翻訳ネタをここでも書くようになるとは思わなかったが、
ソサエティの記述から興味深い一節を採録てきとう訳しておこう。ストラヴィンスキーとの相互的なかかわりは日本で手に入る代表的な文献では全く知ることができないからね。「メモ」だけでは勝手なメディアやアカデミズムの転用説に憤慨していたとみられかねないアイヴズも、精神的主柱としていた使徒カウエルやラッグルズ他の私的前衛音楽会に顔を出していた亡命作曲家の中でも最大の知名度を誇るストラヴィンスキーとは、確かに「互いに懐疑的側面もあるが」交流をもっていたのであり、興味深い部分もある(シェーンベルクの死後に「アメリカ唯一の孤高の作曲家」と賞賛したメモが遺されていたのは有名な話)。
アイヴズを頻繁に聞くわけではないがあの時代の諸相に非常に興味があるのである。もう長い音楽歴の中で忘れ去っていた知識、その再認識としてココはなかなかに読める。だが・・・参考文献はいずれも入手困難なものばかりだ。エール大学へ行くしかなかろうな。
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バイオグラフィより
20世紀二番目の十年間のうちに生まれた二作品は、アイヴズの円熟した技法と完成期を示すものとみなすことができる。祝祭交響曲の第二楽章「戦没者追悼記念日Decoration Day」は、幼少期に現在デコレーション・デイと呼ばれる祝日に目撃した出来事について描写している・・・彼の父のバンドは暗い曲を演奏し町の墓地へ行進していった・・・群集が戦没者のデコレーションされた墓の中に立ったとき、ジョージ・アイヴズは「消音ラッパ」をろうろうと吹いた・・・そしてバンドの行進は戦没者たちの魂を天に送り出す目的で作曲された陽気な曲を演奏しながら町へ引き返していった。その体験からアイヴズは「戦没者追悼記念日」で空前絶後の音楽における"stream of consciousness(心のうつろい)"を作り上げた。そこには革命的な音楽の技法が、深遠な集団記憶を彩るために配されている。
自分の傑作の中で特に選ぶとしたら何を挙げるか、とストラヴィンスキーに尋ねられたとき、彼は「戦没者追悼記念日」と答えた。
--Jan Swafford
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