湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆バーバー:弦楽四重奏曲

2016年11月20日 | アメリカ
○カーティス四重奏団(WHRA)1938/3/14live・CD

原典版、ということで現行版とは似ても似つかない曲になっている。もっとも二楽章はアダージョへの編曲元のまま、となっているが、両端楽章がまるで違う。一楽章冒頭の印象的な主題はそのままだが、大した変容もせず楽章内の両端を締めるのみで、三楽章では回想されず、いや、三楽章はまるで別の曲と差し替えなので当たり前だが、簡素で現代的な骨張った楽曲という印象はまるでなく、後期ロマン派のヤナーチェクあたりを想起させる楽曲としてまとめられているのである。

バーバーの面目躍如たる機知に満ちた書法は随所にあらわれ、時にしっかり新しい音楽への志向を示しはしているのだが、ああ、このアダージョはこういう形で組み込まれていたのか、あの唐突感は改訂時に発生したものなのだ、という、結局新ロマン派の曲だったということをはっきりわからしめてくれる。テクニカルな完成度も既に素晴らしいものがあり、要求される技術レベルも相当なもの。カーティス四重奏団がこの精度の演奏をライブでやったというのは、時代的にも驚嘆すべきことである。非常に悪い音なので細部はわからないが、拍手の様子からも成功は聴いて取れる。カーティス四重奏団はけして個性を強く出しては来ないので、音色が単調だとか、表現が即物的でアダージョがききばえしない等々あるかもしれないが、贅沢というものだ。○。
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☆ミヨー:二つの行進曲OP.260~Ⅰ.思い出に(パール・ハーバーの日の)

2016年11月19日 | フランス
○作曲家指揮コロンビア放送(CBS)交響楽団(CASCAVELLE/COLUMBIA)1947/1/8NY・CD

なんだか派手なブラスの響きでヒンデミットの戦後作品を彷彿とさせる感じで始まる、行進曲というより挽歌。基本的に分厚いミヨーの響きだが、リズムは単純で踏みしめるように進む暗いながらもどこか楽天性も無くはない音楽だ。だいたい主題が主題なので(戦後すぐ、1945/9/23-30 の作品)ひとしきり重厚に歌ったあとは静かにレクイエム的終結を迎えるのだが、ここはとても美しい。全編通して戦後作品らしく前衛性の微塵もない曲で、戦前の牧歌性も無く、後期ミヨーの典型的作風の発露といえる。演奏は手慣れている感じだが短くてよくわからない。カスカヴェッレはラヴェルやミヨーなどの貴重な歴史的録音を2年位前から続々と出してきていたがいずれも非常に高価なうえ大部分は再発なので今一つヒットしていない(それでも15分くらいのために買う私みたいなのもいるわけで)。まったく歴史的録音を所持していなくて、これからフランスを中心に集めようという向きにはお勧めではある。ANDANTEも似たような位置づけにあるが、あちらのほうはちょっと信用できないところがあるので言及は避けておく。ちなみにラヴェルやストラヴィンスキー集は殆ど他のCDの再発。
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☆ウォルトン:ヴィオラ協奏曲

2016年11月19日 | イギリス
○プリムローズ(Va)サージェント指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(DA:CD-R)1945/3/11live

録音が壊滅的に悪くオケが潰れてウォルトン特有のオーケストレーションが形骸化して聞こえてしまうなど音盤としては難が多い。ソリストの音程すら明確に捉えられず甚だ心もとない。終楽章では音飛びすらある。だが、ライヴでプリムローズのこの曲の演奏を聴けるだけでも幸せと言うべきだろう。スタジオ録音も残している職人的指揮者サージェントとのコンビで、かつ手だれのNBC響が相手である。演奏的には実際かなりスタジオよりも烈しいものとなっている。プリムローズはとにかくよく歌うし、2楽章ではエッジの立った音で突っ走る。まことヴィオラにおけるハイフェッツだと思うのはそれでも殆ど技術的瑕疵が無いことである。音程が多少ブレて聞こえるのは恐らく録音のせいだろうと考えるとこの技術は驚異的である。もちろんライヴならではのオケとの乖離はあるように聞こえるし、サージェントもさばききれない箇所があるようにも思うが(すべて録音が悪いため推定である)補って余りある彫りの深い表現にヴィブラートの美しさ、起伏の大きなダイナミックで迫力のある演奏ぶりには感嘆させられる。ライヴのプリムローズはこんなにも激しかったのである。○。前プロがアイアランドのロンドン序曲、メインがホルストのパーフェクト・フール組曲となっている。
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☆ホルスト:歌劇「どこまでも馬鹿な男」よりバレエ組曲

2016年11月18日 | イギリス
○サージェント指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(DA:CD-R)1945/3/11live

録音の悪さは同日のウォルトンのヴィオラ協奏曲同様。ただ、オケの繊細で金属的な響きがよりビビッドに捉えられていて、雑音を除けばサージェントがホルストに示した適性というか、近現代作品を鮮やかにさばく手腕を感じ取ることもできる。

惑星と同時期の作品というのはどうしても惑星と比べてしまうものだが、素材や書法に共通するものがないとは言えない。正直、多い。目立つのは天王星と共通する箇所だろう。作曲時期によって晦渋であったり平易であったりその極端な差がホルストであったりするのだが、惑星程度の近代性を主張し、それでいて平易な曲というのはやはり、このあたりの似通った楽想をもつ作品ということになる。ブラス、とくにボントロの重用は後年よく作曲した小規模作品とは異なり、大管弦楽をメインに据えた野心的な作風のころをよく示している。同時に神秘主義が最も「雄弁に」表現された時期とも言える。「ポジティブな神秘主義」とでも言うべきか。「アグレッシブな神秘主義」でもあろう。なにせ、魔術師がダンスしてしまうのだから。

オペラ嚆矢のバレエ音楽としてよく取り出して演奏されるものだが、オペラティックな構成の中で生きる部分と明らかに独立した楽想として舞踊的にもしくは「印象派的に」かかれた部分が交錯し、前者は陳腐ともとれるロマンティックなものとしてあらわれ、後者は神秘的な音楽としてあらわれ、ほぼ繋がってメドレーされていくが、噛み合わせが少しちぐはぐな感じもする(そもそもバレエ音楽部分は他作品からの転用らしい)。その後者において、まさしく惑星の各楽章を髣髴とさせるものが多く聴かれる。それゆえ楽しめる向きも二番煎じと捉えてしまう向きもいるだろう。形式上神秘主義的題名を冠された三曲からなるが楽想自体はそれぞれの中に更に詰め込まれている。

サージェントは弱音部においては金属的な音響を緻密に響かせながらメランコリックな楽想を陳腐化させることなく爽やかに昇華させており、舞踏的表現においてはトスカニーニを彷彿とするような前進力に明快なリズム処理で清清しい感興をあたえている。メインプロとしてはいささか短い曲だ。○。
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☆グローフェ:グランド・キャニオン組曲

2016年11月18日 | アメリカ
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA)1945/9/10・CD

ガーシュインの影武者として名をはせたグローフェの代表作で、西部の雰囲気をコープランドほど硬質じゃなく程よくライト・ミュージックふうにまとめてみせた、といった感じの描写音楽だ。この演奏では輪をかけて聴き易く、初曲「夜明け」よりアメリカ印象派の延長上にある作品といった感を強くする。いかにもドビュッシーを好んで振ったトスカニーニの選曲らしい。クセが無く安定した作曲技法を駆使した感じで、ちょっとグリフィスを思い浮かべたが、三曲めON THE TRAILのあたりからいかにもグランドキャニオンの谷へと降りる細い崖道を驢馬がてくてく歩く感じが描写されていて、ライト・ミュージックの香りたっぷりになってくる。トスカニーニがやるからクラシックとして鑑賞できるんだな、とも思った。昔聞いたときは余りの表層性に嫌気がさしたもんだ。こういう曲でもしっかり、情緒たっぷり、しかも響きはあくまで美しく演じ上げている。浅い曲というより爽やかな曲という印象が残った。フランス音楽、たとえばオネゲル「夏の牧歌」あたりの雰囲気が依然織り交ざるけれども、カポカポてくてく歩きはグローフェの発明だ。西部劇に繋がっていくのだ。録音のせいかクライマックスの盛り上げが今一つはじけない感もあるが、5曲め(終曲)最初の高弦の微妙な響きなどレスピーギの「松」3楽章を彷彿とさせるものがあり、やはりトスカニーニだなあ、と思う。嵐の場面は凝縮された激しさで決して派手になりすぎない程度に表現されている。ダイナミックではあるがそれほど派手ではない。このあたりの即物性はトスカニーニらしさだろう。根底にどこか楽天性があるから、最後の映画音楽的な盛り上がり(あれだけ弦に旋律歌わせといて最後はブラスが派手に〆る(弦はワグナー的なやたら大変な伴奏音形の繰り返し)というアメリカ的常套性は賛否あるだろう)はきっぱり終わる。とにかくこの演奏は時代の懐かしさ以上に清々しく美しいトスカニーニのラテン気質があらわれており、このような曲にも決して手を抜かず(いや、トスカニーニは振る以上決して手を抜かないが)己が個性を反映させ、共感をもって演奏しきったのだなあ、と思った。この曲はとてもアメリカ的で常に何かを歌っており、またやたら高い音が耳につく(高弦だけによる空疎な和音が目立つ)と感じていたが、こんなに情緒を込めることも可能なんだなあ、というところでした。○。思いのほか静かな優しい演奏であることも付け加えておく。こんなところにもハリウッドの源流(本流か)。戦争終わってこんな曲。
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☆スクリアビン:交響曲第3番「神聖な詩」

2016年11月18日 | スクリアビン
○コンドラシン指揮ACO(ETCETRA/RCO)1976/2/12live・CD

実はけっこう手堅い演奏で地味だが、後半になるにつれテンションが上がりミスも混ざるもののライヴとしてはなかなかのしっかりした演奏になっている。1楽章は特に手堅く神との闘争を描いたにしてはいささか大人しい。だがオケはさすが大したもので巧く、木管の音色など素晴らしい。ダイナミックな曲想の連続で大仰にやればいくらでもできる非常に演奏効果の高い音楽だけれども、コンドラシンは敢えて引き締めることにより下卑ることなく純音楽的に高度なものを作りだそうとしているようだ。スクリャービンはじつはけっこう曲想に乏しいところがあり、非常に美しく印象的なメロディを造る反面ひたすらそれを繰り返すだけで長大な音楽に仕立ててしまうところが、中期にあたるこの3番までの交響曲では目立つ。そのため飽きも来易いのだけれども、この演奏くらいしっかり出来ているなら飽きないかもしれない。中間楽章である2楽章は出色の出来で、ねっとりと描かれる「人間の快楽」が、何か非常に高貴で憧れに満ちた希望の音楽に聞こえる。作曲家の貼り付けた標題を音楽が凌駕した見本のような楽章であり、緩徐楽章が得意なスクリャービンの面目躍如たる音楽なだけにコンドラシンもらしくないほどに思い入れをもって演奏しているようだ。再び楽想が戻り3楽章に突入すると1楽章とは少し趣の違う、これこそコンドラシンという強烈さもブラスの響きに聞き取れたりしてくる。思わずペットが裏返ったりしているが御愛敬。神聖な遊びという標題の意味するところは或る程度表現できているが、高みに登り神と合一するイメージはやや弱い。しかし純粋に音楽的なものを求めているのであればこうなるのは必定か。総じてまあまあ。一応○にはしておく。

(後補)RCOライヴボックス4・1970年度(2007/2末発売)収録の音源と同一。
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リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」〜ワルツ抜粋

2016年11月17日 | Weblog
ロジンスキ指揮クリーヴランド交響楽団(SLS/columbia)1940/12/14

SLS(CD-R)ではシカゴ響との酷いツァラliveの後に入っているのでじつにホッとする。音も相対的に良いし、クリーヴランドは安心して聴ける。ばらの騎士なんてワルツ抜粋しか演奏されない曲だが、そのワルツがじつにウィンナーワルツ風でかつリヒャルト・シュトラウスならではの現代的な色彩も加えられ、時代考証がおかしかろうが音楽が成り立っていればいいのだ、と聴衆にもえらく受けたという。ロジンスキーがヨーロッパではオペラなど得意としていたことも改めて思い出させてくれた。
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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

2016年11月17日 | Weblog
ロジンスキ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1947/11/21live

ロジンスキの短いシカゴ時代にあって、きわめて珍しいライヴ記録。尤もこのコンビでは同年RCAに同曲の正規セッション録音を残している。

だがしかし、これはダメだ。

ノイズが酷い。音が鄙びすぎている。もう、冒頭の放送開始音はともかく、その次の曲の開始を告げるファンファーレが、

非力過ぎる。

まるで田舎の角笛のようだ。夜道のチャルメラといったほうが適切か。こんな状態の代物を御子息が放出されるとは、まあ、何というか。録音のせいだけではないと思う。弦楽器主体の主部に入るとロジンスキの出自を物語るようなウィーン情緒溢れるフレージングが、あの冷たく、組合も聴衆もガチガチのシカゴオケから生温く引き出されてきて、こんな曲だったっけ?いや、リヒャルト・シュトラウスって結構こんな小洒落た曲書いてたよ!と、やっと人心地つく。その後は曲のせいもあってやや飽きつつも、音色がじつに時代を感じさせて、録音状態一つでこんなにも印象は変わるのか、いやこれは演奏自体が良いのだろう、という気分のまま尻すぼんで終わる。ロジンスキーのツァラをきくなら正規で。SLSでも復刻されています。大曲志向のロジンスキーはエレクトラも録音しています。その志向ゆえにシカゴから追い出されたとされてますね。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番

2016年11月17日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ボールト指揮BBC交響楽団(BBC,imp,carlton他)1972/8/16プロムスlive・CD

初演コンビによる演奏。これは47年に完成されたが第二次世界大戦中に着手されたもので、輝かしい5番と対照的に暗く謎めいていながら48年4月21日初演後一年間に世界中で数百回演奏されたという。クーセヴィツキーによるアメリカ初演や弟子格のストコフスキによるNY初演も含まれる(前者はリハ、後者は実演の録音がある)。特に「ヒロシマ・ナガサキ」と強く結びつけて受け止められた。終楽章について核戦争後の世界を描いたのではないかという声に対し、作曲家は答えなかった。この楽章はロンドン大空襲とも結びつけて考えられている。

ボールトはストコフスキによる1948年2月21日世界初録音の二日後に初録音している。但し同曲の三楽章は50年に改訂されている。その後も複数の録音がある。これはボールトにとっては晩年の記録だがこの人らしくブレは無い。寧ろ弛緩なく硬質の組み立てが曲想に合っていて、過去の同人の記録よりも板についている。かつての手兵BBC響の性向もこの鉄鋼製品のような曲向きなのだろう。

後期のささくれ立った作風によるこの曲は音響的なフレーズや非旋律的なアンサンブルが弾き難さを示す、RVWには珍しいともとれる構造を示している。ただそれは弦楽器だけのことかもしれない。むしろこの人の興味が打楽器とブラスに移行しつつあることを感じさせる。聞かせどころはやはりうねうねと細かと動く弦楽器の上で派手にぶっぱなす大音量の楽器たちにあるのだ。

1楽章は全般に派手めであるとして2楽章など平坦なスコアの上に突然鳴り響く警鐘をどう効果的に響かせるか、3楽章スケルツォは唯一娯楽的な楽章(ゆえに皮肉を暗示しウォルトン的な印象をあたえる)で乱痴気騒ぎをどうリズミカルに表現しジャズ風の崩しを聞かせるかにかかってくる。

このあたり、ボールトはおとなしい。古い録音はブラームス的な指揮者に対してモダンなこの曲はちぐはぐで違和感を感じさせるものに仕上がっていて(しかし初版から録音も初演もボールトなのだ)、硬質のアンサンブルが組み立てられず重い音響が常に曲とずれたような感覚を覚えさせた。この録音はそれらに対してかなり俊敏で違和感のないものになっているが、ボールト自身の興味がないのではないかと思わせるところもある。即ち2楽章はロマン派の解釈流儀に従い機械的に起伏をつけられ、非論理的構造を無理にあてはめようとして却って強い効果を失っている。3楽章は余りに真面目だ。まったく崩しがなく裏返った発音もなく、型にはめたようである。色がない。BBCオケ自体の音に色がないのではなく、解釈がそう指示しているように聞こえる。ただこの二つの楽章とも全体構造からして、また全体解釈からしては間違ったものとも思えず、また、戦車のキャタピラをあからさまに模倣する2楽章や敵国の戦勝パレードをあからさまに描写する3楽章など稚拙な陳腐さ極まる発想(ロンドン交響曲と同じようなものだが)を抽象音楽に昇華させようとする配慮に聞こえなくも無い。

しかし、4楽章にいたっていきなり強く叙情性が出てくると、ボールトはやはりこれまでの中間楽章には興味がなかったのかもしれないと思う。弦楽器のスラーのついた静かな起伏はまさに田園交響曲や5番の世界であり、木管とシロフォンの美しい響き、これはホルストの惑星の緩徐楽章そのものでもある。3楽章で敵国に蹂躙されたロンドンの廃墟にのぼる月、といったこの楽章の意匠と言われるものが、ここでは別の形で抽象音楽に昇華されている。思索的と言っても晦渋な思想ではなく、心象的なものだ。この楽章でしっかりしめているところにボールトの読みの深さを感じる。

それにしてもやっぱり通常一番の聞かせどころである3楽章でもっと派手にやってほしかった。○にとどめておく。録音最上。
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ブルックナー:交響曲第9番~Ⅱ

2016年11月17日 | Weblog
セル指揮クリーヴランド交響楽団(SLS)live

厳しく律せられた音楽はおのずとテンポよくリズミカルになっている。悪い音なのに迫力もありアメリカオケ的な軽さは無い。拍手が入るため楽章抜粋だろう、交響曲の中のスケルツォとしての構成感よりも、単発の曲の完成度を高めようとしているところはあり、単純さの中にも意味を込めるようなブルックナーとなっていて、現代的な感じはしない。セルのブルックナーはいくつかあったと思うが強烈な個性は皆無なものの軸のある意思的な演奏ではあると思う。完全にデータ不詳のようである。
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ヒナステラ:クリオールのファウスト序曲

2016年11月17日 | Weblog
ミトロプーロス指揮NYP(SLS)1958/8/8live

取っ付きづらい重い和音のぶっ放しから始まり、リズムにラテン要素はあるもののミヨーよりも中欧志向が強いのかヒンデミットを思わせる新古典主義的構造が織り交ざり、こけおどしのような大太鼓と低音ブラスが晦渋さをかえって煽る形で不穏に終わる。さあこれから始まるぞ的な祝祭っぽい序曲感が無い現代アメリカ音楽の系譜といった感じの、個性が板についてない作品。ミトロプーロスがまた無駄に力感があり表出力のあるのが仇にも思った。録音は新発掘音源レベルのノイズ多め。
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プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

2016年11月17日 | Weblog
ミトロプーロス(P、指揮)NYP(SLS)1944/4/23コンサートホールlive

オケとのシンクロ度が凄く、弾き振りならではの一体感がある。スピーディーで揺れのない力強い表現という点でまったく一心同体である。ミトプーはこの曲の偶然の弾き振りで名を売っただけはあり指は回るし悪い録音の中からも余技と言うには余りにしっかりした演奏となっており、不協和音の一部が不自然に響く、二箇所ほどテンポが流れたりするなど細かい部分は余技ゆえ仕方ないところがあるとはいえ、いくつかある弾き振り記録の中でとくにニュアンスの面では「録音に良く捉えられている」。ノイズだらけの悪い音でもノイズがゆえ削られなかった部分が聴こえるのがこの盤のメリットだろう。もっともオケはゴチャッと中音部が潰れてしまっている。二楽章にもっと「思い」が欲しかったか。音色の硬さも仕方ないか。新発掘音源とのこと。
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☆マーラー:連作歌曲集「亡き子をしのぶ歌」

2016年11月16日 | マーラー
○リタ・ゴール(Msp)アンゲルブレシュト指揮ORTF(INA,Le Chant Du Monde,Harmonia Mundi)1959/10/13パリlive・LP

この世代のフランス系指揮者でマーラーをやったとなるとマルティノンくらいしか思い浮かばないし(実際はミュンシュもパレーもアメリカではやっている)、この演奏についても記録としては唯一のもののようだが※、若い頃には様々な楽曲に挑戦していた流石「アパッシュ」アンゲルブレシュト、意外なほどの板の着きようで、リタ・ゴール名演集収録の一曲にすぎないとはいえ同ボックス一番の聴きものと言って過言ではない。色彩的で立体感のある構築性、と訳のわかったようなことを書くことも可能ではあるのだがこれはそう言うよりも素直にマーラー中期の声楽付き管弦楽曲の演奏としてよくできており、後期ロマン派の起伏ある表現を施したものだ。このさいゴールの独唱は全く無視して書くがアンゲルブレシュト統制下のORTFであるからこそ緊張感が半端なく、器楽ソリストの音色感や音響の透明感は素晴らしい。クリアなモノラル末期録音より終演後のブラヴォまで生々しく轟いてくる。高音打楽器の響きなど、密やかで精妙な管弦楽の施された楽曲においてはアンゲルブレシュトらしい、ドビュッシー的なメカニズムを見出したような注意深さが感じられて秀逸である。だが、冒頭からいきなり引き込まれるのはやはり、「マーラー」が出来ているからであり、もちろんそんなことはやらなかったろうが、もし中後期交響曲に取り組んでいたらマルティノン以上に清新且つ、自然なマーラーを描き出すことに成功していただろう。これはなかなかの演奏である。おそらく、CD復刻されるのではないか。音源提供していただいたかたありがとうございました。セバスティアンの大地の歌(69年ブザンソン音楽祭ライヴ、ケネス・マク・ドナルド(T))と、ル・コント伴奏の「若き日の歌」他ベルリオーズなどが収録されている。

※inaより別の放送ライヴ録音が配信された(2016)
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☆エネスコ:交響曲第1番

2016年11月16日 | Weblog
ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)

変な曲~!!1楽章は民族楽派的でいながら清新でいかにもパリに学んだ作者の音楽といった感じだ。あきらかにロシアではないし、かといってルーマニアルーマニアしているわけでもない。ハーモニーがとにかく新鮮で、ちょっと違うがオネゲルを思い出した。立派な交響曲であることは確か、と思わせる1楽章、しかし2楽章は退屈。 3楽章制の3楽章はそれほど盛り上がらないが1楽章の路線ではある。結局頭でっかちなバランスの、よくあるマイナー現代交響曲の範疇に留まった作品になってしまっているのが惜しい。ロジェストは巧くバランスをとっているが、私のLPはなぜか左右のバランスが頻繁に変わり非常に聞きにくい。オケがコンドラシンの盤のように激しいアタックで弾きまくってくれているだけに残念だ。1楽章だけで○付けてもいい気もするが、録音マイナスで無印。ジョルジェスク盤があったはずだが未聴。,
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番

2016年11月16日 | ヴォーン・ウィリアムズ
◎ノリントン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(ELS:CD-R)2005/4/10LIVE

かなり音質が良く聴き易い。二箇所ほど瞬断があるが恐らく放送音源だろう。6番の演奏でここまで高い精度と弾み良い発音の活気のバランスが良いものもあるまい。ライヴだというから驚きだ。近年、近現代ものをよくやっていて注目の人だが「音だけで」聞かせられるかはどうなんだろう、というところもあったが杞憂だった。冒頭は鈍重だが、リズミカルな主題に入るととたんに生気を得る。ひびきが綺麗に整えられており、横長のフレーズではフレージングがしつこくないので更に聴き易い。2楽章中間部、ペットの警句が長い音符を鳴らすノンヴィブの弦の完璧なハーモニーで支えられているところなど素晴らしい効果があがる。RVWの静かなハーモニーにはノンヴィブが似合う。

「RVWの世界」は簡単に聞こえてなかなかフクザツな要素も内包しているから、こういうしゃきっと整えられたスタイルで聞くと耳からウロコなところがある一方で、3楽章の烈しさはバルビローリのような勢い任せのものではないのに非常に攻撃的で扇情的に聞こえる。主として弦のハーモニー、アタック、更にトータルな音響操作、このへんの素晴らしい律し方は古楽経験からの得難い資産として反映されていると感じられる。通常聞きどころのジャズ風のスウィングや楽想の生温さもよくありがちな「娯楽的に」ではなく、この曲の通奏主題である「不安」の一つのあらわれととらえられるくらい音楽的な完成度の高い3楽章であり、「烈しいRVW」としては最もよくできたスケルツォ楽章であるこの音楽の演奏としては、ひょっとしてRVWの最も意図に沿った形で響き突き進んだものであるかもしれない。

4楽章の夜景への移行がスムーズなのも決して崩れないスタンスのためだ。本来3楽章のドンチャン騒ぎから4楽章の死滅の光景へのあっけないコントラストが意図のところだが、私自身のこの曲への感想として、いつも余りに「あざとくて」耳がついていかない感じがしていた。しかし基本的に両楽章を同音質同音響で伝えようとするこの演奏に違和感は全く無い。4楽章のRVW的美しさも・・・通常の演奏であれば「死滅」にてっしようとする余り音楽的な生気まで失い魅力が無くなってしまいがちであるが・・・巧く引き出されており、ポリトナリティ的な美感が他のRVWの幻想的な曲との間隙を埋めている。廃墟を照らす柔らかな月光の美しさがよく表現されている。

この演奏で重要なのは「美・精度」と「ライヴ・活気」のバランスだ。前者だけ、後者だけの演奏なら他にいくらでもある(とくに前者だ)。ノリントンはこのリズム処理と速めのテンポだけで既にかなり成功しているといえるだろう。しいていえば純音楽的過ぎる感もある4楽章に少し「怜悧さ」が足りないかもしれない。だが前記の通りここまで美しく「面白い」4楽章は無い。

本来の「作曲意図」をロマン派的に反映するのではなく「楽曲分析」から浮き彫りにするブーレーズ以降の流れを、更に一歩進めた「情のこもった分析手法」を確立したものとして、最高評点をつけておく。名演。

・・・直後、A.デイヴィスを聴いたが「いつものRVWの6番」だった。つまらない。どこが違うんだろう?ふとオケの力かもしれないと思った。しかし鈍重さのかけらもない鋭い演奏ぶり、ライプツィヒも変わったものだ。
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