湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ガーシュイン:歌劇「ポーギーとベス」による交響詩

2016年09月26日 | アメリカ
◎イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP

最初オネゲルかと思った。シンフォニックな演奏ではあるが要領を押さえた見事な解釈ぶりで聴かせる。珍演奇演を求めるならお門違いだ。イワーノフはガウクとスヴェトラにはさまれて損をしているが、オケの特質を損なわずに一本にまとめあげる名人で、意外と国外モノにそのテクニシャンぶりを発揮する。この録音は中でもかなり上手く出来上がったもので、各パートの地力を引き出しながらも強い求心力でグイグイとドライヴしてゆく。メドレー集にもかかわらず一貫した起伏ある流れが出来ていてまるで一大交響詩そのものであり、ノリもまとまりもいい上にソビ響各楽器の素晴らしい音色表現も抜かり無く堪能できるから嬉しい。スヴェトラには出来ない洗練されたわざだ。のっけから木管楽器のように歌うペットにのけぞらされるがブラス陣の圧倒的な力強さ上手さは奏法のローカリティを越え、ロシア系移民の子ガーシュインはまさにこうあるべきなのだという説得力をもって迫ってくる・・・いや、決してガーシュインをロシア側に引き寄せたような演奏ぶりではなく、ジャジーな香漂う喜遊的で色彩味溢れる演奏ぶりで、これなら笑われるまい、という満足げな確信まで聞き取れるのだ。弦楽器の充実した音にも傾聴。リズムが極めていい。冒頭書いたように、弱音部の響きも面白い。イワーノフならではというか、スクリアビンなど現代前夜の作曲家の表現を思わせる。クラシカルな世界でいう印象派的な響きを鋭くとらえ、行き届いた配慮で隙無く聴かせる。最近何度も聞きたくなる音盤はほとんどないのだが、これは何度聞いても気持ちいい。名演と言っていいだろう。ソビ響を暴走させずにここまで完璧にドライヴできたイワーノフという(ロシアらしからぬ)弛緩を知らない指揮者の存在を、世は再び見直さなければなるまい。◎。モノラルが惜しい。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆グリエール:交響曲第3番「イリヤ・ムーロメッツ」

2016年09月26日 | グリエール
〇ラフミロビッチ指揮ローマ聖チチェリア音楽院交響楽団(EMI)1949/3ローマ・CD

初録音盤とあるがアメリカ初演者ストックもストコも部分又は短縮版ではあるが戦前に既に録音を遺している。この指揮者は比較的若くして亡くなってしまったので余り知られていないが、アメリカ20世紀前半における俊英の一人としてそれなりに名のある存在である。ロシア出身であり極めて少ない録音記録のほとんどがロシアものである。キャピトルに遺されたのは何れも聖チチェリア音楽院管との録音で、結局イタリアからの帰途の船上で亡くなったためジブラルタルをのぞむ場所に葬られることになったのだが、このオケには珍しいレパートリーは演奏史上独特の位置を占めるものといえる。

演奏スタイルは剛速球型でガウク的な突っ走りかたが楽しいが、復刻によってはその力感が伝わりにくい。何せ元が戦中戦後の古いものであるから復刻のさいの雑音除去によって生々しさが大きく害われかねない。このCDはまさにそのたぐいのものであり、できれば音量を最大にして短距離走的な烈しく揺れないスピードや2楽章のむせ返るような弦の音色の饗宴に耳を傾けていただきたい(イタリアのスクリアビンってこうなるんだ!)。颯爽としたテンポは感傷がなくスマートで清潔、だが力強く推進する音楽は、トスカニーニとも違うロシアの荒々しさを(人によってはだらしないと言うかもしれない縦の甘さ含め)内に秘めており、「人ごとではない」思い入れも意外と感じさせるところがあり、なかなか聞かせるのだ。歌心は輝かしさを放ちイタリアオペラでも演歌でもない美しい命を感じさせる。線の細い音が曲の迫力を減衰させている面は否めないが、非常に構造的に演奏しているため薄さは感じない。対位的な動きを鮮やかに浮き彫りにしてみせた3楽章後半は聞きものだ。短縮版を使用しているため物足りなさを感じるところもあるがこれも演奏の余りの充実ぶりの裏返し、もっと聞きたかった、である。響きの凝縮ぶりはモノラルだからというだけではない。曲への理解の深さと高度なテクニック、コントロールの上手さ、アメリカの指揮者と言って馬鹿にしたら損をする。この指揮者がタダモノではなかった、ということ、もっと円熟した演奏を(いささか一本調子で飽きる箇所もある)、いい音で聞きたかった。〇。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽

2016年09月25日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1957/7/27タングルウッド音楽祭live

「マス」で押し切るタイプの演奏で、「組物」をスリリングに聴かせるタイプでは無い。オケ総体の異様な勢いで(もちろん最低限骨格は組み上げた上で)アンサンブルガーと言う口をつむらせてしまう、いつものミュンシュである。といっても始まる直前なのにオケが異常にさらっている音が聴こえてきて、この曲の難曲ぶり、さらに個々の奏者のレベルの高さもちょっぴり伺い知れる。バルトークは巧妙にマニアックで特殊な書法を隠すから前衛っぷりが見えにくいのだが、1楽章(ミュンシュは重い響きでいきなり聴かせにくる)みたいなロマン性を持たない緩徐楽章である3楽章では、弦のポルタメントやピアノや打楽器の散発的な音などクリアにひびき、バルトーク独特の抽象世界がちゃんと展開されている。四楽章は冒頭から少しテンポが遅めに感じる。厳しいアンサンブルを要求されるここではどうしても乱れが目立ってしまうが、もう押し切って盛大な拍手。

残念なのは録音が悪いこと。ノイズ塗れなのはDAにはよくあったことだ(DAもSLSも「音が良い」と喧伝する向きには注意、これらは一般的な意味で音が良いとは言えず、ノイズ込みの「情報量が比較的多め」と言うべき代物だ)。一応ステレオであるものの分離は悪く(そも昔のステレオ放送なんて「単焦点」みたいな感じでしたね)、高音域が伸びず終始こもってそこに常に放送ノイズが乗り(エアチェックだろう)解像度が悪い。複数種類のノイズが不規則に重なっているため調整でどうにかできるものでもない。音源の希少性だけの価値と言っておく。音の情報量はこちらのほうが上にもかかわらず、聴きやすさではSLSの別録音のほうがましかもしれない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ブリテン:左手ピアノと管弦楽のための主題と変奏

2016年09月25日 | イギリス
○ラップ(p)コンヴィチュニー指揮ベルリン放送交響楽団(MEMORIES)1951/10/21studio・CD

驚くほど音のよいステレオで板起こしぽい撚れが一箇所目立つほかは問題ない。ちょっと茫洋としているのも板起こしのせいだろう。線的で非構造的なブリテンの静謐な世界をどう描くのかといえば、ほとんど室内アンサンブル曲のように音の少ない曲であるだけにコンヴィチュニー的なものは感じられない。技術的に厳しく律している程度である。曲はシニカルだが感傷的な旋律でひたすら綴られていく、いかにもブリテン的な単純さを持ち味としており、諸所に美質はかんじられるがとくにすぐれた作品というよりはブリテン後期の典型に近くショスタコを平易にしたようなかんじ、といったところか。ブリテンが苦手なワタシはとても聞きやすかったのですが。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラヴェル:ピアノ協奏曲

2016年09月24日 | Weblog
フランソワ(P)プリッチャード指揮ORTF(EMI他)1964/12/22live・DVD/BD

EMIから膨大な数の「名演奏家シリーズ」の一枚としてDVD化されていたが(フランソワ版は二枚)、EMIの権利が他へ流れた結果、わずか3,4枚のブルーレイにオマケ付きでまとめられた。そのピアニスト編の一部として現役。白黒モノラル、画質も良くないが、あんな高いところからよくまあ打鍵できるなあ、左手がカマキリ拳法状態で交差、といったフランソワ独特のスタイルを楽しむことができる。はっきり言って軋みっぱなしでフランソワは走ったり端折ったり、でも強靭に押し進めてきわめてハッキリしたラヴェルを打ち出してくる。なぜかイギリスの指揮者という映像だが指揮者の奮闘ぶりよりむしろ何か焦りすら感じずに平然とズレたりするオケが面白い。いや事故ばかり論ったらしょうがない、二楽章の即物ぶりはともかく音色は明快なフランスのそれ、フランソワが同曲を得意としていたのはわかるし、ライヴとしては十分な精度は保っていると思うし、マッチョラヴェルを好むなら観て損はない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」組曲

2016年09月24日 | Weblog
グーセンス指揮ロイヤルアルバートホール管弦楽団(HMV,victor)1923/11,1924/1世界初録音・SP

グーセンスはこの時期節操ないくらい幅のある録音を残していて、ほとんどがwebで聴けるが、いずれも「楽曲を録音した」という事実以上の価値は感じられない。仕方のないことだが編成は小さく、技術的にも素朴なものだ。同時期に録音に意欲的だったストコフスキとくらべ落差は否めないが、後年の活躍もあって人気はあるようである。ペトルーシュカ組曲初録音が初演のピエルネではなかったのは意外だったが(1927年に録音されたSPもある)、ピエルネがフランスODEONに録音しまくった時期はもっと下る。こういうものはやはりイギリスが真っ先にやったということだろう。ロイヤルアルバートホール管弦楽団というのもエルガー自作自演で知られる名前で、技術的にどうこういうほど録音が無く、かつ録音用に編成を絞ったこの時期のものしか無いから、何とも言えない。この演奏冒頭ではあんまりにもバラバラなさまにガックリする。だがしかし、何故か部分部分によって出来が極端に違ってくる。弦楽器があんまりにもメロメロな音色でノンヴィヴなメロディを奏でる一方、ポリトナルに重なる別の声部がじつにしっかりしていたり、あるいはポリリズムが現れる場面では全くバラけた感じが無かったり、上手いんだか下手なんだかわからない。グーセンスはかなり後に派手なペトルーシュカを録音しており、ストラヴィンスキーの管弦楽の特色を活かしたその色彩感の萌芽は現れていると思う。部分的にはオススメの録音。部分的にはまるでだめ。機会があればどうぞ。もちろん編成が絞られていてまるで兵士の物語のような軽音楽的に響く打楽器など、同曲の録音としてはおおいに難あり。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番

2016年09月24日 | Weblog
ジャニス(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1957/12/29・CD

悲愴の録音を思わせる押せ押せスタイルで迫力はあるにせよ、乾燥しているというか、ソリストもそうなのだが、ロマン派音楽を設計して構成して聴かせるというより、現代モノを譜面の通り即物的に音にして流している、という感じがして、引っ掛かりがなく、さらっと聴き流せてしまった。2番をやらなかったのも、3番がただ技巧的で時代の要請もあったから、にすぎないのか。ミュンシュが他にラフマニノフをやらなかったのもわかる気がする(同曲だけは同じジャニスとクライバーンのライヴ録音が残っている(各SLS,DAないしmelusine、未聴))。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メシアン:世の終わりのための四重奏曲

2016年09月24日 | Weblog
ユゲット・フェルナンデス(Vn)ギイ・デュプル(Cl)ジャック・ネイルス(Vc)マリー=マドレーヌ・プティ(P)(erato/warner)CD

大人しい。慎ましやかな祈りの音楽で、穏やかに包み上げられている。技巧的にもそつがなく、静か。物足りないと思うかこういう音楽だと思うかは人それぞれだと思う。今はワーナーのボックスにまとめられている。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2016年09月24日 | Weblog
ロストロポーヴィチ(Vc)ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団(SLS)1965/10/23live

モノラル。URCより70年代ライヴというものが出ていたが同一か不明。熱演とか凄演とかいった類のものではない。ただ、ロストロポーヴィチのドヴォコンを色々聴いてきて、ソリストとオケの融和的で、最もバランスの取れた格調高い演奏だと思う。ラインスドルフは知られる通りきわめて職人的である一方、奇妙な改変や解釈によってついていけない指揮者というイメージもあるが、それは作曲家指揮者の特徴でもあろう、曲によってやり方を明確に変えており、しかし一度決めた以上は徹底してそれに沿いオケを整えるのが流儀だ(これが逆に詰まらない結果も産むがライヴだと幾分緩んで却って良い)。ここでは変な解釈は入れていない。中低音域の安定感からくるスケールの大きさ、各声部の凝縮されたさまときっちりしたアンサンブル、それはソリストを迎えた協奏曲においてはとても良い方向に働くように思う。あのロストロポーヴィチですら指揮者に制御されているんじゃないか、という局面もあるが、ドヴォルザークが昔ながらのヴィルトゥオーゾ向け協奏曲というより、ここに来てもブラームスのお鉢を継いだ交響音楽として作り上げた作品だったんじゃないか、というくらいボリューミーで聴き応えがあり、ロンドンでのスヴェトラとの凄絶なライヴと対極の音楽で興味深い。私はどうしても弦楽器中心で聴いてしまうのだが、ここでは管楽器が印象的だった。オーケストラの中での声量バランス、ニュアンスへの配慮が行き届き、例えばバルビローリの管楽器指示がヘタクソ、というのがよくわかる(バルビにドヴォコンは無いが協奏曲伴奏指揮者として名を挙げた人である)。録音は放送エアチェックで、ノイズが酷過ぎるが、SLSではマシな方。キッパリとした終わりに爆発的なフラブラで終わるから、やはり佳演なのだ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サティ:バレエ音楽「パラード」

2016年09月23日 | Weblog
ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1967/2/15(1968/2/15?)放送live

同曲の古典的名盤で知られるロザンタール/フランス国立放送管弦楽団によるライヴ録音。一緒に黛敏郎の饗宴も演奏されている。これはまったく、セッション録音と変わらない。演奏精度はもちろん、何しろサティだから、手の加えようが無いわけで、ライヴだからどうだというところだ。率直に、サティ的にやろうとしたら解釈の余地が無いのであり、相変わらずデジタルに極端な楽想の羅列で、ゴツゴツした冒険的書法も無い後期作品(パロディ風味なので意図的なゴツゴツは(冒頭の乱暴なブラスなど)ある)、ロザンタールは客観的に整えたような和声重視の精妙な器楽的表現とキッチュにドガシャーンとやる派手な舞台音楽的表現を、当意即妙に使い分けて効果的に仕上げている。この音楽は簡素きわまりなく、だから逃げようもないのだが、音符も少ないから、一度理解すればオケはブレようもない。安心して聞いていられる。非常に「フランス的な」明るい演奏。拍手は普通。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆バーバー:ヴァイオリン協奏曲

2016年09月23日 | アメリカ
○ポッセルト(Vn)クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC)1949/1/7改訂版初演live・CD

pristine配信音源。すさまじいソリストの迫力とそれにひけをとらないオケの集中力に圧倒される。正直後年の同ソリストの録音よりもバックオケのぶん秀でている。とにかくこの曲は新古典で平易だからこそ表情付けがわざとらしくなってしまいがちで難しい。その点まったく心配なし。この時代の流行ともいえる押せ押せわっしょいの演奏様式のうちにありながらも、恐らく改訂版初演という理由もあるとは思うが厳しく緊張感が漲り、クーセヴィツキーって腕よかったんだ、と今さらながら気づかせるオケやピアノの操りぶり、ソリストとがっちり組み合って決して離れない、まさに協奏曲の醍醐味である。録音もよくレストアされている。心底からのブラヴォが飛ぶ、○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ラヴェル:スペイン狂詩曲

2016年09月23日 | ラヴェル
○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COLUMBIA)SP

初演者による記録だがピエルネの指揮の特徴である硬直したテンポとリズムがここでも気になる。オケには素朴なロマン性が生きているものの、解釈には正直人工的なところが否めず、モントゥの無難な録音のようなところもあり、そそられない。SP盤特有の無茶な末尾カットや裏返し断裂がどうしても気になる点含め、とうてい◎ではないのだが、これもまたピエルネの特徴である、しんとした和声のうつろいを聴かせる場面では整理され磨かれた硬質の響きが時代性を越えて印象的な表現に昇華されている。ドビュッシーの雰囲気音楽に適性があったのもさもありなん、ラヴェルにおいては理知的な演奏ぶりが効を奏していると言うべきだろう。○にはしておく。録音にSPに期待されるような明晰さや強さが足りない部分も大きい。盤のせいか。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽

2016年09月22日 | Weblog
ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1969/3/26 放送live

整えに走ってしまったか、という感じはする。それは二楽章の遅さに現れているが、ロザンタールは師匠ラヴェル作品のセッション録音を聴いても元々そういう解釈をするところはあり、響きが明るく軽く綺麗に整えられ抒情味すら醸す後半楽章には魅力を感じなくもない。曲自体の内包する要素を薄く延ばしてしまったような、構成が散漫な印象だが、四楽章は冒頭ピチカートよりバラケずしっかり構築されている点(編成が小さい可能性大)、聴き応えのある部分も。拍手はごく普通。録音が良好で特にピアニストは粒立って光っている。全楽章ある。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バルトーク:弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽

2016年09月22日 | Weblog
シェルヒェン指揮スイス放送管弦楽団(tahra)1954/10/23live・CD

三楽章の尖鋭な響きの交錯にシェルヘンの本領を聴いた。一楽章ははっきり言ってパッとせず、二楽章もシェルヘンにしてはキツイ表現もなくそれほどバラケもせず、良い意味でも悪い意味でも期待値を満たさなかったが、現代の目から見て技術的にはどうかわからないが、比較的よく音像が捉えられているせいもあってか、前衛的に美しく、説得力がある。四楽章はさすがに冒頭のもともと無理のある弦楽器はバラケ感を感じさせるが(シェルヘンらしい極端な表情付けによるバラケはこの後やっと出てくる)、同曲らしい激しさが増してくるとギリギリ縦のズレない程度にいつもの強い調子で、若干ドイツ臭く重厚なロマンチシズムも交えながら、もちろん今の演奏様式からすれば古風なんだろうが、当時としては斬新であったろう表現主義的な解釈のもと、きちんと構成感ある演奏に仕上がっている。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:交響曲第3番

2016年09月22日 | シベリウス
○カヤヌス指揮LSO(FINLANDIA)1932/6・CD

この時代の録音とは思えない生々しいクリアな音で、雑音はつねに入るしバランス調整やリマスタで改造された結果かもしれないが、それでも迫力ある演奏ぶりには驚かされる。力感にあふれ一糸乱れぬアンサンブルは直入型と言ってもクーセヴィツキーのような直線的なものではなく適度に機微を表現しながら速めのテンポでかっこいい流れを作っていく。まとまりのよさと胸のすくような展開には思い切り引き込まれる。オケも上手いし、強い!ヴァイオリンの総体としてのあまりの力感がほつれを呼ぶ部分も若干あるが、実演では聞こえないレベルであり録音のせいだろう。モノラル録音はそれだけで実際以上の凝縮力を感じさせるものだが、これは元々の極めて練れた解釈とテクニックによるところも大きいと推察される。やはり両端楽章がききものだが静かな場面での特に木管の自然だが巧緻な表現も捨て難い。やや即物的なきらいがありファンタジーに欠ける(三楽章の勇壮な主題が最初にさりげなくたち現れるところなどそれとわからぬようにサブリミナル的にそくっと入って次第にそれまでの主題を凌駕していくスムーズな松葉が欲しい)ところもあるが、無垢のまま聞いても十分堪能できるだろう。一楽章の弦の特徴的な下降音形の四回繰り返しに田舎ふうの牧歌的な旋律がかぶさるところなど昔はマーラーのタイタン1楽章を想起したものだが(たんに途中の音形と重厚なハーモニーにほとんど同じ部分があるだけのせいという気もするが)そういうイマジネーションは湧かない。純粋に古典的なサクサク進む演奏なので印象派的なシベリウス好きには物足りないかもしれないが、シベリウス盟友の演奏としても聞く価値はあり。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする