湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ワグナー:ジークフリート牧歌

2008年10月20日 | ドイツ・オーストリア
ワルター指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1946-47

アメリカ時代のワルターらしい、ウィーンの頃の性急さ激烈さが、恐らくトスカニーニとアメリカ楽団の影響で即物的になり、性急でやや無味乾燥というか、ライヴとしての楽しみの無い「いつもの解釈の再現」に陥っているように聞こえる。団体が団体だけに硬質な音になってしまい、ワルターの芸が活きないのではないか。録音悪い。いつものワルター節ではあるが、いつもの芸すぎて何のひっかかりもなかった。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベートーヴェン:交響曲第7番

2008年10月20日 | ドイツ・オーストリア
○メンゲルベルク指揮ACO(PHILIPS/ANDROMEDIA他)1940/4/25live・CD

何故かしっくりこない演奏が多い気がする。粗いとはいえこの古典的名演は光っている。ワルターほどの激烈なテンションはないしストコほど変な解釈もないけど、トスカニーニやクライバーの一種即物的な軽さが無い、ベトとしての重量感を音響に保ったうえでハメを外さない絶妙なリズム感が、嗚呼この曲ってこうだよね、と思い出させてくれる。余りに有名ゆえに正統でない演奏が正統になってしまったというか・・・メンゲルベルクが正統とはスコア上決して言えないにせよ伝統的と感じられる。緩徐楽章は無難だが、リズム楽章は素晴らしい。ANDROMEDIAはいじりすぎ。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

2008年10月20日 | ドイツ・オーストリア
○メンゲルベルク指揮ACO(PHILIPS/ANDROMEDIA他)1940/4/18live・CD

デュナーミク変化が細かいだけでテンポは速めストレートの直球だ。ロマンティックな演奏ではありそれは音色変化にうかがえるが、当時のACOならではのものか。冒頭アンサンブルが乱れる。その後は気にならない。音がよければもっとアピールしたであろう娯楽性を秘めているが、基本的にベートーヴェンという構造をしっかり維持しつつのものである。それにしても裏拍からのメロディを持つ曲なんて作曲当時は異例だったろう。舞踏性を高め曲に変化をもたらすとともにひときわ注意させて引き締める効果もある。ただ、この「運命の主題」を後世の人がオマージュするさいは音のみそのままで、リズムは必ず表拍からに改変されるんだよなあ。じっさいメロディが裏拍からはじまり机上計算的に対位旋律と絡み進行していく理性の音楽を嫌ったり不得意とする指揮者は非ドイツ圏にままいて、バンスタあたりも余り巧くはなかったというか「そう聞こえていた」んだろうなあ。リマスターでも限界あり、ANDROMEDIAは残響付けすぎ雑音除きすぎ。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニールセン:交響曲第2番

2008年10月19日 | 北欧・東欧
ストコフスキ指揮デンマーク国営放送管弦楽団(DA:CD-R他)1967live

演奏的には無難。最後、拍手は地味だけど徐々に盛り上がり最後は大喝采となるけど・・・お家楽団に対するものとストコのネームに対するものかな。ストコ特有の拡散的な音作りと職人的な無難なさばき、そこにやや力弱さを感じる楽団が、この「ちぐはぐ」な曲に対して、「何とかやりきった感」を与えてしまう。デンマークにとっては国民的作曲家、でもストコにとっては超幅広いレパートリーの一つにすぎない、そういった感じを受けてしまう。○にしてもいい演奏だとは思うけど、録音状態がとても勧められるものではない。

いちおう循環形式というのかな・・・ニールセンは鬼門なんです。古い人でもあるので仕方ないんですが、初期シベリウス以上にロシア国民楽派色が強い。そこがどうも匂う。当時としては恐らく尖鋭な、擬古典的フレーズや、音色指向のフランクふう和声展開は清新で、しかし基本線はいわば「末期ミャスコフスキー」・・・ミャスコフスキーを知らない人にはよくわかんない比喩か。いや、ようはオーダメイドに近いというか、社会主義レアリズムの国にもうちょっと後に生まれたらきっと、フレンニコフより大物になっていたような作風だ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラームス:交響曲第2番

2008年10月19日 | ドイツ・オーストリア
○D.オイストラフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(revelation)1968/12/20・CD

音が悪いので仔細に聞き取れないのは難点。演奏は精力的でとくにヴァイオリンなど弦楽器の分厚い響きとルバートぶりにはヴァイオリニストらしいカンタービレの再現を目した様子が聴き取れる。指揮ぶりは達者で求心力があり、のちにウィーンなどで評されたように楽器のソリストの余技の域は超えている。ただ、オケのせいもあるにせよ雑味は多い。専門指揮者の最低限精度に達していないと感じる人もいるかもしれない。解釈的に独特、とまではいかない結局近視眼的な部分での面白さにとどまり、あとはかなり正統を目している、録音状態も鑑みて別にとりたてて聴くべきものではない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プーランク:田園コンセール~リハーサル

2008年10月17日 | フランス
○マルロウ(hps)ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1963/2/23live

ハープシコードの非常にアグレッシブな演奏ぶりにびっくり。大音量で弾きまくり、ストコは色彩感は保ちつつも直線的で強靭な推進力をもってのぞみ、NYPとやるときのような感じを持たせる。スリリングで聴き応えあり。比較的演奏部分が多い。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番

2008年10月17日 | ショスタコーヴィチ
○ロストロポーヴィチ(Vc)スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(russiandisc他)1967?/9/25live・CD

今は廉価盤で容易に手に入るようだ。映像もあるのではないか。この晩期ショスタコの典型的な作風による簡素な協奏曲は、例によってほとんどがソリストによる悲歌ふうの旋律に貫かれ、連綿と弾き続けられる抒情的旋律に添えられただけのようなオケは、突然絡みが発生するような調子にあってかなり巧緻にソリストとアンサンブルしており、確かに各パート単体ではソリスト含めいわゆる「難しい」ところはないのだが、それだけに即意当妙な表現力とアンサンブル力、指揮者のさばき方が求められる。ロストロ先生の、雄弁というより悲痛な気持ちの抑制された表現が見事にひき立てられており、スヴェトラ先生の職人的な側面が発揮されている。ソリスト指向の強いプレイヤーが多いオケであることも、この曲の簡素なオーケストレーションに向いていたのかもしれない。ブレのない、地味だが印象的な余情をのこす演奏。○。優秀録音含め◎でもいいんだけどやや堅いかとも。ブラヴォが叫ばれる。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブリテン:シンプル・シンフォニー

2008年10月17日 | イギリス
○ボイド・ニール弦楽合奏団(decca/dutton)1939/3/10・CD

驚異的な音質で復刻されている。もっとも音色がどの程度正確かは疑問である。擬古典のていをなしながらも中身はプロコの古典シンフォニーのような新古典のものであり、2楽章のピチカートだけのアンサンブルからしてチャイコ4番3楽章のほうが近いんじゃないかというロマン性を秘めている。引き締まった、この時代にしては演奏精度の高く揺れのない、アグレッシブで前のめりの表現が終始とられている。30年代には多かった艶めいた表現はなく、ソリスティックな突出が一切無いのがボイドニールらしい。曲が軽いのでそれだけだと空腹感が残り・・・○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロコフィエフ:交響曲第5番

2008年10月16日 | プロコフィエフ
◎ライナー指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1958/2live

最高の組み合わせである。機能性と叙情性のバランスの難しい(たいてい前者で満足してしまうか後者でグダグダにしてしまう)この内容的には浅薄な曲を、とにかくギリギリまで演奏精度を上げて音符を揃え、更に音響を注意深く整えることで芯からの迫力を出したり(低音部を強調するのでヘッドフォンで出先で聞いてると気を使う)、自ずと繊細な抒情味を醸す(3楽章)、全体的にはパレーに似て一直線に突き進むものの色彩的にも富んだ、決定的に違うのはパレーの楽団より数段格上の「楽器」が使えたことであろう。これはムラヴィンスキーより凄いかもしれない。多分飽きないたぐいの演奏だと思う。シカゴの耳の肥えた聴衆もゆっくりめではあるがブラヴォを叫んでいる。名演。50年代モノラル・ライヴエアチェックということで音質に限界はあるがボリュームは十分なので◎にした。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2008年10月15日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1962/3/4live

ストレートな演奏でスコアの弱さも強さも露呈するやり方をしている。旋律によって横に流されがちで、構造的にはただ二本の線が絡み合うだけのような簡素な曲なだけに、部分的な補強はなされるもののそのまま、3楽章はその方法で印象的だが、全般には旋律が強すぎる感じもする(ちなみにスコアをいじってはいるようだが強奏部の打楽器補強や低弦のアーティキュレーション強調など音量的配慮を前提にしたもので「改変」とまで言えるかどうかはびみょう)。ただ、揺れない。基本速いインテンポで押せ押せをやっており、4楽章などラインスドルフ的な即物性を感じる。この楽章で変な起伏をつけないところは他の演奏でもそうだがストコの見識というか、設計上の配慮か。突っ走るコーダで録音が乱れるのは惜しい。最後だけシンバルを轟かせた「ストコフスキ・クレッシェンド」。録音はやや篭ったモノラル。雑音は少ない。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーバー:管弦楽のためのエッセイ第1番

2008年10月14日 | アメリカ
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1942/1/24放送録音

ライヴではないため演奏精度は非常に高い。プロコフィエフ張りのヴァイオリンの走句もブレなく揃い丁々発止のアンサンブルが繰り広げられる。ほとんど判で押したような演奏ぶりで他録と代わり映えのしないものではあるが(当時の演奏会やラジオ放送でのクラシック音楽の視聴状況を考えると、時代の特徴として生演奏であっても「素晴らしかった録音」と同じ演奏がむしろ求められることもあったわけで、社会的状況次第で責められないところもあるのだが、アメリカでは)、42年という時期を考えると録音もよく、細部まで引き締まった「まだまだ元気なトスカニーニ」が聴ける面で価値はあろう。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グラズノフ:主題と変奏

2008年10月13日 | グラズノフ
○エレーナ・グラズノーワ(P)(COLOSSEUM)LP

かなり怪しい演奏ぶりだが華やかで中期グラズノフらしさの発揮された(気紛れにめまぐるしく移り変わる曲想や西欧化された中に仄かに残るロシア国民楽派的書法といった)隠れた名曲をスケール大きく、垢抜けたあっけらかんとした表現で懸命に演じている。義理の父への思いが無いと言ったら嘘になるだろう。○。残響がデッドなのもあるかな。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グラズノフ:牧歌

2008年10月13日 | グラズノフ
○エレーナ・グラズノーワ(P)(COLOSSEUM)LP

作曲家の義理の娘で下手で知られているが、ソロであることと曲がきわめて平易なだけにしっとりした情趣を醸し聴ける演奏になっている。リストというよりショパン系の幻想味が意外な曲でもあり、個性は無いが、この作曲家の優しい面を味わうことができる。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バルトーク:弦楽器、打楽器、セレスタのための音楽

2008年10月13日 | 北欧・東欧
○カンテルリ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1949/1/29LIVE

目の覚めるような演奏。ワザ師カンテルリ面目躍如で、鮮やかに構造をさばき整理しつつ求心的にぐいぐい引っ張っていくやり方が曲にぴたりとあっている。腕におぼえのある楽団もトリッキーな曲に向いている。民族性の匂いのない無機的なところもあるが、熱気は凄い。録音マイナスで○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ショーソン:交響曲

2008年10月12日 | フランス
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1962live

フランク=ダンディに忠実な、というかまんまな進行も散見されるがっしりした交響曲だが、気まぐれに織り交ぜられる透明感ある風景に、この作曲家の前衛への興味と折衷的な特質が感じられる。ワグナーやロシア音楽の影響は言うまでもなく、サン・サンひいてはドビュッシーをも思わせるリリシズムがマニアックな半音階的進行の中に盛り込まれた前衛的な楽想は耳を惹き、2楽章はディーリアス風の退嬰感を醸し聴き所となっている。強靭なロマン派音楽から一歩踏み出した柔らかい抒情感は、多様な世紀末音楽の序章を飾る作曲家だったことを示すものとも言えよう。

これは極めて明瞭な録音で演奏も激し過ぎずしっかり構成されたもので素晴らしく聴き応えがある。ショーソンのシンフォニーは悪い録音だと途中でわけがわからなくなる。「一流ではないロマン派音楽」特有にあらわれる現象だけれども、いい録音で聴けば細部の仕掛けが意図してそうある、ということを認識できるので愉しみ方が違ってくる。この曲は悪録音には向かない。

ただ、ミュンシュでなければならない、という感じもしない。演奏が困難な楽曲としても知られる曲だが(終楽章の長大なペットソロとか意味がわからん)、だからといって演奏が機械的になってしまうのもどうかと思う。ライヴとは思えぬ完成度が逆に、スタジオ録音で聴けば十分、「はみ出した表現が無い」ということは贅沢な物言いだが問題としてある。○にとどめておく。
Comments (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする