りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

一人で死んでくれ。

2010-06-23 | Weblog
悲しい事件が、起きた。

マツダ宇品工場11人殺傷事件
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201006220234.html

よく知っている場所だ。
広島市内に暮らしていた頃、よくこの工場の側の道路をドライブした。
工場自体でも親戚が長年働いていた。
事件の詳細が次第に分かってくるにつれて、ますます知っている地名や
場所がテレビ画面やネットの画面に現れてきた。

容疑者の暮らしてた町も、よく知っている町だった。
亡くなった被害者の方が暮らしていた町も知っている。

容疑者は、42歳だった。
年齢からすると、僕より1歳か2歳年上だ。
もっともこの年になれば、1~2歳の差など関係ない。
ほとんど同い年だ。

容疑者は、“マツダに恨みがあってやった”とか“ムシャクシャしてやった”
と言っているらしい。
おそらく本当なのだろう。
だが、当たり前だが、僕はこの容疑者に同情なんかしない。するわけがない。

人間、40年も生きていれば、誰だって大なり小なり、いくつかのバクダンを
抱えて生きている。
そしてそのバクダンを爆発させないように、なんとか踏ん張って生きているのだ。
既婚とか未婚とか子持ちとか無職とか、そんなことは一切関係ない。
恨みを抱くことも、ムシャクシャすることも、みんな日常茶飯事なのだ。

その不満の矛先を、まったく関係のない罪のない人々に向ける。
こんな不条理なことがあっていいのか。

亡くなられた被害者の方は、東広島市に自宅があったそうだ。
県外の方は分かりにくいかと思うが、自宅のあった地区は、事件のあった・・・
つまり被害者の職場だったマツダの工場から数十キロ離れた郊外の地区だ。
ニュータウンというよりは、まだ未開の山間部と言った方がいいかもしれない。
被害者は、そんな地区のアパートに家族で暮らしておられた。
おそらく被害者の方は、毎日、白々と夜が明ける頃に家を出て、遠く広島市内の
マツダの工場に向かい、そして夜、周囲が真っ暗になった頃、クタクタに疲れて
家路についていたのだろう。
最愛の奥様が待つ家へ。そして生まれたばかりの宝物のような赤ちゃんが
待つ家へ・・・。

今日、ご家族のみなさまは、いつもと変わらぬ日常から一気に地獄へ落とされた。
奥様は、何の予告もなく、突然未亡人にされ、生後10カ月足らずの赤ちゃんは、
父親の面影を一切記憶に持たないまま、生きていかなければならなくなった。

許せない。絶対に許せない。

容疑者は、いったい何を考えているのか?
40歳も過ぎて、あまりにもその稚拙な思考回路に、憤怒の思いがマグマのように
身体の中を駆け巡る。
容疑者は“みんなを殺して、自分も死のうと思った”とは言っていない。
今、私が知る限り、上記したように“ムシャクシャしてやった”というような
自己中心的な言い訳を口にしているだけだ。
つまり、ハナから死ぬつもりはないのだ。


死ねよ。


一人で。こっそりと。誰も来ないような山奥で。
この国の自殺者が3万人を超えたことが、今問題になっているが、
そんなことは関係ない。
どんな統計の仕方をしているのか知らないが、その自殺者の中に、
お前を入れたくはない。
だから、ムシャクシャして、世間を逆恨みして、自分が行き止まりの
袋小路に陥ってしまって、絶望して希望を一切失ってしまったのなら
・・・・頼むから、一人で死んでくれ。

もう一度、言っておく。
誰だって、バクダンを抱いているんだ。
そしてそれを爆発させないように、見えないところで必死に闘っているんだ。

ついでにもうひとつ、言っておく。
これから先の警察の事情聴取で、生きる意味が分からなくなったとか、
生き甲斐がなくなったとか、そんな講釈を並べるようなら、教えてやる。

そんなもの、みんな最初から持ってないんだよ。

何も持ってないからこそ、必死に生きてゆく中で、自分の手で探して見つけて
そして守ってゆくんだ。
ムシャクシャしたからと言って、40歳を過ぎて他者に責任転嫁するような
お前には、どんなにひっくり返っても生きる意味など見つかりはしない。

もう、二度とこんな事件は起こって欲しくない。
心から、そう思う。
お願いだから、こんな日記、もう二度と俺に書かせないでくれ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする