ソリアーノ(Vn)マリー・ダルレ(P)(meloclassic)1959/2/28パリ フランス放送スタジオ録音・CD
1926年、フォーレ没後2年の作品である。レイナルド・アーンといえばまずもって歌曲の作曲家であり、唯一著名なピアノ協奏曲も「人間の」歌謡性に貫かれた時代に取り残されたような作品。だがこの作品は演奏次第で変わるような脆弱な作品ではない。「人間の」歌謡性を感じさせる表現は終楽章など少し現れるが、はっきり感じられるのはフォーレの特に晩年の旋律や和声のエコーである。フォーレはアンサンブルにおいて独特のユニゾン表現など単純化を進めていったが、この曲に支配的な横の旋律や和声(とても慎ましやかではあるが)はそれに近い。フォーレは全盛期の技巧においてはアルペジオを多用するなど装飾的な表現を個性としていて、アーンはそれとは違うむしろ伝統的なヴァイオリン・ソナタの模範的表現を(ピアノ伴奏においても)とってはいる。対位法を駆使する場面など円熟した技法に目を見張る。自動車のエンジンを主題とする(このあたりの世俗性がアーンらしい)2楽章のスケルツォは特殊な聴感を与える時代なりの清新さをもった聴きどころで、ここははっきりと違う。けれども3楽章に落ち着くと、そこにはやはりフォーレの影の感じられる美しい旋律が立ち上り、最後に循環主題に戻って終わるさまも世俗性は感じられず、なかなかの佳品ぶりである。ソリアーノは表現が強靭で影が無い。またゆるやかな情緒も篭めないから、アーンのメロディの世俗性が隠れているところはあるかもしれない。でも技巧的にすぐれたソリストであるからこそ作曲家の鮮やかな手腕が浮き彫りになる。初期で終わってしまったイメージをもたれるかもしれないが、アーンはアカデミックな教育を受けたれっきとした純音楽の作曲家でもある。メロディ頼りの部分は飽きてしまう可能性もあるけれど、そのメロディに力があることは認めねばならない。録音はモノラルで良くも悪くもないがしっかり聴こえる。
1926年、フォーレ没後2年の作品である。レイナルド・アーンといえばまずもって歌曲の作曲家であり、唯一著名なピアノ協奏曲も「人間の」歌謡性に貫かれた時代に取り残されたような作品。だがこの作品は演奏次第で変わるような脆弱な作品ではない。「人間の」歌謡性を感じさせる表現は終楽章など少し現れるが、はっきり感じられるのはフォーレの特に晩年の旋律や和声のエコーである。フォーレはアンサンブルにおいて独特のユニゾン表現など単純化を進めていったが、この曲に支配的な横の旋律や和声(とても慎ましやかではあるが)はそれに近い。フォーレは全盛期の技巧においてはアルペジオを多用するなど装飾的な表現を個性としていて、アーンはそれとは違うむしろ伝統的なヴァイオリン・ソナタの模範的表現を(ピアノ伴奏においても)とってはいる。対位法を駆使する場面など円熟した技法に目を見張る。自動車のエンジンを主題とする(このあたりの世俗性がアーンらしい)2楽章のスケルツォは特殊な聴感を与える時代なりの清新さをもった聴きどころで、ここははっきりと違う。けれども3楽章に落ち着くと、そこにはやはりフォーレの影の感じられる美しい旋律が立ち上り、最後に循環主題に戻って終わるさまも世俗性は感じられず、なかなかの佳品ぶりである。ソリアーノは表現が強靭で影が無い。またゆるやかな情緒も篭めないから、アーンのメロディの世俗性が隠れているところはあるかもしれない。でも技巧的にすぐれたソリストであるからこそ作曲家の鮮やかな手腕が浮き彫りになる。初期で終わってしまったイメージをもたれるかもしれないが、アーンはアカデミックな教育を受けたれっきとした純音楽の作曲家でもある。メロディ頼りの部分は飽きてしまう可能性もあるけれど、そのメロディに力があることは認めねばならない。録音はモノラルで良くも悪くもないがしっかり聴こえる。