湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ガーシュイン その他(2012/3までのまとめ)

2012年04月19日 | Weblog
パリのアメリカ人

○シルクレット指揮ビクター交響楽団、作曲家(P、チェレスタ)(PEARL/HISTORY)1929/2/4・CD

イイ時代のイイ音色が聞ける演奏だ。廉価セットのヒストリー盤ではガーシュイン指揮とあるがパールのライナーのほうが正しいと思われる。ガーシュインは非常に正確にクラシック的に演奏しているが、時代の空気が懐かしい雰囲気を盛り上げて程よい調子、これこそほんとのジャズとクラシックの融合シンフォニック・ジャズだ。中間部の印象派風の情景がとても美しい。澄み切った美しさではなく、生ぬるい美しさ、都会の酒場の紫煙くゆるる情緒。古きよきアメリカを感覚的に捉えるにはとても向いている。音が浅いのは録音のせいだろうが、録音年代からするとよく音を捉えられているほうだろう。それにしても木琴は非常に勘所を捕らえたシャープな演奏になっているが、ほんとにガーシュインが弾いたのだろうか。だとしたらガーシュインの天才性を改めて認識させられるところだ。音的にやや辛いが作曲家の参加した演奏としての希少性を鑑みて○をつけておきます。

◎ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(NYP/ASdisc)1944/10/1live

鄙びた音だがそこがまたよい。ロジンスキの情感のこもった解釈はニューヨーク・フィルを存分に歌わせて、なかなか聞きごたえのある演奏にさせている。いたずらにポルタメントをかけさせることもしないし、必然性の無い伸び縮みはしないのはロジンスキ流儀。このスウィング、クラシカル・ミュージックの表現ではもはやないかもしれないが、これはそういう音楽。ただ音の楽しさに心浮き立たせよう。名演。

◎オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCORA,ARTE)1958/5/28ロシアLIVE

ブラス陣のすばらしい表現が光る。中間部の後半で「そろそろいくか!」と言わんばかりのペットがジャズふうにリズムを崩し始めてからはもうこのオケにしかなしえない名人芸で、「どうだ、これがアメリカだ!」とでもいわんばかりの雄弁さがある。スベトラの野暮な演奏とは天地の差だ。弦も最初から唸りをあげるような強靭な合奏を聞かせている。これだけノりまくっているのに合奏が崩れないのは驚異的だ。このころの脂ののりきったオーマンディの技術の勝利である。軽音楽に落ちないウィットに富んだ語り口も絶妙。大盛り上がりの末、やっぱりブラボーが飛ぶ。名演。

◎フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA VICTOR)

うまい!流石フィードラーというところ。時にボストンのソリストが固すぎたりもするが、このくらいなら許容範囲だ。静かな場面の意外に精妙な響きは、ガーシュウィンが印象派の影響を受けたと言われるのがよくわかる。雰囲気作りの巧い指揮者、ガーシュウィンの自作自演盤よりもガーシュウィンっぽい。これはクラシック専門指揮者にはできない芸当だ。メタ・クラシックのとびきり楽しい音楽に胸躍らせよう。名演。

○フェリックス・スラットキン指揮ハリウッドボウル管弦楽団ペナリオ?(P)(EMI)

親父スラトキンさんの録音としては比較的よく見るもので、最初はかなり楽しめる。だが何度か聞くうちに、この人にしてはいささかこなれていない部分が散見されることに気が付く。解釈の綾(主としてテンポ変化)が時々非常に人工的なのだ。これはデュナーミク変化とうまくシンクロしていないという単純な言い方もできる。もちろんバンド的な演奏ではなくクラシカルなフォームを保った演奏であり、そのせいもあろう。緊密でリズミカルなのはハリウッド四重奏団のころを彷彿とさせる。意外だが響きががっしりしており(速度は保たれる)、そのせいで曲のいわゆる「ライトクラシック」系の魅力と齟齬を生じていると言えるかもしれない。とりあえず私は最初は面白かったが、次第に楽しめなくなった。後半イマイチかも。○。

私のLPはジャケットはホワイトマンとなっているが中身がフェリックスとなっている(泣

◎ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(AMIGA,ETERNA)

モノラルのLPも出ていたのだが、これはステレオでけっこう新しい録音だから、ひょっとすると別物かもしれない。この演奏を聴きながら、「あの」ケーゲルがスウィングするさまを聞いてああ、この人はガーシュインが好きだったんだな、と思った。ちょっと立派すぎるけど、意外と楽しそうだ。かなりジャズを意識しており、調子っ外れなラッパやリズムのずらしなど、音の明るさや純度はケーゲル流でありながらしっかり軽やかにやりのけている。ラウ゛ェルでも驚かされたが、聴くものを飽きさせない仕掛けに溢れた解釈の巧緻さに感嘆する。静かな場面の美しさったらなく、明らかに印象派的な響きを意識した丁寧な仕事ぶりはケーゲルならでは。芸術的要素と娯楽的要素の高度な融合は他の東側指揮者とは一線を画したものになっている。結構「解釈された」長丁場だが、飽きないで最後まで楽しめます。◎。

○ジョン・ワルサー指揮コンサート・ホール交響楽団(CONCERTHALL/MMS)LP

ガーシュインのまとまった管弦楽曲ではダントツに面白い曲で、他人の手が(ほとんど?)入っていないからこそ独自の夜の色彩感と濃厚な感傷の煽られる旋律がいっそう生で感じられる。かなり感情的起伏が大きくジャジーな奏法への理解もある、かつスケール感ある指揮ぶりゆえ、恐らくユルゲン・ワルターではないとは思うが、アメリカの職人どころの中堅の指揮者だろう。血のメリット。オケは弦楽器がなつかしくイイばらけかたをしていてザッツ・ハリウッド!だがブラスしょっちゅうコケている。しかしイイ。クライマックスなんて崩れるのもいとわずルバートつけまくり。懐かしくて感動します。瑕疵引いて○。

○バーンスタイン指揮RCAビクター交響楽団(SYMPOSIUM)1947・CD

冒頭少し乱れるが、いかにもこの時代の演奏という感じで前のめりの速いテンポが維持され、後年の独特の伸縮は聞かれない。力強い表現で古い録音というハンデをものともしない、生まじめだがスマートでかっこいい。ジャズふうの弾き崩しは殆ど無いが、とても生き生きしていていい感じだ。
これほどマジメなのに楽しい。バンスタの偉大な才能ゆえか。ちょっとアレンジしているよう。シンポジウムゆえ録音復刻は劣悪。

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA,BMG)1945/5/18・CD

ガーシュインの代表作。あれ、ラプソディー・イン・ブルーは?と言われてもあれはグローフェが編曲したものだから、クラシックの管弦楽曲としてはこの曲が文句無し一番でしょう。渋滞する車のクラクションもクラシカルな視点からすればゲンダイオンガクの不協和音。20世紀的なもの同志の幸福な出会いがここにはある。トスカニーニは律義だが決して萎縮していない。楽しげではないが心は浮き立ってくる。完成度の高い演奏というものはとくに特徴がなくても何度も何度も聞けるものだが、この演奏はそのたぐいのものだ。私はガーシュインの憂愁が苦手で、中間部のうらぶれた雰囲気は余り好きではないのだが、この引き締まった演奏で聞くととても爽やかで聴き易い。遊び心を求めると失望するが、ゲイジュツオンガクを求めると満足できるたぐいのもの、と言えばいいだろうか。○。大戦末期の演奏としても特筆すべき録音だ。

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(ARKADIA)1943/11/14カーネギーホールLIVE・CD

楽しげです。録音はちょっと悪いけど、トスカニーニとは思えない自由さというか、リラックスした感じがある。オケの音色もいい。古き良きセピア色の音、でも決してダレダレではない、締めるとこ締めている。緩徐部がダレ気味になりがちなガーシュインの曲でも、トスカニーニにかかれば一定の緊張感とスピードが保たれるため、飽きがこない。○。それにしてもトスカニーニに似合わない曲・・・。

○コンドラシン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ(PHILIPS)1978/6/17LIVE

なかなか聞かせる。これは素直に「交響詩」として聞こう。軽音楽として聴くならフィードラーあたりにあたること。リズム感が野暮ではあるが、クラシック的には十分引き締まった演奏と言うことが出来る。ロシア人でここまでできれば凄いものだ。中間の静寂の場面でしっかり印象派的な空気を漂わせるところなどなかなかやるもんだ(でも甘く感傷的な雰囲気はゼロなわけだが)。特筆すべき演奏といえる。スタンダード、と言ってもいいかもしれない。○ひとつ。

スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1980/1/16LIVE

なんだこりゃ。
こんなに違和感があるとは思わなかった。スヴェトラーノフはやはりスヴェトラーノフ流にこのアメリカ音楽をさばいており、アメリカ流に演奏するつもりはさらさらないようだ。とくに最初、あまりにぎくしゃくとしていて、ハナから滑稽なリズムパターンでノリノリといく曲のはずなのに、テンポが定まらず結果としてものすごく遅くなり、統制がとれず方々でぶかぶかいっててんで形になっていない。この曲の新しい像を描き出してくれる事を期待していたのに、ちょっとこれはあまりに独創的だ(好意的に言えば、ね)。このとてつもなく野暮な感じ、ある意味貴重である。ライヴであることを勘案しても、ちょっと奇演としか言いようがない。緩徐部くらい綺麗に響かせるかと思ったら、ロシア流の演奏者たちがみんな我流で・・・

○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD

ガーシュインのクラシック畑における最高傑作であり、これを聴いたかラヴェルやストラヴィンスキーが弟子入りを拒否したのも当然であり、まったく単純にして独自の極地というべきものである。アメリカ音楽をブラームス・ドヴォルザークの呪縛から軽々と解き放った、技法的にはコードとリズムと特殊楽器の導入にすぎないとしても、旋律の素晴らしさが加わるとこうなる。移民が多く戦乱起因のものも含むコスモポリタンなこの時代、ただでさえ母国の音楽を持ち込み留学先の音楽を持ち込みが繰り返されるなか、ガーシュインもロシア系ではあるのだがロシア音楽などまったく関係のないジャズという、アメリカで生まれた黒人音楽を素地とした作品を作りあげた、アイヴズもそういうことをしていたけれども、短いながらも醸成されていたそういう文化をクラシックに持ち込み、しかも国民楽派の保守的態度を真似ず、アメリカに拘泥することなくパリの街角のクラクションを鳴らす。スベトラもまたコスモポリタンだった。コスモポリタンとはほど遠い位置から、自国の作品にこだわらず積極的に多くの国の作品を取り上げ、ソ連崩壊後は各国のオケを振ってまわった・・・節操ないくらい。作品が語ってくれるからあとは美しく楽しく響かせればいい。最後だけ、異常に伸ばしてクレッシェンドさせてくれさえすれば。スベトラと曲のシンクロを感じ、ソリストの上手さを堪能し、このライブ一番の演目であったことを確認した。

○タッキーノ(P)不明

音質より恐らく正規音源によるものだがweb配信のデータでは不詳。ブラスのあからさまな瑕疵があることから放送ライブか。クラシック音楽スタイルながらもきっちりジャズ風を吹かせ、楽しさと理知性のバランスをとっている。同時代のクラシック楽壇によく学んでいるなあ、と細部の響や動きを楽しめる精度。そういう現代的なスタイルだからこそライブ感はなく、凡百感もあるが、日常に楽しむには十分。

セカンド・ラプソディ(1931)

◎シーゲル(P)スラットキン指揮セント・ルイス交響楽団(VOX)
レヴァント(P)モートン・グールド&彼のオーケストラ(SONY)

私がガーシュインをクラシック音楽家として初めて意識したのがこの”ピアノ協奏曲風作品”であり、(「パリのアメリカ人」を彷彿とする)喧騒の主題が展開した副旋律(リズミカルな伴奏音形にのって夢見るようにかろやかに謡われる)はガーシュインのクラシック中では一番好きな旋律だ。ブリッジ構造の中間を謡い尽くす緩徐主題(まさにガーシュイン・アリア)の直後で、小太鼓のリズムに乗って勇壮に再現されていくところは、跳躍にあきらかなプロコフィエフの影響がみられるものの、秀逸。ここだけでも当時脂の乗り切っていたガーシュイン自身をして「これまでの自分の交響的作品中もっとも優れている」といわしめたのがうなづける。ガーシュインをソングライターあるいはめまぐるしい旋律の連環を聞かせる作曲家と考えていた聴衆の半数はしかし、長いわりに主題が二つしかなく、しかも変奏曲としてみるにはいささか平板でお定まりの音色変化や他のクラシカル・ミュージックからの剽窃的表現に終始する、などといって余り評価しなかった。ハードカバーの評伝「アメリカン・ラプソディ」では多少好意的だったように思うが、どこかへいってしまったので(すいません)引用できないのは口惜しい。クレルマンの「ガーシュイン」ではあきらかにそういった意味のマイナス評価がくだされている。でも、たとえばラプソディ・イン・ブルーやハ調のピアノ協奏曲に感じる、大管弦楽におけるガーシュイン・ミュージックの「座りの悪さ」が、このハナから大管弦楽で演奏されるよう企画された曲には殆ど感じられず、特にここに挙げたスラトキンの廉価盤など、ピアノ独奏以外の部分がじつに明るく透明なニュアンスに富んで耳を惹き止まず、立派な近代クラシックとしての「まとまり」を強く感じさせる。

作曲家はこの曲を「ピアノ独奏とオーケストラのための曲」ではなく「ピアノを伴ったオーケストラのための曲」とした。其の点を良く意識した演奏だけが真価を探り当てることができるのだろうか。ガーシュインが自ずより巧いと評価したレヴァント盤の即物的表現(オケも恐らく版が違うのか手を入れられていて、編成が細く生彩に欠ける)はあくまでピアノ独奏をきわだたせるような演奏だ。この力強いだけの演奏を聴く限りでは、クレルマンや同時代の評論家のいう”素材に対して長すぎる音楽”という表現は当てはまる気もする。・・・要は演奏なのだ。ちょっと目を転じこれをロシア音楽として捕らえた場合、 14分前後はけして長くはない。トスカニーニをへてクーセヴィツキーにまわった初演権は日をあけずに翌年早々ボストンとニューヨークで披露された。作曲家独奏による。ちなみに作曲家は今までの例にならい、完成前に独自のオケをやとって試演したものをNBCに録音しているが現在一般にきくことはできない。はじめに言ったとおり評価は二分され再演機会は殆どなくなってしまったのだが、スラトキンの引き締まり徒にジャズ・ラインを取り入れない真摯な棒は、この曲がガーシュインの管弦楽曲にしてはかなり凝った音響を目していると再認識させるに十分だ。パリのアメリカ人に比べれば水をあけざるをえないが、秀作といっていいだろう。もともと映画「デリーシャス」の素材を流用したものである。作曲家が一時期呼んでいた「マンハッタン・ラプソディ」の名を、個人的には凄く気に入っている。

作曲家指揮管弦楽団(MusicMasters,HISTORY)1931/6/26REHEARSAL PERFORMANCE

非常に貴重な録音で驚愕の発掘である。これは公開演奏の通しリハの記録だそうだ。そのためか音が篭りまくっていてとにかく聞きづらい。ピッチも低い感じがして違和感しきり。オケの演奏も散漫でしばらく流れがつかめないほどだ。このソロ・ピアノはガーシュインではなさそう。やっとノってきたというところでふと思った。あれ、アレンジが違うぞ・・・。作曲家自身が校定したのかどうか定かではないが、楽器の重ね方やフレーズの処理、表情記号については今聞かれるものと違うみたいだ。録音のせいでしばしば聞こえなくなる旋律線を一生懸命追っていると、とても一本調子で下手な棒だな、という印象。ガーシュインは指揮は下手だったのか。折角仕掛けた様々なフレーズの妙味が生かされていない。曲の後半で律動的な旋律がプロコフィエフ的なオクターブ下降を行う展開を私は偏愛しているのだが、そのあたりではまあまあまとまってきている。レヴァントの直線的な演奏スタイルを思い出したが、あれほど引き締まってはいない。まあ、総じて歴史的記録として留めておくべきもの。無印。historyには1929/2/4の記載があるが同じ。(2005以前)

これを放送本番演奏と書いている人もいるがリハ記録。なぜそう思うかというとオケがどうも本気ぽくない。弱いし、音がだらけているかんじがする。とにかく精細に欠ける演奏で、録音が悪いのも敗因か。いずれこれが本番記録というわけはないだろう。オケ×だが希少録音ゆえ無印としておく。うーん、なんとも。 (2005/12/28)

○ペナリオ(P)アルフレッド・ニューマン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(CAPITOL,東芝)

この曲が目新しくて買った盤だが、ビニル盤ゆえ音が飛びすぎ。うーん、飛んでなかったら、と考えると非常に凝縮され流れ良く引き締まった、でもとびきりごきげんな演奏だったように思う。ライナーには編曲は施していないように書いてあるが、おそらくオーケストレーションも構成も手を加えていると思われる。そのため違和感が無いわけではなく、編成も小さすぎる気もする。だが小さいがゆえに集中力の高い演奏になったことも確かで、物語的なドラマティックな起伏よりも心地良い流れや激しいリズム表現を主眼に置いたような演奏ぶりは印象的だ。緩急の緩が欲しい人もいるかもしれない。寧ろ即物的なレヴァントのスタイルに近いかもしれない。勿論ペナリオはレヴァントより腕は落ちるが、何かイイ香りがする要素があり、侮れない。都会の憂愁よりも精力的な生活の活写といったイメージで作曲されたこの曲、摩天楼の建築現場でリベットを打ち込むエア・ハンマーの強烈なリズムが基調となって一大音画が描かれる(岡俊雄解説より抜粋)、とても前向きな楽曲だ。だから明るくあっけらかんとやるのがいい。結局予想以上にはならなかったが、貴重なこの曲・・・キューバ序曲と並び作曲家最後の純然たるクラシカル・ミュージックの巧緻な筆致を堪能するには十二分です。○。ステレオ。・・・でもこの曲は元々のオーケストレーションが素晴らしいので原曲でやってほしかったな、やっぱり。

「アイ・ガット・リズム」変奏曲

○ペナリオ(P)シェリー・マン(ドラム)ラス・チーヴァース(CL)アルフレッド・ニューマン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(CAPITOL,東芝)

ガーシュインの大規模な楽曲では一番人気の作品だろう。ドラムは原曲にはないと思うが、とにかく「ガール・クレイジー」のナンバーから作曲家自身が編み出した痛快なピアノと楽団のための作品である。ジャズ・ナンバーとしても有名な曲に基づいているけれども、ジャズ的な書法が目立ちはするものの、このようなゴージャスなオーケストレーションを施されているとやはりクラシカルな面が際立ってくる。ガーシュインの書いたシンフォニック・ジャズの最も成功した作品ではないか、と思えるくらい面白い。変奏はクラシックとジャズ各々のアレンジを交互に繰り出してくる巧みなもの。リズムの重視される(まあジャズはリズムだが)ガーシュインの曲の中でも際立ってリズム変化の効果的な楽曲であり、この演奏はそのツボを良くおさえている。明るく開放的な演奏だが、決してはみ出した演奏にはならない。だらしなくはならない。素直にメロディとリズムを楽しみましょう。「ガーシュウィン・バイ・スターライト」という題名のアルバムにふさわしいフィナーレの曲です。○。ステレオ。

ワイルド(P)フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA)CD

あっというま。古い録音に多い楽しげな雰囲気がここでは余りにあっさりと灰汁抜きされ、何も残らない。無印。

○ワイエンベルク(P)アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(brilliant)CD

このガーシュインアルバムでは一番成功しているかも。ワイエンベルクも音色こそ軽くアップライトピアノのようですらあるが、柔らかいタッチで透明感を損なわないながらもパッションを破裂させテンポを煽りスウィングする。サックスがちょっと生硬な感は否めないし編曲も平板だが、ワイエンベルク全盛期を髣髴とさせる部分もあり、なかなか聴き応えがあります。○。

歌劇「ポーギーとベス」

~交響的絵画(交響詩)


◎イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP

最初オネゲルかと思った。シンフォニックな演奏ではあるが要領を押さえた見事な解釈ぶりで聴かせる。珍演奇演を求めるならお門違いだ。イワーノフはガウクとスヴェトラにはさまれて損をしているが、オケの特質を損なわずに一本にまとめあげる名人で、意外と国外モノにそのテクニシャンぶりを発揮する。この録音は中でもかなり上手く出来上がったもので、各パートの地力を引き出しながらも強い求心力でグイグイとドライヴしてゆく。メドレー集にもかかわらず一貫した起伏ある流れが出来ていてまるで一大交響詩そのものであり、ノリもまとまりもいい上にソビ響各楽器の素晴らしい音色表現も抜かり無く堪能できるから嬉しい。スヴェトラには出来ない洗練されたわざだ。のっけから木管楽器のように歌うペットにのけぞらされるがブラス陣の圧倒的な力強さ上手さは奏法のローカリティを越え、ロシア系移民の子ガーシュインはまさにこうあるべきなのだという説得力をもって迫ってくる・・・いや、決してガーシュインをロシア側に引き寄せたような演奏ぶりではなく、ジャジーな香漂う喜遊的で色彩味溢れる演奏ぶりで、これなら笑われるまい、という満足げな確信まで聞き取れるのだ。弦楽器の充実した音にも傾聴。リズムが極めていい。冒頭書いたように、弱音部の響きも面白い。イワーノフならではというか、スクリアビンなど現代前夜の作曲家の表現を思わせる。クラシカルな世界でいう印象派的な響きを鋭くとらえ、行き届いた配慮で隙無く聴かせる。最近何度も聞きたくなる音盤はほとんどないのだが、これは何度聞いても気持ちいい。名演と言っていいだろう。ソビ響を暴走させずにここまで完璧にドライヴできたイワーノフという(ロシアらしからぬ)弛緩を知らない指揮者の存在を、世は再び見直さなければなるまい。◎。モノラルが惜しい。

○ライナー指揮ピッツバーグ交響楽団(LYS)1945・CD

録音は弱いがライナーのきっちりしいの演奏スタイルが往年のアメリカオケの情緒的な表現スタイルとマッチして清々しく聞ける。たしかに生硬な解釈ぶりはおもしろいとは言えず、響きの精度を重視したクラシカルなスタイルゆえガーシュインとしてどうなのか、というところもある。オケは往年のスタイルなりの巧さはあるが生硬な解釈に対して人工的に聞こえてしまう場面もある。まあ、○にはしておく。全曲と書かれている資料もあるが管弦楽だけによるメドレー。音の迫力はあります。

(ベネット編)

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1980/1/16LIVE

さすがに二曲めとなればこなれてくるわけで(前半のパリのアメリカ人は散々だった)、なかなかに聞かせる。編曲もいいのだろう、充実した書法が聞きごたえの有る音響を産み出している。サマータイムが出るところでゾクゾクした。なんだか前半物凄く田舎者だったのに急に都会的な洒落た雰囲気をかもしだすソヴィエト国立響に驚いた。さすがだった。印象派的と言われるような静かな場面の繊細な表情がしっとりと身に染みてくる。やはりジャズではなくクラシックに足を置いた解釈ではあるのだが、それはそれで新鮮でいい。ガーシュインはロシア系移民の子だからロシアと関係がないわけでもないのだが、書いている音楽はあきらかにアメリカの黒人音楽の延長上にあるもので、ロシア風味は微塵もない。強いて言えばその天才的なメロディメイカーぶりにロシアの音楽センスに通じるものも感じようと思えば感じられるがそれはあまりにこじつけだ。よくぞここまでしっかり綺麗に小洒落て表現してくれたもの。ロシア流のソリストの音色もしっかり枠内にハマっているので違和感なし。さすがにこの演奏ぶりに最後は盛大なブラヴォーと拍手が贈られている。この曲
のためにこの盤を買ってもいい。

○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20LIVE・CD

スベトラ晩年の肩の力の抜けた楽しい演奏。編曲のせいもあって非常にシンフォニックでガーシュインらしさの薄い演奏になっていて、それでも感傷的で甘やかな指揮ぶりは十分に魅力的なのだが、意外や意外、ラストはとてもリズミカルなガーシュインそのもの、オケが低温なので温まる時間が必要だったのかスベトラが温まる時間が必要だったのか多分後者だが、この一夜のガーシュインプログラムの中では頭ひとつ抜けて感情の入った演奏になっている。○。これはスラットキン(同じようにナマズ横丁組曲版を録音している)とは違う。

~「組曲」

スヴェトラーノフ指揮ハーグ・フィル(RO)1995/11/25,26LIVE

クラシカルな曲のせいもあるが、キューバ序曲よりは随分堂に入っている。しっかりした演奏で変に立派にもならず、雰囲気音楽らしいところを上手に掴んで浸らせてくれる。サマータイムもちっともサマータイムらしくないが、クラシカルな情緒の中に上手く昇華されており、それと意識しなければクラシカルな意味での主題の一つとしてすんなり看過してしまうところだ。他のソングも同様で、やや掘り下げが足りない感もあるが、この曲に掘り下げはそもそもいらないから問題無し。取って付けた様なポルタメントのほうが気になるが美しい音色には魅力があるし好き好きだろう。情感の表現がぎごちないのは自然なテンポの揺れが無くひたすらゆっくり歌い上げる芸風のせいだ。これはスウ゛ェトラの本質にかかわるところなので仕方ない。無印。

○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DREAMLIFE)1956/2/1・CD

シンフォニックな演奏で厳しく締め上げられ磨ぎ上げられたガーシュインが耳を切り裂く。スケール大きくゴージャスな、しかし金属質の響きをとどろかせる宇宙的ガーシュインはやや耳に厳しい感もあるが、クラシカルな範疇ではやりたいほうだいの表現の幅を持っている。ガーシュインがクラシックの世界に構築されるとこうも先鋭な音楽に聞こえるものか。ケーゲルらしい。○。

(グレイグ・マックリッチー編)

○ペナリオ(P)アルフレッド・ニューマン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(CAPITOL,東芝)

なかなかご機嫌です。メドレーで綴られる作曲家畢生の大作「ポーギーとベス」のメロディたち。もうここまでくると映画音楽かミュージカルか、といったところだが、ガーシュインの天才的な楽想、メロディの妙を、この編曲でお手軽に楽しむ事が出来る。ピアノ独奏とオーケストラ、という編成はそれほど違和感はない。楽曲名だけ並べておくと、サマータイム、「そんなことはどうでもよい」、ここでピアノのカデンツァ、「ベス、お前はおれのもの」そしてポーギーの門出をえがく黒人霊歌のフィナーレ。僅か11分半の無茶な編曲だが、それなりに楽しめる。何といってもガーシュインのメロディが全てだ。それを彩る楽器が何であろうと元々の天才性はいささかも陰ることはない。ステレオ。

~三つの抜粋(バシリエフ編)


コーガン(Vn)P.コーガン指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP

押し付けがましい音が情緒を削る。もっと洒落た表現はできないものか。オケはなかなかいいのに、力み過ぎ。技巧はすごいけど、音色に幅がないから違和感しきり。場面転換のできない音なのだ。2曲めは艶が出てきていいけど、クラシカル臭は抜けない。3曲めになるとかなりよさげ。編曲者の功績も高いかもしれない。なかなかおしゃれだが、無印。

キューバ序曲

○ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD

正真正銘ライトクラシックなわけだが、ガーシュインの晩年作といってもいい円熟期の作品で、シンフォニックジャズという理念を越えて純粋に楽しんで作られた感じが何とも(人によっては軽薄と受けとられようが)耳軽くうれしい。カリブのリズムがガーシュイン節と不可分なまでにミックスされ、手法的にはガーシュイン・ジャズの範疇からいささかも離れてはいないのだが、出世作代表作のたぐいの雰囲気とは明らかに違う。ボンゴの存在は大きい。関係性を指摘されるミヨーがやはり南米のリズムや旋律を使いながらも複雑な本質をいささかも変えなかった様相とは違って、この曲が(たとえセレブと呼ばれる階級の別荘地でしかなかったとしても)かのカリブの島々で流れていても少しもおかしくない。普遍的な魅力をもつのは天才ならではの純粋な歌心あってのものだろう。

ハンソンは緊密でリズムもいいが堅苦しい。統制が厳しすぎて奏者が縮こまっているように聞こえる。だから手堅いのだが楽天的な楽曲の表現としては物足りない。ただ、すぐに飽きる類の旋律荷重の重い曲ゆえに逆にこういう隙のない演奏で純音楽として聴かせたほうが「長持ちする」とは思う。○。

スヴェトラーノフ指揮ハーグ・フィル(RO)1995/11/25,26LIVE

重い。最初かなりやばい。曲が進むに連れ流れ良くなってくるが、前半はテンポ感はいいものの何処か借り物のような感じで、オケがノるのに時間がかかっている。また、録音バランスがおかしい。弦が右から聞こえるのは違和感がある。どこをどう聞いてもガーシュインではないが、メタ・クラシックでは辛うじてある。無印。

スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD

この人はガーシュインが好きだったそうだが向いてはいない。ガーシュイン特有の響きを楽しみたい人にのみこの「音響的演奏」をおすすめする。マーラーのときと同じで、とにかく間延びして遅く、音符も長く、結果和音がしっかり聞こえるから、しかもオケが比較的冷たく正確に響くオケなので、そういうのが「リズミカルで楽天的なガーシュイン最後の作品」より好きというのなら止めない。やたらうるさくがなり立てるところは往年のスベトラを思い出させるが、リズムが四角四面なのでノリが悪い。一夜のガーシュインコンサートの一曲。スベトラはソ連時代にもガーシュインライブを盤にしている。どちらかといえばそちらのほうが、らしくはある。

○レヴァイン指揮ミュンヒェン・フィル(OEHMS)2001/12/30,31LIVE・CD

ボックス単バラ共によく売れているミュンヒェンとのシリーズ。この人、けっこう爆演系の人に人気があるみたいだが、私個人的な印象としては響きは雑で開放的だけれども基本的に揺れが無くマトモな解釈をするというイメージがある。この演奏にしても気持ちのいいライト・クラシックではなくしかめっつらのクラシカル・アプローチでもなく、どちらかといえば真面目な中庸の解釈といったところだ。キューバ序曲の生臭さが嫌いな人はミュンヒェンのやや濁るも透明感がある音、勢い良い中にもドイツ的構築性が緻密な響きを造り上げるさまに興奮を覚えるかもしれない。かくいう私も実はこのような演奏は解釈的にはつまらないが面白がる気持ちを抑えられない。アンビバレンツな感覚を持たざるを得なかった。ただ、けして名演とは思えないので○としておく。ガーシュインじゃない。

(サックスアンサンブル編曲)

○アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(brilliant)CD

超絶技巧だがいかんせんクラシカルだ。音は透明でリズムは四角四面、テンポも安定しすぎており地味さは否めない。悪くは無いし、アンサンブル的には特殊な面白みはあるのだが、基本的にガーシュイン晩年作品のカリブ的な楽しみは無い。丸にはしておく。

(グレイグ・マックリッチー編)

○ペナリオ(P)アルフレッド・ニューマン指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(CAPITOL,東芝)

ステレオだが私のLPは赤ビニールのやつで音飛びや音質低下が気になる・・・。しかもそのしょっぱなの曲「キューバ序曲」・・・ここまでアレンジしちゃったらもう違う曲ですよ(笑)華やかすぎる。でもまあ、その派手さゆえに、単なるムード音楽にならずに済んだとも言える。違うな違うなと思いながらもその楽しさ、品の良いノリに肩が揺れる。ヴァイオリンのポルタメントも多用されているわりにしつこくならないのが印象的。音色が爽やかなせいだろう。垢抜けたカラッと乾いた南国の雰囲気が横溢する面白い曲(編曲)です。○。テーマさえ原曲のものを使っていれば、あとはなんでもありなのかな、この時代は。ピアノ小協奏曲ふうに改作されたそのソリストであるペナリオは高く乾いた音でそれほど自己主張無しにぱらぱら弾いて見せている。印象には残らない。こういう曲こそペナリオの真骨頂になるはずなんですけど、ま、編曲のせいでしょうか。原曲を知っている人が聴くべき盤です、原曲のもっと旋律的で素朴でセミ・クラシック的な品のいい音楽にまずは触れてみてください。スラットキンあたりの演奏が丁度いい感じです。ステレオ。

ガーシュインメドレー(編)

○ワイエンベルク(P)アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(brilliant)CD

落ち着いた室内楽編成の無声ガーシュウィンだがこれはこれで結構楽しい。清新だ。聞き慣れたフレーズも有名な節も、何か別物に昇華されたような、でもやっぱりガーシュウィン。ワイエンベルクも指回ってる。○。

三つの前奏曲

作曲家(P)(PEARL他)

完全にラグやジャズ畑の人とわかる演奏。そういう観点から見ると無茶苦茶巧い。指がよく回り、スポーツ的感覚を持ったプレイヤーであることがわかる。

○シュテッヒ(P)(AMIGA,ETERNA)

かなり速い演奏で楽しむ前にあっさり終わってしまう。起伏があり決してしゃっちょこばった演奏ではないのだが、どこかしら遊びが足りない気もしなくはない。でも気分がいい。○。

ワイエンベルク(P)(brilliant)CD

アムステルダム・サキソフォーン四重奏団とのガーシュインアルバムのおまけに入っているものだが、衰えたな・・・と苦笑してしまう。しょうがないのである。もともとバリ弾きでそれほど「深い表現」を突き詰めないピアニストだったので、ましてや老齢となると指先ももつれ1楽章などかなり危うい。3楽章になると復調するが、タッチの弱さは感じられるし、音の強弱の制御も自然さが失われている。録音が極めてクリアであるがゆえに、グルーヴを出さんとリズムを崩しにかかる一方で基本的にはクラシカルなこの人のピアニズム(音色表現)がちょっとちぐはぐで、テンポも上げられず指がついていかないさまはちょっと聞きづらい。好きなピアニストだが・・・無印。

(ハイフェッツ/ヨーヨー・マ編)

ヨーヨー・マ(Vc)カーン(P)(SONY)1992/6/15-19

ハイフェッツがヴァイオリン用に編曲した譜面をさらにチェロ用に書き直したものだ。当代一の技巧派チェリスト、ヨーヨー・マのアメリカ室内楽集からの一曲である。はっきり言って、原曲を知っていると聞けない(笑)ヨーヨー・マの音は実直すぎる。クラシカルすぎるのはピアノも同じ。なんでそう聞こえるかって、ガーシュインの自作自演(ピアノソロ)をさんざん聞いたあとだからだ。こんな耽美的なガーシュインなんて(2楽章)ガーシュインじゃない!でも、終曲なんてCMででも使えそうなアレンジ(洋酒とかのCMでね)、この楽章がいちばんハマっているかも。

~第2番(ブレックマン管弦楽編)


クレンペラー指揮ロス・フィル(SYMPOSIUM/RADIO YEAR)1937/9(8?)/8・CD

いちおうそれらしくはあるのだが、原曲のジャジーさが管弦楽によって大仰すぎるものに化けた感もある。高音打楽器の響きに美しい要素があり、演奏自体は精緻でクラシカルなものだが、ジャズ的な予想通りのオーケストレーションとのちぐはぐさもある。全般、ゆっくり沈潜するような雰囲気はガーシュインメモリアルコンサートにふさわしいとは言える。無印。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ミヨー 室内楽曲、歌曲、歌... | TOP | アイアランド (2012/3まで... »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | Weblog