○レヴァント(P)トスカニーニ指揮NBC交響楽団(ARKADIA他)1944/3/2カーネギーホールLIVE・CD
~レヴァントはガーシュインの友人。直截的で速い演奏をする人で、つまらないものもあるようだが、ここではトスカニーニの磨き抜かれた技に融合し、ジャズのエッセンスを吹き込んでいて、悪い録音ではあるが、なかなか聴ける演奏に仕上がった。
~レヴァントはガーシュインが認めただけあってやっぱり巧い。昔はこの人のピアノを聞くといかにも即物的でスピード出してひたすら弾きまくるだけのように感じたものだったが、そのスピードの中のニュアンスが微妙に時代の空気を伝えていて、聞き込むと味が出る(録音は悪いが)。びしっと正確な音符取りは全くジャズ的ではなく、紛れもないクラシック流儀。レヴァントはあくまで「20世紀のピアノ協奏曲」を奏でているのである。けっこうダレる長い曲だけれども、この演奏が飽きないのはその正確さと緊張感、そしてスピードゆえのことだ。速い。3楽章など出色の出来で、疾走するドライヴ感が堪らない。これを直線的でつまらない演奏と感じる向きもあるかもしれないが、元々起伏に富んだ楽想の連続ゆえ(ガーシュインの管弦楽効果も見事だ)それで十分曲の魅力を伝えるものとなっているように思うのだがいかがだろうか。バックオケもトスカニーニでなかったら雑味が多すぎてくどくなるところ、実にスマートに颯爽と振り抜けており、ガーシュイン独特の灰汁が出ずに済んでいる。レヴァントのスタイルとよくマッチした解釈表現だ。音が悪いゆえ○としておくが、この曲の演奏としては個人的にイチオシです。
○レヴァント(P)トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1944/4/2?live
これが3月2日ともされる既出音源と同じかどうかは議論がある。私は同じと思うのだが、いくらなんでも一月違いの同日ということはないだろうものの記録と照らし合わせ別録であれば45年ではないかという説もある。演奏は作曲家と縁深いレヴァントによるもので異様なテンポに機関銃のような弾き方は色艶に欠ける音楽を提示する。トスカニーニにいたってはまったくガーシュインをやるつもりはなく、グルーヴのカケラもないクラシカルな整え方で四角四面の表現に終始する。オススメはしないがガーシュインをクラシカルな方向から即物的にやるとこうなる、という意味では聞く価値はあるか。○。録音悪。
ワイルド(P)フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA)CD
うわーワイルド激ウマ。パラパラタカタカとよおくもまあ淀み無く滑らかに爽やかに弾きやがる、高速で。これじゃ往年のガーシュイン弾きもカタナシだな、と、思ったのだが・・・なぜかつまらない。聴き進めるうちに、まあもともと冗長な曲では有るが、やはり飽きてくるのである。当たり前すぎるのだろうか。ジャズ味が足りないのだろうか。ジャズ並の編曲を加えているのに、ジャズに聞こえないから、あっけらかん。うーーーーーーーー、無印。
リヒテル(p)エッシェンバッハ指揮シュツットガルト放送交響楽団(VICTOR)1993live
指揮者が弱いものの全ての音はちゃんと発音されているのである。リヒテルの詩情溢れるタッチも魅力的。しかし聞きおわって、冗長で四角四面の演奏を聞いたという印象を持ってしまう。なぜか、つまらないのである。スウィングしない。リヒテルはガーシュインのようなものを好んでいたというが、ガーシュインの自作自演盤(終楽章のみ)やレヴァントのような演奏とは一線を画し、遅めのテンポにあくまで自己流の客観的演奏を載せている。ガーシュイン入門盤にはならないと思う。
ロイ・バーギー(P)バイダーベック(CL)ポール・ホワイトマン楽団(COLUMBIA/PEARL)1928/9/15-17,10/5・CD
シンフォニック・ジャズの提唱者でガーシュインに大出世をもたらした立役者ポール・ホワイトマンの演奏である。当たり前の事だがホワイトマンはガーシュインのこの律義な協奏曲を思いっきりジャズの側に引き寄せている。目茶苦茶手が加えられており、アレンジがきつすぎて違和感しきり。薄いストリングスを全面的に管楽器で補っていて、それがまた楽曲をどんどんクラシックからかけ離している。クラシック的に言うならばホワイトマンはじつに素っ気無い指揮ぶりで、こだわりなく速いテンポでさっさと曲を進めてしまう。楽団は音色(とアレンジ)で何とか起伏を造り上げている、といった感じ。1、3楽章はとにかく速くて揺れない。思い入れとかそういったものはシンフォニック・ジャズには不要、とでも言わんばかりの指揮ぶりだ。一方、2楽章は冒頭から思いっきりジャズの音色で責めてくる。これはちょっと聞き物である。ガーシュインのアンダンテはダレるのが常道だが
(ほんとか?)、ここではジャズ的な吹き崩しと「うにょーん」という音色の妙味が最後まで耳を捕らえて離さない。ジャズをよく知らない私も、これはジャズだなあ、と思うことしきりだ。決してクラシック畑の人間には出来ない芸当が聞けます。差し引きゼロということで無印。2楽章から終楽章へはアタッカで雪崩れ込むが、余りに自然でびっくりする。録音は比較的いいです。
カッチェン(p)ロジンスキ指揮ローマRAI管弦楽団(CDO)LIVE・CD
いくぶん大規模でクラシカル指向な曲であるせいかラプソディよりは聴ける演奏だ、でもカッチェンは余りに堅苦しすぎる。これとマントヴァーニ楽団の演奏の違いにまずは瞠目すべしだ。同じソリストで、こうも違うものか!ロジンスキのオケもちゃんとジャズ奏法を取り入れているのに、ノリが違いすぎる。スピードが違いすぎる。遊び(アレンジ?)が違いすぎる。すべてが娯楽的音楽のために、スポーツ的快感のためにできているようなマントヴァーニの曲作りに対して、カッチェンものびのびと、技巧を駆使してやりきっている。もちろんスタジオとライヴの差もあろうが、この曲はやはり、ジャズなのだな、とも思った。クラシカルなアプローチには、限界がある。正直この駄々長い曲をこのアプローチで聞かせるのはうまいとは思うが、飽きた。無印。ほんと面白いし巧いよマントヴァーニ!スケール感もバンド特有の狭さが録音操作でカバーされていて、スウィング、スウィング!遊び、楽しんだもの勝ち!音色どうこうはあるけれど、起伏に富んだ表現力は初心者を夢の世界へいざなうでしょう。あ、ここロジンスキ盤の項目か。
◎カッチェン(p)マントヴァーニ楽団(DECCA)CD
迫力!興奮!これに尽きる。夢と憧れの時代の音楽!美しい。楽しい。ものすごく、速い。ジャズ人間の書いた曲はやはりジャズ流儀で映えるものなのだ。オケの大編成が寧ろ大げさに思えてくるほど。そのほかの賛辞はロジンスキ盤の項目参照。木管がジャズそのもの。ああ、この時代に生まれたかった。ものすごい力感の終楽章にも唖然。う、うますぎる。音色なんてどうでもいい、スピードとリズムと力がすべてだ。「スピード」プロコのこの言葉はかれの3番よりこのロシア系移民の長大な曲にふさわしい。長大さはスピードが前提にあるのだ、ロシアの曲が長いのは速くて解釈された演奏を前提にしてるからだよ。とにかく、これは極致の演奏。◎以外ありえない。モノラルだけど、モノラル末期はステレオなんか比べ物にならない密度の濃い音が詰め込まれているからね。ハデハデ!史上最高の派手な演奏、史上最強に集中力の高い演奏です。カッチェンはバリバリ系の弾き方をすると味はないが男らしい打鍵に胸がすくなあ。。
○リスト(P)ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD
超即物的な演奏で、まったく一直線に感情のなめらかな動きは一切なくただドライに高速で突き進む(ピアニストも同じだ)。あまりにきっちりしすぎており、反してオケはあまり上手くなく、正直まったく惹かれなかったのだが、全くジャズではないながらもクラシカルな趣も皆無な独特さと単純にデジタルな力強さ、クライマックスの畳み掛けるような迫力だけを買って〇としておく。ある意味大人の味わい。
○ワイエンベルク(P)プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI,DUCRET THOMSON)
ワイエンベルクは技巧派であるがプレートルの爽やかな音にのってここではクラシカルな演奏をきちっと仕上げている。音が軽いのはレーベル特有の録音によるものだと思うし、その点でジャジーな雰囲気がまったく感じられないのはいたしかたないが、brilliantで出ている若手室内吹奏団とのガーシュイン新録を聴いてもダニール・ワイエンベルグはややガーシュインにかんしては引いた演奏を行うようにしているようだ。プレートルがもともとそういう透明感を重視した引いた演奏をするというのは言うまでもないが、ただオケがけっこうアグレッシブであり終楽章のドライヴ感はなかなかのものである。ワイエンベルクもここぞとばかりに弾きまくりアレンジもものともしない(即興的な面白さのないアレンジではあるが)。スピードがあるのでたとえばスラットキンのVOX録音集成に入っているものよりは余程に魅力はあり、人にも薦められる。リヒテルのような珍妙なクラシカルさは無い。○。楽しめます。
○クルト・ライマー(P)ストコフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団(SCC:CD-R)1972TV放送用録音
クルト・ライマーは一部で著名なピアニスト兼作曲家だが、映像は自作自演の協奏曲のみでこちらは余り明瞭ではないモノラル録音のみである。ストコフスキのガーシュイン自体が珍しく、小品編曲の非正規録音しか知られていないのではないか。ストコフスキらしさは全般にわたる改変(同曲自由に改変されるのが普通でありまたソリスト意向が強いと思われる)、あくの強いソリストに付ける絶妙な手綱さばきと最後のストコフスキ・クレッシェンドにあらわれてはいるが、けしてジャズ風には流さず比較的実直な解釈をみせており(ソリストは一部ジャズ風にリズムを崩しテンポを揺らした結果オケと齟齬を生じている)、クラシック演奏のスペシャリストとして意地をみせている。
というわけでストコフスキよりライマーの素晴らしい腕とイマジネイティブな表現を楽しむべき録音であろう。レヴァントに近い即物的なテンポでぐいぐい引っ張り、諸所楽しげな遊びを織り交ぜている。ただけして硬質の表情を崩さない。細部まで明確なタッチにもスタンスはあらわれている(事故はあるけど)。スタジオ録音のため即興性が薄まっているところもあるとは思うが、ガーシュインをあくまでクラシック側から表現したということだろう。曲がやたらと冗長で、それがそのまま出てしまったのは裏返しで仕方ないか。わりと攻撃的な演奏ではあるけれど。○。
◎ペチェルスキー(P)コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya)LP
ナイス攻撃性!いやコンドラシンではなくペチェルスキーのぐいぐい引っ張っていく勢いと鋼鉄のタッチ、そしてこの曲には珍しい自在なアレンジ(ジャジーでもクラシカルでもなく、ライトクラシック的、といったら最も適切か)に拍手である。録音もモノラル末期の聴きやすい安定したもの。コンドラシンは余り精彩のみられないものばかり最近は聴いていたがゆえに、ペチェルスキーと丁々発止でやりあうさまにも感銘を受けたことは事実だ。オケもノリまくっており完璧に噛み合ってこの「大協奏曲」を盛り上げている。リヒテルのような間延びしたクラシックのスケール感を目するでもなくジャズ系の人のやるようなアバウトで刹那的な快楽もあたえない、しかしガーシュインが協奏曲という題名をはからずも付けて内心望んでいたのはこういう完全に融合した境界線音楽じゃなかったのか?アレンジが冗長な曲を更に冗長にしてしまっている部分も正直あるし、違和感を感じなくも無い。しかしこれを聴いて私は今まででいちばん、「この曲そのもの」に対する座りの悪さを感じなかった。ちゃんと聴きとおせただけでも、◎を付ける価値が十分にある。いや、ほんとこの曲って難しいですよ。ジャジーにやるにしてもきちっと時系列に音符(コード)の並んだ楽譜があるだけに思いっきり崩さないことにはうまくいかない、しかしそれじゃオケ側がついていかない。必然的にオケを縮小してビッグバンド並にしなきゃならない、それが自作自演抜粋盤だったりもするわけで、それはそれで面白いんだけど、「協奏曲」と名づけられてるからにはここまで大オーケストラをバックに、クラシカルな技巧の裏づけも持って弾きまくらなきゃ。感傷やロマンは薄いかもしれないけどそんなの誰だってこのての旋律音楽でやろうとすれば煽れるものなわけで、異論封殺。◎。 ちなみにこのレコードは流通元がとっくに決済の終わった最後まで送付を渋り、状態が悪いからいいもののコピーを送るなど言い放ってきたりもして(大嘘だった)、結局半年かけてやっと手元に届いたものです。そこまですると思い入れも違うすね。CDじゃ出ない音だ。
○ソシーナ(P)A.ヤンソンス指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP
冒頭の太鼓が抑制されすぎだって?ここで大見得を切るのがそんなにかっこいいか?事実この演奏はかっこいい。何がかっこいいって、ジャズにおもねることなくあくまでロシアン・シンフォニーの演奏スタイルで突き通したヤンソンス父がかっこいい。オケもかっこいい。ジャズなど眼中に無い。クラシック流儀で・・・まったく自分達のスタイルを崩さず譜面+解釈だけで・・・最後までやりきっている。ピアノも全くクラシカルで乱暴さの微塵も無い。でも、これはロシアの演奏だ。そういう理念だけのこまっしゃくれた演奏は新しいものにはいくらでもある。この演奏の凄いのはそういうクラシックの形式にはまった解釈と一糸乱れぬ統率力のもとに、奏者それぞれが力いっぱい演奏しきっていることだ。音楽の目が詰まって隙が無いのだ。型に嵌まるということがオケによってはこういう新しい効果をもたらすのか、と瞠目した。ブラスのロシア奏法だって(ヤンソンスだから抑制気味だが)あたりまえのように嵌まって聞こえる。とにかくこの演奏には血が通っている。クラシカルな人たちがよくやるようなスカスカで音符の間に風の通るような演奏ではない。こんな楽想の乏しい長ったらしい曲はジャズ「風」に崩していかないと(アレンジしていかないと)弾いちゃいられないはずなのに、彼らはこの曲を国民楽派のクラシックと同様に強いボウイングとあけすけに咆哮するブラスで楽しみまくっている。それだけなら緩徐主題をデロデロに歌いこんで瓦解していくスヴェトラの穴に落ちるところだがヤンソンス父はメリク・パシャーエフ的にきっちり引き締める指揮者だからそこでも決して緊張感を失わずに聴く耳を離さない。この人らしいところだが雑味がきわめて少なく、モノラルだし雑音は多いが私の厚盤では音にふくよかさがありデジタル変換して聴いても素晴らしく聴き応えのある低音のゆたかな音になっている。ちょっと感動しました。この曲をちゃんと聴きとおせたのは久しぶりだ。さすが20世紀音楽のロシア内における稀なる解釈者!録音マイナスで○としておくが、◎にしたい気満々。
○シーゲル(P)スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD
これは楽しめる。スラットキン盤の緩やかなテンポと透明な響き、整ったリズムを彷彿とさせるスベトラ・スウェーデンのガーシュインだが、よそよそしさを払拭するようにソリストがガーシュインらしさを発揮して、流れをいい方向に持っていっている。ソリストとオケのリズム感に齟齬を生じたような場面もあり、二楽章ではずれて感じるところもあるが、逆に二楽章が一番印象的であり、遅いテンポがリヒテル盤の鈍臭さに近いものを感じさせる三楽章、おなじくリヒテル盤と似て冒頭から重々し過ぎるも、途中からノリが俄然よくなり破裂するようなスベトラフォルテや自在なテンポ変化が驚かせる一楽章とあわせて、聴く価値はある演奏になっている。○。
~Ⅲ(エリオット・ジャコビ編)
◎作曲家(P)他(PEARL)1933/11/9ルーディ・ヴァレイ・ショー放送LIVE・CD
それほど良く回る指とは思えないのに、流れ良く音もパラパラとカッコ良く、非常に魅力的な演奏ぶり。さすがガーシュインと言うべきか。演奏的にそう巧い類のものではないのだが、どこか物凄く惹かれるところのある演奏で、思わず◎をつけてしまう。また、木琴やペットの赤銅色の音色!アンタッチャブル!て感じ(わけわからん)。とても魅力的だ。オーケストレーションは小さくスタジオ楽団向きに変えられているが、ヴァイオリンとかも薄いながらもしっかりした奏者が担当していて不足は感じない。それにしてもガーシュインは幸せになる音楽を書いたもんだなあ。ちょっと暖かい気分になる曲です。この放送ではI GOT RHYTHM変奏曲も演奏され録音が残されている。共にパール盤が初出。途中で一端音が途切れるが、恐らく録音の継ぎ目だろう。
~レヴァントはガーシュインの友人。直截的で速い演奏をする人で、つまらないものもあるようだが、ここではトスカニーニの磨き抜かれた技に融合し、ジャズのエッセンスを吹き込んでいて、悪い録音ではあるが、なかなか聴ける演奏に仕上がった。
~レヴァントはガーシュインが認めただけあってやっぱり巧い。昔はこの人のピアノを聞くといかにも即物的でスピード出してひたすら弾きまくるだけのように感じたものだったが、そのスピードの中のニュアンスが微妙に時代の空気を伝えていて、聞き込むと味が出る(録音は悪いが)。びしっと正確な音符取りは全くジャズ的ではなく、紛れもないクラシック流儀。レヴァントはあくまで「20世紀のピアノ協奏曲」を奏でているのである。けっこうダレる長い曲だけれども、この演奏が飽きないのはその正確さと緊張感、そしてスピードゆえのことだ。速い。3楽章など出色の出来で、疾走するドライヴ感が堪らない。これを直線的でつまらない演奏と感じる向きもあるかもしれないが、元々起伏に富んだ楽想の連続ゆえ(ガーシュインの管弦楽効果も見事だ)それで十分曲の魅力を伝えるものとなっているように思うのだがいかがだろうか。バックオケもトスカニーニでなかったら雑味が多すぎてくどくなるところ、実にスマートに颯爽と振り抜けており、ガーシュイン独特の灰汁が出ずに済んでいる。レヴァントのスタイルとよくマッチした解釈表現だ。音が悪いゆえ○としておくが、この曲の演奏としては個人的にイチオシです。
○レヴァント(P)トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1944/4/2?live
これが3月2日ともされる既出音源と同じかどうかは議論がある。私は同じと思うのだが、いくらなんでも一月違いの同日ということはないだろうものの記録と照らし合わせ別録であれば45年ではないかという説もある。演奏は作曲家と縁深いレヴァントによるもので異様なテンポに機関銃のような弾き方は色艶に欠ける音楽を提示する。トスカニーニにいたってはまったくガーシュインをやるつもりはなく、グルーヴのカケラもないクラシカルな整え方で四角四面の表現に終始する。オススメはしないがガーシュインをクラシカルな方向から即物的にやるとこうなる、という意味では聞く価値はあるか。○。録音悪。
ワイルド(P)フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA)CD
うわーワイルド激ウマ。パラパラタカタカとよおくもまあ淀み無く滑らかに爽やかに弾きやがる、高速で。これじゃ往年のガーシュイン弾きもカタナシだな、と、思ったのだが・・・なぜかつまらない。聴き進めるうちに、まあもともと冗長な曲では有るが、やはり飽きてくるのである。当たり前すぎるのだろうか。ジャズ味が足りないのだろうか。ジャズ並の編曲を加えているのに、ジャズに聞こえないから、あっけらかん。うーーーーーーーー、無印。
リヒテル(p)エッシェンバッハ指揮シュツットガルト放送交響楽団(VICTOR)1993live
指揮者が弱いものの全ての音はちゃんと発音されているのである。リヒテルの詩情溢れるタッチも魅力的。しかし聞きおわって、冗長で四角四面の演奏を聞いたという印象を持ってしまう。なぜか、つまらないのである。スウィングしない。リヒテルはガーシュインのようなものを好んでいたというが、ガーシュインの自作自演盤(終楽章のみ)やレヴァントのような演奏とは一線を画し、遅めのテンポにあくまで自己流の客観的演奏を載せている。ガーシュイン入門盤にはならないと思う。
ロイ・バーギー(P)バイダーベック(CL)ポール・ホワイトマン楽団(COLUMBIA/PEARL)1928/9/15-17,10/5・CD
シンフォニック・ジャズの提唱者でガーシュインに大出世をもたらした立役者ポール・ホワイトマンの演奏である。当たり前の事だがホワイトマンはガーシュインのこの律義な協奏曲を思いっきりジャズの側に引き寄せている。目茶苦茶手が加えられており、アレンジがきつすぎて違和感しきり。薄いストリングスを全面的に管楽器で補っていて、それがまた楽曲をどんどんクラシックからかけ離している。クラシック的に言うならばホワイトマンはじつに素っ気無い指揮ぶりで、こだわりなく速いテンポでさっさと曲を進めてしまう。楽団は音色(とアレンジ)で何とか起伏を造り上げている、といった感じ。1、3楽章はとにかく速くて揺れない。思い入れとかそういったものはシンフォニック・ジャズには不要、とでも言わんばかりの指揮ぶりだ。一方、2楽章は冒頭から思いっきりジャズの音色で責めてくる。これはちょっと聞き物である。ガーシュインのアンダンテはダレるのが常道だが
(ほんとか?)、ここではジャズ的な吹き崩しと「うにょーん」という音色の妙味が最後まで耳を捕らえて離さない。ジャズをよく知らない私も、これはジャズだなあ、と思うことしきりだ。決してクラシック畑の人間には出来ない芸当が聞けます。差し引きゼロということで無印。2楽章から終楽章へはアタッカで雪崩れ込むが、余りに自然でびっくりする。録音は比較的いいです。
カッチェン(p)ロジンスキ指揮ローマRAI管弦楽団(CDO)LIVE・CD
いくぶん大規模でクラシカル指向な曲であるせいかラプソディよりは聴ける演奏だ、でもカッチェンは余りに堅苦しすぎる。これとマントヴァーニ楽団の演奏の違いにまずは瞠目すべしだ。同じソリストで、こうも違うものか!ロジンスキのオケもちゃんとジャズ奏法を取り入れているのに、ノリが違いすぎる。スピードが違いすぎる。遊び(アレンジ?)が違いすぎる。すべてが娯楽的音楽のために、スポーツ的快感のためにできているようなマントヴァーニの曲作りに対して、カッチェンものびのびと、技巧を駆使してやりきっている。もちろんスタジオとライヴの差もあろうが、この曲はやはり、ジャズなのだな、とも思った。クラシカルなアプローチには、限界がある。正直この駄々長い曲をこのアプローチで聞かせるのはうまいとは思うが、飽きた。無印。ほんと面白いし巧いよマントヴァーニ!スケール感もバンド特有の狭さが録音操作でカバーされていて、スウィング、スウィング!遊び、楽しんだもの勝ち!音色どうこうはあるけれど、起伏に富んだ表現力は初心者を夢の世界へいざなうでしょう。あ、ここロジンスキ盤の項目か。
◎カッチェン(p)マントヴァーニ楽団(DECCA)CD
迫力!興奮!これに尽きる。夢と憧れの時代の音楽!美しい。楽しい。ものすごく、速い。ジャズ人間の書いた曲はやはりジャズ流儀で映えるものなのだ。オケの大編成が寧ろ大げさに思えてくるほど。そのほかの賛辞はロジンスキ盤の項目参照。木管がジャズそのもの。ああ、この時代に生まれたかった。ものすごい力感の終楽章にも唖然。う、うますぎる。音色なんてどうでもいい、スピードとリズムと力がすべてだ。「スピード」プロコのこの言葉はかれの3番よりこのロシア系移民の長大な曲にふさわしい。長大さはスピードが前提にあるのだ、ロシアの曲が長いのは速くて解釈された演奏を前提にしてるからだよ。とにかく、これは極致の演奏。◎以外ありえない。モノラルだけど、モノラル末期はステレオなんか比べ物にならない密度の濃い音が詰め込まれているからね。ハデハデ!史上最高の派手な演奏、史上最強に集中力の高い演奏です。カッチェンはバリバリ系の弾き方をすると味はないが男らしい打鍵に胸がすくなあ。。
○リスト(P)ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD
超即物的な演奏で、まったく一直線に感情のなめらかな動きは一切なくただドライに高速で突き進む(ピアニストも同じだ)。あまりにきっちりしすぎており、反してオケはあまり上手くなく、正直まったく惹かれなかったのだが、全くジャズではないながらもクラシカルな趣も皆無な独特さと単純にデジタルな力強さ、クライマックスの畳み掛けるような迫力だけを買って〇としておく。ある意味大人の味わい。
○ワイエンベルク(P)プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI,DUCRET THOMSON)
ワイエンベルクは技巧派であるがプレートルの爽やかな音にのってここではクラシカルな演奏をきちっと仕上げている。音が軽いのはレーベル特有の録音によるものだと思うし、その点でジャジーな雰囲気がまったく感じられないのはいたしかたないが、brilliantで出ている若手室内吹奏団とのガーシュイン新録を聴いてもダニール・ワイエンベルグはややガーシュインにかんしては引いた演奏を行うようにしているようだ。プレートルがもともとそういう透明感を重視した引いた演奏をするというのは言うまでもないが、ただオケがけっこうアグレッシブであり終楽章のドライヴ感はなかなかのものである。ワイエンベルクもここぞとばかりに弾きまくりアレンジもものともしない(即興的な面白さのないアレンジではあるが)。スピードがあるのでたとえばスラットキンのVOX録音集成に入っているものよりは余程に魅力はあり、人にも薦められる。リヒテルのような珍妙なクラシカルさは無い。○。楽しめます。
○クルト・ライマー(P)ストコフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団(SCC:CD-R)1972TV放送用録音
クルト・ライマーは一部で著名なピアニスト兼作曲家だが、映像は自作自演の協奏曲のみでこちらは余り明瞭ではないモノラル録音のみである。ストコフスキのガーシュイン自体が珍しく、小品編曲の非正規録音しか知られていないのではないか。ストコフスキらしさは全般にわたる改変(同曲自由に改変されるのが普通でありまたソリスト意向が強いと思われる)、あくの強いソリストに付ける絶妙な手綱さばきと最後のストコフスキ・クレッシェンドにあらわれてはいるが、けしてジャズ風には流さず比較的実直な解釈をみせており(ソリストは一部ジャズ風にリズムを崩しテンポを揺らした結果オケと齟齬を生じている)、クラシック演奏のスペシャリストとして意地をみせている。
というわけでストコフスキよりライマーの素晴らしい腕とイマジネイティブな表現を楽しむべき録音であろう。レヴァントに近い即物的なテンポでぐいぐい引っ張り、諸所楽しげな遊びを織り交ぜている。ただけして硬質の表情を崩さない。細部まで明確なタッチにもスタンスはあらわれている(事故はあるけど)。スタジオ録音のため即興性が薄まっているところもあるとは思うが、ガーシュインをあくまでクラシック側から表現したということだろう。曲がやたらと冗長で、それがそのまま出てしまったのは裏返しで仕方ないか。わりと攻撃的な演奏ではあるけれど。○。
◎ペチェルスキー(P)コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya)LP
ナイス攻撃性!いやコンドラシンではなくペチェルスキーのぐいぐい引っ張っていく勢いと鋼鉄のタッチ、そしてこの曲には珍しい自在なアレンジ(ジャジーでもクラシカルでもなく、ライトクラシック的、といったら最も適切か)に拍手である。録音もモノラル末期の聴きやすい安定したもの。コンドラシンは余り精彩のみられないものばかり最近は聴いていたがゆえに、ペチェルスキーと丁々発止でやりあうさまにも感銘を受けたことは事実だ。オケもノリまくっており完璧に噛み合ってこの「大協奏曲」を盛り上げている。リヒテルのような間延びしたクラシックのスケール感を目するでもなくジャズ系の人のやるようなアバウトで刹那的な快楽もあたえない、しかしガーシュインが協奏曲という題名をはからずも付けて内心望んでいたのはこういう完全に融合した境界線音楽じゃなかったのか?アレンジが冗長な曲を更に冗長にしてしまっている部分も正直あるし、違和感を感じなくも無い。しかしこれを聴いて私は今まででいちばん、「この曲そのもの」に対する座りの悪さを感じなかった。ちゃんと聴きとおせただけでも、◎を付ける価値が十分にある。いや、ほんとこの曲って難しいですよ。ジャジーにやるにしてもきちっと時系列に音符(コード)の並んだ楽譜があるだけに思いっきり崩さないことにはうまくいかない、しかしそれじゃオケ側がついていかない。必然的にオケを縮小してビッグバンド並にしなきゃならない、それが自作自演抜粋盤だったりもするわけで、それはそれで面白いんだけど、「協奏曲」と名づけられてるからにはここまで大オーケストラをバックに、クラシカルな技巧の裏づけも持って弾きまくらなきゃ。感傷やロマンは薄いかもしれないけどそんなの誰だってこのての旋律音楽でやろうとすれば煽れるものなわけで、異論封殺。◎。 ちなみにこのレコードは流通元がとっくに決済の終わった最後まで送付を渋り、状態が悪いからいいもののコピーを送るなど言い放ってきたりもして(大嘘だった)、結局半年かけてやっと手元に届いたものです。そこまですると思い入れも違うすね。CDじゃ出ない音だ。
○ソシーナ(P)A.ヤンソンス指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP
冒頭の太鼓が抑制されすぎだって?ここで大見得を切るのがそんなにかっこいいか?事実この演奏はかっこいい。何がかっこいいって、ジャズにおもねることなくあくまでロシアン・シンフォニーの演奏スタイルで突き通したヤンソンス父がかっこいい。オケもかっこいい。ジャズなど眼中に無い。クラシック流儀で・・・まったく自分達のスタイルを崩さず譜面+解釈だけで・・・最後までやりきっている。ピアノも全くクラシカルで乱暴さの微塵も無い。でも、これはロシアの演奏だ。そういう理念だけのこまっしゃくれた演奏は新しいものにはいくらでもある。この演奏の凄いのはそういうクラシックの形式にはまった解釈と一糸乱れぬ統率力のもとに、奏者それぞれが力いっぱい演奏しきっていることだ。音楽の目が詰まって隙が無いのだ。型に嵌まるということがオケによってはこういう新しい効果をもたらすのか、と瞠目した。ブラスのロシア奏法だって(ヤンソンスだから抑制気味だが)あたりまえのように嵌まって聞こえる。とにかくこの演奏には血が通っている。クラシカルな人たちがよくやるようなスカスカで音符の間に風の通るような演奏ではない。こんな楽想の乏しい長ったらしい曲はジャズ「風」に崩していかないと(アレンジしていかないと)弾いちゃいられないはずなのに、彼らはこの曲を国民楽派のクラシックと同様に強いボウイングとあけすけに咆哮するブラスで楽しみまくっている。それだけなら緩徐主題をデロデロに歌いこんで瓦解していくスヴェトラの穴に落ちるところだがヤンソンス父はメリク・パシャーエフ的にきっちり引き締める指揮者だからそこでも決して緊張感を失わずに聴く耳を離さない。この人らしいところだが雑味がきわめて少なく、モノラルだし雑音は多いが私の厚盤では音にふくよかさがありデジタル変換して聴いても素晴らしく聴き応えのある低音のゆたかな音になっている。ちょっと感動しました。この曲をちゃんと聴きとおせたのは久しぶりだ。さすが20世紀音楽のロシア内における稀なる解釈者!録音マイナスで○としておくが、◎にしたい気満々。
○シーゲル(P)スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD
これは楽しめる。スラットキン盤の緩やかなテンポと透明な響き、整ったリズムを彷彿とさせるスベトラ・スウェーデンのガーシュインだが、よそよそしさを払拭するようにソリストがガーシュインらしさを発揮して、流れをいい方向に持っていっている。ソリストとオケのリズム感に齟齬を生じたような場面もあり、二楽章ではずれて感じるところもあるが、逆に二楽章が一番印象的であり、遅いテンポがリヒテル盤の鈍臭さに近いものを感じさせる三楽章、おなじくリヒテル盤と似て冒頭から重々し過ぎるも、途中からノリが俄然よくなり破裂するようなスベトラフォルテや自在なテンポ変化が驚かせる一楽章とあわせて、聴く価値はある演奏になっている。○。
~Ⅲ(エリオット・ジャコビ編)
◎作曲家(P)他(PEARL)1933/11/9ルーディ・ヴァレイ・ショー放送LIVE・CD
それほど良く回る指とは思えないのに、流れ良く音もパラパラとカッコ良く、非常に魅力的な演奏ぶり。さすがガーシュインと言うべきか。演奏的にそう巧い類のものではないのだが、どこか物凄く惹かれるところのある演奏で、思わず◎をつけてしまう。また、木琴やペットの赤銅色の音色!アンタッチャブル!て感じ(わけわからん)。とても魅力的だ。オーケストレーションは小さくスタジオ楽団向きに変えられているが、ヴァイオリンとかも薄いながらもしっかりした奏者が担当していて不足は感じない。それにしてもガーシュインは幸せになる音楽を書いたもんだなあ。ちょっと暖かい気分になる曲です。この放送ではI GOT RHYTHM変奏曲も演奏され録音が残されている。共にパール盤が初出。途中で一端音が途切れるが、恐らく録音の継ぎ目だろう。