○ハンガリー弦楽四重奏団(columbia)
有名でプロアマ問わずよくやられている曲にもかかわらず、録音がなかなかなされないのはどうしてでしょうか。古い団体は割合と録音を残していますが(復刻は進みませんね)、SP時代になると楽章抜粋が常のようで不完全燃焼。1楽章こそボロディンらしい韃靼人テイストの名曲なのに、すっきり短い2、3楽章が多いですね。1楽章はファーストヴァイオリン(とチェロ)がやたらフューチャーされるので通を気取るかたがたには好まれないのかな。同曲思いっきり国民楽派ですからデロデロ演奏というものがあってもよさそうなのに、何故か率直な解釈でハーモニックに整然と組み立てられた演奏が好まれるようで、個人的に物足りなさというのを感じることが多いものでもあります。この演奏もまさにあっさりスマートでそつのないもので、ひたすら颯爽と直進していきます(フレージングに起因する揺れはともかく)。なめらかにいささかの断絶もなく息の長い旋律をかなで続け、セーケイの音は(私は余り好きではないのですが)万人受けする赤銅色の輝きをはなつ鋼鉄の響きを持っています。
特色有る音というのは最初は受けますが、あとあと飽きてきます。個人的にはコーガンあたりこの類と感じますが、セーケイ始めハンガリー四重奏団のメンバーはそういう意味ではちょっと中欧、ドイツ的耳なじみのよい模範的な音を出す、裏を返すと「正当派」で安定しまくってるがゆえに、何度聞いても飽きることはない。プロの演奏は録音にすると何度聞いても飽きないが、アマチュアの演奏は例え最初はプロより面白く感じても、録音で何度も聞けたものじゃない(無論一回性のライヴで楽しければそれで立派に成立するのが「音楽」なのですが)。これが単に技術的安定性という話でもないのだな、と最近思うようになりました。何なんでしょうね。
とにかく余りにあっさりして綺麗なので(ハンガリー四重奏団はそういう団体ですけど)最初無印かなと思ったんですが、何度も何度も聞けて、聞くたびに(とりたてて深くはないけれど)同じように楽しめる、これは素晴らしい長所なんじゃないかなと思って○つけときます。この単純化された曲で技術うんぬんは論じ得ないがために、演奏団体の本当の実力が出るといってもいい、その意味では早々とヴェーグが抜けたこの団体も(殆ど録音もない大昔のことなのになんでいつもヴェーグと結びつけて説明されるんですかねこの団体)、長大なキャリアなりの素晴らしい実力を持っていたと言えるのでしょう。初めにこれを聞くと他が生臭くて聞けなくなる恐れアリ。自分で演奏するかたは参考になるかとも。
あとやはり2楽章第一主題が遅いなーと思ったんですが、実は私の体内時計が早すぎるような気がしてきたので、そこは敢えて評価とは別にしときます。ワルツ主題とのコントラストをつけるためには譜面表記にかかわらず速めにスケルツォ的な情景を演出したほうがいいと思うんですけどね。ワルツ主題もあんまり遅くなりません。奇をてらう場面の一切無い演奏です。