような表現がこの曲にはあっていると思うけれど。ディーリアスと並べて語られることの多いシベリウスだが、これは「自然」ではなく「都会」だ。でも、この演奏それなりに楽しめたりもする。録音も悪くない。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第2番

2009年09月12日 | シベリウス
○シュミット・イッセルシュテット指揮ハンブルグ北西ドイツ放送交響楽団(capitol/pristine他)1956

この時期にしては不思議に良い録音、というのは当たり前だが(ぐぐりましょ)pristineのネット配信は状態のよい原盤からの板起こしだけあって、私はやはり固さが気になるけれども、デジタルにリニューアルされたかんじが冷たく引き締まったこのコンビならではのドイツの理知的な表現にあっていて、好きな向きはまあまあ満足いくものだと思う。演奏自体はけっこういろんな板や媒体に起こされてきただけあってガラグリよりも余程都会的な「ドイツ流シベリウス」。シベリウスはもともと冷たく音響的な、縦の揃った、音符の粒だったピアノっぽいきちっとした表現を求める作曲家であり、まだ国民楽派的なこの曲でも2楽章にはその表現の的確さが求められる。先鋭的な響きと楽想の交錯だけを聞かせるような楽章ではあるが、ここでイッセルシュテットは1楽章でみせた地味で冷めた表現から、逆にイマジネイティブでロマンティックな表現に変化をみせている。1,4楽章なんていくらでも旋律で煽ることは可能(イッセルシュテットは4楽章ではスコアリング通りきちんと強弱のメリハリをつけてのんべんだらりと歌い続けるブヨブヨした音楽に堕するのを避けている)、3楽章は4楽章の前奏的なパキパキなスケルツォなので自ずとオケコントロール次第になる(イッセルシュテットは2楽章からアタッカのようにコントラストをつけて雪崩れ込んでいき弱体オケの弦をそれでもしっかり刻ませている)、となるとやはりこの曲演奏の評価は2楽章次第。ブラームス的な世界観に支配されながら、ドヴォルザークを思わせるブラスへの力の入れようも含め、なかなかに凄い演奏。4楽章の地味な展開部も、それ以外のやや客観的で空気の通るような表現に比べるとボリュームをもたせ、巨視的な構成感を示している。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第5番

2009年08月29日 | シベリウス
○ベイヌム指揮ACO(RICHTHOFEN:CD-R)1957/6/17ヘルシンキ音楽祭LIVE・CD

はっきり言って雑。とくに1楽章のまとまらなさといったら、アマチュア楽団のようだ。ただ、ステレオでスケールの大きさを直感させる録音となっており、そのテンポ設定と響かせかたに雑然としてしまった要因を求めることもできようか。フォルムはしっかりしており打・ブラスは腰の据わった力強い表現をしっかりとっており、2楽章で弦楽器もようやく落ち着き、ややおざなりの世俗性はあるものの清潔で壮麗な盛り上がりが終楽章に築かれる。いい意味でも悪い意味でもベイヌムらしさはある演奏。おまけで○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第4番

2008年12月27日 | シベリウス
〇アンセルメ指揮ヘルシンキ市立管弦楽団(lanne:CD-R)1963live

オケは非常にしっかりしたものだが、アンセルメは壮大にやりすぎている感がある。遅いテンポだが音の芯が強く、繊細なこの曲を国民楽派的に扱い過ぎているようだ。特に速い楽章で顕著であり、終楽章は作為的な遅さと拡散的な音作りが気になって仕方ない。さりげない終わりかたをどうするか、という点においても、だらだら続けていきなり尻切れのような残念な印象が残った。この指揮者の鋭敏な耳と透明な音作りに期待して、さらにオケの性向にも期待していたが、共に半端だった。精度はあり、〇にはしておくが。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響詩「フィンランディア」

2008年10月30日 | シベリウス
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1945/12/8live

ヴァイコンの前プロとして組まれたもの。合唱無し。比較的そっけないほうの演奏かもしれない。音は分厚く歌は無骨で男らしい魅力のある演奏になっている。ブラスは十分に力強いが派手ではなく、求心力が過剰というわけでもない。録音がやや遠いせいかもしれない。聴衆もおとなしい。既出か不明。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第7番

2008年10月30日 | シベリウス
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1945/10/13live

同曲の解釈的には特異だが、ロマンティックな性向が強く出ており、重量感力感溢れる音で、起承転結をはっきりつけて歌い上げてゆく。ブラスに無理な息の長さを要求する曲なのでさすがのボストンでもこのやり方で粘られると乱れを招き、前半に難のある箇所があるが、最後は感動的なフィナーレといった風情だ。録音はクーセヴィツキーのライヴとしては普通。聴衆反応は通り一遍。既出かもしれない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする