湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ヴァレーズ:イオニザシオン

2011年10月17日 | アメリカ
スロニムスキー指揮汎アメリカ室内管弦楽団(columbia/SYMPOSIUM/NMQR他)1933/3/6・CD

超長生きした初演者による初録音盤で初演直後のものとされている(録音日記載が初演日)。SYMPOSIUM盤は話題となった幕の内弁当で長いことワゴンで叩き売りされていたが、個人的に入手していた気もするのだが出てこない。バーチャルレーベルとしてNMQが復刻したものが手元にあり、そこにはアイヴズの初録音もの(スロニムスキーはアイヴズ初演を手がけている)と同時に初演者と作曲家のざっくばらんな対談抜粋も10分程度収録されている。演奏は素朴の一言。作曲家が叩きつける様に口ずさんだリズムの交錯もわりとぼやっとして、それは録音だけのせいではあるまい。いわゆる未来派的な、肉の無い骨だけの音楽を楽しめるかどうかはともかく、歴史的価値はあるのだろう。6分弱の演奏時間だが、よくわからないのだが、20分以上の演奏をしている盤もあるらしい。スロニムスキー対談は初演40周年の1973年のもの。全編はこちらでストリーム配信されている模様(M&A)。無印。

録音月を誤記しているものもある。
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ミャスコフスキー:弦楽四重奏曲第13番

2011年10月16日 | ミャスコフスキー
○ベートーヴェン四重奏団(westminster/melodiya)1950年代・LP

大量にある作品中でも名作のカテゴリに分類される最後の作品。序奏こそ「また国民楽派の室内楽か・・・」という陰鬱さに聴く気をなくさせられるが、この作曲家としては驚くほど機知にあふれた音楽が展開されていくうちに引き込まれる。あくまでこの時代のソヴィエトの「風紀」の中で、ということにはなるのだが、構成力の高さ、和声展開の独自性、加えて構造の見事さがこの作品に見られる特長である。やはり大規模作品より小規模作品に自己の真実を投影していこうとしていたのだなとも思った。ベートーヴェン四重奏団は音色の郷愁性に惹かれるが演奏も破綻なく巧い。○。
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ミャスコフスキー:交響曲第19番

2011年10月16日 | ミャスコフスキー
○ペトロフ指揮ソヴィエト国立ブラスバンド(MELODIYA/MONITOR)LP

ブラスバンドのための交響曲としてミャスコフスキーの作品中でも異例の知名度を誇る作品。ペトロフは初演者でこれは初録音盤になる。楽団は恐らくソヴィエト国立交響楽団の管楽器メンバーだろう。抑制されたパワーがきいていて下品にならず洗練されている。一楽章の木管に課された超絶技巧は聴きものだ。弦の役割を木管に果たさせているのが無理があるのだがここではじつにそつない。ミャスコフスキーらしいマンネリズムの中にもカバレフスキーやプロコがやったように先進的なひびきや進行がしのばせられていて、半音階的な動きの精密な再現が難しいところもあると思うが、中間楽章の謎めいた表現から最後の盛大な盛り上げにいたるまで、弦がいるんじゃないかというくらい「オーケストラ」になっている。鮮明さの足りない録音が惜しいが、メリク・パシャーエフやエリヤスベルクを思わせる名匠ぶりが○。
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グリエール:弦楽四重奏曲第4番

2011年10月16日 | グリエール
○ベートーヴェン四重奏団(WESTMINSTER/MELODIYA)1950年代・LP

ロシア盤は実際に出版されたか不明。ベートーベンQがミャスコフスキーとのカップリングで出したもの。演奏は緊密だが過度な緊張はなく暖かく楽しめる。初期グリエールはグラズノフの影響が強く、この曲の前半楽章においては和声や拍節構造にまるまるグラズノフ初期のカルテットと同じものが聞かれる。そしてグラズノフが初期にたまに新鮮な和音を投入してはっとさせた、それもそのまま、グリエールは倍量くらい新鮮な音を投入している。半音階的な音線にはもっと西欧寄りの洗練された感じがあり、後半チャイコフスキー的なバリエーションが綴られていくあたりでは西欧志向が随所にあらわれる。佳作ではあるがグラズノフをさらに拡大したアマルガム作曲家という性格がまだまだ強い作品。
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ガーシュイン:パリのアメリカ人

2011年10月16日 | アメリカ
○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD

ガーシュインのクラシック畑における最高傑作であり、これを聴いたかラヴェルやストラヴィンスキーが弟子入りを拒否したのも当然であり、まったく単純にして独自の極地というべきものである。アメリカ音楽をブラームス・ドヴォルザークの呪縛から軽々と解き放った、技法的にはコードとリズムと特殊楽器の導入にすぎないとしても、旋律の素晴らしさが加わるとこうなる。移民が多く戦乱起因のものも含むコスモポリタンなこの時代、ただでさえ母国の音楽を持ち込み留学先の音楽を持ち込みが繰り返されるなか、ガーシュインもロシア系ではあるのだがロシア音楽などまったく関係のないジャズという、アメリカで生まれた黒人音楽を素地とした作品を作りあげた、アイヴズもそういうことをしていたけれども、短いながらも醸成されていたそういう文化をクラシックに持ち込み、しかも国民楽派の保守的態度を真似ず、アメリカに拘泥することなくパリの街角のクラクションを鳴らす。スベトラもまたコスモポリタンだった。コスモポリタンとはほど遠い位置から、自国の作品にこだわらず積極的に多くの国の作品を取り上げ、ソ連崩壊後は各国のオケを振ってまわった・・・節操ないくらい。作品が語ってくれるからあとは美しく楽しく響かせればいい。最後だけ、異常に伸ばしてクレッシェンドさせてくれさえすれば。スベトラと曲のシンクロを感じ、ソリストの上手さを堪能し、このライブ一番の演目であったことを確認した。
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ラヴェル:ラ・ヴァルス

2011年10月12日 | ラヴェル
○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya?/lanne:CD-R)1982/11/26live

裏青レーベルから一夜の記録として満漢全席で出た盤収録の演目だが、スヴェトラの演奏記録としては他に聞かないリヒャルトのティルが収録されていることから、おそらくmelodiyaより両演目で一枚のLPとして出た稀少盤のものと同一と思われる。何故CD化されないのかわからない名演として喧伝する人が多くもはや伝説となっていた音源で、実は日本独自のコンピで出ていたいくつかの細かい曲も同日の演目だったという種明かしもなされているなかなか心憎い「非正規復刻」(勝手にスヴェトラーノフアンソロジーという題もついている)。板起こしではなく放送エアチェックと思われ、プチプチノイズの無いかわりに音像がぼんやりしてぼろぼろと欠けたような音であり、LP(将来的にはCD?)のほうがいいのはもちろんだから正規復刻の折にはそちらをお勧めする。そういうのに慣れた耳から少し。この演奏は確かに起伏が大きく過剰な表情付けもなされてはいるが、中欧往年の指揮者など「フランスではない演奏」のうちにおいては特に「おかしい」演奏ではない。ブラスや打楽器の鳴らし方はスヴェトラーノフが最盛期常々やっていた派手なものを想像すればそのままだし、テンポについては強引さはそれほどなく寧ろ自然に大きな変化を付けることに成功している。リズム系の曲が得意な指揮者ではないが最盛期にはここまで気を煽るダンスを振れたんだ、と思いながらも、バレエを振れるのだから当たり前か、とも思った。最後に、過剰な期待は禁物。○。
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ガーシュイン:キューバ序曲

2011年10月12日 | アメリカ
スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD

この人はガーシュインが好きだったそうだが向いてはいない。ガーシュイン特有の響きを楽しみたい人にのみこの「音響的演奏」をおすすめする。マーラーのときと同じで、とにかく間延びして遅く、音符も長く、結果和音がしっかり聞こえるから、しかもオケが比較的冷たく正確に響くオケなので、そういうのが「リズミカルで楽天的なガーシュイン最後の作品」より好きというのなら止めない。やたらうるさくがなり立てるところは往年のスベトラを思い出させるが、リズムが四角四面なのでノリが悪い。一夜のガーシュインコンサートの一曲。スベトラはソ連時代にもガーシュインライブを盤にしている。どちらかといえばそちらのほうが、らしくはある。
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ブロコフィエフ:チェロ協奏曲第2番(1952年版)

2011年10月12日 | プロコフィエフ
○ロストロポーヴィチ(Vc)リヒテル指揮モスクワ・ユース管弦楽団(venezia)1952/2/18初演live・CD

ロストロ先生の既に完成された表現に圧倒される。音色の多彩さ、正確さ、強靭さ、プロコに必要などれもがこれ以上ないくらいに発揮され、注ぎ込まれている。晩年作なりのやや抒情に寄りすぎたところがある作品だが、そうだからこそロストロ先生の重厚だが滑らかで甘い音、ボウイングの美しさが堪能できるとも言える。スケルツォ楽章やアレグロ部のスケールみたいなアレももちろん完璧に弾き熟しそこに不自然さは微塵もない。ラストの最高音域での超絶的なテクニックにもびっくり。ピアティゴルスキーなら絶対外している。バックをリヒテルが振っているがやや生硬か。客席反応はパラパラ。若手演奏会だからか、プロコへの評価か。録音は貧弱。なので○。ロストロポーヴィチという天才がもう完成されていて40年変わらぬ演奏表現をしていたことに驚愕だ(最晩年は厳しかったが、、、オイストラフと同じで)。
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