湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

2009年01月24日 | ドビュッシー
○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958/7/25live

冒頭からハーモニー、特有の音色感が素晴らしい。悪い録音に鄙びた音だけれども、動きが出てくると非常にわかりやすくなる。舞踏音楽としての遊戯を強く意識した演奏である。どうしても戸惑いを感じさせるドビュッシーの奥座敷で、この前のジーグ単曲同様余り聴衆反応はよくないが、録音としては楽しめた。○。
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ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅰ.ジーグ

2009年01月23日 | ドビュッシー
○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958/7/25live

モントゥのドビュッシーにはめったに当りが無いのだが、これはリズムと音色が素晴らしい。絶妙である。ソロ楽器が鄙びてフランス風に響くさまはなかなかに懐かしい情緒をかもす。録音次第ということもあるのだろうが(DAなので極めて悪いがマイクが妙に近いらしい)。。この次に遊戯という演目も凝っている。なかなかツボを押さえた選曲。○。
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チャイコフスキー:交響曲第5番

2009年01月23日 | チャイコフスキー
カンテルリ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1953/1/31live

早く帰りたかったのだろうか。せっかちで、まったく粘らない。せいぜいが2楽章の頭くらいである。終楽章にいたってはオケの機能フル回転、その性能を見せ付けて終わるようなかんじ。浅い曲ではあるが余りに浅浅しい表現で、聴衆も何か指揮者の能力を検査し終わったというような素っ気無い拍手。無印。
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マーラー:交響曲第9番

2009年01月23日 | マーラー
○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(Lanne:CD-R)1973/11/2アムステルダムlive

奇しくもこのエントリをあげる直前に知人の訃報を聞いた。コンドラシンのマーラーを初めて聞いたのは、その知人よりダビングしてもらった9番のテープでである。。この盤は短時間だが酷い録音撚れ起因の歪みがいくつかあり、演奏精度的にも正規より落ちる。疲労がうかがえるが集中力は最後まで高く、特に3楽章の鋭いリズムと速いインテンポには瞠目させられる。ここで中間部のテンポをぐっと落としすぎると4楽章と全体バランスがおかしくなるという配慮から音量もテンポもそれほど落とさない演奏はままあるが、コンドラシンの新即物主義的方法が一番成功しているのはこの楽章だろう。即物的方法は感情的な1楽章や愉悦的な2楽章では余りメリットに働かない。あっさり、というより音のコントラストは強いのに無感情という殺伐とした印象を受ける。だが横に流れる歌謡性ではなく一つ一つの音圧とテヌート奏法でズンズンと踏み込んでくる4楽章には説得力があり、最後は大ブラヴォ。アムステルダムにコンドラシンが受容されたのはわかる気がする。○。
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訃報にさいし

2009年01月23日 | Weblog
極私的なことであるが、直接的にはクラシックでのご縁で、最近はご無沙汰してしまっていたが、一頃はお酒を酌み交わさせていただく身だったゆえ、風邪でへばりながらも、この場をあい相応しい場と考え一言弔意を示しておく。外面的には高校の頃お世話になっていた身だが、内面的にはむしろその後友人を通じて始まった縁である。

個人的にはわかりやすさと力強さのロシアは既に過ぎ去りし趣向、中庸のイギリスをへて理知性と職人性のフランスに完全に趣味が移ってしまった。だからここ十年はもう積極的に交流をするほどの内面的欲求はなく、また音楽が、おそらく双方とも、中心的位置から外れてしまった以上、たまに友人を通じてコンサートで顔を合わせる程度になっていた。

しかし体の不調で昏倒したとき救急車を呼び後のケアまでしていただいた、あの恩義は返せなかった。返す返すも惜しまれる。

数年前から兆候はあり、そのせいで遠慮していたこともある。昨年見舞にたずねた病室が空で、仕事をしに職場に戻ったと聞き花のみ置いて帰った。それが最後の接点になるとは。


ALTUSが投げ売りされているのを見ると心痛む。詳細を知らない者は音盤をただの記録媒体として、注意書きがあったとしても、ともすると倍加されたとおぼしき当日の思い出を背に状態を非難し苦情をあげ風評化させる。そして不良在庫化したのだろう。猫でも同じことを書くやからがいた。

では貴方には代わりに何かできたのですか?

ご冥福をお祈りします。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第1番

2009年01月22日 | ショスタコーヴィチ
○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(Lanne:CD-R)1968/12/30live

これが惜しい。スヴェトラ・ソビ響共に全盛期の演奏と言えるものだ。ぬるまゆい音響表現と余裕有る技術・大編成でショスタコの痩せぎすな音楽をロマンティックに聴きやすく肉付けし、ボリュームたっぷりの大交響曲として取りまとめてみせる。もちろんムラヴィンやコンドラシンのようなショスタコを指向する向きには受けるかどうかわからないし、こういうショス1はトスカニーニともまったく違った柔らかさを持ち現代の耳からすると少々違和感がある。でも面白い。メドレー的に繋がれた楽想を有機的に重厚に歪み無く継いで行くのはスヴェトラのショスタコならではの職人的なわざで、晩年のロシアオケには不可能な「後は最強オケのアンサンブル能力にお任せ」的なところでもあるが(ソロヴァイオリンの巧さに瞠目!)、ショスタコ初期の薄い書法はそうすることで古い聴衆にも十分鑑賞に耐え得るものになるという見本。オケの非常に手馴れた丁々発止にくらべピアノが少し鈍い感もあったが別に問題とするほどではない。問題は録音なのだ。終盤で非常に撚れてノイズが酷くなり、霞んだまま終わってしまう。せっかくのクライマックスが!拍手は普通。○。
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シベリウス:交響曲第2番

2009年01月22日 | 北欧・東欧
○チェリビダッケ指揮スイス放送管弦楽団(DA:CD-R)1974東京live

まだ精緻さをとことん追求するまでいっていない時期ゆえか、チェリにしては荒っぽい。揺れない構築性と巨視的な設計方法は晩年に続くところだが、オケ起因の雑味が多すぎる。弦は弱くばらけがちで鋭い表現ができない。終楽章のブラスはまるでロシアオケのように下品だ。盛り上げ方も今一つ、一楽章で上り詰めて2楽章でそのまま平行線(響きの美しさを追求するのはいいが飽きる)、3楽章から4楽章の流れはそれほど高揚せず集中力もそれほどではない。録音は全般いい。○。
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ウォルトン:管弦楽のためのパルティータ

2009年01月21日 | イギリス
○シルヴェストリ指揮ボーンマス交響楽団(BBC,MEDICI)1965/5/7・CD

ロヴィツキを思わせるひびきの雑然としたさまがみられるシルヴェストリだがウォルトンで多用されるブラスの破壊的な響きが今ひとつメロウであるのも、鋭く揃った表現を余りとらないこの人らしいところか。弦楽器はよく鍛えられているが今ひとつ強く訴えてこない。ウォルトンらしくない表現であり、何かヤナーチェクとかそのあたりを演奏しているような曇りを感じた。○にはしておく。
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ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

2009年01月21日 | ドビュッシー
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1968/11/17ミュンシュ追悼live・CD

意外なほど聴けるのがストコのフランスものだ。オケいじりも単純に音量増強や旋律強調にはならない。響きの重心は低いものの、ミュンシュとは違った繊細なニュアンスを含め色彩感をはっきりさせ、品よくリズムの力感を示す「祭り」などなかなかの名演である。ストコはオーケストラの魔術師と呼ばれただけあって近現代楽曲の立体構造を際立たせた演奏(時に改変)をなしたが、ドビュッシーなどあっていると思う。ミュンシュ追悼演奏という機会もこの随時臨時編成な手兵に一定の緊張感をあたえていただろう。追悼スピーチのみ客席録音。恐らく急遽差し込まれた演目だろう。○。
Comments (4)
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オネゲル:交響的運動「ラグビー」

2009年01月21日 | フランス
○ツィピーヌ指揮ORTF(EMI他)1953/2/24・CD

描写的演奏にならないのがツィピーヌの特徴で、たまたま1992年くらいの盤評本を見ていたらまったく同じような批評があったのでたぶんあっている。ラグビーは231に比べて娯楽的要素が多く、フォンテンブローなんかでこわーいナディアおばさんに鍛えられたアメリカアカデミズムの作曲家たちがとった六人組的な方法、すなわち派手なブラス、ヒンデミット的に律動する弦楽器が構造的におりなす「映画音楽的スペクタクル」を彷彿とする。いや逆なのだが、ツィピーヌの色彩的で程よく粗野な演奏を聴くとまさにアメリカイズムに近いものを感じさせる。オネゲルにヒンデミットと同じものを見るというのは恐らく新古典主義というよりバッハ模倣という点においてだけなのだろうが、この演奏の聴感は日和ったヒンデミットによく似ており、ヒンデミットの律動が好きな向きは楽しめるだろう。弦は大変。アメリカイズムといえばアイヴズにエール大学のフットボール試合の描写音楽があるが、あれこそ「描写」であり、オネゲルの抽象化作業は余程進んだものである。○。そういえば前記盤評本にはパレーのラ・ヴァルスが出てくるが、モンテ・カルロ歌劇場管弦楽団(西本氏のとこですね)とのセッション記録三曲をLP一枚にまとめたものだ。SCRIBENDUMのCDに単品でラ・ヴァルスが収録されたことがある。そのとき偽盤説が出ていたが、私は比較検証していない。恐らくこのLPはもう手に入らないだろうが・・・誰かちゃんと比較検証しての「結論」だったのかなあ。甚だ疑問である。
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ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅱ.イベリア

2009年01月16日 | ドビュッシー
アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1960/1/27LIVE

解体現場のようだ。前に向かわないテンポ、バラケたアンサンブル、音の雑味の多さ、第一部冒頭から既にリズムに乗り切れない各伴奏パートにゲンナリ。いったんまとまりをみせ強引に勢いに乗るも、最後には失速して「循環形式的演奏」となる。第二部冒頭と最後の長い和音だけで構成されるシーンで、録音が極めてクリアなこともあり重厚で美しいバランスのとれた響きが印象的だが、いざ動き出すとアンサンブルのズレや軋みが再び目立ってくる。雑然としまとまりがない。鋭い金属質の録音が悪い部分だけをくっきり浮き彫りにしてしまっているのかもしれないが、それでも全般漫然として聴きにくいことに変わりは無い。中堅の全方向系指揮者がフランスものに慣れていない二流ドイツオケを何とか振ったような演奏・・・。
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オネゲル:喜びの歌

2009年01月16日 | フランス
○ザッヒャー指揮バーゼル交響楽団(PAN classics/ACCORD)CD

前進性よりも繊細な動きや響きをくまなく描き出すことに専念した様子が伺えるが、楽曲自体短いうえ構成的にもそういう表現を許容する緩徐部の長さが感じられるため違和感はない。力感は健在であるが、上記のような美観こそザッヒャーの真骨頂だろう。ドイツでブールらがやっていた音楽に近い美学を感じるが、ロスバウトのような前時代的な香り「も知っている」表現者のものである、とも思った。だから軽すぎないし部分的には曇っているのが深味になる。ザッヒャーは晩年ルー・ハリスンなど前衛音楽の録音に専念したため、特に晩年の三枚組みでは唯一一般的に聴けるレベルの作曲家作品の一枚となっている盤であり、重要。○。
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プーランク:三重奏曲

2009年01月16日 | フランス
○フェヴリエ(P)カジエ(O)フザンティエ(B)(EMI/brilliant)CD

この演奏を含むプーランク集を私は少なくとも三つ持っている。組み合わせを変え全集化しCDになり、更にはbrilliantが超廉価ボックスにまとめるという、このクラスの演奏家のものにしては(逆に知名度が高ければ廉価化されるというのもわかるけれどそこまででもないのに)珍しい。演奏はいずれもフェヴリエが絡んでおり、フランス・ピアニズムの生き字引のようなこの人はしかし特異なスタイルを持っていて、けして激せず遅いテンポで、タッチやアーティキュレーションの細部にのみ独特の変化をつけていく。上品である。ラヴェル的というか、およそプーランクの芸風からは遠い人のイメージがあり、じっさい世俗性のなさがマイナスと思いきや、他二人はじつに素朴な演奏をなし悪い意味でもないのだがフランスの田舎楽団のソリストを聴いているような味わいがある。だからアナクロで腕も超一流というわけではなく音に雑味があり(アンサンブルはそのくらいがいいんだけどね)、地味でもある。全般、素朴で統一されているという意味ではピアノトリオには珍しいまとまりがある。録音は不安定な感じがする。○にはしておく。フェザンティエはシャトー・ラ・バソネリー・・・バソンがバッテンマークに交差したラベルのワイン・・・の醸造家としてのほうが有名か。しょうじき、音的にそれほど陶酔させるような要素はここではなかったけど。
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ガーシュイン:アイ・ガット・リズム変奏曲

2009年01月16日 | アメリカ
○ワイエンベルク(P)アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(brilliant)CD

このガーシュインアルバムでは一番成功しているかも。ワイエンベルクも音色こそ軽くアップライトピアノのようですらあるが、柔らかいタッチで透明感を損なわないながらもパッションを破裂させテンポを煽りスウィングする。サックスがちょっと生硬な感は否めないし編曲も平板だが、ワイエンベルク全盛期を髣髴とさせる部分もあり、なかなか聴き応えがあります。○。
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オネゲル:交響的黙劇「勝利のオラース」

2009年01月15日 | フランス
○ザッヒャー指揮バーゼル交響楽団(PANclassics/ACCORD)CD

90年代中盤にこれが出たときは、まだ現役であったことに驚いたものだ。既に高齢であったはずなのに力強い表現で、緩み無く、透明に研ぎ澄まされてはいるものの客観的に過ぎない心得た演奏となっている。ザッヒャーは録音こそ少ないが前衛音楽の長年の擁護者であり、この演奏も作曲家の恐らく意図以上に前衛的な響きの交錯を明確にして、いかにもオネゲルらしい重厚な作品であるにもかかわらずオネゲルらしくもない、爽快でアルカイックな趣で一貫している。それでいて場面場面の切り替えを明確に劇性を顕にし、録音が鮮やかなこともあって緩徐部では感傷性すら浮かび上がる。様々なオネゲルを構成する要素がきちんと整理されて隙が無い。比較演奏が少ないのと、ちょっと異質なくらいジェネラルな雰囲気のオネゲルに仕上がっているので○にとどめておくが、全く不足の無い演奏。
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