湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラヴェル:ボレロ

2007年02月20日 | ラヴェル
ル・ルー指揮フランス国立放送管弦楽団(concert hall)

ちょっとハッキリしすぎる感もある出だしだ。録音がよすぎるのかもしれない。かなりしゃっちょこばった規律正しいソロ演奏を指示しているようである。ラヴェルの自作自演あたりに近いとても機械的で堅い解釈のように感じられる。数珠繋ぎのソロ楽器の音色表現がいずれも非常に単調である。というか、余りに個性が無い。抑え込まれている感すらある。元々持っている楽器の音の美しさだけだ。全体の音響はしかしとても整えられている。遅めのインテンポなうえにただ音響がどんどん重くなってゆく。クライマックス近くで音量が若干抑え目に修正されているのもどうかと思う。とにかくこれはとても「正しいボレロ」だとは思うが・・・面白くは無い。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

2007年02月20日 | ラヴェル
○ル・ルー指揮フランス国立放送管弦楽団(concert hall)

こういう旋律音楽で管がいずれもまったくヴィブラートをかけない「棒吹き」であるのは不思議な感じもするがフランス派ではしばしば聞かれる表現手法である。ヴァイオリンが登場する場面でも弱音への拘りが強く余り泣きのヴィブラートは聞こえない。バランス的にかなりソロ楽器に偏っているようで、弦など他のパートは終始沈んでいるが、ハープの分散和音が実にリリカルで煌びやかなのが印象的だ。個々の楽器よりも総体の沈潜する響きで聴かせる音楽になっており、ある意味ちょっと深みを感じさせる。こういうのもたまにはいいかもしれない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャイコフスキー:交響曲第5番

2007年02月20日 | チャイコフスキー
○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(DREAMLIFE他)1965/2/21live・CD

録音はぼんやりしてハスキーなところはハスキーで余りよくない。1楽章ははっきり言って凡演である。素っ気無くただ音楽が流れるだけ。2楽章第二主題前のチェロの強奏からいきなりアゴーギグがきつくなってムラヴィン・レニフィルらしさがようやく顔を見せる。ブラスのロシア吹きが余り、けっこうミスが目立ったりとか、ワルツの異常な表情付けとか、4楽章のいつもの物凄いスピードとか、このへんはムラヴィンにしか出しえなかったレニフィルの分厚い響きと乱れぬアンサンブル(他の指揮者のときとはメンバーも違うのだろう)が楽しめる。とにかく1楽章がトスカニーニに聴かせるにも恥ずかしいほどに素っ気無いので気に入らないが、まあ○か。最後はかなり盛り上がる。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラヴェル:序奏とアレグロ

2007年02月20日 | ラヴェル
◎ベイヌム指揮ACO、ベロウ(hrp)(DECCA他)1952・CD

さすが指揮者付きで室内楽をやったというべきか、ドラマティックな構成のうえに緊密なアンサンブルがこうじられていてこれほど面白く感じられた序奏アレは未だ無かった。とくにハーピストの繊細かつ高度な技巧が素晴らしく、ラスキーヌのような押し付けがましさがなく、冒頭よりドビュッシー的な世界を展開し同曲の生硬な部分をまったく感じさせない表現力でとにかく聴かせる。◎。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャイコフスキー:交響曲第4番

2007年02月19日 | チャイコフスキー
○クーベリック指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1968/9/8ルツェルンlive

録音は遠めで中央に寄ったモノラル。篭った細部の聞き取りづらい悪い音で、安定感があるためインホール録音にも思えるが、電気的断裂やテープ撚れがあるので放送エアチェックだろう。かなり力感のあるクーベリックらしい表現から始まる闘争的な音楽である。

長いながーい一楽章。大仰な悲劇を演じるうえで前のめりのテンポをしっかり維持しながら突進していくような感じはいかにもドイツ流儀。諧謔的でオリエンタルな舞曲が木管から提示されると流麗な旋律が流れ出し、インテンポに近い速さでありながらもなかなかノれるなあ、と思ったらいきなり物凄いティンパニの響きと共に音楽は破裂しながら昇天し、やっぱりドイツ的なタテノリで解決へと向かい調性を下げた警句がファンファーレされ半音階的にサゲていく。ここの流れはやや分裂的で、個人的には楽想表現の断裂具合がちょっと気持ち悪かった。しかしこれもドイツ流儀と言われればそうだろう。フィルハーモニアの音が更に音楽を暗いドロドロから救っている。チャイ4嫌いの私もなんだかんだいってこういうもののほうが聴き易く感じたりする。

ドイツ式の転調表現はどうも個人的にぱっとしないというか、フランス派聞きすぎなのかもしれないが、昨日のN響アワーの40番聴いていても思ったのだけど、作曲家の設定しためまぐるしい転調を明確に鮮やかに示していくことで楽想の貧困さ(モーツァルトは意図的だろうが)を補う色彩性が著しく出てくるわけで、クーベリックにイメージとして時折つきまとう渋さというものがこのへんに由来している気もする。チャイコの曲としてはそもそもこの曲は楽想がやや貧困もしくは単調なのだ。クーベリックらしい流れよさは確かにそのとおりに聴けるし、チャイコ初心者向きとも言えそうな演奏様式ではあるのだが、この楽章のとにかく連環する旋律の「くどさ」が、「流れよさ」だけで解消できるたぐいのものとも思えず、結局力づくで抑え込む、重い音ながらも物凄いアッチェルを無理栗押し込むことで、一回性のライヴとして成立させている感じもする。ていうか、これって演奏というより楽曲批判に近い気がしてきたので1楽章への文句はこれくらいにしておく。1楽章の最後で一発だけ拍手入れた人は誰だ。

延長戦というかんじの2楽章は相変わらずロシア臭い楽想がロシア臭い管弦楽法によって提示され変奏されつづける陰鬱とした楽章だが、構造の面白さが加わり、西欧折衷派らしい、ドヴォルザーク晩期交響曲を彷彿とするわざを見せてくる。ただ、旋律だけを聴いている人はたんに副主題の盛り上がる局面だけに左右されると思うので、酷使される木管の苦労も水の泡だ(あ、また楽曲批判)。とにかく4番は使われる主題が異なっていても似通っており、使われる音が限られる「チャイコらしい問題」かとも思うが、クーベリックはやはりバス領域を巧く使って起伏なき連環に地鳴りする盛り上がりを作っている。オケの(いささか単調ではあるが)アンサンブル能力の見せ所ともいえる楽章、フィルハーモニアの確かな力量は発揮されている。やはりイギリスの繊細で巧みな木管は素晴らしい。

3楽章全編弦楽器がピチカートというまさに飛び道具的な「見せ場」では呆れるほど速いテンポで前のめりにフィルハーモニアの表現力が発揮されていく。きほん的に明るいオケなので、こういうバレエ音楽的な愉悦性の表現には長けている。しかしクーベリックの音響は重く叩き付けるような芯の強さがあり、スケルツォの表現としてちょっと押しが強すぎる気もする。

4楽章第一主題の「ルスラン」的楽天性はしかし録音状態の悪さに邪魔される。ホワイトノイズが邪魔で、確かにこのフィルターの向こう側では阿鼻叫喚の激しい音楽が展開されているというのに・・・という歯がゆさがある。第二主題は比較論としてゆったりと旋律を聞かせるが、きほん的に弦は休めないので辛い。あ、そういうこと書く場所じゃなかった。バス領域がやはり強く表現される傾向にあるが静かな場面でちょっとブラスの反応が悪い気もする。展開部の表現が意外と重いと感じられたのはそのせいか。そこらじゅうの防弾窓ガラスを割って回るような再現部からこの尾崎豊は肩をいからせ続ける・・・もっと肩の力抜いたらつきまとう重さというか暗さというか渋さが抜けていいのに・・・スピード的なバランスも、ここまできたら突っ走れと言いたくなる半端さがある。冒頭の運命のファンファーレが回帰するところまでの雰囲気作りとして暗く重くやってるのだとしたら計算上あっていても・・・チャイ4としては飽きてしまう人もきっといるはず。マーラーかこれは?という暗さからホルンが立ち直ってじつに美麗な高音木管楽器に先導され、終盤へ向けて再再度の再現部というかコーダがあらわれるところで、またしても非常に音が悪くなる。とにかくこのへんはクーベリックのいい意味でも悪い意味でも独壇場だろう。激しくアビキョウカン。重い響きがズシズシ会場を揺らし、物凄い大団円へいたって大ブラヴォー。ああ、録音のせいで暗く感じたのか。なら評は二行で済んだかも・・・冗談です。クーベリックのチャイコ、クーベリックのライヴそのものの予想通りの演奏です。○。
Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャイコフスキー:交響曲第6番

2007年02月19日 | チャイコフスキー
○伝フルトヴェングラー指揮VPO(PALETTE/morgan's:CD-R)1951/10/13ミュンスターlive

フルヴェン先生かどうかなんてどうでもいいからこの時代の「記録」として、ヒンデミットの「調和」チェトラ盤live復刻してくれー。わいいとして悲愴である。かなり音が悪いのは承知のうえで。音色の美しさは残念ながら録音のせいで伝わらない。一種解釈(音?)の腰の軽さがあるというか、「安定した焦燥感とスピード」など、ライヴの一回性に賭けたフルヴェンのやり方ではないと思うが、強い統率力のもとに極端につけられたアゴーギグのうえであらわされるひたすら高い集中力(往年のVPOがここまで集中するというのは限られたシェフ相手にしかありえないと思うが)には独特のものがあらわれており、コントラスト付けの「非常さ」にはちょっとロシア解釈っぽい感じすらおぼえるが、縦の揃ったテンポ取りは独墺圏のものである。

なるほど「影響を受けている」のは確かなようである。ワルツでは噎せ返るような雰囲気とか情緒的な揺れというものはそれほど感じられず、これは録音のせいだろうが、男らしい。ライヴとは思えない弦の詠嘆的表現の統一感、ブラスとの対位的構造の浮き彫りの明確なところなどロマンティックな中にも一本筋の通った表現で、「チャイコはオーケストレーションが巧い」とストラヴィンスキーの言を借りたくもなる。

アッチェルの凄さは1楽章でも感じられるが3楽章はまさに見せ所である。というか、最初から異常に速い。しかしトスカニーニ的な軽快な速さではなく、重く堅牢な構造が楽曲の怒涛の突進を引き締めるようなかんじである。なるほど、評論家先生が一時期最高の悲愴と称えただけのことはある。音さえよければ確かに、これは名演の名録音として文句無いだろう。しかもライヴなのだから!

クライマックスの異常に割れる音にはこの洒脱なオケが如何に轟音をたてて異例な盛り上げをしていたかが伝わってくる。速いがテンポの揺れのない確信に満ちた3楽章である。ただ、録音の音量が不安定でクライマックスで少し音が小さくなるのが興をそぐ。しかしオケの各セクションがバラバラに主張するのではなく一縷の隙もなくガッチリ一体となって直球で迫ってくる迫力は繰り返すも凄まじい。しかし・・・ほんとうにライヴなのか?会場雑音のたぐいがいっさい無いのが気になる。

4楽章は全く気分を切り替え、最初の分裂症的なフレーズから揺れまくる。フルヴェンのテンポ設定によく似ているがやはり、ちょっと軽い。VPOのためとも思えるが、音色がはっきりベルリン指向なので、その甘さは弦のザッツの僅かなズレ以外に聞き取れず、その音のせいで軽く感じるというより、かなり意識的に揺らしているのが却ってわざとらしく感じられるのかもしれない。重みあるアッチェランドにはドイツ的なかっこよさもあり、他の楽章の表現とのバランス的にもここまでやらないと全体が締まらないというのもあるとおもうが、「わざとらしい」のには変わりない。統率力はいささかも失われず、並ではないことはわかるが、ちょっとやはり、ロシアっぽい感じもする。とにかく、弦のフレージング指示の恣意的な細かさなどちょっとやりすぎである。ピアニシシモとフォルテッシモの差の異常さは終幕近くでも感じられるが、これは録音操作のせいかもしれない。この時代の録音にしては弦の細かなアーティキュレーションが「合奏」としてはっきり聞こえすぎる。最後の心臓の停止もベートーヴェン的であり、ベースのアタックが激しすぎる。面白いが、ちょっと違う気もする。

うーん。これだけアクの強い演奏なら今一度きちんと検証すれば結論はすぐに出そうだが、みんな偽演と呼んでいるのに検証するのも今更なので、とりあえず○。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イッポリトフ・イワーノフ:コーカサスの風景

2007年02月18日 | ロシア・ソヴィエト
○シュヒター指揮LPO(MGM他)LP

日本盤でも出ていたもの。さすがオケが違う、ドイツのなんとも渋く重い音と違い爽やかな透明感と繊細なオケ操作のわざが聴いてとれる。リムスキーの影響色濃くも表現内容はボロディン、しかしもっとローカル色の薄められた描写音楽で、同じ表題組曲であってもリムスキーのシェヘラザードのような体臭は無い。これはさらにシュヒターにより薄められて聴きやすくなっているのだろう。終楽章の舞曲旋律などあきらかにオリエンタルな民族音楽だがシュヒターはきわめて精緻で重心低く、しかしスピードと勢いを損なわずにまるで中欧ロマン派の古風な作品のようにしっかり描いている。全体設計がまずかなりきっちりなされていて、おしなべてのっぺりした作品中に時折織り込まれる舞曲のリズム処理のうまさ、効果的な切り替えはすばらしい。あまり押しの強い曲ではないがそれでもロシア国民楽派の典型であるだけに、このように慎重に純管弦楽的に繊細に取り組んだ演奏のほうが一般には入りやすいだろう。いつもの手堅さは余り感じず、勢いと美しさが加わっていつもと違う魅力を発揮したものとして○にしておく。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーバー:弦楽のためのセレナーデ(もしくは弦楽四重奏のための)

2007年02月18日 | アメリカ
○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(VANGUARD)

作品番号1、19才のときの作品で、擬古典的であきらかにカルテット向きの小品だが、ゴルシュマンは非常に引き締まったオケの技術を生かし、大編成で稀有壮大にやり放っている。三楽章制で中間に「弦楽のためのアダージオ」を予感させる緩徐楽章をはさみ、手法の古さは否めないがこの年の作品としてはきわめて完成されたものの感がある。というかおじいちゃんである。おじいちゃんが筆をすさばせたような擬ハイドンに山葵を僅かに挟んだような。まあ、特に・・・
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーバー:室内オペラ「ア・ハンド・オブ・ブリッジ」

2007年02月18日 | アメリカ
○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア他(NBC交響楽団)(VANGUARD)

ピアノ独奏から始まる意表を突いた極めて短い室内オペラで、ゴルシュマンは弦を増強しゴージャス感を出している。古びたジャズ風のリズムにバーバーが時折見せる無調的なパセージ・・・ベルクを思わせる・・・が乗り、人好きしない表情になりがちなところを歌詞とゴルシュマンの派手な表現が救っている。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーバー:ストップウォッチと軍用地図

2007年02月18日 | アメリカ
○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)、ロバート・デコーミア合唱団(VANGUARD)

いかにも第二次大戦の惨状をかんじさせる暗い男声合唱曲で、バス領域の打楽器とブラスしか伴奏がないというのも鬱々とした情景を盛り下げる。元の詩がそうなのだが、比較対象もなく評価不能なので○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーバー:シェリーからの情景音楽

2007年02月18日 | アメリカ
○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(VANGUARD)

まさに映画音楽!暗い初期作品だが旋律の魅力と既に確立されたアカデミックな手法の清々しさで聴き通せる。見通しのいい演奏・録音もすばらしい。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーバー:管弦楽のためのエッセイ第2番

2007年02月18日 | アメリカ
○ゴルシュマン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(VANGUARD)

90年代のハリウッドの映画音楽といったらこういう曲を思い浮べる人が多いであろう、といういわばブーランジェ的アメリカ音楽を中欧指向の重厚確固たる構造の上に組み込んだ折衷的音楽のなかに、ドラマチックなロマンチシズムを展開させていったバーバーの「表の面」が巧みに発揮された起伏の激しい一曲で、ゴルシュマンもすっかりアメリカニズムを体言すべくこの上ないオケ相手に完璧にこの曲の理想的な姿を演じきっている。細部まで隙なく造りこまれた造形の見事さを明瞭なステレオで重すぎず暗すぎず聴きとおすことができる。詩的な側面が技巧的先鋭性、とくにベルクなどを目したような理知的な語法に反映させられ、編成の小さい曲だと露骨に現代性があらわれて非常にわかりにくくなることもあるが、よく整理され綺麗にまとめられた演奏、フランスでもゴリゴリのアメリカ・アカデミズムでもないバーバーの特異性と、異国人にとっての聴き易さを引き出した名演。ゴルシュマンてこんな人だったっけ?つか、このオケ凄いね。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲

2007年02月17日 | ドビュッシー
○ドゥローワ(Hrp)ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団のメンバー(MELODIYA)LP

輪郭が明確な演奏だ。しかしガウクとは思えないほど表情付けが巧い。フランス的というか、少なくともハリウッド四重奏団あたりがやっていたくらいのレベルには達しているのである。ラスキーヌを思わせる力強いハープの音にドライヴされ、楽曲は至極まっとうに気持ちをドビュッシーの旋律と響きの「はっきりとした美しさ」を浮き彫りにされていく。そう、この曲は印象派でもなんでもない、まったく明確な旋律と構造をもった不明瞭のかけらもない曲なのであり、プロがまとめれば失敗しようがないのである。◎でもいいくらいだが、○にしておこう。何しろ、ガウクとは思えないくらいアメリカ的なニュートラルさがあったのだから。うますぎます。。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デュカス:魔法使いの弟子

2007年02月17日 | フランス
○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LP

ガウクはソヴィエトもの以外、とくに南欧系の曲も極めて明瞭な録音で残している。これはステレオである。音符の一つ一つがハッキリとした演奏で、迫力があり、リズム処理も巧く、しかし純音楽的に(ベートーヴェン的に)処理している。ワグナー的というよりベートーヴェン的のように感じた。曲が苦手なのでこれ以上無理。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グリエール:序曲

2007年02月17日 | グリエール
○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LP

これはとにかく派手!!ガウクの録音状態はかなりいいものが多いので、安心して愉しめる。曲がまたファンファーレから始まるクーチカの伝統、グラズノフの弟子たるグリエールの人好きする曲感、意外とまっとうにとりまとめてみせるガウクの手腕、なかなか面白いです。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする