花壇といっても大雑把であるが、山桜がシンボルツリー、
2本あるうち1本は枯れたので根を残して切り、そこから
若芽が出てきて育ちつつある。
その木を取り巻くようにバラ、ローズマリー、紫陽花、
芍薬、ギボウシ、千日紅などワイルドフラワー諸々を
植えたのが春先のこと。
それ以前から水仙やら、ワイルドストロベリー、ミントなど、
色々植えてみた。緯度が限界越えらしく咲かない種もある。
雪にうもれて春また咲いてくれるとは限らない。
このまえ庭の境に榊を植え込んだのだが、すると花壇の柵が
急に気になりだした。
なんともテキトウな花壇のまま4年が過ぎたし
Mさんが手作りした木の柵はとっくに腐ったので取払ったまま、
余りもののブロックやU字溝を替わりに使っている。
それで思い立ったが吉日でしょ、というか、
そのときやらないと再び数年過ぎる気がするのである。
そこで、前から目をつけていたジャスコのガーデニング売場へ。
テラコッタのボードを購入した。かなり重量がある。
並べてみると、ちょっと花壇らしくなった。
重いものを持つのが苦手なわたしは
たったこのくらいのテラコッタ運びで手先、指が
腫れてしまう、手首は痛い、情けない限りだ。
「なんでもすれば食べていけるわ」と勢いで言うには言うても、
皿洗いも掃除婦もこれでは無理、肉体のありがたみを
日々実感している。
母は父が死んだあと、田舎町で働こうにも実際のところ
肉体労働、単純作業労働しか口がなかった。
たとえば病院の雑役婦、温泉ホテルの厨房、クリーニング屋。
親戚には羽振りのいい叔父叔母がいたのだが、その人々の
口利き先で勤めても、きつい労働も苦労も他人と大差ない。
仕事があるだけいいというものだったろう。女であり、
50を過ぎてからの就職は昔から厳しい。
小柄な身体を使いすぎたか、腰が曲がってしまった。
いったん曲がったのは元へは戻らないらしい。
戻してあげたいが、どうにもしかたがない。
うさこの場合はたとえばジャスコのレジ係に行ったとしよう。
腱鞘炎で一週間続かず、見習いだからお給料こんだけね、
と雀の涙だろう。ガソリン代も出ないわけだ(妄想癖全開!)。
否応無しに自分にできること、できないことを思い知る。
親孝行も半端やしなあ、この手は箸と本だけしか持てんなあ、
とちょっと情けない。
テラコッタの予想外の重みに、つらつら考えるのである。
腐食止めの入った塗料を塗るのは、晴れた秋の日でないとできない。
ここは湿気の多い森の中だからね。
ねずみ師はなんでも器用にやっちゃいますの人、いい仕事しまっせなんちゃって。
手伝っているU氏もなんでもやる派、なので仕事が早いです。
これが終わったら、屋根を塗る予定。
うさこももちろん手伝うが、なにせ高いところはドキドキではかどりません。
一週間くらい晴れが続かないと終わらない、たぶん。
人生はメンテナンスの日々である。山口瞳だったか、そのことに気づいて
唖然と書いてあったような気がするが、それが楽しみであったりするのは
大きな幸福といえるだろう。
自分でできることは自分でやりたい、誰しもそう思うだろうし
老いては自分の体のメンテナンスが最重要課題となる。
問題になっている限界集落とか離島で暮らすお年寄りにも子どもはいるだろうに
子どもは子どもで過疎地では食えないということだろうに
この国は無策である。それは果たして国家かということになるので
納税拒否といきたいが、すでに税を収めて老いた人は騙された被害者で
これではまるで、帝国ニッポンと同じことである。
自民党はそもそも帝国ニッポンなんだからおしてしるべしなんだが。
でも知らない人ほど真面目に働いてきたのだと思うと、情けない。
ブツブツブツとつぶやいて見上げると、秋の空はおだやかであった。
2本あるうち1本は枯れたので根を残して切り、そこから
若芽が出てきて育ちつつある。
その木を取り巻くようにバラ、ローズマリー、紫陽花、
芍薬、ギボウシ、千日紅などワイルドフラワー諸々を
植えたのが春先のこと。
それ以前から水仙やら、ワイルドストロベリー、ミントなど、
色々植えてみた。緯度が限界越えらしく咲かない種もある。
雪にうもれて春また咲いてくれるとは限らない。
このまえ庭の境に榊を植え込んだのだが、すると花壇の柵が
急に気になりだした。
なんともテキトウな花壇のまま4年が過ぎたし
Mさんが手作りした木の柵はとっくに腐ったので取払ったまま、
余りもののブロックやU字溝を替わりに使っている。
それで思い立ったが吉日でしょ、というか、
そのときやらないと再び数年過ぎる気がするのである。
そこで、前から目をつけていたジャスコのガーデニング売場へ。
テラコッタのボードを購入した。かなり重量がある。
並べてみると、ちょっと花壇らしくなった。
重いものを持つのが苦手なわたしは
たったこのくらいのテラコッタ運びで手先、指が
腫れてしまう、手首は痛い、情けない限りだ。
「なんでもすれば食べていけるわ」と勢いで言うには言うても、
皿洗いも掃除婦もこれでは無理、肉体のありがたみを
日々実感している。
母は父が死んだあと、田舎町で働こうにも実際のところ
肉体労働、単純作業労働しか口がなかった。
たとえば病院の雑役婦、温泉ホテルの厨房、クリーニング屋。
親戚には羽振りのいい叔父叔母がいたのだが、その人々の
口利き先で勤めても、きつい労働も苦労も他人と大差ない。
仕事があるだけいいというものだったろう。女であり、
50を過ぎてからの就職は昔から厳しい。
小柄な身体を使いすぎたか、腰が曲がってしまった。
いったん曲がったのは元へは戻らないらしい。
戻してあげたいが、どうにもしかたがない。
うさこの場合はたとえばジャスコのレジ係に行ったとしよう。
腱鞘炎で一週間続かず、見習いだからお給料こんだけね、
と雀の涙だろう。ガソリン代も出ないわけだ(妄想癖全開!)。
否応無しに自分にできること、できないことを思い知る。
親孝行も半端やしなあ、この手は箸と本だけしか持てんなあ、
とちょっと情けない。
テラコッタの予想外の重みに、つらつら考えるのである。
腐食止めの入った塗料を塗るのは、晴れた秋の日でないとできない。
ここは湿気の多い森の中だからね。
ねずみ師はなんでも器用にやっちゃいますの人、いい仕事しまっせなんちゃって。
手伝っているU氏もなんでもやる派、なので仕事が早いです。
これが終わったら、屋根を塗る予定。
うさこももちろん手伝うが、なにせ高いところはドキドキではかどりません。
一週間くらい晴れが続かないと終わらない、たぶん。
人生はメンテナンスの日々である。山口瞳だったか、そのことに気づいて
唖然と書いてあったような気がするが、それが楽しみであったりするのは
大きな幸福といえるだろう。
自分でできることは自分でやりたい、誰しもそう思うだろうし
老いては自分の体のメンテナンスが最重要課題となる。
問題になっている限界集落とか離島で暮らすお年寄りにも子どもはいるだろうに
子どもは子どもで過疎地では食えないということだろうに
この国は無策である。それは果たして国家かということになるので
納税拒否といきたいが、すでに税を収めて老いた人は騙された被害者で
これではまるで、帝国ニッポンと同じことである。
自民党はそもそも帝国ニッポンなんだからおしてしるべしなんだが。
でも知らない人ほど真面目に働いてきたのだと思うと、情けない。
ブツブツブツとつぶやいて見上げると、秋の空はおだやかであった。