想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ピンクは好きか?

2008-10-31 15:03:52 | Weblog
  ピンク、桃色、縁の薄い色である。
  なのに、このバラの花びらは透きとおるピンクで、
  それをわたしは美しいと思ったのである。

  思ってから気づいた、先に言った縁が薄いということに。
  別な言い方をするとあえて選ばない色ともいえるし
  好きではない色かもしれない。

  そのことに気づいて、今まではそう思ってきたが違うのでは
  ないかと考え始めた。

  わたしは前にも書いたが、かなりのじゃじゃ馬で、おてんばであった。
  ヤンキーとかレディスの方々と異なるのは本好きなところである。
  本が好きだということは、おのずと採る方法が異なってくる。
  まず、群れない。次に手順を踏んだり計画性もすこしある。
  レディスの方々はよくは知らないが、体育座りしたりするようだが
  わたしはどこかに座り込んだりする暇があるなら、なんか別のこと
  しようかということになる。ぼーっとはするが、だらだらはしない。
  男っぽいかもしれない、どちらかというと。
  これまではそうだった。

  だからなのか、ピンクはちょっとなあ…という感じ。
  ところがよく振り返って思い出すと、成人式には着物を着ずに
  スーツを新調してもらった。ウエストを細く絞った上着とプリーツの
  入ったスカートで、色はなんとサーモンピンクであった。
  合わせたブラウスは薄いパープルだった。

  なんだかけっこう女っぽい格好してたんだなあ、と急に思い出す。

  どうしてピンクに縁がないと思ってきたのか?  
  記憶のなかで、わたしは黒白ブルー茶の女だったはず。
  ときどき紫が混じるが、ピンクはなかった。
  花束をつくるときも桃色トーンにはならないようにしていた。



  ピンクの美しさに気づいたのはバラを育てるようになってからだ。
  えもいわれぬ香りとともに、その色もすっと入ってきた。
  生活のなかの他のどこにもピンクはないが。
  バラ全体の三分の一ほどを占めるピンク系、少しずつ
  違う色合いを見せてくれる。でも、ピンクはピンク。

  「縁が薄いと思っていた」のは自分に対する思い込みからきたもの
  なのだった。ピンクの女性的イメージと自分は合わないから却下、
  今思うにそういうことなのだった。

  ほんとうを言えば、美しいものは美しい、好きも嫌いもなく
  ああ美しいと思うのである。身にまとったりつけたりせずに
  ただ眺めていたい理由は、美しいから。

  人を花になぞらえるのを、時折り聞いたり見たりする。
  数年前に流行った「世界に一つだけの花」というのもそう。
  深く考えもしないで譬え、そして意味が通じる人と花のセット。

  色々な花があるように色々な人がいるはず、ということはしかし
  好まれたり好まれなかったりする花があるように、人しかりである。
  万人受けするものと、野辺の花や、ふだん手の届かぬ高い峰に咲く
  ものもある、これまた人しかり。
  
  でも、せっかく花になぞらえるなら花の色、形という細部を
  よく見てみてみよう。
  どうやったら、茶色や黒い土から伸びたがさがさ肌の幹から
  つるつるの緑の茎が伸び、その先端に透き通るような花びらの色を
  湧き出せるのか。その色はどこでどう調合したの?
  なぜそんな色になるの? と見つめてしまう。

  花の色形の多様なことは、人の能力や個性の多様性と似ている。
  内側に秘めた不思議も似ている。表からはその力は見えない。

  花に寄せていえるのは、美しいものは美しい。
  好きか好きでないかは気まぐれにかわる無常だが、
  美しいというのに変わりはないのだということだった。
  人が人に惹かれるのも同じことなのだろう。
  薫りとか内側からこぼれる光とか、どこかでキャッチして
  その人を忘れられなくなるのだろう。
  



コメント
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