以前からこのブログを読んでくださっている方ならご存知の方もいらっしゃる
かもしれないが、僕は趣味で小説を書いている。
そして、“これは・・・
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”という作品が出来たら、その作品に見合った
コンクールや文学賞に応募している。
今まで、見事受賞したこともあれば、最終選考まで残ったり、箸にも棒にも
まったくかからなかったこともある。←これが一番多いかな(笑)
昨年から今年前半にかけては、例年よりも増して多くの作品を応募した。
その中に、短編小説の「エミリー」という作品があった。
ひとことで言えば、青春小説である。
20年前を舞台にした、20歳の冴えない男が主人公の青春小説。
でも、手前みそながら・・・いい小説だった。
プロットを組み立てる段階から、万人受けする作品を考案していたので、その通り
の小説になった気がして嬉しかった。
何よりも、重要な登場人物であり、タイトルにもなった“エミリー”が、自分で書く
のもなんだが、ホントに可愛かった。
自信を持って、某文学賞に応募した。
もう、郵送した時点で受賞した気になっていた(爆)
もちろん、落選した (T0T)
落選後、半ばヤケクソ気味に、このブログにその作品をUPした。
いろんな方から、いろんな意見をいただいた。
その中に、とある知人からの興味深いコメントもあった。
“面白かった。いい物語だと思う。ただ、時代に重心を置きすぎているような気がした。
いい小説には賞味期限がない。いくら昔の時代を舞台にした物語でも、幹になるもの
がしっかりしていれば、賞味期限はないのだと思う。夏目漱石や森鴎外の作品がそう
であるように。では幹とは何か?・・・それは普遍性だと思う・・・”
今このブログを読まれているあなた、意味が分かった?
僕は・・・分かりませんでした(爆)
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この意見を拝読した時、じゃあ、いったい「エミリー」に何が足りなかったのか、
僕にはとんと分からなかった
あれから、約半年。
僕はもう一度、「エミリー」を某文学コンクールに応募してみようと思う。
色々と文学賞を調べていたら、この作品に見合っていそうなコンクールがあったので・・・。
もちろん、プロットをはじめ、言葉や表現、デティール・・・すべてを大幅に見直し、
改稿、補正をして、新しい物語として甦らせる。
それが知人からの意見を反映させた行為かどうか、今の僕には分からない。
本来なら、新しい作品を執筆して、それを応募する方がいいのかもしれない。
ただ僕は、あんなに可愛いエミリーを、物語と同じように、永遠に暗闇の中に閉じ込めて
しまいたくなかった。
僕は、エミリーを生き返らせてみせる。
だからエミリー、もう一度、スカートをひらひらと緩やかに揺らせて、熱帯魚の
ように優しく舞ってくれないか。
エミリー・・・もう一度だけ、いっしょの時間をすごそう。