湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ハチャトゥリアン:コンチェルト・ラプソディ(チェロと管弦楽のための)

2017年09月15日 | ハチャトゥリアン
○ロストロポーヴィチ(Vc)作曲家指揮ソヴィエト国立管弦楽団(IVC)1963LIVE・DVD

まさに演奏技術と現代ふうの民族書法だけで出来上がっているハチャのハードなほうの作風によるもので、アルメニア人以外にはだいたいみんなおんなじに聞こえるたぐいの作品だろう。ショスタコがダメでハチャのこういう作品が○というのはまったくソヴィエトという怪奇現象の象徴そのものである。大学で初めて買った譜面がヴァイオリンのためのコンチェルト・ラプソディだったが、技巧以前にまったく理解できない、機械のような譜面に、奇妙にわかりやすい民謡ふうフレーズの織り込まれた、子供にとっては奇怪きわまりないものですぐに脇に置きかわりにストラヴィンスキーの火の鳥の王女のテーマ編曲(作曲家が金のために編曲しつづけた中の一つで、しかしなかなか一筋縄じゃいかない独特の特殊技術の盛り込みかたはさすが)を買ったものだ。今はアマチュアでもヴィニャエフスキに挑戦するいわゆるセミプロのたぐいはこれもやったりするが、技巧をひけらかすだけの曲では聴く側は堪らない。至極理知的であり、読み解いて理解しないと良さが出ない難解を内在させているのに、やはりロストロ先生もひたすら純音楽的に弾きこなし(やはり努力家カサルスを退け前世紀最大の天才チェリストなのだ)、けたたましい平板な曲想の輪から抜けていない。しかしこの激しいジプシー音楽(差別意識はありません)ふうラプソディの中に旋律の流れをとらえ歌えるところは完璧なボウイングでろうろうと歌う、まるでヴァイオリンのように軽がると指弓を運び流れるように繋げていくその「現代チェロ奏法の確立者」たる見事な演奏ぶりは見ていて引き込まれざるをえない。ライヴだし冒頭やや甘い発音から始めるしロストロ先生のけして一級の記録とは言えないが、本人も自分のためにこのソヴィエトのカリスマが書いてくれたことを喜びたちまち弾きこなした姿をまた作曲家が喜び、演奏会後目に涙をためていたというのはいいエピソードだ。ハチャはバレエもそうだがビジュアルがあるとないとじゃ違う。無いときつい。これはある。○。

※2006/10/31の記事です
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☆ボロディン:中央アジアの平原にて

2017年09月15日 | ボロディン
○アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(RICHTHOFEN:CD-R/PATHE)1930年代

パテ原盤にしてはSPの抜けのよさがなくノイズはかなりひどい。盤面状態の悪いものから起こしたように思われる。しかし演奏はすばらしく、壮年期の情緒的なやわらかさを含んだスケールの大きい高精度のもの。同時期フランスにいくつかあった同曲の録音でも最上位に置けよう。フランス的でもロシア的でもない、スコアから読み取ったものをそのままに、しかし即物的にではなく描写的な意図をしっかり汲んだ表現をなしており、遠くから近寄りまた去っていく隊列を目のあたりに描く。この人はフランスでは図抜けている。○。稀少盤で知られたものを裏青復刻した一枚。

※2008/12/2の記事です
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グラズノフ:5つのノヴェレッテ

2017年09月13日 | Weblog
シシュロス四重奏団(melodiya)LP

ステレオ初期の日本輸入ボックス収録だが、表記ミスでファーストがシシュロフのショスタコーヴィチ四重奏団の演奏の可能性がある。ショスタコーヴィチ四重奏団は民族的な音、表現と均整感、整えたようなテンポでグラズノフを臭くも冷淡にもならずちょうどいいバランスでまとめ上げており、おそらく一番グラズノフの室内楽を録音した楽団だが、音程のアバウトさを含む民族主義的な音が(スラヴにかぎらないオリエンタルなものを含めて)かなり似ている。もっと表出意欲が強く感じるのは終楽章だが反面、全般にはそれほど押しの強さのない、少し耳が離れてしまうようなそつのないところもある。録音も古びている。そんなところか。25分を上回る民謡組曲なんてむしろ普通飽きるもので、グラズノフの各楽想にあわせた巧みな書法とじつは結構常套的な部分をどうミックスして聴きやすくするかというところはある。抜粋なら簡単。
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☆グラズノフ:交響曲第8番

2017年09月13日 | グラズノフ
○朝比奈隆指揮新星日響(tobu他)1992/1/18live・CD

演奏当時自主制作盤として販売されていたものを東武トレーディングが発掘再発したものでうれしい値段である。朝比奈氏はアマチュアだらけのロシア国民楽派の中ではグラズノフを「ましなもの」程度と評価していたといい、中でもこの最後の8番に興味を持っていたようだ。それはマーラーの千人を演奏したころなどと一致し、世紀末音楽の流行という世間の雰囲気も後押ししてのものだったのかもしれない。2楽章の深層まで切り込みあまやかに歌う印象的な表現はショスタコーヴィチが唯一評価した曲だという伝説と一致する。1楽章冒頭からはしょうじき重くてダレた雰囲気が「国内オケだなあ・・・」という感じなのだが、2楽章が俄然、3楽章の軽妙なスケルツォは朝比奈式にはやや重いが、4楽章のはからずもグラズノフの最後の(正式な)交響曲楽章となった偉大な変奏曲において、重々しく格調高い表現を演じており秀逸だ。これは朝比奈世界だろう。この作曲家にはきちんとしたドイツ式の演奏記録というものが少なく、中でもここまで西欧的に振れた作品にもかかわらず演奏自体されないというのは残念であり、朝比奈氏が一回であってもやったというのは記録として価値がある。○。

※2011/11/18の記事です
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☆グリエール:交響曲第3番「イリヤ・ムーロメッツ」(短縮版)

2017年09月13日 | グリエール
○ストコフスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(vibrato/DA:CD-R)1971/6(5?)/19live

NYPはともかく他の比較的軽量級の音を出す職人オケになるとストコはいささか表面的でやかましい音作りだけをする人になってしまう。アメリカ交響楽団のモノなどまさにその面で賛否あると思うのだが、この演奏録音はステレオという点で比べて1長はある。しかしどうも放送ホワイトノイズが常に入り続け、放送ならではの左右の不安定さもあって、明晰なのに印象が悪い。聴感が軽くて、イリヤ・ムーロメッツの末流ロマン派的なドロドロがひたすらドラマティックで煌びやかな音楽に昇華されてしまい、帝政ロシア時代交響曲好きとしてもマーラー好きとしてもどうも腑に落ちない。また今更の指摘だが4楽章の大カットで「一番の見せ場」となるドラマティックな弦・ブラス転調の一節(スコアがないので明示できませんが、指摘箇所がどこかはてきとうに想像してください)が上り詰める直前でカットされ陰鬱な終盤にワープするという非常に「うわああああああ」というところがあり、これってストコ、前からそうだったっけ?とか思いつつも、これじゃちょっと4楽章聴かせどころ半減だよ、と結局○ひとつに抑えておくのである。気分的には無印。vibrato盤(裏青)には5月との表記あり。未聴だが収録内容がほぼ同じため同一と思われる(同レーベルはDAとよくだぶる)。

※2006/10/31の記事です
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