湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ワグナー:ニュールンベルクのマイスタージンガー序曲

2016年11月25日 | ドイツ・オーストリア
○フィテルベルク指揮ロンドン・フィル(DECCA他)1940年代ロンドン

フィテルベルクはポーランドの歴史的指揮者。シマノフスキらと「若きポーランド」のメンバーとして国民主義的立場から指揮作曲両面で活躍していたが、第二次大戦の戦火を逃れるように南米からアメリカにわたり、戦後数年にわたりロンドンでdeccaに録音されたうちの一つがこのワグナーである。知るうちにこれをCD化した記録はないがwebでは有料配信されており裏青もあるかもしれない。SP時代より繰り返し録音されてきたワグナーの通例としてやや編成を絞っているようにきこえる(この曲は1stヴァイオリンがやたら薄く聞こえるので一際気になる)。フィテルベルクによる編曲という表記もあるが曲構成は変わらないのでそれほど問題にするものではなかろう。リズムよくきびきびと進むさまは軽快ですらあり、喜遊的なものが感じられる。若干音場は狭いが旋律と対位構造はしっかり聞き取れるので同曲の魅力は十分に伝わる。軽く流し聴きするにはすばらしく向いている。○。
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☆イベール:三重奏曲(1944)

2016年11月24日 | Weblog
○ジャメ(H)サンチェス(Vn)デジェンヌ(Vc)(ERATO)1963/1

マリ・クレール・ジャメ五重奏団名義の演奏。この類希な音楽の宝石に対して、ジャメのハープの繊細な響きとこのアンサンブルのノーブルな雰囲気がやさしく溶け合い、そっと輝きを加えている。ヴァイオリンの音がやや率直(リアル)すぎるきらいが有り、ラスキーヌ盤のヴィア・ノヴァのセンシブルな演奏にくらべいくぶん落ちるように感じられる。3楽章の無窮動的な律動はやや速めで、そこにジャメのきらめくような美音が降りかかってくる。中間部で印象的な重音のグリッサンドが全部バラで演奏されている(ヴァイオリンもチェロも)のに少しびっくり。けっこうあっさり味である。モノラル。最後に、ヴァイオリン手抜いてるところあるぞ・・。 ,
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☆ラヴェル:ダフニスとクロエ第二組曲

2016年11月24日 | ラヴェル
○フルトヴェングラー指揮BPO(BP)1944/3/20-22・CD

ベルリン・フィル自主制作盤より。クレジットは若干違うものの恐らく既出盤といっしょだが、かなり残響が加えられリマスタリングが施されて、極めて聴きやすくなっている。丸みのあるリマスターなのでデジタル独特のエッジも気にならない。擬似ステレオと聞きまごうほどの手の入れ方には問題あろうが、フルヴェンの真の姿に近づけようとした一つの試みとして聴くならば、それは成功である。重くて場違いなモノトーンの興奮、という印象は覆される。ドイツ臭さすら余り感じられない。イギリスオケ的にすら聞こえてしまう。盛り上がりはトスカニーニ的といってもいいのではないか。全員がちゃんと踊っている。興奮します。ファンなら◎。私は○。過度なリマスターは気になる。
Comments (4)
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ブラームス:交響曲第1番

2016年11月24日 | Weblog
ロジンスキ指揮NYP(SLS/columbia)1945/8/2-22・CD

原盤はテストプレスで実際に発売されたものではない模様(流通しているものは録音年月が違う)。状態は推して知るべし、ノイズにまみれボロボロで、SLS直販のCD-Rでも日本焼きCDでもまったく差はない。ロジンスキにしては直線的な推進力のみならず粘り腰の表現もきかれるが、世界史的にきわめて重要な時期に行われた録音~広島長崎への原爆投下と第二次世界大戦終結~だという特別なものは一切感じられない。いつものロジンスキスタイル、というか重量感の無い録音のせいかむしろ軽さすら感じさせる即物的なものだ。四楽章冒頭からなどいつもの引き締まった筋肉質のスタイルが緩んでいるように聞こえる。これはオケのせいだろうとは思うが、音は美しい、技術もそれなり、でもどこかよそよそしい。ブラスが音を重ねつらねヴァイオリンの主旋律に入るまでのくだりは、音がぜんぜん重なった感じが無く、数珠つなぎに吹いているだけで、何の盛り上がりもない。録音のせいと思いたい。弦楽器はたかまりを伝えてはくるし、木管も綺麗でうまいが、中音域以下があまりに弱い。加えてテンポも性急に流れがちで、変な焦りがある。あのロジンスキのセッション録音とは思えない緩い演奏だ。軽々しく旋律を撫でていくだけで、戦前のSP録音かと思うような「想像力を要求される」代物。終盤でやっとブラームスらしいアンサンブルの妙味が伝わってくるものの、この曲ではそのくらいはどうやっても伝わってくるものである、遅い。思い入れとかそういうものとは無縁、ロジンスキの志向が近現代の大曲でいかに自分の棒さばきを魅せるかにあり、古典志向の曲は後期ロマン派であっても、こういうことをすることがあるのだろう。影のない、でも明るく吹っ切ったわけでもない、ただの思い入れの無い録音。太平洋戦争への痛烈な皮肉か、という皮肉を書きたくもなる。
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☆ピストン:ヴァイオリン・ソナタ

2016年11月24日 | アメリカ
クラスナー(Vn)作曲家(P)(COLUMBIA)1939/11/24・SP

駄目曲の見本のようなもので、初期コープランドに余計な中域音をどばっと注ぎ込んだような、限られた音だけを使い同じ和声をひたすら繰り返し綴っていくような、じつに暗い世紀末的駄作。ピストンの垢抜けた部分は2楽章に僅かに垣間見えるのみである。ベルクの初演で知られるクラスナーも現代音楽演奏家という枠に縛られているようなところがあり、よくこんな譜面を読むのも嫌になる凡庸な曲をそこそこ聞けるくらいまで持ってきたなあという感じ。譜面自体も難しくなさそうだけど。無印。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲(1910/13/19)

2016年11月23日 | Weblog
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(KING,OPUS蔵/NUOVA ERA他)1945/11/18放送LIVE・CD

38年盤に比べ音像が明瞭なぶん雑音も大きくかなり耳障りだ。SPを聴き馴れていればこれはそのテの雑音なので聞き流せると思う。硬質で鋭い音だから、トスカニーニの即物性がいっそう浮き彫りになっている。だがそれは決して冷たく客観的だということではない。38年盤に感じられた異様さ~まるでのどかな田園を戦車が蹂躪していくような迫力~が抜けて、ヴォーン・ウィリアムズ特有の虚無的な空気感が残っている。その虚無は哲学的なまでに響きわたり、情緒的なものが無いぶんオトナの音楽として纏め上げられている。これは随分と変わったものだ。ドビュッシーの影響やラヴェルの教唆が完全に自がものとして取り込まれ独特の清澄なロマンティシズムを醸し出すようになった記念碑的な作品だが、ロマンティックであるとはいえ曲想にはかなり悲壮感があり、暖かい響きの中にもどこか諦めに似た感情が織り交ざる。トスカニーニはたとえばバルビローリのように大きく息づくようなカンタービレは一切かまさない。バルビローリの場合この旋律の魅力をひたすらつたえ、ろうろうと歌う中に仄かに諦念を醸し出す。トスカニーニは旋律はあくまで音楽の構成要素としてきちんと整えて、高度な音楽の抽象化を施すことにより、却って楽曲そのものの持つ感傷性をむき出しにわかりやすくしている感がある。どちらがいいかは好みだが、懐の深い曲なのでいろいろな演奏があっていい。個人的には38年盤よりこちらのほうが心の深層まで染み入ってきた。○。,
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☆ロフラー:少年時代の思い出(「ロシアの村の生活」)

2016年11月23日 | Weblog
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(GUILD)1942/11/1LIVE・CD

トスカニーニのアメリカ音楽ライヴ集より。ライナーにもあるが第二次大戦へのアメリカ参戦が影響した曲選。録音は篭りがちで聞き取りづらいが、トスカニーニの響きへのこだわりははっきりとわかる。ロフラーはロザンタールの録音した曲しか知らなかったが、ドビュッシー的な曖昧なひびきと後期ロマン派的な旋律性のあいまったアメリカ印象派の範疇といったふうだ。といってもこの人はアルザス出身で東欧、ウクライナそしてフランスを放浪してアメリカにいたった人という。パリ時代が強く影を落としているように思うが、ウクライナ時代の思い出を込めた曲だという。この人は1861年生まれだが1912年に亡くなったとのことで、この曲も20年代になって初演されたという。雰囲気の軽さにくらべ主題の重量感が面白い。世紀末様式の折衷的作風と言ってもいいだろう。,
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☆バタワース:狂詩曲「シュロップシャーの若者」

2016年11月23日 | イギリス
○ボールト指揮ハレ管弦楽団(VAI)1942/3/5・CD

ボールトらしい牧歌の作り方で、ツボを押さえた演奏だ。RVWの牧歌的な曲をかなでるときの演奏スタイルである。フォルムを崩さず、テンポをいたずらに揺らさず、しかし雰囲気は抜群、かつ高い格調を備えている。同時代もしくは少し前のフランス音楽のエッセンスが、民謡主題でしかないものを汎世界的な価値を持つ音楽に昇華させた曲である。美しく繊細で比較的現代的なハーモニー、音線のうつろいは、結構ディーリアスに似たものを醸し出しているのだが、総体はどちらかというとRVW的であり、あの起伏の無い印象派的な茫洋とした雰囲気の土台に、しっかりした構成を据えた音楽になっている。ニキシュの初演リハに作曲家の隣で立ち会ったボールトは、後年同国の演奏家たちによって行われるようになった思い入れたっぷりのものとは一線を画し、地味ではあるけれども、滋味のある演奏を紡ぎだしている。特徴的なものはないが、還ってこういうしっかりした演奏は本質をよく浮き彫りにするものだ。○。
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☆ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

2016年11月22日 | Weblog
○チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル(TAHRA)1946/11/10放送ライヴ・CD

これは独特の演奏だ。ベルリン・フィルの巧さ・味わい深さにまず舌を巻くが(管弦ともに集中力が凄い)、それ以上にチェリの強烈な個性がにじみ出ている。私は何枚かの自作自演やバルビローリ盤で親しんできたが、そこで形作られたどこかイギリス的な繊細な曲という印象が、ここには皆無だ。暴力的で叩き付けるような発音、ささくれだったリズム、異様な前進力、若干の瑕疵はあるにせよ、尋常ではない何かを突きつけられ、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。2楽章ディエス・イレーは恐ろしいほどの名演になっている。3楽章レクイエム-エテルナムは天国の平安を描いた気高い音楽だが、最初ヴァイオリン・ソロの提示する何ともいえないやるせない祈りの旋律は、音像のはっきりとした録音のせいかかなりのドラマ性を打ち出している。個人的には「世の終わりのための四重奏曲」の終楽章のような消え行く祈りを描いた演奏の方が好きだが、この演奏のような「リアルさ」はいかにもドイツといった気もしなくはない。終戦の翌年、旧枢軸国ドイツで演奏された旧連合国イギリス屈指の作曲家のレクイエム、そう思うと少し感情移入したくなる演奏だ。,
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ディーリアス:ヴァイオリン・ソナタ第3番

2016年11月22日 | Weblog
メイ・ハリスン(Vn)バックス?(P)(SYMPOSIUM)1937・CD

先に譜面からやつれて枯れ落ちる曲のイメージを持ってしまったため、どの録音を聴いても快活で生命力に溢れ過ぎて聴こえてしまう。この一楽章も若々しくて、健全で、世紀末作曲家の代表格で、計算ではなく感覚的に歪んだメロディ、半音階的なゆらぎ、奇妙に重い響きを特徴とするディーリアスには似つかわしくない感じがするのは先入観だろうか。ムンクとパリのモルグに死体を見に行ったような人で、放蕩の末に梅毒に罹患し遂には半身不随にいたるも、それでも激しい性格は抑えられなかったと言われる。この作品は白鳥の歌とされるが、晩年は(その存在には賛否あるが)イエルカ夫人のみならず若きフェンビーの手を借り、極端に単純で素直な作風で、素直に涙を誘う作品を「口述筆記」した、そのうちでもとくに民謡の引用が際立ち、郷愁とともに諦念を感じさせる作品である。おそらく間違いないと言われているバックスのピアノも明晰でタッチが強めに感じられ、作曲家と交流深かったソリストの活き活きとした動き、しかしオールドスタイルのメロメロな音程感(ディーリアスで音程が悪いとわけがわからなくなる!)が非常にアマチュアっぽい印象を与えて入り込めない。録音はノイズはあるが音像はよくとらえられていて、とくに二楽章の「老人のダンス」みたいな激しくもハラハラ枯れゆく趣は出ている。特有の浮遊感ある進行に沿いひたすら旋律を歌うだけの三楽章ではさすがにその域を理解したような調子になるが(ピアノの音数も極端に少なくなる)、感傷は煽られない。この録音については、歴史的記録としての価値のみのものであろう。
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☆スクリアビン:交響曲第2番

2016年11月22日 | スクリアビン
○ロジェストヴェンスキー指揮ロイヤル・ストックホルム・フィル(bis)1972/11/26live・CD

とても聞かせる技に長けた指揮者で面白い演奏を紡ぐ職人と言ってもいい。そのため深みに欠ける場合もなきにしもあらず、この演奏も急くようなテンポで表層的なドラマ表現が目立ち、前半楽章の暗澹たる雰囲気や中間楽章の繊細な抒情などに今ひとつ物足りないものも感じるが、全体としては面白くできている。中間楽章はともかく前半楽章の暗澹たる雰囲気が至極苦手な私はいきなり楽しく聞けて寧ろよかった。初心者向けと言いたいところだが、オケがいかんせん楽譜についていっていないところが多く、録音のホワイトノイズを含めロジェストの意図を表現するに最良の状態とは言いがたい。これは曲によるものと言っても過言ではない。ワグナーへのオマージュがちりばめられた楽曲であり(1楽章前半のブラスからいきなり度肝を抜かれる人もいるかもしれない)、弦にとっては非常に弾きにくい複雑な装飾音符がえんえんと続いたり、リズムの奇妙にずれた細かい音符の多用や半音階的で独特の旋律は弾き慣れないと巧くまとまって響かせることができない。3番と2番の違いはひとえにこの部分が大きい。だからまともな2番の演奏というのは案外少ないのである。

この曲をワグネリストであるリムスキーは大絶賛しペトログラードでの評判はおおむね上々だったという。今の耳からすると豪快な楽器法や強い旋律性(作曲家ものちに恥じたあまりに恥ずかしい終楽章の旋律を代表とする)にはロシア様式が現れているし、作曲技法上の工夫、表現方法、そして与える印象は当時の最先端の音楽・・・マーラーなどの西欧音楽・・・に接近もしくは並行したものを感じさせる。何も知らないで聞くと寧ろ後者の印象が強くてロシアの曲であるという意識を持てないかもしれない。いずれ国民楽派の時代においては異端であり西欧かぶれでありながらも中間をいった異色交響曲として、マニアなら一度は聞いておいたらいいと思う。前半で寝ないこと。ロジェストが来日公演で取り上げたこともある。
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☆ホルスト:夜想曲

2016年11月22日 | Weblog
○マッケイブ(P)(DECCA)

このアルバムではRVWの曲の次にホルストのこの曲が収録されている。その差は歴然である。余りに素朴で親しみやすいRVWの民謡風音楽に続いて顕れるこの曲は、ドビュッシー的な妖しい雰囲気の中に硬質のフレーズを散りばめた、まるで異なる視座の音楽になっている。格段に複雑だ。といっても影響色濃いドビュッシーのものより、やや特異さがあるというだけで要求される技術は下るであろう。しょっちゅう変わる不安定な調性もホルストらしい尖鋭さを象徴している。冒頭は「お、夜想曲」という雰囲気なのに、進む音楽は不気味な自動機械の徹夜操業のようだ(言い過ぎ?)。でも雰囲気は満点である。妖しいといっても南欧のぬるまゆい空気の放つ妖しさではない、冷え冷えとした金属の輝きの醸す妖しさだ。決してクラ界に溢れる夜想曲の系譜において輝きを放つ作品とは言えないものの、面白いことは確かであり、イギリス好きなら聴いてみてもいいと思う。○。
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☆ワグナー:「ニュールンベルグのマイスタージンガー」~1幕への前奏曲

2016年11月21日 | Weblog
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1946/3/2LIVE・CD

オールワグナープロの中の一曲として演奏されたもの。旋律性が若干強調気味だがムラヴィンスキーの演奏と比べるとだいぶんにマトモな感じがする(ムラヴィンスキーファンごめんなさい)。オケの問題とみるべきだろう。テンポ・ルバートなどロマン派的な解釈が施される部分がいかにもオールドスタイルで特徴的だが、この時代を考えるとそれほど奇異な解釈でもあるまい。むしろそれ以外の部分ではオーソドックスと言ってもいいほどワグナーらしい演奏になっており、この指揮者のオールマイティぶりを垣間見せてくれるものとなっている。引き締まったアンサンブルとリズミカルな処理のうまさは中間部に明瞭に聴き取ることができる。後半テンポ良さが際立ってくる。クライマックスでの威厳のある足取りはこの指揮者の並ならぬ力量を見せ付ける。録音の悪さゆえ無印としておくが、クーセヴィツキーに偏見のあるかたは一度聴いてみていただきたい。そういう演奏。,
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ヒンデミット:主題と変奏「4つの気質」

2016年11月21日 | Weblog
ハスキル(P)作曲家指揮ORTF(パリ国立管弦楽団)(m&a/king)1957/9/22モントルーlive・CD

ナチからアメリカに逃れた時期の作品で、もともとバレエ音楽として企画されたこともあり、わかりやすい方の作風に依っている。弦楽合奏により奏でられる、音のズレた感じがする特有のメロディ感は、ヒンデミット独自の理論にもとづく音響工学的な観点からくるもの(と思う)、そこに「ズレの発生し得ない」ピアノを協奏的に絡ませることで芯が通り、ヒンデミット慣れしていないと取っ付きづらい作風を丸めている。作品の表題はまったく即物的なもので、主題提示のあと性格分類の四気質に沿った楽想による四つの変奏が続く。滑らかなワルツを伴う第二変奏「血液質」が躍動的で面白い。ピアノ協奏曲と扱われることが多いが、ヒンデミット自演ではピアノは技巧的パセージはしっかり盛り込まれながらも融和的で決して前面に立ち続けることはない。また、単に主題と変奏と呼ばれることもある曲で、鑑賞するさい取り立てて表題性を意識しなくてもいい。楽章間の対比の明瞭さが伝われば良いのだ。ハスキルはこの曲をよく演奏しており、楽曲内の役割もよく理解して、シャープなヒンデミットの指揮にあわせている。太くも明瞭な発音で些かのブレもなく緩急付けて弾き続ける。オケのコンディションも良い。自演はいずれも私の知る限り戦後、orfeoにバイエルン放送交響楽団と(同じハスキル)、他1955/8ないし10にベルリン・フィルとのものが残されている。ほどほどの長さと職人的な面、何より表題の珍奇さが評価されたのか、演奏機会は多い方である。
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☆バーバー:弦楽のためのアダージオ

2016年11月20日 | アメリカ
◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1938/11/5初演live

日々湯水のように音楽を浴びる私でも心底感銘を受ける演奏に出会うのは半年に一度あればいいほうである。これは以前紹介した同じDAのライヴ音盤ではカットされていた曲目で、一緒に演奏されたエッセイ第1番のほうは既に書いた。だが、これが素晴らしい。初演というのは後世の演奏スタイルとの違和感を感じさせることが多くある。これも味付けが濃く分厚い音響に貫かれ、透明感の重視される後世の演奏とは違った、かなり「強い」調子の演奏ではあるのだが、トスカニーニの作り出す強靭な流れ、という他に特徴的な「ドライさ」が感じられない。まだせっかちな老年スタイルに至っていないせいもあるのかもしれないが(時期的には完全に即物スタイルだが)オケがひょっとすると「トスカニーニのカンタービレ」という枠を超えて、自国のこの上も無くロマンティックで悲痛な曲に対し濃厚なスタイルを指向した結果生まれた表現なのかもしれない。

クライマックスの叫びはこの曲本来の(原曲の)「祈り」、という生易しい形式を越えて訴えかける人間の苦しみ悶え、だがそこから這い上がろうとする強い意思への共感に満ちている。実にアメリカ的だ。時代的にも実に示唆的。余りの素晴らしさにあっという間に聴き終わるが、一つ残念なのは2曲目が間髪入れず演奏され拍手も入れないところ。余韻に浸る隙がない(構成的にもクライマックス構築後は余韻を持たせずきっちり打ち切る)。最終音と次のエッセイ1番冒頭の共通した雰囲気からの意図だろうが、聴衆は2曲の差がわからないために静かなのか。現行版とやや違う気もするが元が編曲作品なので詮索は意味無いか。◎にします。トスカニーニ最良の演奏記録の一つだと思う。

<同日の他曲目>

前プロ・・・まだ書いてないだけ、マイナー曲
中プロ・・・バーバー新作2曲;後半が管弦楽のためのエッセイ第1番
メインプログラム・・・新世界
アンコール・・・イベリア

(参考)正規盤としてはこちらが有名、曲目も揃ってますし値段的にもお手ごろです。
バーバーのアダージョ~アメリカ管弦楽曲集
NBC交響楽団
BMGメディアジャパン

このアイテムの詳細を見る

ここに収録された録音についてはこちらに書いた。

「弦楽のためのアダージョ」・・・「ョ」という表記が普通みたいですねえ。「スクリアビン」>「スクリャービン」などなど、このての表記方法は古い人と新しい人で違いますが、私は古いほうで書いてしまいます。原語の発音に拘る人もいますけど、そんなの関係ねえ。日本人が日本語で書いてるんだからわかればいい。原語の発音とまったく同じ日本語なんて殆ど無いでしょう。ロシアとか困るんだよなあ、原語派による表記混乱。ネット検索時に困る。シソーラスはいくらなんでもそこまで対応してないし(ググルはかなりやるけど)。
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