湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番(1871)

2017年12月26日 | Weblog
<余りにも有名な2楽章アンダンテ・カンタービレはトルストイも涙した超有名曲。サロン音楽風な扱いもされるが、ウクライナのカメンカで耳にした民謡に基づくもの。3本のピツイカート伴奏の上にファーストバイオリンが奏でる鄙びた旋律がそれ。子守り歌のように優しいです。ほかの楽章も美しい。1楽章の、単音を変拍子で区切っただけの旋律や、中間部の無限音階のようなスケールの反復は非常に個性的だ。4楽章は最近テレ朝の浜ちゃんの番組(芸能人格付けチェックだったけ?)でよくBGMになっている。楽天的なチャイコフスキーが全面に出、管弦楽曲的で聞き映えがする。(2001記)>

○D.オイストラフ四重奏団(doremi)CD

いつ聞いても何度聞いても楽しめるチャイコの室内楽の最高峰だ。オイストラフは結構個性を強く出すのではなくアンサンブルとして必要とされる音を出していると言った感じでそれほど力感も解釈の個性も感じない。ウマイことはウマイのであり、雑音まじりの音の悪さを除けばこの曲を最初に聞くのに向いているとさえ言いたいが、たとえば2楽章のリアルで幻想の薄いアンサンブル、4楽章の落ち着いたテンポ、たしかに緊密ですばらしいアンサンブル能力を持っていると思うが、個性を求めたらお門違いだ。また熱さも求められない。緊密さはあるので飽きはこないから、まあ、チャイ1ファンは聴いて損はないだろう。チェロはクヌシェヴィツキー。○。

※2004年以前の記事です
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☆チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番

2017年12月26日 | チャイコフスキー
○クロール四重奏団(EPIC)

中間楽章は割合とあっさり通しているが両端楽章はかなりテンションが高く激しい。原曲のせいもあるのだろうが、こういう速いパセージと遅いパセージで表現方法を極端に使い分けている感じもする。とにかく音響バランスがすさまじく良く、アンサンブルがまるで一本の楽器のように響いてくるのが凄い。譜面を見ればわかるがこの曲でさえチャイコは結構構造的な書法を駆使しており、それがここまで噛みあって尚且つ響きのバランスにいささかの狂いもないというのは常軌をいっした巧さである。クラシックアンサンブルというのは世界中で古来手軽に楽しめる「自分が演奏する」今で言うバンドみたいなものと扱われてきたジャンルだが、ここにきて「シロウトには太刀打ちできない」演奏を耳にして、自分が恥ずかしくなった次第である。ただ、アンダンテ・カンタービレはかなり「へぇ」くらいの普通さだし、何より三楽章の峻厳さが足りない。気合が足りないのは表面のプロコ1番の演奏を思い出した。総じて○だが、両端だけでいうと文句なしに◎である。

※2007-02-07 14:50:34の記事です
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☆プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第1番

2017年12月25日 | プロコフィエフ
○スメタナ四重奏団(SUPRAPHON)1961・CD

アナログで聴いていたときにはずいぶんと客観的に整えすぎの印象があったが、確かに整えすぎではあるが、プロコの「仕掛け」はここまで縦をあわせ数学的に組み合わせないと効果を発揮しない側面もあり、盛り上がりどころでは「ドイツ式」の盛り上げ方、すなわち決してルバートによるのではなく縦をきっちり揃えたまま音の強さと太さで人工的な大きさを形づくっていく。それがわかるとなかなか熱のこもった演奏に聞こえてくるから面白い。ろくに曲を知らずにいきなり譜面から入った私はこういう「学術的な1楽章」にはどうしても違和感を感じてしまう。旋律が強すぎる、すなわち熱気があって当たり前の楽章、逆にそこを制御できることこそがプロなのだろう(でもやっぱりひたすら丁々発止にライヴ的にやる1楽章が好きだけど)。2楽章が肝の曲で、三つの楽章の中で飛びぬけて細かく難度も上だが、スメタナにかかるとそこがいちばんの聴き所となる。終楽章の暗さ重みはじつはこの曲の要でもあるのだが、そこはちょっと透明感がありすぎ、純音楽的すぎるようにもおもう。

※2007-08-23 23:26:47の記事です
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☆ラヴェル:ボレロ(「偶発的ステレオ」)

2017年12月25日 | Weblog
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(victor他)1930/4/14

知らなかった音源であるクーセヴィツキーのボレロを聴いた。(pristine PASC422)

途中までモノラルである。急にステレオになるのだが、どうも擬似ステレオっぽい感は否めない。あまりにリマスターが良すぎるせいもある。ラスト近くになって僅かに左右(試し録りを含む二台のマイクからの音盤録音を左右に振り分けている)が異なる部分があり、しかしそれも断言できるほど明瞭ではない。両のマイクが接近しているため元々そういうものだそうだが、それよりもリマスターの良さにより晩年のモノラル悪録音ばかりしかないクーセヴィツキーによる昭和5年4月14日の演奏をクリアに楽しめるのが嬉しい。楽器ごとの難しさ、出来不出来が如実に現れており、曲慣れしていないのが時代性か。クーセヴィツキーらしい畳み掛けるような推進力は弦が入ってかなりラストに近づいた頃にやっと現れる。ソロ楽器都合で旋律が乱れる他は不断のリズムとスピードで指揮者と作曲意図が一致している。名演と言えないが記録としてはこの時期のSPに共通するスピードを持った演奏として価値はあろうね。 クーセヴィツキーは展覧会の絵をラヴェルに管弦楽編曲依頼したことで有名。有名なチャイコフスキーの悲愴は本物の偶発的ステレオのようだ(一部モノラル、3楽章途中からモノラルなのは惜しい、情報力が違う)。これは絶名演。ほか春の祭典抜粋、動物の謝肉祭水族館ほか(ストコフスキ、エルガー指揮)。春の祭典はちゃんとしている。

※2016-04-26 14:32:17の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:クリスマス幻想曲

2017年12月25日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R他)1943/12/19LIVE

板起こしで録音はひどい。ストコに繊細な表現は求むべくもないが、RVWのドイツ的な重い響きと強い旋律性を的確にとらえ、浮き彫りにしてみせる手腕はここでも健在である。ちょっと古風な趣のある曲だけれどもRVWならではの奇妙な移調がささやかなアクセントになっている。ストコの音楽は余りRVW的な部分にこだわったものにはならないが、聴きやすさは一倍にある。○。

※2006-11-03 19:56:34の記事です
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☆バーバー:クリスマスに

2017年12月24日 | アメリカ
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1960/12/23live・CD

クリスマスへの前奏曲、という説明のとおり、クリスマスにまつわる童謡や賛美歌からの旋律が引用されメドレーのように管弦楽により綴られてゆく。いわば編曲作品だ。バーバーの職人的な仕事はかなりの技巧を要求する一筋縄ではいかないもので、そここそが聞き物である。バーバーはメロディストではあるが、このように聞き知ったメロディを使ったほうがその作曲手腕の見事さが明確になり、魅力的に感じる。ミュンシュは案外曲にあっている。勢いで突き進むだけでも曲になるわかりやすさゆえ、かもしれない。楽団の即物性が余計な色付けをしないのも聴きやすい。○。

※2012-01-08 17:44:43の記事です
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☆ヒナステラ:バレエ組曲「エスタンシア」

2017年12月24日 | その他ラテン諸国
○グーセンス指揮ロンドン交響楽団(EVEREST)

吹奏楽編曲が有名ですよね。ヒナステラは大正生まれで86年に亡くなっているアルゼンチンの現代作曲家。とびきり楽しくて美しい曲に派手な音響を加えて体を揺らす南米のリズム。EL&Pのメンツが編曲権交渉のためわざわざ自宅までヒナステラを訪ねたさいおおいに歓迎され、編曲も演奏も絶賛された話は有名だが(あ、ここはクラシックのページか)むしろジョン・ウィリアムズあたりの映画音楽が好きな向きはぜひ聞いてみてください。難しいこと言いっこなし!ガウチョ丸出しな民族音楽に印象派的センスを加えた初期ヒナステラ(当人の言う「客観的民族主義期」ようは単純な民族音楽期)の代表作。グーセンスの色彩的な処理が冴えまくる逸品です。4曲からなり、農園で巻き起こる色恋騒動を描いたファリャ的な内容。一曲め:農園の労働者たち、2曲め:小麦の踊り、3曲め:大牧場の牛追い、4曲め:マランボ。ちなみにEL&Pが編曲したのはピアノ協奏曲第1番第4楽章。音楽一家に生まれバルトークを弾いて育ったキース・エマーソンの面目躍如な演奏です。ロックファンには言わずと知れた「トッカータ」がその作品。クレオールの踊りがここまでハードに昇華されたというのは凄い。キースのパフォーマンスをバカにした坂本龍一が世界一のキーボーディストなんて分かる人に言ったらバカにされますよ。

※2005-02-23 22:16:48の記事です
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☆リーズ:弦楽四重奏曲第2番

2017年12月23日 | アメリカ
○パガニーニ弦楽四重奏団(Liberty)LP

比較的新しい作品ではあるが現代音楽ではない範疇で非常に特徴的であり、中国出身というこの作曲家の特異性を意識せざるをえない。いきなり低音だけで始まる焦燥的な気分を煽るリズムに恐らく中国的な響きを取り入れた(ものの殆どそれを感じさせない)斬新な音や旋法が載り、いかにも戦中戦後の周辺国の殺伐とした気分をかもす(西海岸の実験主義ともフランスの香りをかいだアカデミズムとも違う)。しかし緊密で適度に抒情的でもありバルトークを更に灰汁抜きしたような鼻につく民族性は排されており、人好きはしないが同時代他作曲家のカルテット作品との共通点も多く聞き取れる。ゴリゴリのカルテットマニアは聴いておいてもいいと思う。パガニーニ四重奏団はストラディという楽器の特性上ちょっと音線が細くそれを力で補う(個人的にはそういう力づくで出た弦の金属音は嫌いである)感じもあるが、「意図的な不安定さ」がないとカルテットというのはまるでデジタル音楽的な「つまらなさ」に昇華されてしまうので、こういうスタイルは決してバカにはできない。○。

※2007-01-11 10:16:24の記事です
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☆ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

2017年12月22日 | アメリカ
○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・フィル(SOMERSET)LP

ハイテンションで弾ききる娯楽的スピードの演奏で、生々しい録音が更に気を煽る。余りに率直だと感じられるかもしれないが、この力感にメタ・クラシックらしくハスッパな発音で応えるオケもまたやる気が漲り、クラシカルな演奏家にもジャジーな演奏家にも見られないまさにライト・クラシックはこれだ、という自信も漲り清々しい。◎にしたいくらい飽きないが、解釈上の工夫がないので○くらいが妥当か。

※2006-09-20 08:56:54の記事です
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☆レスピーギ:ローマの松

2017年12月22日 | その他ラテン諸国
○ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団(PO)1998/10/5LIVE・CD

ボテボテとやややぼったい。でも派手だし雄大だしいかにもイタリアっぽいところがある。主兵であったフィラ管の特性をよく生かしたスケールでかい演奏ぶりには最後物凄いフライングブラヴォーと拍手の渦が巻き起こるが、生演奏ゆえ精度の点や技術的な面でイマイチと思わせる所も有り、最大限の評価とは到底いけない(勿論音盤としての評価である)。3楽章の美しさは筆舌に尽くし難いものの飛び抜けてるとは言えず、結果として○にとどめるのが妥当、といったところか。始演前の拍手が終わらないうちにフライングで始まったのにはびっくりした。前代未聞。何やら祝祭的雰囲気が感じられる。

※2005-02-23 22:10:39の記事です
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☆フランセ:交響曲ト長調

2017年12月21日 | フランス
○フィッシャー指揮アルスター管弦楽団(HYPERION)CD

現行盤としてはこれだけ。日本語紙を付けた外盤でも出ている。自作自演盤が死の直後位にEROLより発売されており、ほぼ遺作に近い曲も含まれていたが残念ながら入手困難。これ、いい曲です。でも、典型的なフランセの「室内楽」て感じ。弦が酷使され、ひたすら飛ばしばっかりのいわゆるフランセの譜面なのである。縦そろわねー!頭拍抜けの変拍子旋律がやらしい1楽章なんて弦楽トリオそっくりの始まり方である。曲想はいい。時期的にも確か近い、BEAセレナーデに似ている。余り目立つ曲とは言えず、特殊楽器も生かしきれていない、膨張したフランセらしくないところも感じられ、交響曲という形式にこのミニアチュールの作曲家がギリギリ接近したのがこの世界、というところだ。プロコの古典と比較されることをあまりよく思っていなかったそうだが楽想的にも余り接点は無い。ハイドンの思い出に捧ぐという副題もプロコを想起させられざるを得ない。しかし結局は響きに古典的なものが感じられる程度で、それも弦楽合奏を主体としたアンサンブルだからということにすぎない。くせがなくて聞きやすい演奏。○。

※2005-02-23 22:17:53の記事です
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☆ルーセル:バレエ音楽「サンドマン」op.13(1908)

2017年12月21日 | Weblog

<(1869~1937)ラヴェルと同時代のフランスの作曲家として高い位置に置かれている。海軍で軍役についたのちスコラ・カントゥルムでダンディに師事した。ドビュッシーからの強い影響を受け印象派ふうの曲を書いたがのちストラヴィンスキーのバーバリズムに触発されて独自のより明快な作風を確立。確固とした形式感の中で明瞭なリズムとエキゾチックな旋律、清新な和声のおりなす透明で硬質な音楽はスコラ・カントゥルムで教鞭をとる傍ら若い作曲家たちに支持された。指揮者マルティノンもルーセルの作曲上の教えを受けている。年長の作曲家サティにも教え優秀な生徒として評価した。最終的には「バッハに帰れ」と新古典主義に腰を落ち着け、内面的で構造的な室内楽曲などを書いた。>

◎レイボヴィッツ指揮パリ・フィル(everest)1952

ジャン・オブリの劇に付けた音楽(4曲)で、サンドマンとは「眠りの精」のこと。交響曲第1番と2番の間に位置し、作曲活動を遅くはじめたルーセルにとって、同曲は初期作品といってもよい。海軍時代にはインドシナまで行っていたものの、まだまだ印象主義の影響が強い時期である。

物すごーく優しい曲。ほの暗い前半・夢見る後半、2つの気だるい旋律を軸にして、若干の変容や短い副旋律を織り交ぜながら、妖しくも美しい音の綾を様々な楽器を通して聞かせていく。とくに14分(4曲め)前後からの主旋律は、初期ルーセルでも瑞逸で、感涙ものの名旋律だ。ハープのとつとつとしたアルペジオ、フルートのゆったりとたゆたう雲の下で、むせび泣くように密やかに始まるヴァイオリンの旋律提示には、震えが来る。瑞々しいけれども毛羽立たない演奏ぶりがまた素晴らしく、フルートの、震えるような懐かしい音色も泣かせる。ヴァイオリンの音色がややアマチュアリスティックで洗練されないところがある。でも、曲自体の精妙さと棒の繊細さがそれらをすっかり覆い隠してしまっている。これは素晴らしい。・・・レイボヴィッツらしくない。

美しい・・・それだけ。個性などない。寧ろルーセルっぽいところ・・・オリエンタリックな半音階的音線や、展開部でのリズミカルな部分は、不要とさえ思える。くもの饗宴とのカップリングで、かなり似ているところもあるが、冒頭よりリヒャルト的前世代のロマンティックな雰囲気を漂わせ、また曲が進むにつれ「牧神」やラヴェルの「序奏とアレグロ」を思わせる香りも強く感じさせる。新鮮な機知の点では1も2も無く「くもの饗宴」に軍配が挙がるだろう。・・・でも私はこの曲の方がずっと好きだ。「砂男」の砂を瞼に浴びて、気持ちの良いシエスタに浸ろう。

ちなみに同録音にはルーセル夫人が立ち会った。”人生のたそがれにおいてこのレコーディングセッションに立ち会えたことは、わたくしにとってこの上ない喜びです。(中略)「サンドマン」は、今や殆ど忘れられた作品ですが、若かりし頃の私たち・・・アルベール・ルーセルと私自身の姿を、うつしたもののように思えてなりません” で始まる感慨深い手紙を、賛辞を添えて送っている。

※2004年以前の記事です
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☆ディーリアス:チェロ・ソナタ

2017年12月21日 | イギリス
○ベアトリス・ハリスン(Vc)クラクストン(p)(symposium他)1926/2,3・CD

ディーリアスの円熟期後の作品は旋律の半音階性を増し内省的になり(つまりそういう面では「才気が変容」し)、完成期ドビュッシーの影響下それ以上に「印象主義」的な楽想のうつろい、気まぐれ、だが一種限られた箱庭世界から出られないようなハーモニーの微妙な動き、個性的だが余りに曖昧冗長で、楽しんで聴くにはそれなりの気持ちと環境が無いと難しい。あくまで自己の音楽に忠実で技術的な難しさは無く(弦楽の書法は私は巧いと思う)、超絶技巧を楽しむことができない器楽曲というのは普通の聴衆には受けないわけで、演奏会に取り上げられないのも頷ける。チェロ・ソナタは特にそういった面が顕著に思われる。曖昧模糊とした美しさ、自然主義的というか環境音楽的な耳優しさがあるが、表現が単調だと飽きてしまうし、甘すぎると胃がもたれてくる。短い単一楽章制なので何とか聴き通すことはできるのだが。。当代一の女流チェリスト、B.ハリスンの音は前時代的な纏綿とした、ヴァイオリン的なもので、びろうどのように滑らかに震えるようなヴィブラートと有機的なフレージングでディーリアス世界に入っていく。だがそういう芸風なだけに、こういった旋律が半音階的でわかりにくく、全般平坦な風情の作品では正直、飽き無いとは言い切れない。なんとなく一回聞き流すなら美しい、でも何度も聴いたり、あるいは真剣に聞き込むという態度には向かない。何より録音が悪いのは仕方ない。この時代では確かに第一級の安定感であり、作曲家も満足したであろう確かさに優しさがあるが、曲自体の価値含め○以上にはならない。

※2009-10-04 12:17:51の記事です
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☆ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」抜粋

2017年12月20日 | ドビュッシー
○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R,WHRA)1951/12/1live・CD

モントゥらしい、ワグナーとドビュッシーの交互プログラムという啓蒙的な一夜の記録だが、これ、ナレーターは抜粋と言っているが、管弦楽のみにより、恐らく交響的断章だろう(音楽的記憶力がないので定かではない、誰か検証してくだされ)。アメリカオケでこう真正面からやられると何かアングロサクソン的な音楽になるというか、初期なんだか晩年なんだかわからない「わかりやすい」楽想と「不可解な」楽想の混沌のうちに、例えばグリフィスとか、例えばイギリスの群小作曲家とか、そのあたりが稀に仕上げる佳作に見られる垢抜けた印象派ふう表現が、輝かしくもこの作曲家には不釣合いにも思える壮大な「クライマックス」を築き上げる。モントゥはほんとに職人で、未だバラケ味も含め艶のあるこのオケの魅力を引き出しつつも、基本は自分の掌中でまるでルービックキューブのように組み立ててしまう。ルービックキューブなりに色がそつなく揃い過ぎてしまうところは否めないかなと思うが、色彩が整理され聴き易いことも確かで、「パルジファル前奏曲」と「ラインの旅と葬送音楽」に挟まれていると、ディーリアスの長大な歌劇をマッケラスあたりで聴いている気分にもなる。録音が悪いが、性急でスマートなワグナーと違和感無くうまいバランスをとっていることも含め○。WHRAは状態もほぼ同じ。初曲と終曲だけの編曲?

※2009-01-04 13:24:55の記事です
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☆サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン

2017年12月20日 | Weblog
作曲家(Vn)不詳(P)(HMV/EMI他)1903・CD

鈴木清順翁鎮魂、というわけではないが取り上げる。あまりに有名なSP原盤だが(録音は蝋管だろう)演奏自体は手堅くオールドスタイルの踏み外したところは皆無。中年のサラサーテがもはや技巧をひけらかす年ではなかったのもあるだろうが録音時間制約や当時の録音に対する意識が「いつもと違う」演奏を記録させた可能性はある。細かい音はもちろん聴こえず、ピアノを識別することすら難しい局面まであるが、想像力で補って聴けば左手指は回りまくり、きっちり時間通り四角くおさめた職人的上手さに納得する。冒頭こそあっさりしすぎているように聴こえるが一貫してそのスタイルなのである。この復刻(1991)は裏表を返す時に何か言葉が入るのをそのまま入れてあるが、内田百閒の不安を醸す暗喩的想像を掻き立てる程の代物ではない。三音程度の声である。音楽家の声という意味ではチャイコフスキーの方が喋っている。

※2017-02-23 22:30:57の記事です
Comments (2)
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