※2004年以前の時期の違う(版元の違う)盤評を併記しています
○コンドラシン指揮NDR交響楽団(EMI/CINCIN/TREASURE OF THE EARTH:CD-R)1981/3/7LIVE・CD
~コンドラシンの正真正銘白鳥の歌だ。有名な録音ゆえCDーR(TREASURE OF THE EARTH)を含むいくつかのレーベルから出ているが、代打なのにこの統率力、というところにまずコンドラシンの凄みを感じる。ただ、それだけの演奏ではない。いつもの一本調子でイケイケなだけではなく、そこにより深みを加えた味わいのある演奏になっている。亡命後のコンドラシンはストイックな解釈にまろやかな味わいを加え、円熟へとむかうその途中で病死したわけだが、マーラーの演奏にしてみても、モスクワ時代のものはひたすら強力ではあるが、それだけ、といった感じのものが少なくない(それも人によっては十分魅力的かもしれないが)。ゆえにこの演奏記録の重要性が高まってくるというわけだ。終演後の充実感ったらない。おすすめ。
~迫力のある演奏だ。だが鬼気迫るというのとはまた違う。コンドラシンが西側に渡ってきてもう随分日が経っており、その芸風が一皮剥けたというか、柔らかな表情も見せるようになってきていて、ここでもモスクワ時代の演奏では想像できなかったような細やかな配慮の行き届いた演奏が、とくに緩徐楽章や緩徐部で聞かれるようになってきている。ただ力で押すのではなく、いったん引いてから強く押して効果をあげているところもある。こんな脱皮の仕方をしていたというのに、まったく、無念だっただろう・・・このコンサートのあとホテルで急死してしまったのだ。コンドラシンの白鳥の歌として、イタリアのCINCINのCDが出たときからもう評判になっていた演奏であり、人によってはここに壮絶なコンドラシンの断末魔を聴く人もいるようだが、私は最初聞いたときから、あれ、白鳥の歌というにはあまりにあけっぴろげで力強く、かといってモスクワ時代の恐ろしい魔力のようなものはなく、透明感があり(オケのせいだ)、突き抜けているなあ、と思っていた。CD-Rで再発されたとき(多分CINCIN盤のコピー)、その音がいちだんと金属質になっていたがゆえ更にその印象を強くした。しかし、今日この放送音源からの正規盤を聴くにつけ、いや、イタリア盤は録音がかなり酷かったんだな、と。このEMI盤は比べ物にならないほど音がいい。雑音を消したりバランスを調整したりとやや手を加えすぎている感もあるが(拍手も消滅)、聴き易さ、そして弱音部の明瞭さは間違いなくこちらに軍配が上がる。冒頭に述べたような緩徐部の繊細さ、美しさに気が付いたのはひとえにこのEMI盤の音の良さに依っている。今から聴くかたは間違ってもCD-Rを買っちゃダメです。NDRの音色はそれでも透明で固いのだが、とても正確であり、コンドラシンの指示にびしっびしっと合わせている。テンシュテットのかわりに一回のリハだけで急遽指揮台に登らなければならなかったコンドラシンだが、この演奏の完成度は(ミスというミスは終楽章後半のブラス以外には聞き取れなかった)それが信じられないほど高く、テンシュテットとは全く違う、生命力、生きていく喜びに溢れたものになっている。これはあきらかに本流のマーラーではない。どことなくマーラーではない、リヒャルトでも聴いているような感じもする。だが、旧共産圏に、これだけの演奏をやってのける指揮者がいたのだ、ということに括目し、その個性にいまさら胸打たれるのもまた一興。○。個人的好みで◎はあげません(爆)
○コンドラシン指揮NDR交響楽団(EMI/CINCIN/TREASURE OF THE EARTH:CD-R)1981/3/7LIVE・CD
~コンドラシンの正真正銘白鳥の歌だ。有名な録音ゆえCDーR(TREASURE OF THE EARTH)を含むいくつかのレーベルから出ているが、代打なのにこの統率力、というところにまずコンドラシンの凄みを感じる。ただ、それだけの演奏ではない。いつもの一本調子でイケイケなだけではなく、そこにより深みを加えた味わいのある演奏になっている。亡命後のコンドラシンはストイックな解釈にまろやかな味わいを加え、円熟へとむかうその途中で病死したわけだが、マーラーの演奏にしてみても、モスクワ時代のものはひたすら強力ではあるが、それだけ、といった感じのものが少なくない(それも人によっては十分魅力的かもしれないが)。ゆえにこの演奏記録の重要性が高まってくるというわけだ。終演後の充実感ったらない。おすすめ。
~迫力のある演奏だ。だが鬼気迫るというのとはまた違う。コンドラシンが西側に渡ってきてもう随分日が経っており、その芸風が一皮剥けたというか、柔らかな表情も見せるようになってきていて、ここでもモスクワ時代の演奏では想像できなかったような細やかな配慮の行き届いた演奏が、とくに緩徐楽章や緩徐部で聞かれるようになってきている。ただ力で押すのではなく、いったん引いてから強く押して効果をあげているところもある。こんな脱皮の仕方をしていたというのに、まったく、無念だっただろう・・・このコンサートのあとホテルで急死してしまったのだ。コンドラシンの白鳥の歌として、イタリアのCINCINのCDが出たときからもう評判になっていた演奏であり、人によってはここに壮絶なコンドラシンの断末魔を聴く人もいるようだが、私は最初聞いたときから、あれ、白鳥の歌というにはあまりにあけっぴろげで力強く、かといってモスクワ時代の恐ろしい魔力のようなものはなく、透明感があり(オケのせいだ)、突き抜けているなあ、と思っていた。CD-Rで再発されたとき(多分CINCIN盤のコピー)、その音がいちだんと金属質になっていたがゆえ更にその印象を強くした。しかし、今日この放送音源からの正規盤を聴くにつけ、いや、イタリア盤は録音がかなり酷かったんだな、と。このEMI盤は比べ物にならないほど音がいい。雑音を消したりバランスを調整したりとやや手を加えすぎている感もあるが(拍手も消滅)、聴き易さ、そして弱音部の明瞭さは間違いなくこちらに軍配が上がる。冒頭に述べたような緩徐部の繊細さ、美しさに気が付いたのはひとえにこのEMI盤の音の良さに依っている。今から聴くかたは間違ってもCD-Rを買っちゃダメです。NDRの音色はそれでも透明で固いのだが、とても正確であり、コンドラシンの指示にびしっびしっと合わせている。テンシュテットのかわりに一回のリハだけで急遽指揮台に登らなければならなかったコンドラシンだが、この演奏の完成度は(ミスというミスは終楽章後半のブラス以外には聞き取れなかった)それが信じられないほど高く、テンシュテットとは全く違う、生命力、生きていく喜びに溢れたものになっている。これはあきらかに本流のマーラーではない。どことなくマーラーではない、リヒャルトでも聴いているような感じもする。だが、旧共産圏に、これだけの演奏をやってのける指揮者がいたのだ、ということに括目し、その個性にいまさら胸打たれるのもまた一興。○。個人的好みで◎はあげません(爆)