鳩山首相が、辞任を表明した。
この一件、様々な角度から様々な書き方ができると思う。
「遅すぎる」とか「英断だ」とか「やっぱり民主党じゃあ・・・」とか
「いや、党首が変われば・・・」とか・・・と。
僕は、今日この場で、そんなことを書きたいとは思わないし、それ以前に、この
一件について書くだけの“意味”を見いだせない。何も思っていないのだ。
昨夏、政権交代が起った時から僕が常に心に思っていることは、
“この国の推移をできるだけ長い目で見ていきたい”
ただ、それだけだ。
現代が、どの角度から見ても大転換の時代だということは、もはや全ての人が承知の事だ。
昨年の自民党から民主党への政権交代も、その“一部”でしかない。
つまり、世界中で起っている大転換の余波によって、自民党というボートがひっくり返って、
代わりに民主党という船底が水面上に顔を出したようなものなのだ。
ここで、少し話が逸れるが、人類は古来より“大転換”の時代を何度も経験してきた。
日本、しかも近世以降だけに限定しても、何度もそれを経験している。
それを後述すると・・・
●織田信長の上洛(1568年)~本能寺の変(1582年)/14年
●山崎の戦い(1582年)~豊臣秀吉死去(1598年)/16年
●関ヶ原の戦い(1600年)~大阪夏の陣(1615年)/15年
●黒船来航(1853年)~明治維新(1868年)/15年
●太平洋戦争敗戦(1945年)~池田内閣発足“もはや戦後ではない”(1960)/15年
・・・どうだろうか?
ざっと羅列したが、何か共通項を感じられないだろうか?
上述した歴史的出来事は、誰もが認める歴史的大転換の事件だ。
織田信長の天下布武も、豊臣秀吉の天下統一も、徳川家康の幕府支配も、
幕末の動乱も、終戦からの戦後復興も、すべてこの国の大転換点だった。
しかし、どれもこれも一朝一夕の出来事ではなかったのだ。
奇妙な符号がある。
上述した一連の出来事は、すべて約15年単位で推移している、ということだ。
これは偶然の一致なのだろうか?
いや、とてもそうには思えない。
長年の慣習や常識を大転換させて、新しい時代を創り出すには、
最低でも15年は必要だということだろう。
翻って、この国の現状。
民主党がしようとしていること、したこと、すべきこと。
今が本当に大転換の時代ならば、その答えが出るまで、僕は最低でも
15年はかかるのではないか?と思うのだ。
それまでは、鳩山首相の辞任ごときのことで結論めいたことを表明するのは
時期尚早だと思う。
蛇足だが、幕末から明治時代の公卿に三条実美(さねとみ)という人がいた。
海千山千の幕末の志士が活躍した時代に、知力も胆力も何も持ち合わず、ただただ
“血筋が高貴”というだけで、黎明期の明治政府に御輿のように担がれた、典型的な公家さん。
政権上では、太政大臣という最高位にまで就いたが、誕生したばかりで意見の衝突が
絶えなかった明治政府をまとめきれず、いつも他者の意見に振り回され続け、疲労困憊の
毎日だったという。
生まれた時から恵まれ、受動的に生きてこられたがために、心の真ん中に芯棒が作れ
なかったからそうなってしまったのだ。
誰かと似てないだろうか?
僕は、今日辞任した鳩山首相を見る度に、このおそろしく頼りない公家・三条実美を連想していた。
だから、鳩山首相の辞任をそんなに大騒ぎする必要はないと、僕は思う。
三条実美も、別に明治維新で大きな功績を残しているわけではない。
いてもいなくてもどっちでもいいような存在だったのだから。
明治維新という時代の大転換は、恵まれて受け身で育った公家さんではなく、下級の人間たちが
起こしたのだ。それも15年という長い時間の中で。
最後にもう一度。
だから、大騒ぎする必要はない。
鳩山首相の辞任など、“大転換”の時代の中では、きっと取るに足りない小さな出来事だ。
この一件、様々な角度から様々な書き方ができると思う。
「遅すぎる」とか「英断だ」とか「やっぱり民主党じゃあ・・・」とか
「いや、党首が変われば・・・」とか・・・と。
僕は、今日この場で、そんなことを書きたいとは思わないし、それ以前に、この
一件について書くだけの“意味”を見いだせない。何も思っていないのだ。
昨夏、政権交代が起った時から僕が常に心に思っていることは、
“この国の推移をできるだけ長い目で見ていきたい”
ただ、それだけだ。
現代が、どの角度から見ても大転換の時代だということは、もはや全ての人が承知の事だ。
昨年の自民党から民主党への政権交代も、その“一部”でしかない。
つまり、世界中で起っている大転換の余波によって、自民党というボートがひっくり返って、
代わりに民主党という船底が水面上に顔を出したようなものなのだ。
ここで、少し話が逸れるが、人類は古来より“大転換”の時代を何度も経験してきた。
日本、しかも近世以降だけに限定しても、何度もそれを経験している。
それを後述すると・・・
●織田信長の上洛(1568年)~本能寺の変(1582年)/14年
●山崎の戦い(1582年)~豊臣秀吉死去(1598年)/16年
●関ヶ原の戦い(1600年)~大阪夏の陣(1615年)/15年
●黒船来航(1853年)~明治維新(1868年)/15年
●太平洋戦争敗戦(1945年)~池田内閣発足“もはや戦後ではない”(1960)/15年
・・・どうだろうか?
ざっと羅列したが、何か共通項を感じられないだろうか?
上述した歴史的出来事は、誰もが認める歴史的大転換の事件だ。
織田信長の天下布武も、豊臣秀吉の天下統一も、徳川家康の幕府支配も、
幕末の動乱も、終戦からの戦後復興も、すべてこの国の大転換点だった。
しかし、どれもこれも一朝一夕の出来事ではなかったのだ。
奇妙な符号がある。
上述した一連の出来事は、すべて約15年単位で推移している、ということだ。
これは偶然の一致なのだろうか?
いや、とてもそうには思えない。
長年の慣習や常識を大転換させて、新しい時代を創り出すには、
最低でも15年は必要だということだろう。
翻って、この国の現状。
民主党がしようとしていること、したこと、すべきこと。
今が本当に大転換の時代ならば、その答えが出るまで、僕は最低でも
15年はかかるのではないか?と思うのだ。
それまでは、鳩山首相の辞任ごときのことで結論めいたことを表明するのは
時期尚早だと思う。
蛇足だが、幕末から明治時代の公卿に三条実美(さねとみ)という人がいた。
海千山千の幕末の志士が活躍した時代に、知力も胆力も何も持ち合わず、ただただ
“血筋が高貴”というだけで、黎明期の明治政府に御輿のように担がれた、典型的な公家さん。
政権上では、太政大臣という最高位にまで就いたが、誕生したばかりで意見の衝突が
絶えなかった明治政府をまとめきれず、いつも他者の意見に振り回され続け、疲労困憊の
毎日だったという。
生まれた時から恵まれ、受動的に生きてこられたがために、心の真ん中に芯棒が作れ
なかったからそうなってしまったのだ。
誰かと似てないだろうか?
僕は、今日辞任した鳩山首相を見る度に、このおそろしく頼りない公家・三条実美を連想していた。
だから、鳩山首相の辞任をそんなに大騒ぎする必要はないと、僕は思う。
三条実美も、別に明治維新で大きな功績を残しているわけではない。
いてもいなくてもどっちでもいいような存在だったのだから。
明治維新という時代の大転換は、恵まれて受け身で育った公家さんではなく、下級の人間たちが
起こしたのだ。それも15年という長い時間の中で。
最後にもう一度。
だから、大騒ぎする必要はない。
鳩山首相の辞任など、“大転換”の時代の中では、きっと取るに足りない小さな出来事だ。