◎作曲家指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)CD
この自演集が手に入らなければプレヴィンでもスラットキンでもいいので聞いてください。シベリウスの子、ネオ・ロマンティック交響曲の双璧(もう一壁はハンソンの「ロマンティック」)・・・←勝手に決めてますが。同時代の音ということで、ここでは古い演奏を推します。でっかい波が延々と寄せては返すような1楽章の盛り上がり、氷のように透明な諦感と葛藤する気持ちが蒼く燃える3楽章。ささくれ立った中にも希望の光に溢れた終楽章。最後の空虚な連打音。うーんイイッス。但し・・・ウォルトンの有名曲はみんなこんな感じだったりする・・・
音さえ良ければ抜群の名演として推せるのだが。このテの曲はモノラルで音が悪いと評価が半減する(といいつつここではボールト旧盤も推薦してしまっているが)。ウォルトンは自演指揮者としても一流だ。ダイナミックな起伏に浸りきる。オケの響きも凝縮されしかも激しく素晴らしい。
作曲家指揮ロイヤル・フィル(BBC)1959LIVE・CD
ウォルトンの交響曲第1番は難曲である。管楽器はすべからく酷使されるし、弦楽パートは何部にも別れて演奏する場面もあり辛い。アンサンブルを保つのが大変だ。付点音符のついた独特の音型が充溢しているが、これなども難しいところがあると思う。ロイヤル・フィルは決して弦楽の弱いオケではないと思うが、一楽章アレグロなどを聞くと、ファーストヴァイオリンがコンマスが突出した薄い響きになってしまっていたり(音色は非常に綺麗なのだが)、低音弦楽器が何をやっているのか、蠢きしかつたわってこなかったりしている。無論録音のせいもある。但し作曲家の指揮にしては非常に巧いと思う。二楽章プレストなど音楽の描き分けがはっきりとしていてすばらしい。余りルバートせずインテンポで突き進むところなども翻って格好良かったりする。EMI盤のほうが良くできているが、この盤も聞いて損は無いだろう。併録の「ベルシャザールの祭典」はかなりの名演で、拍手も熱狂的だ。
作曲家指揮ニュージーランド交響楽団(BRIDGE)1964LIVE・CD
このレーベル未だあったんだ・・・。驚かされたニュージーランド・ライヴ集二枚組。ニュージーランドはイギリス連邦の国だからこれはお国モノと言うべきなのか、ゴッド・セイヴ・ザ・クィーンから始まるこの録音。オケはあまりふるわないように聞こえる。これは管弦の録音バランスが悪いことに加え残響が煩わしい擬似ステレオで、音楽の座りが悪く、技術的には決して悪くないとは思うのだが、アンサンブル下手に聞こえてしまうのだ。ウォルトンの指揮ぶりは比較的ゆるやかなテンポを維持する即物的スタイルと言うべきもので、完成
度は他演に譲るが、内声部の主としてリズムパートが明確に磨き上げられているところなど作曲家のこの曲への見解を示していて面白い(録音のせいかもしれないが)。弦が弱いのでブラスばかりが吠えまくるハッタリ演奏に聞こえなくもないけれども、凄く悪いというわけでもないので、機会があれば聴いてみてもいいかもしれない。他ヴァイオリン協奏曲等。無印。(2004/3記)
◎ボールト指揮フィルハーモニック・プロムナード管(ロンドン・フィル)(NIXA/PYEほか)モノラル
BBCのクリアさも良いが、愛着あるのは古いスタジオ盤だ。LPでもレーベルによって音が違い、CDでも多分そうなのだろうけど(LPしか持ってません)、フルートを始めとする木管ソロ楽器の巧さ、音色の懐かしさ、ボールトの直截でも熱く鋭くはっきりと迫る音作り(1楽章、終楽章など複雑な管弦楽構造をビシッと仕切って、全ての音をはっきり聞かせてしまうのには脱帽・・・ここまで各細分パートしっかり弾かせて、堅固なリズムの上に整え、中低音からバランス良く(良すぎてあまりに”ドイツ的”に)響かせている演奏はそう無い)はどの盤でも聞き取れる。揺れないテンポや感情の起伏を見せない(無感情ではない。全て「怒っている」!)オケに、野暮も感じられるものの、表現主義的なまでの強烈なリズム表現は曲にマッチしている。50年代ボールトの金属質な棒と、曲の性向がしっかり噛み合った良い演奏。もっとも、ウォルトンの曲に重厚な音響、淡い色彩感というのは、違和感がなくはない。
ボールト指揮BBC交響楽団(BBC)1975/12/3LIVE
ボールトならLPO盤を薦める。決して悪い演奏ではないが、BBCsoの音は如何にも硬い。客観が勝りボールトの即物的な面が引きずり出されているようで、風の通るようなオケの音が適度にロマンティックな解釈とつりあっていないようにも思う。ライヴならではの堅さ、というのもあるかもしれない。ノりきれなかったライヴというのはえてして崩壊した奇演になるか、解釈のぎくしゃくとした機械的再現に終わる。後者のパターンだろう。とはいえ、ステレオの比較的良い音で、技巧も決してまずくはなく(うまくもない)、初めて聞いたときはそれなりに楽しめた覚えはある。
○スラットキン指揮セントルイス交響楽団(RCA)
オケがややばらけるところもあるが、熱演であり、尚且つすっきりとした透明感に彩られている佳演。明瞭な色彩もこの曲の美質を良くとらえている。
○ハミルトン・ハーティ指揮LSO(DUTTON/DECCA)1935/12/10-11
恐らく初録音だろう。中仲の秀演だが音が悪い。オケのノリがすこぶる良い。
○ハーティ指揮LSO(decca他)1935/12/9-10・SP
DUTTON復刻盤と同一だが、web配信されている(ノイジーだが)音源についているデータが微妙に異なるので、別に挙げておく。リンクは書かないが明るく抜けのいい復刻音源なので探して、初演者ハーティの真価を見てください。くぐもった骨董音源のイメージがあったのだが、トスカニーニ的な即物性が勢いを生み、リズム感がとにかくいい。もちろん現代のレベルとは違うのだが、何かしら生々しく、胆汁気質の楽曲がまんまダイレクトに耳をつき、とくに初演に間に合わず後日改めてハーティが全曲振り直したという終楽章のけたたましさ、最後の息切れするような和音と同時にこちらも息切れ。いやノイズキャンセルしない(高音域を切らない)というのは鼓膜負担が激しいので、実際疲れるは疲れるのだが、改訂を重ねられる前の凄まじさというか、管弦楽の迫力が感じられる点は嬉しい。○。
○サージェント指揮ニュー・フィル(EMI)
作曲家臨席のうえで録音された盤である。作曲家はサージェントに賛辞の手紙を送っている。だがこれは自作自演と比べてまったく異なる演奏である。弦など異様に細かく分けられた各パートすべて、細部までテンポ通りきちんと揃えて聞かせるやり方はちょっと新鮮だが(ここまで内声部まで揃ってちゃんと弾いている演奏も他にないのではないか)、音をひとつひとつ確かめるように進んでいくがためにスピード感がなくなり、結果かなりゆっくりしたテンポになってしまっている。ひょっとするとウォルトンが晩年に指揮していたらこういう演奏になったのかもしれない、と、リリタの自作自演アルバムを思い起こしながら思った。構造的な部分に興味のある方には非常に貴重な資料であろうが、長い曲だから飽きてくる。一音一音の発音は太くハッキリしていて男らしい足取りをもった演奏になっており、伊達男サージェントのスマートなイメージをちょっと覆すようなところもあって面白いが、3楽章あたりの情緒はもう少し柔らかく表現してほしくなる。目先を変えるという意味では興味深い演奏である、○ひとつつけておく。
○カラヤン指揮ローマRAI交響楽団(EMI)1953/12/5live・CD
特に一楽章に顕著なカットが聴かれ、他にも改変らしきものがあらわれておりカラヤンには珍しい作曲家気質が発露している。確かフランツ・シュミットに作曲を学んでいたはずで、ウォルトンの複雑なのに各声部が貧弱な独特の書法に納得がいかなかったのか(ベルシャザールは絶賛したがあれはリヒャルト的側面があるからわかる)、レッグの手引きで行われたらしいこの演奏会以降作曲家との関係が悪化したようである。録音がかなり悪くオケの技巧うんぬん以前の問題もあるし、万人に奨められるものではない。ただ力強い表現、感情的なうねりは錬度は後年より劣るがゆえに迫真味があって、このオケにしては分厚い響きに圧倒される。中間楽章が改変もなく充実しているが、四楽章の力の入りかたが個人的にはとても好き。技術面の瑕疵が多過ぎてカラヤンの黒歴史と言える記録ではあるが、なかなかカッコイイ。○。
○ホーレンシュタイン指揮ロイヤル・フィル(INTA GLIO)1971LIVE・CD
この曲の演奏を語るときには必ず口辺にのぼる録音である。
またホーレンシュタインのぎくしゃくした音楽か、と思うなかれ。この人の演奏としては稀に見る名演である。ぴりぴりと張り詰めるような演奏ぶりは意外なほど外していない。テンションはこの決して短くはない曲の最初から最後まで持続する。とくに弦楽器の凄まじい気合に感動する。すべての音符にアクセントが付き、しょっちゅう弦が軋む音がする。音の整えかたは重低音のドイツ風でホーレンシュタインらしい重厚なものだ。テンポは速くないが決してそれを感じさせない空気がある。ライヴでこの完成度はホーレンシュタインにしては珍しいと言っていいだろう。聴きどころは2楽章以外、と言っておこうか。2楽章は個人的には俊敏で飛び跳ねるようにやって欲しいところ。でもこれで良しとする人も少なくないだろう。苛烈なティンパニ、大きく吹き放つようなブラスのひびき、これはニールセンともシベリウスとも違うドラマティックな音楽だ。この曲の演奏史に独特の位置を占める名演と言っておこう。残念ながら録音がよくない。古いテープ録音のようでときどき音像が不安定になる。そのため○にとどめておく。
ブライデン・トムソン指揮LPO(CHANDOS)
やや莫大にやりすぎているか。ウォルトンの胆汁質が間延びしてしまったように聞こえた。この人の演奏の特徴は、大掛かりだが透明で感情をあらわにしないところだろうか。この曲では違和感を感じた。
ギブソン指揮スコティッシュ・ナショナル管(CHANDOS)1983
オケが弱く、ギブソンの発音もややアクが強すぎる。
○プレヴィン指揮ロイヤル・フィル(TELARC)CD
イギリス20世紀産交響曲で1,2を争う名作とされるが、プロコフィエフ的に分断され続けるシニカルな旋律にシベリウス的なキャッチーな響き、壮麗で拡散的なオーケストレーション(弦のパートが物凄く細かく別れたりアンサンブル向きではない華麗だが細かい技巧的フレーズが多用されたり)が、粘着気質のしつこく打ち寄せる波頭に煌くさまはちょっとあざとく感じるし、最終音のしつこい繰り返しも含め、長々しくもある。改訂で単純化というか響きを軽く聴きやすくされたりしているようだが、演奏スタイルも両極端で、ひたすら虚勢を張るような音楽を壮大にしつこく描き続け(て飽きさせる)パターンと、凝縮的かつスマートにまとめて聞きやすくさっと流す(ので印象に残らない)パターンがある。
そもそもライヴ感があるかどうかで印象が大きく違う。ロシアの大交響曲のように、ライヴでは力感と緊張感でしつこさを感じさせない曲なのである。ただ言えるのはよほど腕におぼえのあるオケに技術を持った指揮者でないと聴いてられない曲になってしまう恐れが高いことである。
プレヴィンの新録は日本では長らく手に入る唯一の音盤として知られてきた。RVWの全集など英国近代交響曲録音にやっきになっていたころの延長上で、RVWのそれ同様無難というか「整えた感じ」が「素の曲」の魅力の有無を浮き彫りにし、結果名曲とは言いがたいが演奏によっては素晴らしく化けるたぐいの曲では、図らずも「化けない」方向にまとまってしまう。旧録のLSOに比べロイヤル・フィルというあらゆる意味で透明なオケを使ったせいもあろうが、凝縮というより萎縮してしまったかのように表現に意思が感じられず、プレヴィンの技のままにスピーディかつコンパクトにまとめられてしまっている(この稀有壮大な曲でそれができるプレヴィンも凄いとは思うが)。ライヴ感が皆無なのだ。ステレオ録音の音場も心なしか狭いため、50年代押せ押せスタイルならまだしも、客観的スタイルでは入り込めない。
4楽章コーダの叩き付けるように偉大な楽曲表現にいたってやっと圧倒される思いだが、1楽章冒頭から長い序奏(構造的には提示部?)の間の次第に高揚し、主題再現で大暴れするさまがもっと演出されないと、両端のアーチ構造的な「爆発」が「蛇頭龍尾」という形に歪められてしまう。スケルツォと緩徐楽章はこのさいどうでもいいのだ。形式主義の産物にすぎない。いずれ後期プロコフィエフの影響は否定できないこの曲で、絶対的に違う点としての「無駄の多さ」が逆に魅力でもあるわけで、無駄があるからこそ生きてくるのが壮大なクライマックス。無駄を落としすぎているのかもしれない。
かなり前、これしか聴けなかった頃はよく聴いたものだが、録音のよさはあるとはいえ、もっと気合の入った、もっと演奏者が懸命に弾きまくる演奏でないと、複雑なスコアの行間に篭められた(はずの)真価が出てこないように思う。入門版としては適切かもしれないので○にはしておく。カップリングの有名な戴冠式行進曲2曲のほうは非常におすすめである。ひょっとして録音が引きになりすぎているのかな。プレヴィンはモーツァルト向きの指揮者になってしまったのだなあ、と思わせる演奏でもある。だからこそ、1966年8月録音のLSO旧盤のほうが再発売され続けるのだろう。
◎プレヴィン指揮LSO(RCA)1966/8/26,27ロンドン、キングスウェイホール・CD
作曲家墨付きの凄演だ。力ずくで捻じ伏せるように、腕利きのLSOをぎりぎりと締め上げて爆発的な推進力をもって聴かせていく。部分においてはサージェント盤はすぐれているが全体においてはこちらが好きだ、と作曲家が評しているのもわかる、部分部分よりも大づかみにぐいっと流れを作り進めて行くさまが清清しい。とくに叩きつけるような怒りを速いスピードにのせた1楽章が素晴らしい。しかし部分よりも全体、というそのままであろう、これだけあればいいというたぐいの盤ではないが、これだけは揃えておきたい盤である。クラシックの音楽家としてはまだ駆け出しだったはずのプレヴィンが一切の妥協なく集中力を注いだ結果がこのまとまり。まとまらない曲で有名なこの曲がここまでまとまっている。ベストセラーさもありなん、この非凡さはまだその名を知らなかった作曲家の心をとらえのちに交流を深めたようである。◎。
○コリン・デイヴィス指揮LSO(LSO)CD
この曲はスコアリングに問題があるといわれ、細かい仕掛けをきっちり組み立てていこうとすると妙にがっしりしすぎてしまったり・・・曲自体はシベリウスよりも軽いくらいなのに・・・リズムが重くなってしまったり、だいたい過去の録音はそのようなものが多い。新しい自作自演ライブや、たとえばスラットキンの有名な録音などは逆に明るい色調が浅はかな曲であるかのような印象を与えてしまっている、これは恐らくスコアを綺麗に整理しようとする意思が過剰になってしまったのか、単にオケのせいなのか・・・コリン・デイヴィスの演奏はそれらに比べ非常にバランスがよい。決して重過ぎず、明るすぎもしない。一つにはオケの力量があると思う。ヴァイオリンの細かいポルタメントがその気合を裏付けているとおり、演奏に一切の弛緩がなく、技術も十分であるからそれが音になって現れている、更にプラスして音響に適度の重さが加えられ整えられている。ファーストチョイスには素晴らしく向いているし、逆にこれだけでいいという向きもあっていいだろう。3楽章のような冷えた響きの緩徐楽章に旋律のぬくもりを加えて独特の感傷をかもすところ、これはコリン・デイヴィスの得意とする世界だろうか。かなりの満足度。○。
○マッケラス指揮LPO(EMI)CD
フォルムのしっかりした演奏でよくスコアを分析してやっていることが伺える。フォルムがしっかりしたといってもホーレンシュタインのような太筆書きの演奏ということではなく細かく統制された演奏という意味で、オケもよく訓練されている。ただ、今一つはっきり訴えてくるものがない。迫力という意味で1楽章は物足りなかった。2楽章は聞き物。丁々発止のやり取りを楽しむというよりはシンフォニーのスケルツォ楽章としてやりたいことが伝わってくる演奏。4楽章は迫力があり、やや莫大な部分もあったそれまでの演奏のマイナス面を補うくらい力強い。録音の良さも手伝って、スラットキンよりも重量感があるがスラットキン的な細部まで透明で明瞭な彫刻がこの曲の本来の姿を浮き彫りにする。それゆえに曲の「弱さ」みたいなところも現れるのだがそれはそれで本質なので問題ないだろう。○。
○ノリントン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(dirigent:CD-R)2007/10/26live
細かい揺らしのない四角四面のテンポでありながら精密な響きとアタックの強さでそうと感じさせない盛り上がりを作っている。原曲の魅力をしっかり引き出せている、と言ったほうがいいか。諸所不満足な部分はあるし例のノンヴィヴの導入などそこでそれは必要なのか、というような「改変」はあるが、まるでシェルヒェンのような独特の域を示すものとして楽しむことは可能。唯一、最終音を切らず引き延ばしたのはいかがなものか。拍手も戸惑うというものだ。
この自演集が手に入らなければプレヴィンでもスラットキンでもいいので聞いてください。シベリウスの子、ネオ・ロマンティック交響曲の双璧(もう一壁はハンソンの「ロマンティック」)・・・←勝手に決めてますが。同時代の音ということで、ここでは古い演奏を推します。でっかい波が延々と寄せては返すような1楽章の盛り上がり、氷のように透明な諦感と葛藤する気持ちが蒼く燃える3楽章。ささくれ立った中にも希望の光に溢れた終楽章。最後の空虚な連打音。うーんイイッス。但し・・・ウォルトンの有名曲はみんなこんな感じだったりする・・・
音さえ良ければ抜群の名演として推せるのだが。このテの曲はモノラルで音が悪いと評価が半減する(といいつつここではボールト旧盤も推薦してしまっているが)。ウォルトンは自演指揮者としても一流だ。ダイナミックな起伏に浸りきる。オケの響きも凝縮されしかも激しく素晴らしい。
作曲家指揮ロイヤル・フィル(BBC)1959LIVE・CD
ウォルトンの交響曲第1番は難曲である。管楽器はすべからく酷使されるし、弦楽パートは何部にも別れて演奏する場面もあり辛い。アンサンブルを保つのが大変だ。付点音符のついた独特の音型が充溢しているが、これなども難しいところがあると思う。ロイヤル・フィルは決して弦楽の弱いオケではないと思うが、一楽章アレグロなどを聞くと、ファーストヴァイオリンがコンマスが突出した薄い響きになってしまっていたり(音色は非常に綺麗なのだが)、低音弦楽器が何をやっているのか、蠢きしかつたわってこなかったりしている。無論録音のせいもある。但し作曲家の指揮にしては非常に巧いと思う。二楽章プレストなど音楽の描き分けがはっきりとしていてすばらしい。余りルバートせずインテンポで突き進むところなども翻って格好良かったりする。EMI盤のほうが良くできているが、この盤も聞いて損は無いだろう。併録の「ベルシャザールの祭典」はかなりの名演で、拍手も熱狂的だ。
作曲家指揮ニュージーランド交響楽団(BRIDGE)1964LIVE・CD
このレーベル未だあったんだ・・・。驚かされたニュージーランド・ライヴ集二枚組。ニュージーランドはイギリス連邦の国だからこれはお国モノと言うべきなのか、ゴッド・セイヴ・ザ・クィーンから始まるこの録音。オケはあまりふるわないように聞こえる。これは管弦の録音バランスが悪いことに加え残響が煩わしい擬似ステレオで、音楽の座りが悪く、技術的には決して悪くないとは思うのだが、アンサンブル下手に聞こえてしまうのだ。ウォルトンの指揮ぶりは比較的ゆるやかなテンポを維持する即物的スタイルと言うべきもので、完成
度は他演に譲るが、内声部の主としてリズムパートが明確に磨き上げられているところなど作曲家のこの曲への見解を示していて面白い(録音のせいかもしれないが)。弦が弱いのでブラスばかりが吠えまくるハッタリ演奏に聞こえなくもないけれども、凄く悪いというわけでもないので、機会があれば聴いてみてもいいかもしれない。他ヴァイオリン協奏曲等。無印。(2004/3記)
◎ボールト指揮フィルハーモニック・プロムナード管(ロンドン・フィル)(NIXA/PYEほか)モノラル
BBCのクリアさも良いが、愛着あるのは古いスタジオ盤だ。LPでもレーベルによって音が違い、CDでも多分そうなのだろうけど(LPしか持ってません)、フルートを始めとする木管ソロ楽器の巧さ、音色の懐かしさ、ボールトの直截でも熱く鋭くはっきりと迫る音作り(1楽章、終楽章など複雑な管弦楽構造をビシッと仕切って、全ての音をはっきり聞かせてしまうのには脱帽・・・ここまで各細分パートしっかり弾かせて、堅固なリズムの上に整え、中低音からバランス良く(良すぎてあまりに”ドイツ的”に)響かせている演奏はそう無い)はどの盤でも聞き取れる。揺れないテンポや感情の起伏を見せない(無感情ではない。全て「怒っている」!)オケに、野暮も感じられるものの、表現主義的なまでの強烈なリズム表現は曲にマッチしている。50年代ボールトの金属質な棒と、曲の性向がしっかり噛み合った良い演奏。もっとも、ウォルトンの曲に重厚な音響、淡い色彩感というのは、違和感がなくはない。
ボールト指揮BBC交響楽団(BBC)1975/12/3LIVE
ボールトならLPO盤を薦める。決して悪い演奏ではないが、BBCsoの音は如何にも硬い。客観が勝りボールトの即物的な面が引きずり出されているようで、風の通るようなオケの音が適度にロマンティックな解釈とつりあっていないようにも思う。ライヴならではの堅さ、というのもあるかもしれない。ノりきれなかったライヴというのはえてして崩壊した奇演になるか、解釈のぎくしゃくとした機械的再現に終わる。後者のパターンだろう。とはいえ、ステレオの比較的良い音で、技巧も決してまずくはなく(うまくもない)、初めて聞いたときはそれなりに楽しめた覚えはある。
○スラットキン指揮セントルイス交響楽団(RCA)
オケがややばらけるところもあるが、熱演であり、尚且つすっきりとした透明感に彩られている佳演。明瞭な色彩もこの曲の美質を良くとらえている。
○ハミルトン・ハーティ指揮LSO(DUTTON/DECCA)1935/12/10-11
恐らく初録音だろう。中仲の秀演だが音が悪い。オケのノリがすこぶる良い。
○ハーティ指揮LSO(decca他)1935/12/9-10・SP
DUTTON復刻盤と同一だが、web配信されている(ノイジーだが)音源についているデータが微妙に異なるので、別に挙げておく。リンクは書かないが明るく抜けのいい復刻音源なので探して、初演者ハーティの真価を見てください。くぐもった骨董音源のイメージがあったのだが、トスカニーニ的な即物性が勢いを生み、リズム感がとにかくいい。もちろん現代のレベルとは違うのだが、何かしら生々しく、胆汁気質の楽曲がまんまダイレクトに耳をつき、とくに初演に間に合わず後日改めてハーティが全曲振り直したという終楽章のけたたましさ、最後の息切れするような和音と同時にこちらも息切れ。いやノイズキャンセルしない(高音域を切らない)というのは鼓膜負担が激しいので、実際疲れるは疲れるのだが、改訂を重ねられる前の凄まじさというか、管弦楽の迫力が感じられる点は嬉しい。○。
○サージェント指揮ニュー・フィル(EMI)
作曲家臨席のうえで録音された盤である。作曲家はサージェントに賛辞の手紙を送っている。だがこれは自作自演と比べてまったく異なる演奏である。弦など異様に細かく分けられた各パートすべて、細部までテンポ通りきちんと揃えて聞かせるやり方はちょっと新鮮だが(ここまで内声部まで揃ってちゃんと弾いている演奏も他にないのではないか)、音をひとつひとつ確かめるように進んでいくがためにスピード感がなくなり、結果かなりゆっくりしたテンポになってしまっている。ひょっとするとウォルトンが晩年に指揮していたらこういう演奏になったのかもしれない、と、リリタの自作自演アルバムを思い起こしながら思った。構造的な部分に興味のある方には非常に貴重な資料であろうが、長い曲だから飽きてくる。一音一音の発音は太くハッキリしていて男らしい足取りをもった演奏になっており、伊達男サージェントのスマートなイメージをちょっと覆すようなところもあって面白いが、3楽章あたりの情緒はもう少し柔らかく表現してほしくなる。目先を変えるという意味では興味深い演奏である、○ひとつつけておく。
○カラヤン指揮ローマRAI交響楽団(EMI)1953/12/5live・CD
特に一楽章に顕著なカットが聴かれ、他にも改変らしきものがあらわれておりカラヤンには珍しい作曲家気質が発露している。確かフランツ・シュミットに作曲を学んでいたはずで、ウォルトンの複雑なのに各声部が貧弱な独特の書法に納得がいかなかったのか(ベルシャザールは絶賛したがあれはリヒャルト的側面があるからわかる)、レッグの手引きで行われたらしいこの演奏会以降作曲家との関係が悪化したようである。録音がかなり悪くオケの技巧うんぬん以前の問題もあるし、万人に奨められるものではない。ただ力強い表現、感情的なうねりは錬度は後年より劣るがゆえに迫真味があって、このオケにしては分厚い響きに圧倒される。中間楽章が改変もなく充実しているが、四楽章の力の入りかたが個人的にはとても好き。技術面の瑕疵が多過ぎてカラヤンの黒歴史と言える記録ではあるが、なかなかカッコイイ。○。
○ホーレンシュタイン指揮ロイヤル・フィル(INTA GLIO)1971LIVE・CD
この曲の演奏を語るときには必ず口辺にのぼる録音である。
またホーレンシュタインのぎくしゃくした音楽か、と思うなかれ。この人の演奏としては稀に見る名演である。ぴりぴりと張り詰めるような演奏ぶりは意外なほど外していない。テンションはこの決して短くはない曲の最初から最後まで持続する。とくに弦楽器の凄まじい気合に感動する。すべての音符にアクセントが付き、しょっちゅう弦が軋む音がする。音の整えかたは重低音のドイツ風でホーレンシュタインらしい重厚なものだ。テンポは速くないが決してそれを感じさせない空気がある。ライヴでこの完成度はホーレンシュタインにしては珍しいと言っていいだろう。聴きどころは2楽章以外、と言っておこうか。2楽章は個人的には俊敏で飛び跳ねるようにやって欲しいところ。でもこれで良しとする人も少なくないだろう。苛烈なティンパニ、大きく吹き放つようなブラスのひびき、これはニールセンともシベリウスとも違うドラマティックな音楽だ。この曲の演奏史に独特の位置を占める名演と言っておこう。残念ながら録音がよくない。古いテープ録音のようでときどき音像が不安定になる。そのため○にとどめておく。
ブライデン・トムソン指揮LPO(CHANDOS)
やや莫大にやりすぎているか。ウォルトンの胆汁質が間延びしてしまったように聞こえた。この人の演奏の特徴は、大掛かりだが透明で感情をあらわにしないところだろうか。この曲では違和感を感じた。
ギブソン指揮スコティッシュ・ナショナル管(CHANDOS)1983
オケが弱く、ギブソンの発音もややアクが強すぎる。
○プレヴィン指揮ロイヤル・フィル(TELARC)CD
イギリス20世紀産交響曲で1,2を争う名作とされるが、プロコフィエフ的に分断され続けるシニカルな旋律にシベリウス的なキャッチーな響き、壮麗で拡散的なオーケストレーション(弦のパートが物凄く細かく別れたりアンサンブル向きではない華麗だが細かい技巧的フレーズが多用されたり)が、粘着気質のしつこく打ち寄せる波頭に煌くさまはちょっとあざとく感じるし、最終音のしつこい繰り返しも含め、長々しくもある。改訂で単純化というか響きを軽く聴きやすくされたりしているようだが、演奏スタイルも両極端で、ひたすら虚勢を張るような音楽を壮大にしつこく描き続け(て飽きさせる)パターンと、凝縮的かつスマートにまとめて聞きやすくさっと流す(ので印象に残らない)パターンがある。
そもそもライヴ感があるかどうかで印象が大きく違う。ロシアの大交響曲のように、ライヴでは力感と緊張感でしつこさを感じさせない曲なのである。ただ言えるのはよほど腕におぼえのあるオケに技術を持った指揮者でないと聴いてられない曲になってしまう恐れが高いことである。
プレヴィンの新録は日本では長らく手に入る唯一の音盤として知られてきた。RVWの全集など英国近代交響曲録音にやっきになっていたころの延長上で、RVWのそれ同様無難というか「整えた感じ」が「素の曲」の魅力の有無を浮き彫りにし、結果名曲とは言いがたいが演奏によっては素晴らしく化けるたぐいの曲では、図らずも「化けない」方向にまとまってしまう。旧録のLSOに比べロイヤル・フィルというあらゆる意味で透明なオケを使ったせいもあろうが、凝縮というより萎縮してしまったかのように表現に意思が感じられず、プレヴィンの技のままにスピーディかつコンパクトにまとめられてしまっている(この稀有壮大な曲でそれができるプレヴィンも凄いとは思うが)。ライヴ感が皆無なのだ。ステレオ録音の音場も心なしか狭いため、50年代押せ押せスタイルならまだしも、客観的スタイルでは入り込めない。
4楽章コーダの叩き付けるように偉大な楽曲表現にいたってやっと圧倒される思いだが、1楽章冒頭から長い序奏(構造的には提示部?)の間の次第に高揚し、主題再現で大暴れするさまがもっと演出されないと、両端のアーチ構造的な「爆発」が「蛇頭龍尾」という形に歪められてしまう。スケルツォと緩徐楽章はこのさいどうでもいいのだ。形式主義の産物にすぎない。いずれ後期プロコフィエフの影響は否定できないこの曲で、絶対的に違う点としての「無駄の多さ」が逆に魅力でもあるわけで、無駄があるからこそ生きてくるのが壮大なクライマックス。無駄を落としすぎているのかもしれない。
かなり前、これしか聴けなかった頃はよく聴いたものだが、録音のよさはあるとはいえ、もっと気合の入った、もっと演奏者が懸命に弾きまくる演奏でないと、複雑なスコアの行間に篭められた(はずの)真価が出てこないように思う。入門版としては適切かもしれないので○にはしておく。カップリングの有名な戴冠式行進曲2曲のほうは非常におすすめである。ひょっとして録音が引きになりすぎているのかな。プレヴィンはモーツァルト向きの指揮者になってしまったのだなあ、と思わせる演奏でもある。だからこそ、1966年8月録音のLSO旧盤のほうが再発売され続けるのだろう。
◎プレヴィン指揮LSO(RCA)1966/8/26,27ロンドン、キングスウェイホール・CD
作曲家墨付きの凄演だ。力ずくで捻じ伏せるように、腕利きのLSOをぎりぎりと締め上げて爆発的な推進力をもって聴かせていく。部分においてはサージェント盤はすぐれているが全体においてはこちらが好きだ、と作曲家が評しているのもわかる、部分部分よりも大づかみにぐいっと流れを作り進めて行くさまが清清しい。とくに叩きつけるような怒りを速いスピードにのせた1楽章が素晴らしい。しかし部分よりも全体、というそのままであろう、これだけあればいいというたぐいの盤ではないが、これだけは揃えておきたい盤である。クラシックの音楽家としてはまだ駆け出しだったはずのプレヴィンが一切の妥協なく集中力を注いだ結果がこのまとまり。まとまらない曲で有名なこの曲がここまでまとまっている。ベストセラーさもありなん、この非凡さはまだその名を知らなかった作曲家の心をとらえのちに交流を深めたようである。◎。
○コリン・デイヴィス指揮LSO(LSO)CD
この曲はスコアリングに問題があるといわれ、細かい仕掛けをきっちり組み立てていこうとすると妙にがっしりしすぎてしまったり・・・曲自体はシベリウスよりも軽いくらいなのに・・・リズムが重くなってしまったり、だいたい過去の録音はそのようなものが多い。新しい自作自演ライブや、たとえばスラットキンの有名な録音などは逆に明るい色調が浅はかな曲であるかのような印象を与えてしまっている、これは恐らくスコアを綺麗に整理しようとする意思が過剰になってしまったのか、単にオケのせいなのか・・・コリン・デイヴィスの演奏はそれらに比べ非常にバランスがよい。決して重過ぎず、明るすぎもしない。一つにはオケの力量があると思う。ヴァイオリンの細かいポルタメントがその気合を裏付けているとおり、演奏に一切の弛緩がなく、技術も十分であるからそれが音になって現れている、更にプラスして音響に適度の重さが加えられ整えられている。ファーストチョイスには素晴らしく向いているし、逆にこれだけでいいという向きもあっていいだろう。3楽章のような冷えた響きの緩徐楽章に旋律のぬくもりを加えて独特の感傷をかもすところ、これはコリン・デイヴィスの得意とする世界だろうか。かなりの満足度。○。
○マッケラス指揮LPO(EMI)CD
フォルムのしっかりした演奏でよくスコアを分析してやっていることが伺える。フォルムがしっかりしたといってもホーレンシュタインのような太筆書きの演奏ということではなく細かく統制された演奏という意味で、オケもよく訓練されている。ただ、今一つはっきり訴えてくるものがない。迫力という意味で1楽章は物足りなかった。2楽章は聞き物。丁々発止のやり取りを楽しむというよりはシンフォニーのスケルツォ楽章としてやりたいことが伝わってくる演奏。4楽章は迫力があり、やや莫大な部分もあったそれまでの演奏のマイナス面を補うくらい力強い。録音の良さも手伝って、スラットキンよりも重量感があるがスラットキン的な細部まで透明で明瞭な彫刻がこの曲の本来の姿を浮き彫りにする。それゆえに曲の「弱さ」みたいなところも現れるのだがそれはそれで本質なので問題ないだろう。○。
○ノリントン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(dirigent:CD-R)2007/10/26live
細かい揺らしのない四角四面のテンポでありながら精密な響きとアタックの強さでそうと感じさせない盛り上がりを作っている。原曲の魅力をしっかり引き出せている、と言ったほうがいいか。諸所不満足な部分はあるし例のノンヴィヴの導入などそこでそれは必要なのか、というような「改変」はあるが、まるでシェルヒェンのような独特の域を示すものとして楽しむことは可能。唯一、最終音を切らず引き延ばしたのはいかがなものか。拍手も戸惑うというものだ。