アイヴズ:祝日交響曲(1887-1913)
アイヴズの多様式主義は、その相容れない様式を同時に用いる、もっと端的にテンポやリズムや調性を完全にずらしたメロディを同時に演奏させることに特徴づけられる、或る意味単純な発想によるもので、聴いていると小規模でも大規模でも非論理的に同じような響きや展開に気づかされることがあります。大編成の曲、とくにこの曲など実演を前提とされていない節があるので、編成的に、環境的に、演奏難度的に実演に向かない、さらにそれを音響の単純化された録音というものに押し込めるのは無理というものです。4番交響曲は操作された録音によってのみ感動を与えられる気がします。四分音を用いた二台ピアノ曲も実演ではなかなか噛み合いません。作曲手法的にどうこうというより、実業家として、また哲学に親しんだ者として、主義主張や文学的発想、個人的な子供の頃の思い出、公園に流れる「環境音」を音要素に分解して、「時間軸に従い(夕方から夜といった変化)」緩く再構築するやり方が、人によってノイズとカオスの荒唐無稽、人によって鋭敏な現代人の感覚に合った前衛ととられますが、使われる引用曲は通俗的なものや讃美歌、有名なクラシック曲などといったきわめて平易なものなので、なんとなく聞けてしまうことは多いです。演奏側にある程度任されている部分があり(そうではない部分もある)編成についても自由度があるため、演奏者によって印象は変化します。ホリディ・シンフォニーはばらばらの4曲、四季を象徴する祝日風景を音詩にうつしたものをまとめ、交響曲として発表したものですが、4番交響曲に近い誇大妄想的な部分があります。4番交響曲も3楽章など古い曲を編曲しただけで事実上4楽章のみが新作と言えるものですが(それを最高傑作と自認していました)この曲について、「セット」という管弦楽組曲同様、出版のために有利な一塊の交響曲としただけのものでしょう。にもかかわらず4曲聴くとなんとなくまとまっている。3番と4番交響曲の間くらいの、4番よりオリジナル部分の多い曲と感じられます。特殊楽器の導入も特徴的。その中にはストラヴィンスキーよりおそらく先に手を付けていたポリリズムの全面導入部分も含まれていて、アイヴズにしては意外に気分高揚させるのです。4曲のものではバーンスタインが古いですが、この人はロマンティックな演奏をするので、硬派な曲だと合わないものもあります。特に複雑なリズムの明瞭さと音響の鋭敏さを求めるアイヴズには遅いテンポで重いバーンスタインの様式はあわないと思いました。初演者ドラティのライヴはアイヴズをやる古くからの方法として単純化して聴きやすくまとめており、楽章毎に拍手が入るのもそれらしいところです。ヨハノスはまずまず。アイヴズ演奏の権威ティルソン・トーマスの録音、またKEEPING SCOREのレクチャー付き映像は一見に値します。分析的な演奏で好まない人もいると思いますが、カオスを整理整頓しアイヴズの書いた音は決して減らさない、その態度がきちんと演奏に現れ、この曲のどこがすごいのか、面白いのかがわかります。アメリカ国民主義者アイヴズの思想、ドビュッシーからの理念的な影響、バルトークとの同時代性を浮き彫りにします。アイヴズの響きは冷たいですが、青白い美しさを最も磨きだせている人だとも思います。サンフランシスコ交響楽団との新録でまた出るかもしれません。ルーカス・フォスのORTF現代音楽ライヴはストコフスキのやり方に似て、手を加えずまったくスコアの通り演奏しており、カオスです。ブーイングがすごい。そのストコフスキは長大なリハのみ残されていて、間延びして長い演奏であることが想像できます。Ⅰ.ワシントンの誕生日のみの演奏は多いですが、ストコフスキも録音を残しており、客観性が感じられます。Ⅱ.デコレーション・デイも単独演奏が多い曲ですが、コープランドが三回ライヴ録音を残しています。アイヴズをアマチュアと喝破したという話がある一方著作ではアイヴズの居場所をしっかり作り、死にさいして弔意を示しのちにピアノ曲を捧げています。ばらつきはありますが意外と叙情的で思い入れを感じさせます。MTTを予告するような分析的な視点も感じられます。メータ指揮アメリカ・ソヴィエト・ユース管弦楽団という機会演奏も録音されていますがドラティに似ています。スロニムスキーの部分試演は骨董価値の範疇から出ないような。自身の編曲としてヴァイオリン・ソナタ第5番「ニューイングランドの祝日」があり3つの楽章の抜粋ですが出来はよく、大規模作品からドラティ的に粋を抜き出しています。録音としてはクリサ(Vn)チェキーナ(P)のものがあります。youtubeにもいくつかあります。名匠アンドリュー・デイヴィスのチクルスは未聴。