りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

僕と彼女と週末に。

2011-04-05 | Weblog
来週の土曜日から、いよいよ浜田省吾のライブツアーがはじまる。
http://sh-otr2011.jp/

約4年ぶりのライブツアー。
初日は、16日(土)の静岡での公演だ。

その後、10月30日(日)のさいたまスーパーアリーナまで、
全国の主要都市のアリーナクラスの会場でライブを開催する予定だ。
ちなみに、僕は5月14日(土)の広島グリーンアリーナの公演チケットを
予約している。

今回のライブツアーは、昨秋発表されたセルフカバーアルバム
「The Last Weekend」にともなったライブツアーである。

浜田省吾といえば、愛や青春といった、いまや死語になりつつあるような
こんな言葉がピッタリとあてはまる数多くの佳曲を発表し続けてきた一方で、
現代の世相や世界情勢と真摯に対峙し、それを歌として発表してきた、
いわゆる「メッセージシンガー」という側面もある。
代表曲の「J.BOY」などは、その最たるものだろう。

昨秋発表された「The Last Weekend」は、そんなメッセージシンガーとして、
過去、浜田省吾が発表してきた楽曲を集め、あらためてセルフカバーした
アルバムだった。

アルバムタイトルを直訳すると、「最後の週末」となるが、これは今回の
アルバムに収録されているある曲の英題である。

その曲は「彼と彼女と週末に」という。

この曲は、1982年に発表されたアルバム「PROMISED LAND~約束の地~」の
最後に収録されていた曲で、演奏時間は8分を超える大作である。
アルバム自体は、チャートのベストテンに入るヒット作となったが、
この楽曲自体は、その壮大さに比べて、発表当時はさほど注目されなかった。
それどころか、その抽象的な歌詞のために、ほとんど黙殺のような扱いだった
記憶がある。

しかし。
年月を重ねるにつれ、時代が移るにつれ、この曲は徐々にその存在感を増しはじめた。

「歌は世につれ、世は歌につれない」

日本のポップスを築き上げてきた重要人物で、浜田省吾の盟友でもある山下達郎氏の
この言葉どおり「彼と彼女と週末に」も、気がつけば、世につれられた歌へと育って
いったのである。

以前、ある雑誌のインタビューで、浜田省吾はこの歌について、こう語っていた。
「この歌のタイトルは、ふたつの意味があるんです。ひとつは文字通り、恋人の週末。
英語で言うところのWeekendですね。もうひとつは週末ではなく、“終末”。つまり、
“Last”。このふたつの意味を内包させたタイトルなんです」

この曲の歌詞を知らない人は、いったい何が“終末”なのか、まったく分からないと思う。
しかし、この歌で歌われているのは、明らかに“終末”の物語だ。

今回のアルバムは、この歌がアルバムの“核”となっている。
必然的に、おそらくライブでのクライマックスもこの歌が“核”となることだろう・・・と、
僕をはじめファンのみんなは予想していたことだと思う。

だが。

2011年3月11日。
本当に“終末”が、この国を襲った。

震災直後、ファンの一人として、今回のツアーがどうなるのか、僕は気がかりで
ならなかった。
開催できるかどうか・・・などという低次元な話ではない。
開催されたとしても、今回のツアーのコンセプトが、あまりにも今の日本には過酷すぎる
のではないか?と思ったのだ。

予想通り、現在、様々なイベントが自粛され続けている。
マスメディアから笑顔が消えた。
ありとあらゆるところで、ちょっとした言動に対して「不謹慎」という言葉が、跋扈している。

そのような空気が覆う中で、僕は少しずつ考え方が変わってきた。

僕は、今こそ、この曲を、出来るだけ多くの人に聴いてもらうべきだと思っている。
辛い歌である。酷い歌である。
抽象的だった歌詞は、今、あまりにも具体的な事象として、僕たちの目の前に
立ちはだかっている。
つまり、発表から29年の時間をかけて、ついに、とうとう、この歌が、世と
ぴったりと重なってしまったのだ。

しかし、だからこそ、今、この歌を、浜田省吾には歌ってもらいたい。
今の僕らは、現実を直視し、それと対峙するしか、道はないのだ。

この歌は、29年の時を経て、まっすぐに、それを訴えている。

浜田省吾「僕と彼女と週末に」
コメント (2)
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