湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

無性にベトを勉強したくなる

2008年04月03日 | Weblog
急に第九が弾きたくなったのである。基礎練嫌い初期ロマン派嫌いの私にとって鬼門と言って過言ではないベトに取り組むことで、また新しい世界が見えてくるのではないか?何より強制的に基礎練的な練習をおこなうことでグズグズのテンポ感とてきとうな音程感を正せるのではないか?後者は耳と楽器の問題があるのでびみょうだけど、地味で近所で堅いレパートリーをやっているところを探したら、ベトばかりやっているところをみつけた。どうしよう。

私信。第九の3楽章のバスのかんじんな2音って、わかりませんでした(*_*)ファーストの主題提示からクラやホルンの答唱をへて弦に回帰した主題の末尾くらいにチェロが八分でソファって動くとこじゃないですよね、これは冒頭主題をかなでる上3パートの末尾にある八分音符による音形の反復だし。。

ちなみにヴァイコンの版問題の話題、該当箇所(奏法指定)はともかく、たまたま一般書でみつけました。春秋社「ベートーヴェン研究」児島新でした。
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ヒナステラ:協奏的変奏曲(リハーサル風景)

2008年04月02日 | その他ラテン諸国
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1963/2/23カーネギーホールlive

がちっと細かく組み上げられたアンサンブルがスリリングな難曲だが、ストコの指示はびしっとして無駄がなく、相変わらず迫力のオケはリズムも切れている。リハなりのアバウトなザッツのブレもなくもないが。この曲の娯楽性はバルトークやビラロボよりウォルトンに近く感じる。つまり後期ヒンデミット的ということだ。曲がただでさえとても扇情的で南米のローカリズムに収まらない魅力に満ちているため、加えてストコがシェフなら別に何もいじる必要は無いように思える。
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セッションズ:交響曲第3番

2008年04月02日 | アメリカ
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1957live

この曲はわりと演奏していたようである。一部録音に難あり。冒頭より響きに明らかにマーラーのエコーがあり、二番に続きシェーンベルクの影響が強い。新古典から十二音に向かっていった作曲家の指向を象徴している。言われるほど晦渋ではなく意外性より必然性をとり豊かな音響と色彩性を重視した作曲家らしく、無調性であっても非調性感はそれほどないから聞きやすさはある。しかしだからこそもっと削ぎ落とすべきでこれでは長すぎるようにも思う。ミュンシュは曲を一本にまとめにかかりすぎるところもあるが、音響がバラけないモノラル録音であることもあり求心力の高いリズムの立った流れのみで聞きとおすことができる。
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ヒンデミット:チェロ協奏曲

2008年04月02日 | ドイツ・オーストリア
○シュタルケル(Vc)ライナー指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1957/11live

録音が掠れる。音量に耐えられず不安定になるところもある。ライナーCSOの精力的な表現がいきなりテンポを煽って始まる。全般的にも速い演奏である。相対的にシュタルケルは心もとないところがある。線が細く弱い。オケのほうが勝ってしまい、チェロを伴う合奏協奏曲的な趣を産んでしまっている。無造作なバランスの録音のせいもあるかもしれない。ライナーCSOも煌びやかな半面厚ぼったく鋭さが無いところもあり(まるでオーマンディPOのように)、ロマン派の主情的表現に慣れた向きには楽しめようが、計算通りの響きの交錯を求める現代志向の人には切れの甘さが気になるかもしれない。なかなか迫力のリズム表現で終わるものの、多くはライナーの水際立った意気のよさに依っているように思える。
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ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲

2008年04月02日 | ドイツ・オーストリア
○フックス(Vn)ライナー指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1957/11live

録音はクリアなモノラルだが一部撚れが酷い。いかにもヒンデミット新古典主義のがちゃがちゃした職人的協奏曲で技巧的には面白いし、抽象化されたロマンが未だ新即物主義との辺縁でバランスを保っている。その絶妙のさまは天才的であるものの、あからさまさがないぶん一般受けはしづらい作品だ。この録音からはまさにフックスの音、フックスの力強い技がはっきり聞こえてくる。ライナーの豊饒な楽器CSOを前に全く負けていない。難度に動じない安定感とじつにメランコリックな魅力をはらんだ表現である。2楽章のほぼ無伴奏状態で進むメロディなど雄弁で美しい。フィドル風の無窮動的なソロが調性の不安定な音線をわたり実に鮮やかな色彩変化から始まる3楽章では、ソリスト・オケ共に曲の魅力をきっちり引き出している。フックスがとにかくかっこいい。オケも作曲家意図を越えかねない偉大なロマン性をもって迫力の盛り上がりを見せる。ヒンデミット特有の色調のマンネリズムも否定できない部分だが、古風なカデンツァなど技巧的側面に耳を集中させれば飽きないだろう。○。
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妄想系評論の雪だるま

2008年04月02日 | Weblog
5年くらいぶりにムック本系売文屋さんたちの「クラシック音楽本」をいくつか斜め読みしてみた。

たくさん出したもんだが、ひどいね相変わらず。プロの音楽家や中堅研究家の堅い筆をライター文体の蒟蒻ではねのけてきた生き残りだから、一般書として読ませる技術には長けているが、労かけてないゆえ中身が薄く、確実な知識の絶対量も少ない。一文一文ちゃんと読むに堪えない。文章量を水増しするために対象を幅広くとりすぎて、内容が浅く粗くなっているさまはマニアックな誰の目にも明らかだ。

水増しするためにもちいられる文学的表現が(これも賛否あろう)的確もしくは何かしらの印象を残す緻密な表現ならまだしも、スノビズム丸出しで関係のない別分野の知識(こういう怪しげな本は必ず筆者の経歴を見てから読むとよい、「臨床的」音楽経験の記載のない哲学屋や文学屋は要注意)を並べてみたり、さらにひどいものになると根拠希薄の文学的妄想や思想的妄想が小さな知識に雪だるまのように付着して、見てきた事実のように大きくえがかれている。あんたその人にはっきりそう聞いたの(生まれたときには既に物故していたはずだが)?音楽について読みたいのに、音楽の知識が欲しいのに、こういうたぐいの本はまったく何の益もない。

大人は笑ってこういう本を読む。自分についてのbbsをロムして酒の肴にするプロのように。

いや、違う、

ネットはタダだが、こいつはたいそうな値段をつけているのだ!


書を捨てよ、ライヴに行こう。
Comments (11)
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ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

2008年04月01日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ボイド・ニール指揮ボイド・ニール弦楽合奏団他、作曲家監修(DUTTON)1936/1/29・CD

いじりすぎの感もあるけれど良好な音の復刻。テンポに生命力があり、曲の元来包含する擬古典的な客観性よりは前向きなロマンを目した演奏ぶりとは言える。展開部?では慎重に響きをはこぶさまがRVWの静謐な世界をよくうつしていて秀逸。音楽が途切れる事無く連綿とレガートで続いてゆく。ヴィブラートのかけられた程よく厚いひびきが非常に滑らかに繋がってゆく。ソロ部の変な誇張や突出もなく、バランスは理想的だ。暗さや深味、もしくは透明感や典雅さをもとめたらあてが外れるかもしれないが、作曲家意図のそくっと中庸のところを押さえた名演。
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ヒンデミット:ウェーバーの主題による変奏曲

2008年04月01日 | ドイツ・オーストリア
○クーベリック指揮バヴァリア放送交響楽団(SARDANA:CD-R)1975LIVE

BRSO名義のものなど他録と同じかもしれない。この曲を純粋に楽しむにはうってつけの娯楽的演奏。愉悦的なリズムでやや軽さも感じるものの愉しい1楽章、異様なスピードで煽情的に盛り上がる2楽章、スピード感は3から4楽章まで維持され、若干つんのめり気味ながらも胸のすく軍隊行進曲が厳しいリズムを刻み鳴り響く。放送瑕疵があるがほぼ完璧なステレオ録音。わずかにブラヴォが。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2008年04月01日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(dell'arte)1940/12/8,22・CD

ショスタコはわりと解釈にうるさく、クーセヴィツキーなど旧いタイプの「解釈者」には演奏もしくは録音への文句をいちいち送り付けたりしている。ラヴェル型の神経質な「機械的作曲家」に類例は多く、えてして「スコア以上のことはするな」というストラヴィンスキー風の見解を持っているが、時系列の問題はあるものの、わりと気紛れであることもよくあることで、カラヤンやバンスタの圧倒的な実演の前には賛辞も止むなくされてしまったようだ。ただこれが本音であったとしても心のどの階層まで踏み込んだものだったのか?現代のアーティストの心は外面的条件の有無にかかわらず一筋縄ではいかないものだ。

改変系指揮者ストコのショスタコーヴィチは面白いが、「作曲家原理主義者」・・・しかしその持論も主観的な思い込みであるようにしか見えないことも多い・・・には鼻持ちならないものに思えることだろう。この録音も「飽きさせない流れ」に違和感を感じる向きもいるだろう。文学的な隠喩の籠められたパセージの意味性を無視して、独立した楽曲としての娯楽性一本を追求しているさまは終楽章のロッシーニのカリカチュアの扱いなどによく聞き取れる。ただ、解釈の全般としてはわりと抑制的で端正だ。素朴なところもある。スピードは抑えられ響きは丁寧。オケ自体は華々しく美しく巧いから、5、7番にはさまれ地味な6番を陽化して受け容れやすくしてくれる録音としての価値はある。時代と比して録音はすばらしい。
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