りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

後ろ姿。

2009-10-20 | Weblog
人の後ろ姿が、好きだ。




後ろ姿は、嘘をつかない。

その人のすべてが表れるような気がする。

その人の有り様が露呈してしまう。

そんな気がするのだ。




先日、とある知人と会った。

カフェで、仕事や家庭のことなど、他愛もない話をした。

1時間後、店を出ると「それじゃ」と、お互い別々の方向へ向かった。

しばらくして、ふいに、僕は振り返った。

知人は、舗道を歩いていた。

まっすぐに続く舗道を歩いていた。

小さな背中が見える。

その小さな背中が、彼女が一歩を踏み出すに連れて、また少しずつ小さくなってゆく。

気がつくと、僕はその後ろ姿をずっと眺めていた。

眺めながら、色んな想いが心の中に浮かんでは消えていった。

1時間ほどの間の、ホントに短く他愛もない会話だったけど、その会話の隙間には、

彼女の人生や家庭の中の、悩みや希望や不安や願望が見え隠れしていた。

30年も40年も人間やってりゃ、みんな“何か”を持っちゃうよな・・・。

彼女の後ろ姿を見送りながら、そう思う。

みんな誰だって自分に正直に生きたい。でも、それができるほど世の中は甘くはない。

どこかで、何かを、少しだけ・・・いや、時にはため息を落とし、悔し涙をこぼしながら、

大きく妥協して、僕たちは、生きている。

小さく細い背中。少しずつ去りゆく後ろ姿。

しかし、誰よりも凛として、まっすぐ前に向かって歩いている。

僕は、いつの間にか彼女の後ろ姿に見とれていた。

それは“ホレたハレた”のような安物の恋愛の情なんかではない。

それは一人の人間に対する畏敬の念に近かったような気がする。

僕は彼女の後ろ姿に向かって、まるで敬礼をするように、心の中で深々とお辞儀をした。

やがて彼女の姿は小さな点になり、そして、見えなくなった。

彼女の後ろ姿を僕が眺めている間、彼女は一度たりとも、後ろを振り向かなかった。




僕は、どうなんだろう?

彼女の姿が消えた後、必然のようにそんな思いが、僕の心の中に湧いてくる。

彼女のように、誰かを惹きつけるだけの後ろ姿をしているだろうか?

家庭を持った男として、親となった男として、堂々と人様に見せられる後ろ姿をしているだろうか?

いや、そんなことは、本来どうでもいいことだ。

歯を食いしばって何とか生き残っているこの世の中で、少なからず、自分自身にだけは嘘をついていない

後ろ姿でいたい。

そう思う。



(写真は、イメージです)
コメント
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