想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ことばと手垢 2

2008-10-04 14:51:25 | Weblog
  「秋の空」 という題。
   検索ちゃんですごい数をはじき出しそうな…


     親分の瞳の先には、空ではなくおっかあである。

   八木重吉の詩のことばには、むずかしい語彙はひとつもない。
   だれでもふつうに使う、台所や茶の間や寝床にころがる
   ことばである。なのに色も染めていない真新しい生地の
   ような、そして水をくぐっていない硬いひらがなである。


     秋が呼ぶようなきがする
     そのはげしさに耐えがたい日もある

     空よ
     そこのとこへ心をあずかってくれないか
     しばらくそのみどりのなかへやすませてくれないか
           (「秋の空」 詩:八木重吉)


     世間に疲れやすいので、重吉さんには昔からお世話に
     なっています。重吉さんが病の日に紡ぎだした言葉に
     五体満足至極元気なわたくしが励まされなぐさめられ
     いのちを繋いでいるというのは、申し訳ない気がします。
     ほんとうにすまないことです。
     
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ことばと手垢

2008-10-04 14:31:38 | 
    刻々と移りゆく秋の景色に似合う言葉がいくつかある。

    森羅万象。
    大風呂敷だなあ。
    万の象だもの、夢をかなえるぞうのガネーシャみたい、ざっくりやで。
    便利すぎて手垢のついた言葉になっちまってるから、最近は人気ないのか?
    詩人なら避けるでしょ、青い若者か似非宗教家か立松和平好みだわ。
    



    古典的な表現や語彙をつかいこなして、手垢とかを感じさせない文章というのが
    あるものだ。
    たとえば‥、白洲正子。師である小林秀雄はもっと抽象性と観念の勝った文章で、
    どちらかといえば作者の胸中を読み解かなければならず、同じ地点に立つことを
    凡人は拒否されてしまうような、あるいは奮起させる厳しさがあり、凡庸な表現
    など探そうにもどこにも見当たらない。

    しかし白洲正子の紀行文の描写は、実際に読者をその場所へ誘い、著者とともに
    歩きながら同じものを目で追い見ているように克明に感じさせる。

    作品「西行」の一文。
    「熊野詣の神秘的な空気が迫って来る」
    一見平板な描写がある。
    那智大社へつづく参道の、苔に被われた石畳の道に使われているが、
    わたしはその場所を以前に歩いたことをがあった。
    同じ道で立ち止まり、神秘的という言葉しか思い浮かばなかった
    空気を思い出したのだ。

    樹齢はとうに百年余は過ぎたであろう大木の間から、切れ切れに
    射す木漏れ陽に苔の露が光っている。
    ひんやりとした道がどこまでも続くようで、道に迷ったような錯覚と
    あるいは迷ってもいいと思ってしまうような、どこかに引きずり込ま
    れていくような不思議な心地だった。
    幽明の境にいるような、おもいがけない、それは「神秘的な空気」
    だったのだ。

    そこを抜けると右に青岸渡寺、左へ行き那智大社へ辿りつく。
    滝のほうを見やると、そこには森羅万象という言葉が
    ふさわしい熊野の濃く分厚い緑があり、そのあいだに筋をひきながら
    白い泡沫が落ちて行く。
    絵のような、けれども目の前のたしかな風景なのだ。
    人の支配を超えた領域を畏敬をこめ森羅万象と一語に括る。
    
    一つの言葉が、
    浮いて手垢まみれになるときと、
    真実を背負う言葉であるときと、
    それは発した人の、そのときの心もようを映すのだろう。

    (続く)

   
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