湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

2017年12月12日 | プロコフィエフ
○ワイセンベルグ(P)チェリビダッケ指揮トリノRAI交響楽団(HUNT)1962/1/5トリノlive・CD

ワイセンベルグの巧さには今さらながら唖然とする。技術的に全く危うさの無い、曲の要求するスポーツ的感興を見事に与えることに成功している。チェリが作り上げているのは縦をガチガチに揃えたドイツ式の伴奏ではあるけれども、まだこの時期独自の涅槃みたいな境地には至っておらず、スピード感に欠けることはない。寧ろきっちり揃った上でのスピーディな音楽作りは安心して聞けてかつゾクゾクする。余り深みの無い曲であるから素直に音の跳ね回るさまを楽しめばいいのだ。これはそういった意味では過不足ない佳演である。このオケには珍しく乱れもないのが素晴らしい(チェリの統制のおかげだろう)。○。

※2005/4/5の記事です
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☆プロコフィエフ:交響曲第5番

2017年07月27日 | プロコフィエフ
◎テンシュテット指揮ニューヨーク・フィル("0""0""0"classics:CD-R)1977/3/1LIVE

これはびっくりするほどしっかりした出来だ。がっしりしたフォルムはドイツ的な重さを感じさせようなものの全くそんなことはなく、熱狂して最後まで聞きとおす系の熱いものではないが、最後まで「飽きずに」聞き入ってしまう演奏である。この飽きないというところがプロコでは重要であり、テンシュテットが巧いのはプロコのスコアに溢れる客席まで伝わらないくらいの「仕掛け」を、嫌味に聞こえない程度にしっかり表現させているところで、重ねた音の響きの充実ぶりからここまで独特の色彩をもった曲だったのかと思わせるところもあれば、マーラーじゃないかと思わせるくらいの内声の意味深な動きまで聞こえてくるところもある。勿論すべてを浮き彫りにして分析的に振るような人ではないからフランス的な透明感は求めるべくもないが、この人なりのプロコの最も自然で忠実な演奏を最後までやり遂げている。またオケが素晴らしい。たぶんこのオケをしてしか成し得なかった完璧な「テンシュテのプロコ」、激しいアゴーギグに1楽章最後で拍手が入ってしまうほどの熱気、終演後のブラヴォーの嵐は言うまでもあるまい。名演。録音も比較的良好。

※2005/5/13の記事です
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☆プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

2017年07月21日 | プロコフィエフ
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1953/11/27live

派手派手な演奏でびっくり。歌う歌う。分厚い旋律のうねりは対旋律についても同じで内声部の充実ぶりも目を見張るものがある。刻みがテヌート気味のバリ弾きで若干プロコらしくない、バンスタあたりがやりそうな雰囲気もあるし、アラも探せば出てこようが、録音が(悪いのは悪いが)そこそこ聴けるレベルなのがまたよい。3楽章に憂いが足りないが、1,4楽章の有名な緩徐主題はこの曲の表層的な魅力を深層まで染み渡らせるほどの壮麗なものとなっている。4楽章コーダ最後は4楽章の主題が戻ってコミカルに終わるバージョン。○。

※2010/12/17の記事です
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☆プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」第二組曲

2017年07月12日 | プロコフィエフ
○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA他)1982/11/6・CD

やはりオケの統制という意味ではピークを越したあとの感は否めないがそこが野卑たロシア風味をかもし、別の面白みで聞ける演奏である。いきなり乾いた不協和音から急くようなテンポの「モンターニュ家とキャプレット家」騎士の踊りがキッチュにすら思え、また客観性が先立っているのにオケはどぎつい音をぶっ放しとなかなかに「スリリング」ではある。トスカニーニ的手法によって考える隙をあたえない感じはこの「読み込んでいってしまうと果てしなく理知的に組み上げられた構造のマニアックな穴に落ちて音そのものを愉しめなくなってしまう曲」にとってはいい方向に働いていると思う。オケの過度な思い入れが弛緩の方向に働かないようにつとめるのはもともと上演バレエ用に作られた素材であることを考えると正しい。まあ、ムラヴィンはプロコと交友こそあれ嫌いだったというけれども、これはけっこうプロコをきちんとやっている。「スピード」そしてリズムだ。踊れると思う。オケはブラスのぶっ放し方もいいが、なかなかに弦楽器が凄みがある。プロコの弦楽器は酷使上等だがきちんと弾けて無いとチャイコ以上にその細密な作曲の手腕(とアイロニー・・・このプラスアルファを付けられるかどうかで凡才と天才の差が出るのだ)の凄みが聞き取れないからタチが悪く、この曲くらいなら皆識っているので大した問題にはならなかろうが、長大なオペラなんかになってくるとけっこうだらしない演奏だと殆どオケなんて聞いてられなくなったりするわけで。しかし最後まで力感は凄いが、醒めてるよなあ・・・ショスタコみたいだ。この組曲にも素材としてストラヴィンスキーや果てはサティの器械リズムまで聞き取れたりするのだが(ワグナーとかそのへんになると他の作曲家もよくやってるのだが同時代から引いてくるところがこの人のあっけらかんとしたいいところだ)、ムラヴィンがロマンティックな意味での色をつけないために原素材の音楽が剥き出しで聞こえてくるところが面白かったりもする。○。

※2007/9/23の記事です
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☆プロコフィエフ:交響曲第2番

2017年07月07日 | プロコフィエフ
◎ブリュック指揮フランス国立放送管弦楽団(COLUMBIA)LP

ジャケデザはカッサンドルだがやや地味というか普通。まさにフランスかぶれの、しかし緻密で聞き応えのある作品だ(プロコでここまでガチに造り込んだ作品も珍しいだろう)。これを真摯なプロコ、他の要素の(音楽的影響以外)一切絡まない真の最高傑作と呼ぶ人に私は反論するすべを知らない。ストラヴィンスキーの素地も残るがほとんどオネゲルのような鋼の構造とミヨーのような複雑な烈しさで出来ているように、このようなフランスの演奏できくと一層感じられる。個人的に苦手な一種マンネリな「わかりやすいプロコ」の癖と、歪んで論理を失ったかのような汚い響きの「わかりにくいプロコ」がまったく目立たない。後半はっとさせられる素晴らしく抒情的で詩的な主題はこの透明なオケできくと六人組以上にフランス的な粋を感じさせる。皮肉もエキセントリシズムもない、じっくり聞き込んでしまう。本来意図はシニカルで(アイヴズふうに言えば)耳に歯ごたえあるよう、意外性というかモダンアートな(モダニズムと言うにはわかりやすいがしかし謎めいた耳新しい)構成がとられており、思わず何度も聞いてしまう。前進的で飽きさせない、かつロシアやモダニズムの生臭さを完全払拭した解釈ぶりは技術の確かさ含めあっぱれだ。モノラルだが◎。流石炎の天使の初演・初録音者。この曲しか録音してないとこがいい。わかる。

※2006/9/18の記事です
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プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

2017年07月06日 | プロコフィエフ
ロストロポーヴィチ指揮NYP(DIRIGENT)2005/4live

終始穏やかなテンポでひたすら抒情的な表現に重点を置いた演奏。晩年のロストロポーヴィチの心境をも伺い知ることのできる演奏。アクの濃くない、自然な抑揚でメロディを歌い継ぎ、二楽章終盤など一部を除きフォルテを避けているのではと思うほど優しく繊細な、この劇的表現にすぐれたオケに相応しくないほど柔らかな光に包まれた薄い響きで、一貫した雰囲気を保ち、解釈的にはセッション録音と同じ傾向ではあるのだが、いわゆる最晩年様式という言葉で説明できそうなものに仕上がっている。四楽章は中でもドラマを演出しているほうだが、リズムの刻みからしてアタックが弱く徒に気を煽るようなことはしない。この整え方、常識的なテンポなので瑕疵もなく、安心して聴く事はできる。反面、瑕疵を避け穏健に走る、現代的な演奏だなあ、という印象も無くはない。楽想間の表情変化に乏しく音色も一緒である。ただ、それこそ個性なのかもしれない。派手なほうの終わり方。拍手はまあまあ盛大。録音は00年代とは思えない砂ノイズ混じりのエアチェックレベルのステレオ。
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☆プロコフィエフ:バレエ曲「鋼鉄の歩み」~1、3、5、10

2017年06月27日 | プロコフィエフ
○コーツ指揮LSO(HMV)1932/2/18・SP

ロシアに学んだ英国の暴君指揮者として知られ、後年の客演録音は余り冴えなかったアルバート・コーツ(エリックとは別人)だが、同時代音楽を積極的に取り上げていたこの頃のスタジオ録音はロシア式の豪放磊落さを体言し、かつニキシュ直伝の感覚的表現を思わせる。英国楽団の慎ましやかな特質がバランサーとして働いており、技術的破綻がないのもこの時代には珍しい。社会主義的作品、機械文明的作品として知られるバレエ・リュス印のこの作品は複雑な構造は保ちつつ案外人好きするような平易な音線やリズムが魅力。ミヨーを思わせる高音の分厚いハーモニーやオネゲルを思わせるアンサンブルが時折耳をひき、無理と言いつつフランスで作曲を続けるプロとしての一種の妥協を作品に差し込んでいる。そこに更に平易な後年の作風の萌芽がはっきり現れる。もちろん趣向からいってメカニカルな面で聞く曲ではあるが、コーツの音楽の娯楽性はプロコフィエフの面白みを上手に引き出す。抜粋なのが残念。○。

※2011/9/11の記事です
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☆プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第1番

2017年06月14日 | プロコフィエフ
○エンドレス四重奏団(VOX)LP

プロコフィエフ屈指の美旋律に貫かれた曲である。殆どがファーストによって歌われるがゆえに(かといって非常にマニアックに作りこまれた内声部の独特の構造こそが聴き所でもある)「音質」というのは非常に重要で、これは室内楽とくに弦楽アンサンブル録音全般に言えることだけれども、アナログに勝るものはない(アナログに対してデジタル以外何があるかとかいう突っ込みは無視)。音の厚み、ざらざらした肌触り、柔らかさは絶対条件だ。弦楽器ならではの横の流れで有機的につながっていくべき音楽を、断ち切るようなエキセントリックな変化が要求されないかぎりデジタルの「断続的な音」はそぐわない。「音」が出来た上でアンサンブルとしての正確さにプラスアルファ解釈が伴えばいい。キンキン金属質の鋭く耳にきつい、つるつるした音で、ただ譜面からの正確さを売りにした「ように聞こえる」録音が増えてしまうのは、CDに代表されるデジタル音源の欠点の裏返しである。この盤は50年代までの雄渾で柔軟な演奏スタイルによるものであることに加えて、そういったアナログのよさを改めてわからせてくれる音を持っている。

この演奏は1楽章こそやや客観性が感じられるが、若々しさを越えて演奏精度と表現力の調和が板についているさまは聴き心地よく、ただでさえ凄まじいアンサンブルが弾ける2楽章において、絶頂的な表現が聴かれる。全般確かに強い個性は無いが、この楽章では細かく施されたアーティキュレーションが完璧に表現されており、この瞬発力が売り物のような楽章でよくもまあこんなに表情から音量から微細な変化、起伏をしっかり揃えて演奏できるもんだと感服する。しかも非常にアタックが強く、気合が感じられる(そうしないと揃わないんだろうけど)。この楽章の細部に至るまで完璧なアンサンブルは他には無いものに聞こえた。もちろん、これも旋律音楽ではあり、息の長い旋律を太筆で描くように、倍音を豊かに響かせつつうねらせていく有機性も必須で、その点でも素晴らしい。これこそデジタル音源化したら損なわれそうな美質だ。終楽章はどこがやっても似たり寄ったりになるほど素晴らしい挽歌だからここでも特徴的なものは聴かれないけれど、悪くは無い。2楽章だけだと◎でもいいのだが、○。

2番

※2008/7/10の記事です。
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☆プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第2番

2017年06月10日 | プロコフィエフ
○エンドレス四重奏団(VOX)LP

この団体らしく解釈の手堅さを置いてなお50年代スタイルの雄渾な表現に惹かれる。モノラルでアナログ、スケールが小さな演奏に聴こえがちなのは仕方ないが、この作品は前期の1番とは違い晩年のちょっと分裂的な境地を示す難しさがあり、ただ楽天的に民族的な音楽をかなでているかといえば、ショスタコ的にそれを断ち切る悲痛な叫び、あるいは小声の謎めいた独白がぞくっとさせる。非論理的とすら感じるその構成はやはり、円熟した団体にしか解釈しきれない部分もあるかと思う。この時点でこの団体はまだ、そこまでは至っていないのか。ちょっとハリウッド四重奏団的ではあるが、あの団体の即物性を思うとこの演奏のほうがより真に迫っているとは思う。○。団体自体は一般的にはそれほどメジャーではないが息の長い活動をしているようで録音もままある。

※2008/7/10の記事です

1番
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☆プロコフィエフ:二台のヴァイオリンのためのソナタ

2017年06月07日 | プロコフィエフ

○オイストラフ親子(monitor/brilliant他)CD


プロコは教育用作品のような室内楽編成の曲をいくつか書いているがこれもそのひとつで、しかしシンプルな中にもプロコ独特の隙のない手法が駆使され聴き応えがある。このような手遊びのような作品群中では、旋律が魅力的であるのも例外的な気がする。終楽章冒頭はダウンタウン浜ちゃんの「人気者でいこう」の人気コーナー「芸能人格付けチェック」のBGMに使われていた。チャイコの弦楽四重奏曲弟1番4楽章冒頭というマニアックな曲選もしていたので、なかなかのセンスの番組だった(今でも正月には特番をやって、さまざまなクラシック楽器の聴き比べがハイライト企画のひとつになってますが、私ストラディより安い楽器のほうが音好きだったりしたんですけど)。さて演奏は他にない、ダヴィドの音が多少細く感じたがそのぶんイーゴリとの調和がとれ音色的な齟齬がまったく無く、これだけ聴くと簡単な曲だと誤解しそうな勢いである(譜面面プロコにしては難しいほうではないとは思うけど)。技巧的魅力だけでなく思索的なものを盛り込んだ謎めいたところがあることに気づかされ、短くスパッと聴きとおせる。プロコは基本体育会系音楽なので、ダヴィドの表現にやっぱり最盛期よりは力弱い感じを受ける向きもあるかもしれないが、室内楽とはそうやるものだし(ダヴィドは室内楽もよくした)、これはこれでいい。◎にしておかないと他がない。ブリリアントの廉価ボックスにも収録。

David Oistrakh: Chamber Music Edition
David & Igor Oistrakh
Brilliant Classics

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※2008/6/5の記事です
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☆プロコフィエフ:交響曲第5番

2017年06月03日 | プロコフィエフ
○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(EMI)1990/2/3live・CD

終楽章にやや目立つ演奏上の瑕疵より恐らくミーティア盤と同じ演奏であると思われる。但しデータ上はミーティア盤は80年代のものと推定されているので断言は避けたい。比較するまでもなく、さすがにいい音で段違いだが、感想としてはほぼ同じというか、既に聞いた演奏という感想になってしまう。遅さを補うほどのぎっちりした構築性があるかといえばそこまで徹底されたものは感じないし、響きも瑕疵のために濁ることがしばしばで、音がよくなることが決して感動を倍加させるものではない、という当たり前のことにはっとさせられることもある。やはり前半楽章のほうが印象が強く、まあ、楽想自体の性質上のこともあるのだろうけれども、終楽章の落ち着きかたにはちょっと違和感を覚えなくもない。正直この曲は聴き飽いているので、チェリの演奏ですら凡庸に思えてしまう私はもう向こう10年くらいこの曲を聴くべきではないのかもしれないが、凄くいい、とまでは言えない。そう言いつつ美しい場面(3楽章など)では入り込んで聴いてしまったのも事実、間をとって○。終演後の客の反応はチェリにしては決していいものではない感じがするが気のせいか。

※2005/2/23の記事です
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☆プロコフィエフ:ヘブライの主題による序曲

2017年05月15日 | プロコフィエフ
○モズゴヴェンコ(Cl)バシュキーロフ(P)ボロディン四重奏団(MELODIYA)LP

この曲に関して私は初めに譜面を見てしまったがために固定観念が出来上がってしまい聴く耳が偏っているというかうるさい。ほとんど作曲家本人とベートーヴェン四重奏団らによる演奏しか認めない感じなのだが・・・うまいなあボロディンQ。。世界がきちんと綺麗に構築されている。音色も美しい艶が残っている。初期ならではの味だ。丁寧だけどテンポ感はけっして失わず、バシュキーロフ先生なんかは余り目立たないけど伴奏として非常にうまく立ち回っている。ちょっとスピード感には欠けるきらいもあるが(もっとも後年の演奏のほとんどが遅すぎるのだが)ボロディンでプロコ全集いれてくれればよかったのに。録音やや悪し。○。
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☆プロコフィエフ:「ピーターと狼」~序奏と行進曲(ヴァイオリン編)

2017年04月22日 | プロコフィエフ
◎コーガン(Vn)ヤンポリスキー(P)(multisonic)1947・CD

録音はモノラルでこのくらいなら十分いいと言えるのではないか、まったくコーガンの腕は確かで、とくにこういった同時代音楽をやらせるとむちゃくちゃに巧い。性があったということだろう。有名なマーチは技巧的な編曲がなされているが安定した重音表現とキレのいいリズムで、子供の音楽ながらも聞き惚れてしまう。変にヴィルツォーソとひけらかさないところがすばらしい。ピアニストは私はヤノポウロとてきとうに読んでいたがヤンポルスキーとは違うのか?
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☆プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第2番

2017年04月14日 | プロコフィエフ
◎カルミレッリ四重奏団(DECCA,LONDON)1960

正直カルミレッリ女史の奇嬌な解釈や音に期待して、大枚はたいてアナログ盤をやっと手に入れたのだが、これがかなり完成度の高い凝縮された演奏で不意を突かれ感銘を受けた。調和のまずいと印象を受けたラヴェルは、たんに復刻のリマスターが悪かったのか?上の書き方だとハリウッド四重奏団の傾向に近いように読まれるかもしれないが、あのあっけらかんとした即物的な、凝縮がゆえにこじんまりとまとまり過ぎる「単調な芸風」とは違う。あの穴に落ちないのはやはりカルミレッリ女史の表現力にかかるものであり、ファーストのひとつの役回り、すなわち音楽の牽引者としてのメリットがこの人の技術にはたしかにあるから(この作曲家には傾向として旋律のファースト偏重が意外とあるのだ)、プロコならではの醍醐味が正攻法で味わえる。プロコは勢いだ。スピードとメカニックだ。結構無視されるこれら当たり前の要素を満たしている演奏の中でもいちばんしっくりきた。民族色はあまりないが。カルミレッリ女史の超高音の正確さと適度な感情に◎。ステレオ。

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☆プロコフィエフ:歌劇「炎の天使」

2017年02月08日 | プロコフィエフ
○ロード(s)ドプラ(b)ブリュック指揮パリ国立歌劇場管弦楽団他(ACCORD)1954/11/25シャンゼリゼ劇場初演live・CD

諸所問題はあるがおおむね録音は良好で聴取に支障はまったくない。断続的に再発され続けている演奏会型式の全曲初演盤(フランス語)である。とてもフランス的というか、プロコの問題作とは思えない繊細な表現が目立ち、やはりこういったマニアックな技巧を凝らす作曲家の作品はゴリ押しの方法論よりちゃんと読み解いて綺麗にまとめてやるのが一番あっていると思う。かなり聴き易く、またライヴとはいえライヴ感は維持しつつまるでアンゲルブレシュトのペレアスのように美麗で、かつ独唱者がよい。後期プロコのマンネリズムも前期プロコの破天荒な汚さも全く出てこない、いい曲だなあとドラマティックな場面を含めて思ってしまった。「道化師」に近いかな。○。
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