りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

私見/広島・長崎オリンピック開催について。

2009-10-13 | Weblog
とりあえず、広島県民としては触れないわけにはいかないので。
今の段階・現状においての僕自身の考えを、この場を借りて
表明しておこうと思う。

2010年 広島・長崎、オリンピック共同開催。

開催反対です。
理由を挙げればキリがないし、またその中には懸念材料として、
マスメディアが取り上げているものもいくつかある。

15年前。
広島県民ならば、今でも記憶に強く残っているイベントが開催された。
広島アジア大会。
広島は、あのアジア大会を契機に大きく様変わりした。
未開の山奥に巨大な空港が生まれ、広島の都心には広島初の地下鉄が通り、
また数々の巨大なショッピングモールやマンションやホテルが生まれた。

でも、それだけ。それだけだ。

巨大な空港は生まれたものの、相変わらずアクセスは不便なまま。
しかも、それまで広島市内にあった旧空港は、驚くことに15年を経た今も
「広島西飛行場」という名で残存し、いまだに“東京便”という錦の御旗を
新空港と取り合っている。

広島初の地下鉄は、都心とアジア大会のメイン会場をつなぐ大動脈として
開催期間中は活躍し、その後は都心と郊外を結ぶ新しい公共軌道としての
役割を期待されたが、そのあまりの稚拙な路線区間(ターミナル駅との
接続が一切ない、終電が早いなど)で、開通5年後には黒字経営になる
はずだったが、いまだに赤字続き。
しかしいつかは環状化させ、中四国随一のターミナル駅・広島駅とつなげ、
本格的な都心の地下鉄になる計画だったが、案の定、昨今の財政難で計画延期。
おそらくこのまま、半永久的にこの計画は塩漬けにされるだろう。

たった数週間のイベントのために、それらに代表される大小の数え切れない
公共工事を繰り返した広島県と広島市は、いまだにその時に背負った巨額の
負債に喘いでいる。

オリンピックとなれば、これがまた、繰り返されるのだ。
いや、それとは到底比較にならない規模で。

しかし、僕がオリンピックに反対している最たる理由は、こんなことではない。

オリンピック開催のために、「被爆」という出来事を“利用”しているからだ。
どんなに開催理由に美辞麗句を使用しても、その皮を一枚めくれば「被爆」を
踏み台にしていると言われても言い訳できないだろう。

「平和のため」「核廃絶のため」というのならば、まず、「平和公園」という
特別な場所で、毎春、花見にかこつけてバカ騒ぎしている、あの低能な輩達を
黙認していることから改めたらどうか。
それさえも出来ない今の広島市に、世界に向けて「平和」を訴える本当の力が
あるとは、到底思えない。
今の広島や長崎は、本当の意味で、被爆者のこと、被爆した事実を真摯に受け
止める気があるのだろうか?
正直に言って、私には疑問である。

最後に、先日のニュースで流れていた、広島で被爆者した古老の言葉を書いて、
この話を終えたい。

「本当に平和と核廃絶を願うのならば、オリンピックではなく、それに相応しい
世界的な条約締結の場として広島市や長崎市を選んでもらう方が、オリンピック
よりもよほど意義がある」
コメント (2)
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