想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

あんこ玉と万葉集

2008-10-15 10:04:44 | 
     葉がすっかり落ち、紅い実が目立つようになったヤマボウシ
     つい摘みとって食べたくなるのです(食べても大丈夫です)。
    
     今日の主役は、紅い実ではなく黒い実、いや黒いあんこ玉。



     ご存知、京都の和菓子屋さん「仙太郎」の老玉(うばたま)です。

     「黒くて丸い形が、あやめ科の檜扇という植物の実に似ているので、
      名付けられた。古くは夜、月、夢といった言葉の枕詞に、
      ぬばたまの‥と用いられた。烏の濡羽にも似た漆黒の色なので
      〈烏羽玉〉とも書き、ぬばたま、うばたま、と訓む。」
     小さな折箱に掛けられた包装紙を裏返すと、裏に上の一文があります。

     その次に和歌が一首。
     その歌に、しばし釘付けになったのです。

     老玉は仙太郎の数あるお菓子の中でも特に好物で、それだけを買うと
     いうことはあまりないけれど、お使い物などで買物をしたときついでに
     自宅用に買うのが常で、でも包装紙はすぐに捨ててしまうので裏に歌が
     書かれてあることを今まで気づきませんでした。



     万葉集巻二の八十九
     相聞歌です。

     「居明(いあか)して 君をばまたむ 
         ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも」

     或る本の歌に曰く、と詞書があり、或る本とは万葉集編纂の底本(資料)となった
     飛鳥、藤原朝頃の古い歌集のようです。
     飛鳥時代とは今からさかのぼること千五百余年、そのいにしえの頃、
     あなたのことを、ずっとずっと思い続けて待ち続けています、私の髪が
     白いものに被われるくらい長い歳月がたとうとも、ここでまっています。
     と歌った、その人がやんごとなき人かどうかなどというのはどうでもよく
     その心が沁みてきます。

     老玉を黒文字に刺し、じっとみつめて、ぬばたまの~と思うと
     パクリと食べる気がいたしません、困りました。
     おいしいのに、大好きなあんこ玉なのに、なんか胸キュンになっちまって。

     PS:東京では伊勢丹新宿店地下一階に仙太郎はあります、他に銀座三越などにも
      あるかと思います(最近の銀座はよう知りませんが)。
      老玉は確かひと折で六百円くらいだと思います。

    
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楽しい小学生

2008-10-13 15:34:39 | Weblog
    建物の陰にある紅葉した木は、まだ若木で川べりに落ちた実生。名前は知らない。
    周囲より一足先に見事に色づいた。




before after ってのはこじつけ、これはたしかに塗る前の壁の状態だが
   塗ったあとのいい感じ~を撮っていない。
   で、Nつよし君とうさこの会話で再現すると‥

   「おおお、新しくなったみたい、みちがえるね」
   「そうですね、やっぱいいですね」
   「売れるね、これなら」
   「ええっ、売るんですか」
   「売らねえよっての。誰が買うのよ、この山んなか」
   「‥‥、なんすか、それ」
   「ジョーダン、通じないなあ。キレイになったねってことよお、つまり」
   「でしょ、でしょ。」



    Nつよしの悪い癖は、なんでも手柄にしたがるところである。
    手柄たてずにおらりょうかー、って歌があったなあ、進軍ラッパが彼の体内では
    鳴っているのでしょうか。で、いずこへ? 進まれますか? と聞いてみたい。




    屋根の上から見下ろした裏山への小道。
    いつもくんくん親分と歩いてる道なのに、まるで違う場所みたい。
    みどりのトンネルは風景画か観光写真を切り抜いた絵のようだ。
    目の前に今見えている景色、なのにどこかで見たような気になる。

    情報漬けの日々にいると、こんなあたりまえも「逆転」に思えたりする。
    
    アングルを変える。するとそこに違ったものが見えて来るというのは本当なんだな。
    ここにいると、カンタンなことや言い古されたことが、あらためて実感としてわかる。
    素朴に学習する日々、うさこの気分は「楽しい小学生」である。
   


 
    
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自然を実感する

2008-10-12 10:59:31 | Weblog



  昨日は壁、今日は朝早くから屋根の塗装をやっています。
  塗る前に、ゴミを払い剥がれている箇所を修復して
  それから塗料を塗ります。
  けっこう広さがあるので、一日仕事で終わるかどうか、秋晴れの今日は
  チャンスなのです。
  だから、いつもより早めに飯食って働くべーです。
  U氏、そして「やまざるさんはたくましいなあ!」と言っていた
  Nつよし君、はりきって始めました。



  口笛を二三度吹いたら、振り向いてくれました。
  親分も立ち止まってましたけど。

  屋外で働くと、お天気に相談しなければ何事も進みません。
  農家はなぜ早起きか、よくわかります。
  都会で電車に乗り継ぎ、会社につくとビルの中で一日終わる
  生活では、お天気はまったく関係ないので実感として
  わからないわけです。それで一生過ぎるのは、なんとも
  もったいないことです。 
  だからって観光で自然を眺めにいってもそれは実感とは
  ほど遠いものでしかありません。眺めるだから、ね。

  ということで、秋は夏以上に屋外作業がたくさんあって
  冬に備えて働きます。

  うさこも親分をひきつれて、バラの世話をしにいきます。
  今年は肥料を施したせいか秋にも咲いてくれるようで
  蕾がたくさんつきました。
  花が開いてくれるかどうか、昼間の気温しだい、これも
  お天気しだい、ここでは自然に人が従うということです。

  ps:やっぱり屋根一棟分しか塗り終えられなかった、残念!
    「思ってたより時間がかかったから。見積もり甘かったなあ」と
    U氏ががっくりしてたけど、うさこは最初からわかってましたよ~。
    (何度も塗ってるから、あたりまえだー)
    予定調和で終わらないのも、また楽し、なんだなあ。
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楽天家族

2008-10-11 19:45:57 | Weblog
  天気予報を裏切って、やわらかい陽射に照らされた午後
  楽園ファームの(昨日リンク)やまざるさん一家の到着です。
  待ってました! 親分が大喜びしています。
  


  女房とは、だんなはんの冒険を止めまくる、反対すると
  いうのが相場でありますが、この楽園一家の女房殿は
  やまざるさんが脱サラ、田舎移住を決めても、いきなはれ
  わてもいきますわ、とちっとも反対しなかったとか。
  超がつく楽天家の奥様でした。
  やまざるさん曰く、止めてもねーやるでしょ、俺。ってな
  感じでしたが、そのそばで奥様がへらへらと笑っている。
  その瞳がキラキラしているのを見て、うさこは思いました。

  楽天的とは、「今を生ききる」ことなのではないか、と。
  この先になにがあるかはわからない、けれども必要なものは
  なにかがわかっているからだいじょうブイ。
  ということなのでしょう。

  森馬くん(やまざる家ご子息)は親分とのあくなきせめぎあいを
  たのしんでいました。

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スネ齧り虫vsふつうの人生

2008-10-10 11:46:22 | Weblog
    ~オトナは真剣な話? おいらは関係ねえ、大あくびの親分~

    昨日のつづき――
    元スネ齧り虫としては、さまざまな発見がある。
    いまだからわかるけど
    スネ=ふつう(ベーシックともいう)じゃない?
    なのに、齧り虫にとって普通は天敵らしい。
    なぜなら普通を平凡だと思う、それに平凡とか地味とかいう言葉
    が嫌いなんだね、この虫は。
    真逆なんだなあ。
    リアルが見えていない妄想の世界にいるよ。

    人生はふつうの連続なのだ。
    暮らしなんて言葉がダサイと感じているなら、旅でもいいが
    旅にも暮らしはつきまとうのさ。いい旅ほどそういうものさ。

    「歴史のない風景は美しくない」そうだよ。(白洲正子)
    歴史は暮らしの積み重ねなんだかんね。




    齧り虫の特徴は、自分の大きさがわからない。
    まあ、わからんでもいいのよ、大きくはないからね。
    そして小さくもないのよ、だから測らなくてよろしいんである。
    むやみに測って比べたがる、そして内心悲観するなんてバカらしい。

    特徴その2、いつか、とか、そのうち、とか未来予想をするね。
    齧り虫ちゃん、聞いているかい、君の未来は今の続きにある。
    ってことは齧ってる今の先は今と同じ。
    「いや、そうじゃなくて未来はだんだん変わっていくから未来だ」
    そう思いたいんだろうけど、じゃあなぜ変わるの? どうやって?

    その未来って、天から降ってくるのか?
    風に乗ってくるのか?
    君の将来ってやつは、どこから誰かが持ってくるのか?

    空を見上げ、念じても何も変わらない。
    思ってばかりじゃね。    
    
    普通同盟のやまざるさんみたいに、
    自分の手で触って作り出していく、身体を使う、これが基本。

    元臑齧り虫のうさこはエンジン始動後は、身体を酷使してきた。
    考えついたことはすぐにやる、これは焦りとはちょっと違う。
    もちろん失敗が多くなるが、やらないよりやったほうがよかった。

    収入が増え遊ぶ時間もぼんやり(得意)する時間もない日々。
    カレンダーの赤も黒も関係なくなって、アフターファイブなんてのも
    無縁である(あれは商業用語なのさ)。午前様は日常で鉄也いや
    徹夜はお友達。
    楽なことはないが、楽を求めたりしないで、工夫をする。
    それがけっきょく楽しくてハマっていくんだね。

    工夫して作り出していく、それを豊かな人生というのではないだろうか。
    この豊かさは金では買えないのだよ。
    お金はあとからついてくるもの、そしてまた出て行くもの。

    独立するのも勤めるのも、問題は何をどうやっているかだ。
    勤め人で工夫する人はMBOへ突き進む方法をどこかで考えるだろう。
    でっかく仕上げたところで買い取る、社長になるのが目的なわけじゃない、勝負さ。
    ノーベル賞が話題だけど、基礎研究だから目先のことだけ求めたら
    やれないし、忘れかけた頃に評価されるのって、本当に名誉だ。

    齧り虫ちゃん、きっといつか君にもわかるよ、
    地味のよさが、コツコツがすごいってことが。
    そして自分の臑を見るようになる。
    自分の臑がいとおしくなるさ。

    

        あくびしてる親分とともに、めざせ豊作人生! 
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元臑齧り虫

2008-10-09 00:31:17 | Weblog

    ハーイ、こんばんは~、自分のスネを確認するうさこでーす。
    って、こんな時間に更新ではもう一日が終わってしまうじゃないですかあ!



    夕焼けを見ていたら、お風呂のお湯の蛇口を締めるのも忘れ、
    ふたをガタガタ言わせて煮物の鍋が沸騰しているのも気づかず、
    その後も物思いにふけり‥、気づいたら夜更けなのでした。
    というのはウソだが、今夜は本当にお湯栓を締め忘れ二日分くらいお湯を
    流してしまった。
    明日からオマエは水で行水じゃ! と人差し指を自分へ向けて言うておきました。

    本題です。
    元臑(スネ)齧りのうさこ、その昔‥
    気がついたら二十代半ばだったので、あわてて人並みに働こうとした。
    エンジン始動して間もなく、普通に働いても稼げないのだという現実に
    気がついてしまう。
    周囲を見渡すと、ダチの中には月給の他に年2回数ヶ月分のボーナスが出る
    というような勤め人がいた。毎朝ラッシュアワーに耐え電車に乗る彼らを
    アホらしいなあと思っていたが、その理由をようやくさとったのである。

    中途採用で入ったはいいがお茶汲みなんかしてたら、光熱費と家賃を払って
    母上どのへ罪滅ぼしの送金をちびっとしたら残ったのは3万弱の食費と定期代、
    これがずっと続くのははっきりしとるわ、疑いはない! と声に出して言うと
    闘志が湧きすぎて、眠れず、結果寝坊してタクシーで会社へ行き、
    滑り込んだエレベーターの中で、上司に「おはよう」と言われてしまう。
    うさこは「おそうございます」と答えたが、反応はなかった。
    そのとき、やっぱ勤め人は向かないと思い知ったのである。
    
    話が長くなったが、夕暮れふと思った。
    元臑かじりとしては、で、なにゆえにかじるのはスネか? 
    膝ではなく臑なのはなぜ?
    といつもの語源調べを始めたのである。

    たいして調べるまでもなく、臑というのは自立歩行する人にとって
    立つときの要である。
    そこに力が入らないと立ち上がることも歩くこともできない。
    肝心な部位であり立つために必要最低限の部位だ。
    足がなくては人一人で食うてはいけぬ、その場所だ。

    面白い表現がある。
    「すねあらいさぶらい 臑洗い侍」
     他人の臑を洗うほどの卑しい侍。成り上がりの侍などを卑しめて言う語。
    「すねが流れる」
     すねに踏み堪える力がない。足もとが定まらない。
    「すねから火をとる」
     火をつける道具もないの意。はなはだ貧しいことのたとえ。
                           (以上、広辞苑) 

    
    「死んでまで親のスネをかじるのかい? あいにくと幽霊じゃ
     臑はみえねえよ、オトナにおなり、早いとこ。自分で立って親を越えろ」
    そう言って笑ったのは、ねずみ師だった。 
    かろうじて、間に合った感じのうさこだが、ときどきああして自分の臑を
    確かめている。
    かじりがいのないような、ほそーい臑なので、もちょっと鍛えたいわ~。
    
    

    
 
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ふつうって何さ

2008-10-07 09:59:51 | Weblog
    【ことばと手垢3】       

     雨の日など、こんな感じです。
     なんだかこなれてきた気がします。

     なにがって?
     ふつうを、ふつうに過ごすことがです。意外と意外なんですよ、
     ふつうにってやると、ふつうじゃなくなるんですから。

     おいらは毎日だいたい決まったことをして過ごします。
     たとえ、メシの量を「ダイエット」とかいうて突然減らされても
     シッポを振り振り、横目でニニニニッておっかあに流し目送るのも
     大盛りの日と同じ。何も変わりません、早く食い終わるだけです。

     おいらが教えたっつうか、ま、たぶん見習ったつうか、
     ふつうじゃなかったおっかあが、「ふつう」にこなれてきたのは、
     おいらの存在あってのことかと思うよ。



     その通りです、親分さん。
     うさこは若い時分、家族から「普通に生きなさいよ」と言われ続けていました。
     そのたびに「普通ってなんだよ!、普通の何がいいのさ」と腹の中で思ってましたね。
     若い頃は誰しもおだやかさより刺激を求めます。
     そんな時期に普通にって言われてもわからなかったなあ。

     もし自分に似た若い人に今会ったら、「普通がいいよ」とは言わないと思う。
     どうしてかって、それでは言葉が足りないから。
     きっと昔のわたしと同じように、「なにがよ?」と反抗すると思うし。

     普通がいいからではなく、普通に生きることはとても難しいと言おうと思う。
     なぜなら、あまねくとおる、ですよ、普通って漢字の意味は。
     普通に生きるとは、自分の命に添って生きよということじゃないかなあ。

     命が物差しになるなら、悪あがきしたり嘘をついたり背伸びしたり
     あるいは誰かを裏切ったり無理したりしなくてもいい。
     毎日の一日一日を生きるというところに立ちなさい、そういう意味で
     跳ねっ返りのバカ者に家族たちが「普通が一番よ」と言いきかせていたのだと
     今ではよくわかります。

     でも実はそれが一番難しいことなわけで。
     普通の顔してる毎日、白状すれば誰もふつうじゃない。
     死ぬまであたふた、遺伝子に振り回されるわけで。

     そこいくと、親分は悟ってますね、
     命が毛皮を着て、こっちをみています。
     いのちのままにまっすぐだ。ぴかぴかして。
     親分の望みはこの先もずっと大盛りと、おっかあのそばだけだろうな。
     




 
     

     

     


  
     

     
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バッハ効果

2008-10-06 02:51:49 | Weblog

  バッハのゴールドベルグ変奏曲
  もちろんグレン・グールドの演奏で。
  朝は1955年録音盤、疲れたのにまだ寝つけない夜中には’81年盤を。

  部屋じゅうに静かに流れるのを、聴くともなしに聴いている。
  耳になじみ、ゆっくりと自分をとりもどしていく。
  ざわざわと興奮したり苛ついたりはしゃいだりした外界から
  内側へ引き戻してくれる。

  ブルースやロックだけでは、わたくし身がもたないんである。
  バッハは無伴奏チェロ組曲が最初の出会い。
  もちろんカザルスの演奏、ラジカセから流れるその調べに衝撃が走り、
  慌てて録音ボタンを押した二十歳の頃。
  知人から借りたレコードを全曲テープに録音し、長い間重宝した。
  (今もそのテープあります、ところどころ音飛び、大事をとって今はテープは
   かけずにCDで聴く。CDがあればテープはいらんでしょ、とはならないのだ)

  カザルスといえば鳥の歌だが、まちがっても朝から聴いてはいけない。
  グレン・グールドで調子を揚げたのに、ソファに沈みこんでしまい
  そうになるから。運転中もだめだなあ、ブレーキ踏みがちになるから。

  珍しいことを書いたわけは、夜中にテレビをつけたらクラシック演奏会で
  ブランデンブルグ協奏曲が流れていたから。
  テレビは読書の敵、思考の邪魔と昼間話していたのに、
  テレビをつけたらバッハ? それならよし、という話なわけである。

  バッハ効果、なぜかはしらねど、とても役立っています。

   


   
  
  

    
  
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ことばと手垢 2

2008-10-04 14:51:25 | Weblog
  「秋の空」 という題。
   検索ちゃんですごい数をはじき出しそうな…


     親分の瞳の先には、空ではなくおっかあである。

   八木重吉の詩のことばには、むずかしい語彙はひとつもない。
   だれでもふつうに使う、台所や茶の間や寝床にころがる
   ことばである。なのに色も染めていない真新しい生地の
   ような、そして水をくぐっていない硬いひらがなである。


     秋が呼ぶようなきがする
     そのはげしさに耐えがたい日もある

     空よ
     そこのとこへ心をあずかってくれないか
     しばらくそのみどりのなかへやすませてくれないか
           (「秋の空」 詩:八木重吉)


     世間に疲れやすいので、重吉さんには昔からお世話に
     なっています。重吉さんが病の日に紡ぎだした言葉に
     五体満足至極元気なわたくしが励まされなぐさめられ
     いのちを繋いでいるというのは、申し訳ない気がします。
     ほんとうにすまないことです。
     
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ことばと手垢

2008-10-04 14:31:38 | 
    刻々と移りゆく秋の景色に似合う言葉がいくつかある。

    森羅万象。
    大風呂敷だなあ。
    万の象だもの、夢をかなえるぞうのガネーシャみたい、ざっくりやで。
    便利すぎて手垢のついた言葉になっちまってるから、最近は人気ないのか?
    詩人なら避けるでしょ、青い若者か似非宗教家か立松和平好みだわ。
    



    古典的な表現や語彙をつかいこなして、手垢とかを感じさせない文章というのが
    あるものだ。
    たとえば‥、白洲正子。師である小林秀雄はもっと抽象性と観念の勝った文章で、
    どちらかといえば作者の胸中を読み解かなければならず、同じ地点に立つことを
    凡人は拒否されてしまうような、あるいは奮起させる厳しさがあり、凡庸な表現
    など探そうにもどこにも見当たらない。

    しかし白洲正子の紀行文の描写は、実際に読者をその場所へ誘い、著者とともに
    歩きながら同じものを目で追い見ているように克明に感じさせる。

    作品「西行」の一文。
    「熊野詣の神秘的な空気が迫って来る」
    一見平板な描写がある。
    那智大社へつづく参道の、苔に被われた石畳の道に使われているが、
    わたしはその場所を以前に歩いたことをがあった。
    同じ道で立ち止まり、神秘的という言葉しか思い浮かばなかった
    空気を思い出したのだ。

    樹齢はとうに百年余は過ぎたであろう大木の間から、切れ切れに
    射す木漏れ陽に苔の露が光っている。
    ひんやりとした道がどこまでも続くようで、道に迷ったような錯覚と
    あるいは迷ってもいいと思ってしまうような、どこかに引きずり込ま
    れていくような不思議な心地だった。
    幽明の境にいるような、おもいがけない、それは「神秘的な空気」
    だったのだ。

    そこを抜けると右に青岸渡寺、左へ行き那智大社へ辿りつく。
    滝のほうを見やると、そこには森羅万象という言葉が
    ふさわしい熊野の濃く分厚い緑があり、そのあいだに筋をひきながら
    白い泡沫が落ちて行く。
    絵のような、けれども目の前のたしかな風景なのだ。
    人の支配を超えた領域を畏敬をこめ森羅万象と一語に括る。
    
    一つの言葉が、
    浮いて手垢まみれになるときと、
    真実を背負う言葉であるときと、
    それは発した人の、そのときの心もようを映すのだろう。

    (続く)

   
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真に強い者は吠えない

2008-10-02 13:50:11 | Weblog
  一般に大型犬を飼うのは大変だと思われているようだが
  そうでもない。
  逆に聞きたい、大変って何がよ?って。
  すると餌代がかかる、排泄物が多いという。これが先かよ!である。
  次に、場所とるでしょ、室内飼いに向かないでしょ、とくる。

  経験から言いますと、餌代(うちでは御飯代といいますが)は
  小学生が一人いるくらいでしょうか。何年たっても小学生。
  うちでは安いペットフードは使わないのでちょっと高めかも
  しれない、といってもドライフードで月に1万円弱。
  その他おやつが諸々で3千円前後。
  それ以外は手作りキャベツ御飯とか肉トッピング玄米御飯とか
  小麦に野菜ピューレを混ぜて焼いたおやつを食べてますね。
  どれもおいしそうで、母ちゃんにもくれ~というと、
  やーだよ、あげないよーとガツガツと素早く食べます。

  この食費が高いか安いかでいえば、わたしがフレンチとか
  イタリアンとかにシャラシャラしていけば一晩で使ってしまう
  金額なのです。
  しかし、犬を飼うとまったくシャラシャラしなくなるので、
  つまり浮いた分が犬に回るということ、人づきあいより安いかも。

  排泄物が多いでしょう、とか言う人は自分のことを棚にあげては
  いけない、それだけです。
  食う、出る、食う、出る、それは健康の証。毎朝晩、ベイビーの
  ウンチを紙に包んでビニール袋へいれる、その感触は生きている
  証。紙にとる前にじっと観察することも忘れません。
  赤ちゃんのオムツ替えをするお母さんたちも、この「観察」を
  怠らないでしょう。これは得難い体験で、赤ちゃんと違って犬は
  その生涯、これをさせてくれるのですから、日々イノチの営みを
  実感させてくれるというわけです。



  室内飼いより外のほうが風に吹かれたり、土の感触があったりして
  よいだろうと思っていたのです、最初は。
  もちろん犬は外が好きです。でも年中、どんなときもというわけでも
  ないです。そこらへんはほぼ、人と同じです。
  なによりも、室内で飼う意味は「人と同じところにいる」ということ
  にあります。
  犬は人のそばにいたいのですから。

  よく外につながれて吠えている犬がいます。
  かわいそうだなあ、と思います。
  吠えても、な~に? と聞き返してくれる人がそばにいないから
  ずっと吠えるのでしょう。
  しつけをすれば、犬はむやみに吠えたりないたりしません。

  うちの親分は吠えません。
  見知らぬ人が近づいているな、というのを室内で察知して
  まずわたしを見る、わたしがその場にいなければウオンと吠えます。
  留守番、テリトリーを守るために吠えるので、制止すれば
  やめます。

  本当に強いので、吠えたり騒いだりしないのです。
  昨日のK-1MAXで勝利した魔裟斗と同じなんだな、うふ。
  
  

  

  
  
  


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メンテナンスな日々

2008-10-01 14:00:08 | Weblog
      花壇といっても大雑把であるが、山桜がシンボルツリー、
      2本あるうち1本は枯れたので根を残して切り、そこから
      若芽が出てきて育ちつつある。
      その木を取り巻くようにバラ、ローズマリー、紫陽花、
     芍薬、ギボウシ、千日紅などワイルドフラワー諸々を
      植えたのが春先のこと。
      それ以前から水仙やら、ワイルドストロベリー、ミントなど、
      色々植えてみた。緯度が限界越えらしく咲かない種もある。
      雪にうもれて春また咲いてくれるとは限らない。

      このまえ庭の境に榊を植え込んだのだが、すると花壇の柵が
      急に気になりだした。
      なんともテキトウな花壇のまま4年が過ぎたし
      Mさんが手作りした木の柵はとっくに腐ったので取払ったまま、
      余りもののブロックやU字溝を替わりに使っている。
      それで思い立ったが吉日でしょ、というか、
      そのときやらないと再び数年過ぎる気がするのである。
     
      そこで、前から目をつけていたジャスコのガーデニング売場へ。
      テラコッタのボードを購入した。かなり重量がある。
      並べてみると、ちょっと花壇らしくなった。

      重いものを持つのが苦手なわたしは
      たったこのくらいのテラコッタ運びで手先、指が
      腫れてしまう、手首は痛い、情けない限りだ。
      「なんでもすれば食べていけるわ」と勢いで言うには言うても、
      皿洗いも掃除婦もこれでは無理、肉体のありがたみを
      日々実感している。

      母は父が死んだあと、田舎町で働こうにも実際のところ
      肉体労働、単純作業労働しか口がなかった。
      たとえば病院の雑役婦、温泉ホテルの厨房、クリーニング屋。
      親戚には羽振りのいい叔父叔母がいたのだが、その人々の
      口利き先で勤めても、きつい労働も苦労も他人と大差ない。
      仕事があるだけいいというものだったろう。女であり、
      50を過ぎてからの就職は昔から厳しい。
      
      小柄な身体を使いすぎたか、腰が曲がってしまった。
      いったん曲がったのは元へは戻らないらしい。
      戻してあげたいが、どうにもしかたがない。     
     
      うさこの場合はたとえばジャスコのレジ係に行ったとしよう。
      腱鞘炎で一週間続かず、見習いだからお給料こんだけね、
      と雀の涙だろう。ガソリン代も出ないわけだ(妄想癖全開!)。
      
      否応無しに自分にできること、できないことを思い知る。
      親孝行も半端やしなあ、この手は箸と本だけしか持てんなあ、
      とちょっと情けない。
      テラコッタの予想外の重みに、つらつら考えるのである。

    
   
      腐食止めの入った塗料を塗るのは、晴れた秋の日でないとできない。
      ここは湿気の多い森の中だからね。
      ねずみ師はなんでも器用にやっちゃいますの人、いい仕事しまっせなんちゃって。      
      手伝っているU氏もなんでもやる派、なので仕事が早いです。

      これが終わったら、屋根を塗る予定。
      うさこももちろん手伝うが、なにせ高いところはドキドキではかどりません。
      一週間くらい晴れが続かないと終わらない、たぶん。

      人生はメンテナンスの日々である。山口瞳だったか、そのことに気づいて
      唖然と書いてあったような気がするが、それが楽しみであったりするのは
      大きな幸福といえるだろう。
      自分でできることは自分でやりたい、誰しもそう思うだろうし
      老いては自分の体のメンテナンスが最重要課題となる。

      問題になっている限界集落とか離島で暮らすお年寄りにも子どもはいるだろうに
      子どもは子どもで過疎地では食えないということだろうに
      この国は無策である。それは果たして国家かということになるので
      納税拒否といきたいが、すでに税を収めて老いた人は騙された被害者で
      これではまるで、帝国ニッポンと同じことである。
      自民党はそもそも帝国ニッポンなんだからおしてしるべしなんだが。
      でも知らない人ほど真面目に働いてきたのだと思うと、情けない。

      ブツブツブツとつぶやいて見上げると、秋の空はおだやかであった。
      

コメント
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