湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラヴェル:バレエ「ダフニスとクロエ」第二組曲

2019年01月06日 | ラヴェル
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(放送)1960/5/4NHKホールlive(映像)

何かメディアになっていた気がする。ネットで観られる。夜明けではミュンシュは冷静に振り、オケは(個人的にフランスオケよりボストン交響楽団のほうが良い)綺羅びやかな音を振りまき、精度もかなり高い。といっても映像上事故はあり、コンマスがミュートを外し忘れて独り落ちている箇所等目は引くがこの録音では影響はまったくわからない。ともかくミュンシュの棒もあってないようなもので大きなタクトの打点がはっきりしないような振り方もしていて、それでここまでまとまり、力強く美しく推し進め全員の踊りではそれでも少し個性的な表情付けもバッチリ。かなり良い出来である。オケとは別に(もっともオケも冷静ではないように見えるが)ミュンシュはさいご激しすぎてバンスタより激しい上半身の動きをみせ、鬼のような顔で終わる。さっと指揮台を降りると汗だらけの顔は和んでいる。このときの聴衆は幸運だ。
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ラヴェル:ピアノ協奏曲

2018年12月02日 | ラヴェル
パッサーニ(P)フルネ指揮コロンヌ管弦楽団(pathe他)1947

奇を衒わず正面からスピーディーに演奏した記録で、ラヴェルの志向はこういう技巧の綺羅びやかなのに絶対揺れない明瞭な演奏だったのではないか。録音的に細部が聴こえず弾けてるのか誤魔化してるのかわからない所もあるが(テンポがやや緩くなるところはある)芸風としてはしっかり弾いてそう。パキパキいう音、水も切れるようなハッキリした演奏、フルネはまったく個性を感じないが色彩は明るく濁りがすくない。胸のすく演奏。

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ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

2018年11月20日 | ラヴェル
A.チャイコフスキー(P)シーガル指揮バーミンガム交響楽団(SLS)1976/12/30live

バックオケが弱い。木管だけは皆うまいが基本的に即応性がなく統制がいまいち。しかもモノラル!ソリストは同曲を録音したり演奏したソヴィエトのピアニストたちと割と同傾向で、重く前時代的な部分を払しょくしきれずラヴェルとしてはいささか軽やかさ(難しいパセージをそう思わせないようにさらっと響きを整えて披露する)に欠け、とはいえ普通に上手いソリストだけれど、ミスもないとも言えないし(悪録音のせいで聞こえない可能性あり)、それもオケがテンポにのらないせいとも・・・悪くはないがこれが70年代の演奏となると疑問は持ってしまう。あと、やっぱりニュアンスに欠けるというか、音色が無機質。これが同日のラフマニノフとなると途端に水を得た魚になるので笑ってしまう。。

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ラヴェル:スペイン狂詩曲抜粋

2018年11月18日 | ラヴェル
ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(columbia他)1934/3/17

ねっとりとしたフレージングでロマンティックな解釈を展開していく。ただ野放図ではなく棒できっちり指示を重ねての計算で、巨視的には気にならないレベルの弄り方だと感じた。SP両面なので抜粋になるがわりと聴き続けられる録音。
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ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(カデンツァ断片)

2018年11月17日 | ラヴェル
ヴィトゲンシュタイン(P)作曲家指揮?(配信)1933/1/17パリlive?・動画

ごく短い断片だがラヴェルを弾く兄ウィトゲンシュタインが見られる。元はサイト掲載のもの。ドイツ語放送が動画共有サイトに上がっているが、音は別との指摘もある(映像と僅かだがずれているが、別物認定するレベルではない)。1932初演リハの映像という話は不明、初演はラヴェル指揮ではないしパリでもない(ヘーガー)。作曲家指揮とウィトゲンシュタイン独奏による、和解した記念碑的演奏すなわち1933年1月17日のものという意見もあるが、舞台上はそれらしい感じだが、証拠がないし出来すぎている。同日のものという映像が別の映像として同じく動画共有サイトにあるが、これは冒頭部を室内で鍵盤だけ撮影しており(確かに走ったり揺れたりするのはウィトゲンシュタインぽい)録音状態とピアノのメーカーから1940年代とする説が妥当か。しかし興味深い。隻腕という言葉は最近使われないが、第一次世界大戦の惨禍を経て演奏活動を再開すべく、左手のための曲をプロコフィエフやブリテンなど名だたる作曲家に依頼した中、群を抜いた出来に大いに気に入り、、、作曲家はウィトゲンシュタインの改変に難色を示しのち息子のように可愛がったフェヴリエを真の初演者であるように仕立て上げたが、一方でその権限により愛奏し続けた。両者の腕の差はあったたろうが、この実況でも感じ取れるように、左手だけで演奏するというのは器械的に五本の指しかなくなることではない。身体のバランスが変化し、重量の掛け方も変わる。ましてここまで忙しい曲なら相当に大変。案外と看過される点だ。元から弾けなかったのだ、とする論調はあるが、これはフェヴリエがメリットあって当たり前。ラヴェルは器械的に書いたのであり、良い悪いではないが、勘案すべき点だ。この映像ではその身体で曲と格闘する真摯な態度が見て取れる(音も粒立って届く)。まあ、恐らく音を減らしたり表情を加えるのは時代を考えてもパーソナリティを考えても仕方ないと思う。大柄という面でメリットはあるが、あの高さから左手だけで打鍵してよれているようにも見えない。他のソロ曲演奏もあるので聞いてみるといいがこれはアマチュアでは決してない。ウィトゲンシュタインの全曲録音は著名なものが2つある。
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ラヴェル:クープランの墓

2018年10月21日 | ラヴェル
チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(mphil)1984/4/18,19live・CD

落ち着いたテンポで張り詰めたようでも暖かい音で紡がれる、マ・メール・ロワのような世界。音の一つ一つをしっかり表現させ、踏みしめる足取りの明確さからなぜかリズムの心地よさが感じられてくる。こういう表現はチェリビダッケ独特のものだろう。ドイツオケらしい重さや音色は無くはないが、気が付かなければ気が付かないレベルのものだ。繊細なところまで整えた感じなのに、生気があり聞き心地が良い、ライヴならではか。響き重視のチェリビダッケはピアニッシモの長い音符に現れる、三楽章の結部近くは聞き物。おしなべてソロの木管楽器が出てきたら耳を澄ませよう。四楽章は残響がキレを損なう感もある。しかし、ここでいたずらに弾けないのもチェリビダッケだから、これでいいのだろう。拍手はやや普通。リリカルな佳演。ミュンヒェン・フィル自主制作盤、ほぼ海賊盤で出回った音源だが録音の良さは段違い。このトラックは2日間の編集版とのことで、この形では海賊盤でも出ていない可能性がある。
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ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

2018年10月10日 | ラヴェル
オークレール(Vn)ボヌー(P)(meloclassic)1958/11/25パリ放送スタジオ録音・CD

荒い。音にならない音が多い。音色もあまり好きではないが、ただ硬質なのではなく、それ以外のテクニックで音に艶を付けていくのは独特だ。セッション録音とは思えないガチャガチャしたところもありラヴェルやアメリカのブルースにはとうてい聴こえないものの、ただ激しさを楽しむ向きには向いているかもしれない。
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ラヴェル:古風なメヌエット

2018年08月01日 | ラヴェル
ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades/Universal)1957-59・CD

もともと新古典主義であるラヴェルのスタイルが世界の流行りに先んじて出た作品だが、管弦楽版はかなり派手で、しかもロザンタールのものは録音のせいもあってか古典的な趣はなく、どぎつい色彩を放ち、同曲の管弦楽編曲の演奏としても特異な威力を放っている。気宇壮大スケールが大きすぎ、シュッとした典雅な雰囲気は0。ハープやトランペットの音が異様に耳側で聴こえてくるのは古い時代の録音のせいかもしれないが、聴くところ50年代ステレオとしては世界最高レベルの録音なのであり、ロザンタールも聴いているだろうから、ロザンタールの好みとしてもおそらく、これで合っている。
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ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

2018年08月01日 | ラヴェル
ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades/Universal)1957-59・CD

意外と醒めており音も明瞭すぎて色に憂いが無いが、中間部では感情的な分厚い表現もみられ、ハッキリしたアタックに、変な話だがプーランクの弾いたジムノペディを思い出した。ロザンタールらしくもなく、古い演奏スタイルが残っているのかもしれない。響きの繊細なバランス、全体としての密やかさは秀逸。
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ラヴェル:クープランの墓組曲

2018年08月01日 | ラヴェル
○ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades/Universal)1957-59・CD

いきなりスピーディーで驚く。音響を整えたような停滞するセッション録音が多いロザンタールとしては珍しいようにも思う。表現や音色が世俗的にならずに正攻法で、師ラヴェルを克明に描き出した名演で、終楽章のみテンポが落ち着く感もあるが、時代からすると極めて優秀なステレオ録音込で、これをマスターピースとすべきだと思った。アデで聴いているのでリマスターしたらもっと良くなっているかもしれない。
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ラヴェル:ラ・ヴァルス

2018年07月29日 | ラヴェル
フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD

この曲はわりと普通だ。普通にうまいし、普通に盛り上がるのだけど、音が派手ではなく、ブランコである必要はあるのかと思ってしまう。面白い、普通ラヴェルというとラ・ヴァルスでお茶を濁すもので、ボレロができればボレロだろうが、変化があって聴き映えがするし一楽章でまとまるのはこの曲だ。ブランコはラヴェルと親しかっただけにこの曲はそう攻める曲ではないと思ったのか。モノラルのせいもあるが。
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ラヴェル:ボレロ

2018年07月29日 | ラヴェル
フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD

18分36秒のボレロ。イダ・ルビンシテインもあと20キロ太らないとこの重量感は出せない。史上最遅のボレロと言われ、しかしもういいかげん越した演奏もありそうだが、まずソロで剥き出しの管楽器がたまらず、限界の速度はあろう。このオケはあくまでEMI向けの名前で実体はORTFというが(アンゲルブレシュトのドビュッシー全集がシャンゼリゼ劇場名義なところからも容易に推測できる)、音は華麗でORTFの手堅さはなく、これはブランコの芸風としての艶っぽい表現、派手な響きなのだろう。ボレロは普通に聞いていても違和感のあるハーモニーが目立つが、意外とこの派手なぶっぱなし方でバランスが取れる。これはラヴェル自身の高速ボレロと一見違っているが、ラヴェルが覆面指揮者に選んだのもわかる一つの見識を示しており、成功している。遅い遅いといってもプロである、遅いとは感じない。おおいに歌うし、揺れるから飽きることは意外とない。演奏陣はもちろん遅さを感じるだろうし終盤で更にテンポが落ちるなど一寸軋むものの、聴いていて違和感はさほどない。トスカニーニと比べれば別の曲だが、フランスやラテンの指揮者の演奏と比べるとあまり違いを感じない。精度の高さを重視したともとれ、ラストで雪崩落ちる部分もきっちり揃えているところは現代的に感じた。音に色気があるといいですね。
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ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

2018年07月29日 | ラヴェル
フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD

デュクレテ・トムソンからのウェストミンスター、フランスEMIによるCD化ときて今は色々出ているか。ラヴェルの単純な作品でホルンソロに導かれエピソード毎に木管ソロが答唱のようなフレーズを挟み、全体としては原曲のピアノ版以上に優雅で、しかしそれでしかない旋律作品となっている。咽返るようなオケの響きに彩られたブランコの演奏はエネスコのもののような起伏をたっぷり取り入れ、ただボレロほどの遅さはない。ホルンソロのまるきり木管といった音はロシア式のヴィヴラート音を彷彿とさせるほどフランスそのもので、これとオーボエソロの音を聴くだけでも価値はある、これが正統な「亡き王女のためのパヴァーヌ」の管弦楽版である。

ただ、モノラルだ。モノラルに相応しくない音なので、そこはかなりマイナス。ブランコが国へ戻り放送指揮者になってしまったのはラヴェル直系と言われるだけに残念である。
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ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

2018年07月11日 | ラヴェル
ソリアーノ(Vn)ダルレ(P)(meloclassic)1960/1/8放送用スタジオ録音

一楽章、シゲティ的な掠れのある、弓圧に頼らない私の好きな音系なのだがぶっきらぼうな発音や荒い表現がきかれるのはその系統の特徴なので仕方ないか。但し奏法(というほどのことではないが)を使い分けていて単調にはならない。部分部分の解釈に感傷は宿らない。全体、流れの作り方、プラス前記のようなところから他の演奏家にはあまり無いたぐいの懐しさをはらんだものが滲み出てきて、余情が残る。鄙びたモノラル録音であることも手伝い、松葉のない棒のような弾き方でも違和感はそれほどないし、ピアノも含めて雰囲気が出ている。二楽章はそのやり方が通用しないようなところがあり、楽曲に特徴的なブルースを演奏で効果的に仕上げることは出来ていない。切り替えなく一楽章と同じやり方だ。精密機械としてのラヴェルとはまた違う方向を志向している演奏なのでこれはこうでいいのだろう。ピアノの正確な粒だった音が光っている。しっかり主張してくることでラヴェルであることをわからしめている(ピアノはどうやってもラヴェルになる)。他楽章の要素が複雑に絡み合う三楽章ではソリアーノのやり方が功を奏する。激しい表現は民族的ですらあり盤石の技巧の上で荒々しさを発揮して、ただ荒いのではなく、荒さを弾いているのだと和音の完璧さを示して終わる。なかなかの演奏だが正統かどうかはわからない。
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☆ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ

2018年03月15日 | ラヴェル
○ル・ルー指揮フランス国立放送管弦楽団(concert hall)

非常に美麗でリリカルな音、割と芯のある重厚な音響をひびかせながらも、流麗でドライヴ感溢れる演奏ぶり、情緒表現も主として音色によっておこなわれ十分で、まさにフランス派の指揮そのもの、ラヴェルそのものであり、ヴァイオリンの音色的不統一感も含め、こういうのを(ラヴェル自身はもっと機械的なものを目したかもしれないが)「ラヴェルらしいラヴェル」というのだろう。雰囲気作りは逸品であり、迫力を伴う多少の重さも構造をちゃんと意識して組み上げている証左、けして貶す理由にはならない。ドイツ的起伏というか、音響的バランスのとれたしっかりした響きの揺らぎが余韻をのこして曲は静かに終わる。なかなかの名演と言える。録音も極めて秀逸なステレオ。

※2007-02-20 14:56:12の記事です
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