Warnerではオケ名を管弦楽団のままとしており原盤表記はおそらくそうなっているのだろう。この時代の楽団表記はマストではなかった。曲があまり編曲されないたぐいの繊細なものであるからしてこの前のグラナダよりもさらに静かな編曲で、とりとめもない感じもする演奏となっている。コッポラ自身の編曲だから同じようなソリストを繋いでいくような形であるが、趣はすこし異なる。
Warnerではオケ名を管弦楽団のままとしており原盤表記はおそらくそうなっているのだろう。この時代の楽団表記はマストではなかった。曲があまり編曲されないたぐいの繊細なものであるからしてこの前のグラナダよりもさらに静かな編曲で、とりとめもない感じもする演奏となっている。コッポラ自身の編曲だから同じようなソリストを繋いでいくような形であるが、趣はすこし異なる。
ビュッセルの編曲とは違うコッポラ自身によるもの。即物的なコッポラらしさは希薄。曲の穏やかさと編曲の妙で雰囲気音楽的であり情緒的である。職人的なわざで換骨奪胎とでも言うべき厚みある音楽を作り出している。ギター模倣のフレーズを担うハープなどソロ楽器が効果的に活用されているが、ファリャが賞賛したスペイン風のところはあくまで技法的に中東風のものが入っているというだけで、完全にフランス的な上品さのうちに収まっている。いや、肯定的な意味で書いている。昭和初期の録音でこれだけ幻想を味わえれば十分。オケも良いのだろう(Warnerではオケは無名となっている)。
ビニェスの初演もかくありなんというスピードと水際立った音の弾け方、南欧的な明るさが素晴らしい。SPでこれを実現したのはコッポラや楽団もさることながら録音・プレス側の腕も優れていたということにほかならない。冒頭からしばらくはつんのめるようなテンポ感がありSP期特有の揺らぎが気持ち悪いが、後半は気にならなくなる。いや、この高速インテンポはコッポラの短所にもなりうるのだが、この曲はこれでいいのだろう。旋法的な動きを際立たせて雰囲気音楽に持っていくには明確すぎる輪郭を持っており、やや浅くも感じさせるだけに、勢いが大切だ。この編曲もいっそ南欧風のカラッとした感じがしてファリャを少し思わせ、モリナーリの編曲としたらドビュッシーの指示も確実に入っているのだから、正しいのだろう(コッポラの編曲かもしれない)。サティと違ったストレートなシテール島への船出、楽しい航海、である。
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1音源1記事(まれに複数記事)とし、おおむね寸評レベルの短文です。物量優先です。更新はランダムですが、すでに20年近くの蓄積がありますので、ホームページやまとめブログ含めご愛顧よろしくお願いいたします。
(音源評の見方)
◎:おすすめ、○:聴いて損は無し、無印:機会があれば、△:イマイチ、×:私の感性にはあいませんでした (2016年まで)※現在は○のみつけております
***
◆データについては原則「評価、指揮者、楽団名、ソリスト名、(録音媒体のレーベル名)、録音年月日等、媒体種別(SP、LP、CD、DVD他)」の順に書いています。一部前後しています。
例:「○ノイマン指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON)1979/4/24-28・CD」の意味は、
評価○、レーベル名SUPRAPHON、録音年月日1979/4/24-28、媒体種別CD(ほかはそのまま)
◆弦楽四重奏団に関しては現在「×××四重奏団」に統一表記しています(団体によって「弦楽」が入ったり入らなかったりして検索時に混乱するため。弦楽以外は記述します)。古い記事はその限りではありません。
◆媒体種別については原盤不明瞭な場合、とくに記述していないものもあります。WEB配信音源はそれとわかるような記述をします。CD-R盤(裏青盤)かどうかは最近は権利問題のグレーなことも加味し記述していません(以前はレーベル名の横に付加して表記)。
◆youtubeにある正体不明の未発音源(動画)はyoutubeをレーベル名として書くこともあります。ただ、権利上の問題をクリアしていないものが多いようで、すぐに削除されることが多く消極的です。
◆指揮者、楽団名、録音年月日については基本的に「音盤に記載されているもの」を記載します(疑義発生時は確認の上必要な場合のみ本文中に記載し程度によって修正します)。ほぼ確定している偽物については真偽両方併記、もしくは?や「伝」をつけて記述します。日本語表記については慣用的表現・個人的に馴染みのある表現を優先します。
◆略称の使用については常識の範囲内で行いますが特に統一はしません(面倒ですので)。たとえばレーベル名でm&aとある場合はmusic&arts、DAとある場合はDisco Archivia、SLSはyves saint laurent studioです。オーケストラではフランス国立放送管弦楽団とその関連団体、フランス盤で昔「国立管弦楽団」とだけ表記されていた団体、ある時期までの後継団体は「ORTF」と統一表記しています(非常に煩雑ですので)。
◆最新以外の記事に記載されているデータのアップデート・修正は原則行わず、FC2で辞書的にまとめている「まとめブログ」のデータのみ修正追記していくこととします。http://20urakura.blog67.fc2.com/(2009/3追記2010/3修正)
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ふつう。「この曲でどうやったら個性的になるんじゃい!」と言われそうだが、表出意欲の強い演奏ならもっと古い録音にある。これは平穏なサロンミュージックで、引っかかるところがない。それが意図でもあろう。ドビュッシーの繊細さと乱暴さの同居する奇妙な編曲もサティの原曲の情緒を損ねずに、まるでもとからそうであったかのように聞きとおせる。プレートルの職人性が表れている。原曲は3,1番の順番になる。
大人しい。この曲はそれでいいのだが穏やかで、一部表現にプレートル独自のものが出ていなくもないのだが、ごく一部であり、ソリストの個人的表現の範疇にとらえられなくもない。正規録音なので神経質に音質にこだわる人でなければ、この曲を最初に聴くのには向いているかもしれない。曖昧模糊とした「印象派」なるものを実感できるだろう。
一楽章、シゲティ的な掠れのある、弓圧に頼らない私の好きな音系なのだがぶっきらぼうな発音や荒い表現がきかれるのはその系統の特徴なので仕方ないか。但し奏法(というほどのことではないが)を使い分けていて単調にはならない。部分部分の解釈に感傷は宿らない。全体、流れの作り方、プラス前記のようなところから他の演奏家にはあまり無いたぐいの懐しさをはらんだものが滲み出てきて、余情が残る。鄙びたモノラル録音であることも手伝い、松葉のない棒のような弾き方でも違和感はそれほどないし、ピアノも含めて雰囲気が出ている。二楽章はそのやり方が通用しないようなところがあり、楽曲に特徴的なブルースを演奏で効果的に仕上げることは出来ていない。切り替えなく一楽章と同じやり方だ。精密機械としてのラヴェルとはまた違う方向を志向している演奏なのでこれはこうでいいのだろう。ピアノの正確な粒だった音が光っている。しっかり主張してくることでラヴェルであることをわからしめている(ピアノはどうやってもラヴェルになる)。他楽章の要素が複雑に絡み合う三楽章ではソリアーノのやり方が功を奏する。激しい表現は民族的ですらあり盤石の技巧の上で荒々しさを発揮して、ただ荒いのではなく、荒さを弾いているのだと和音の完璧さを示して終わる。なかなかの演奏だが正統かどうかはわからない。
モノラルで音は普通。バーンズはアメリカでマーラー演奏に貢献した指揮者でアルマとマーラー生前未発表曲の演奏にかんして直接交渉したことで知られるが演奏は知られていない。さもありなん、つまらないのだ。あまりに予想どおりで、譜面をただ音にしたような演奏ぶりであり、型式ばった演奏はドイツ系のやり方といえばそうなのかもしれないが(父クライバーとレオ・ブレッヒに薫陶を受けている)音にはドイツ系の響きにあるべきパワーがなく、かといって超客観主義のスワロフスキーのように透明に振り切ったところもない。まるで中庸でまるで魅力の語りようのない、曲自体の魅力で聴かせるだけだ。2,3楽章を入れ替えているのはバルビローリなど同時代やっている指揮者はいるので珍しくもなく、稿が違うようにも聞こえない。悪しざまに言ってしまったがただ一言で済ますなら「普通」。期待過剰であった。オケは必要十分といったところ。いや、ふつうなりに2(通常3)楽章など聞かせますが。
放送用録音の放送起こしか。録音は籠もり鄙びた音がするからライヴかと思った。その鄙びたところが冒頭からラストまでひたすら繰り返される動機を担う数々の楽器をもって懐かしくもハッキリと、これがディーリアスの曲であることを示している。ディーリアス好きからすると響きが薄いので満足できない曲かもしれないが、手軽な五分半という長さであればディーリアンならずともその世界の良さを味わうに程よく、これで音が良ければ、ライナーの曖昧さのない捌きがむしろディーリアスの考え抜かれた懐深さを浮き彫りにして良いと思う。ほんと、ボロディンふうの世界からここまで達するのに苦心があったろうというか、リヒャルト・シュトラウス等の楽器法と和声の巧みなところを取り込んで、民謡風のメロディを自然に軽やかに引き立てることに成功した(ゆえマンネリズムを持ち味にしてからは好悪別つと思われる)ディーリアスのロマンスに触れるには良い小品。前衛的な晦渋さに凝りだしてからの作風が好きな向きは物足りないか。ライナーのディーリアスは知る限りこれが2つ目だが、データ不整合なものの同一かどうかは確かめない。面倒なので。
LP起こしというがライヴであり独自発掘かもしれない。これはいかにもこの時代の前衛の響きを嗅いだ保守的な作曲家の作品という様子で、昔よく聴いたたぐいの半端な不協和音に半端に晦渋な書法、だが、クラヴサンという楽器の爽やかな響きによってそれらの「曇った要素」が比較的取り除かれているのがポイントだ。なのでずっと聴いていられる。このソリストの腕なのか楽器に工夫があるのかわからないがとても大きく響き、また実に細かく動き回り、終いにはシンセサイザー協奏曲を聴いている錯覚に陥る。録音の古いせいもあるだろう。編成を絞ったのは新古典主義を狙ったというよりクラヴサンとの音量差を無くすための配慮だろうが、この演奏はバランス良く聴けた。楽しめるかどうかは曲との相性次第。わたしは二度聴くことはないかな。七分半と十二分の二楽章構成だが二楽章はカデンツァを挟み4つの部分に分かれる。
LP起こしというがライヴであり独自発掘かもしれない。管楽器、ピアノ、打楽器とトランペットのための協奏曲第二番というのが原題であきらかにストラヴィンスキーの野蛮主義からきたお得意のエキゾチックな乱痴気さわぎ、三楽章ジオコーソは曲も演奏も出来がよくブラヴォも出るが植民地主義へのブーイングの方が多い。ミュートしたトランペットが旋律をとなえ(この曲はきほんソリストが高音で断続的なメロディをかなで、そのずっと下の音域で他が騒ぐ構造になっている)、一楽章は何も見なくても戦後ジョリヴェとわかるような騒ぎっぷりでジャズの要素はその後の楽章にも現れ諧謔的な雰囲気を支配的にするが、これは好きな人は楽器が絞られているぶん洗練されて特に好き、嫌いな人はまたかよという感じだろう。二楽章は東洋的なフレーズも表れる三分半、ジョリヴェが騒ぐだけではないという見本(支配的な位置の高音楽器がトランペット以外にもまわってくる)。三楽章はパーカッションの腕の見せ所でもはや何の何処の音楽を聴いているのかわからない。娯楽的でもスリリングでもある。悪くはない、赤道協奏曲のようにでかくて長ったらしいものを聴くより、限られた楽器によるこの曲で打楽器主義を娯楽的に楽しむのは悪くない。三つの楽章計で13分くらい。音色も腕も良いが録音が古いためパーカッションが派手に叩くと絡んでくる管楽器が小さくてバランスがとれない。それが原因で全般やや抑えめの演奏に聴こえなくもない。ところで指揮者は必要なのか、とふと思った。
サージェントらしい緩急ついたダイナミックな惑星で、トスカニーニスタイルよりもしっとりしているところはしっとりしているものの、おおむね客受けしそうな演奏で、オーソリティの地味なボールトやスペクタクル系のオーマンディよりも「惑星」そのものを楽しむのには向いている。録音瑕疵があり放送ノイズやステレオ録音の偏りが気になる個所が散見されるので、サージェントの惑星として決して上には置けない。火星でのブラスを中心とする「とちり」は看過できないほど多い。ただ、後半は安定してくる。BBC交響楽団ならではというものは何もないが、サージェントはおそらくイギリスの同時代指揮者でいちばん惑星が巧かったので、ほかで聞くのもいいと思う。
戦中録音であることを考えるとノイズも仕方ないか。ただボールトは後年の録音とスタイルを変えていない。ある意味、もっと動きのいい手兵としてこのオケを存分に動かしており、力みすぎている。力む要素の確かにある、感情的な旋律で、戦時中であれば祈りを叫びにして放ちたい気分もあろう(YouTubeにボールトやサージェントらが戦意?高揚的な舞台に立つ映像がある)。ただどうも、細部の分離の悪い古い音だから「気になる度」はステレオ録音の方が上なのだが、この曲は慟哭を表現するのは違う気がする。思ったより奏者をえらぶ曲なので、最初にワルターとかボールトを聴くと「何この曲」となるかもしれないので、あくまでセカンドチョイスにどうぞ。
旧録、オケはRPOだろう。録音がいささか旧く、冒頭から弦楽器が薄くバラけたように聴こえるが、鄙びた(RPOとしたららしくない)音も音楽に生命力が宿ると気にならなくなる。管楽器はこのオケらしい軽やかな輝かしさが感じられる。ディーリアスの感傷的なうねりに前向きな旋律をのせ、ホルストを通してジョン・ウィリアムスに受け継がれる神秘的な響きも伴いつつ、完成期からのさらなる中期的な、不協和音や不安な調性が織り交ざるが、すべてがやはりディーリアス的な、そこにもっと民謡風の世俗性を入れて、しかし癖はなく、ボールトはそれをまったく他の同時代指揮者とは違い自然かつ魅力的に、いかにもRVWらしく仕上げている。小粒感はあるがこちらのほうをとる人もいるかもしれない。「原典版」である(合唱あり)。