昨日は、この国の新しい宰相誕生のニュース一色で。
今朝の朝刊もその関連記事で紙面が埋め尽くされていた。
その中で、片隅の記事に僕は釘付けになった。
「天安門事件の民主化運動リーダー逮捕 中国大使館に侵入」↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100604-00000649-san-soci
その逮捕された人物の名は、ウアルカイシというらしい。
ウアルカイシ。
生きてたんだ。
直感的にそう思った。
もう僕の記憶の中層に埋没しかけていた名前だった。
でも、決して忘れてはいない。
天安門事件の時の民主化運動のリーダーだった。
“天安門事件”と書いても、今の北京五輪や上海万博でパワーに満ちた
華やかな中華人民共和国しか知らない、僕より下の世代の人々には、
もうよく分からない出来事かもしれない。
ちょうど、僕たちの世代が“プラハの春”や“文化大革命”をリアルに知らないように。
21年前。
1989年6月。
世界中の目が、中国の天安門広場に向けられていた。
僕も連日、TVニュースを視ていた。
天安門広場には、添付した写真のように、民主化を求める数え切れない人々が集結していた。
その人々のリーダーが、ウアルカイシ氏だった。
当時、21歳。
僕は、20歳。
まさに、同世代だ。
21年前、ウアルカイシ氏は、拡声器を片手に目の前の民衆と戦車とバリケードの向こうの国家に
向かって、民主化をひたすら叫び続けていた。
僕は、バブルに踊るひ弱な国の地方都市の大学に通う、絵に描いたような怠惰な大学生だった。
天安門事件は、失敗した。
正確に書けば、中国当局に徹底的に弾圧された。
ウアルカイシ氏は、当局の追手から逃れるために、亡命した。亡命し続けた。そして世界中を逃げ回りながら
中国の民主化を訴え続けた。
僕は、怠惰な大学時代を無難なく過ごし、売り手市場の就職活動で楽に就職し、結婚し、生まれた街に帰って
来て、年老いてきた両親の近くに家を買い、普通の家庭を持った。
そして、2010年。
ウアルカイシ氏は、突然、日本に現れた。
そして、中国大使館に侵入しようとして逮捕された。
報道によると、自ら中国国家に拘束されようとしたという。
新聞やネットによっては、その詳細を報道しているニュースもある。
その中に、ウアルカイシ氏が中国大使館に侵入した理由について、政治的理由とは別の理由を口にしていた。
「事件後一度も会っていない両親も高齢になった。どうしても会いたい」
この言葉を目にした時、正直言って、ホッとする自分がいた。
21年間、同世代なのにまったく違う人生を歩んできた僕と彼。
しかし、彼・・・ウアルカイシ氏も、普通の一人の人間だったのだ。
ウアルカイシ氏は、警視庁の事情聴取が終われば、おそらく近日中に中国当局へ身柄を引き渡されるだろう。
その後、彼がどうなるか分からない。
当局から見れば、どんな理由であれ、21年前、国をひっくり返そうとした人間である。
彼の国は、不条理をオブラートにくるんだような国である。
おそらく、二度と釈放されることはないだろう。
彼の名前を耳にするのも、もしかしたら、これが最後になるかもしれない。
それと同時に、この一件によって、天安門事件が現在進行形の問題から、完全に歴史の出来事のひとつ、
・・・いやそれ以前に事件そのものが、闇に葬りさられてしまうような気がする。
それも、時代なのかもしれない。
天安門事件の頃、僕はウアルカイシ氏を見ていると、なぜか幕末の志士・高杉晋作をいつも連想していた。
高杉晋作は、民衆による兵隊・奇兵隊を組織し、急進的な尊王攘夷(要は改革)を追い求めたが、
志半ばで若くして結核で亡くなった。
奇しくも、昨日この国の新しい首相となった御仁も、尊敬する人物は、高杉晋作なのだそうだ。
はたして、この稀代の幕末の志士を敬愛する彼は、この国をどこへ導いてゆくのだろう。
・・・そして、ウアルカイシ氏は、両親に会えるのだろうか。
今朝の朝刊もその関連記事で紙面が埋め尽くされていた。
その中で、片隅の記事に僕は釘付けになった。
「天安門事件の民主化運動リーダー逮捕 中国大使館に侵入」↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100604-00000649-san-soci
その逮捕された人物の名は、ウアルカイシというらしい。
ウアルカイシ。
生きてたんだ。
直感的にそう思った。
もう僕の記憶の中層に埋没しかけていた名前だった。
でも、決して忘れてはいない。
天安門事件の時の民主化運動のリーダーだった。
“天安門事件”と書いても、今の北京五輪や上海万博でパワーに満ちた
華やかな中華人民共和国しか知らない、僕より下の世代の人々には、
もうよく分からない出来事かもしれない。
ちょうど、僕たちの世代が“プラハの春”や“文化大革命”をリアルに知らないように。
21年前。
1989年6月。
世界中の目が、中国の天安門広場に向けられていた。
僕も連日、TVニュースを視ていた。
天安門広場には、添付した写真のように、民主化を求める数え切れない人々が集結していた。
その人々のリーダーが、ウアルカイシ氏だった。
当時、21歳。
僕は、20歳。
まさに、同世代だ。
21年前、ウアルカイシ氏は、拡声器を片手に目の前の民衆と戦車とバリケードの向こうの国家に
向かって、民主化をひたすら叫び続けていた。
僕は、バブルに踊るひ弱な国の地方都市の大学に通う、絵に描いたような怠惰な大学生だった。
天安門事件は、失敗した。
正確に書けば、中国当局に徹底的に弾圧された。
ウアルカイシ氏は、当局の追手から逃れるために、亡命した。亡命し続けた。そして世界中を逃げ回りながら
中国の民主化を訴え続けた。
僕は、怠惰な大学時代を無難なく過ごし、売り手市場の就職活動で楽に就職し、結婚し、生まれた街に帰って
来て、年老いてきた両親の近くに家を買い、普通の家庭を持った。
そして、2010年。
ウアルカイシ氏は、突然、日本に現れた。
そして、中国大使館に侵入しようとして逮捕された。
報道によると、自ら中国国家に拘束されようとしたという。
新聞やネットによっては、その詳細を報道しているニュースもある。
その中に、ウアルカイシ氏が中国大使館に侵入した理由について、政治的理由とは別の理由を口にしていた。
「事件後一度も会っていない両親も高齢になった。どうしても会いたい」
この言葉を目にした時、正直言って、ホッとする自分がいた。
21年間、同世代なのにまったく違う人生を歩んできた僕と彼。
しかし、彼・・・ウアルカイシ氏も、普通の一人の人間だったのだ。
ウアルカイシ氏は、警視庁の事情聴取が終われば、おそらく近日中に中国当局へ身柄を引き渡されるだろう。
その後、彼がどうなるか分からない。
当局から見れば、どんな理由であれ、21年前、国をひっくり返そうとした人間である。
彼の国は、不条理をオブラートにくるんだような国である。
おそらく、二度と釈放されることはないだろう。
彼の名前を耳にするのも、もしかしたら、これが最後になるかもしれない。
それと同時に、この一件によって、天安門事件が現在進行形の問題から、完全に歴史の出来事のひとつ、
・・・いやそれ以前に事件そのものが、闇に葬りさられてしまうような気がする。
それも、時代なのかもしれない。
天安門事件の頃、僕はウアルカイシ氏を見ていると、なぜか幕末の志士・高杉晋作をいつも連想していた。
高杉晋作は、民衆による兵隊・奇兵隊を組織し、急進的な尊王攘夷(要は改革)を追い求めたが、
志半ばで若くして結核で亡くなった。
奇しくも、昨日この国の新しい首相となった御仁も、尊敬する人物は、高杉晋作なのだそうだ。
はたして、この稀代の幕末の志士を敬愛する彼は、この国をどこへ導いてゆくのだろう。
・・・そして、ウアルカイシ氏は、両親に会えるのだろうか。