りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

TATTOO<刺青>あり。

2009-10-28 | Weblog
映画を観るのが、好きだ。

それは、映画好きだった親父の影響かもしれない。
幼い頃の僕は、実家の居間で親父の横にチョコンと座って、「月曜ロードショー」や
「日曜洋画劇場」といった、もう今は無き映画番組を、あらすじも分からないくせに
よく一緒に観たものだった。

「人生で最も影響を受けた“洋画”は何?」
もしも、誰かにこんな質問をされたら、僕は困ってしまう。
それは影響を受けたかどうかはともかく、洋画に関しては好きな映画が数多とあるからだ。
しかし「人生で最も影響を受けた“邦画”は何?」と質問されれば、たぶん迷うことなく、
僕はこの映画を挙げるだろう。



「TATOO<刺青>あり」
1982年作
製作:ATG(日本アート・シアター・ギルド)
監督:高橋伴明
主演:宇崎竜童

1979年に起きた三菱銀行人質事件に材を取った作品である。
「三菱銀行人質事件」と言っても、今では鮮明に憶えている人は少ないかもしれない。
大阪で起った銀行強盗事件だった。
当時、僕はまだ小学3年生か4年生だったが、それでもとんでもない事件が起きたらしい
ということは、10歳足らずの僕でもおぼろげに分かっていた。

この映画は、その犯人だった男をモデルにした、一人の男が破滅に向かってゆく過程を
描いた映画である。

“30歳までにデカイことをしてやる”

その言葉だけを呪文のように唱えながら生きてきた主人公・竹田明夫(宇崎竜童)は、
少年の頃から様々な事件を起こし、女性と交わり、事業を興すが、ことごとく失敗する。
そして何もかもを失い、30歳を過ぎようとしたある日。
彼は銀行強盗を画策し、そして、無謀にも決行する。

僕は、この映画を18歳の時に観た。
高校卒業を目前に控えた時期だった。
当時の僕は、大学に受かり、実家を出て念願の一人暮らしが出来ることも決まり、卒業
までの約1ヶ月あまり、夜遊び三昧の毎日を過ごしていた。
そんなある夜、誰も見ていないような時間帯の深夜の映画劇場で、この映画がこっそり
放送されていた。

ATGが作る映画が、僕は好きだった。
前衛的で個性的な映画が多く、独特なカット割りや演出を用いた作品を次々と発表していた。
ATGの映画を観て好きになった俳優も多かった。
永島敏行、原田芳雄、小林薫、森下愛子、原田美枝子・・・etc.
そんな僕だったから、この映画にもあっという間に引き込まれた。

特に心に焼き付いたのが、やはり主人公の、“30歳までにデカイことをしてやる”という台詞だった。
当時の僕には、30歳なんて、まだまだ遠い遠い存在だった。
当たり前の話だが、18歳で夜遊びばかりしていた僕に、自分が30歳になった時のビジョンや目標
なんて、これっぽっちもあるわけがなかった。
それ以前に、30歳まで僕が生きてるかどうかさえ、分からなかった。

“明日のことなんて、誰にも分からない”

何の経験もなく、何も世間のことを知らないくせに、僕は一丁前にそんな風に未来のことを考えていた。
そんな僕に、“30歳までにデカイことをしてやる”という言葉は、強烈な一撃を与えた。

30歳。30歳。30歳。30歳。30歳。30歳。30歳・・・・。
この映画を観て以降、“30歳までに・・”というこのマジックワードが、いつの間にかこの映画の主人公と
同じように、僕の頭の中にも芽生えてしまっていた。

結婚する。
父親になる。
いくつかの人生の節目になるような出来事が、30歳までに実現した。

でも、それだけだった。
だからと言って、僕自身の中に、何かとてつもなく大きな充足感が満ちることは、まったくなかった。

“なんだったんだ?”

何でも真正面から大袈裟に考えるという悪い癖のある僕は、30歳になったとたん、そう考え込んでしまい、
大きな虚無感と喪失感に襲われて、見事にうつ病になってしまった。
おかげで、僕は一時期、家族と別居し、会社も休職し、車に乗ってひとり旅に出た。

あれから10年が過ぎて、そんな僕も今年の9月で40歳になった。
今振り返れば、30歳なんて、まだガキに毛が生えた青二才にしか見えない。
まったく、人間とは都合よく出来た生き物だ(苦笑)

例の如くYOU TUBEを見ていたら、この映画のエンディングがUPされていた。
この歌・・・映画を観た後、しばらくの間、よく口ずさんでいた。
名曲だと、思う。

「ハッシャバイ・シーガル」宇崎竜童
コメント
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