何週間か前まで書いていた、僕のオーディオ変遷史(笑)。
いきなり続編です(爆)。
前回は、中学時代に購入した「オシャレなテレコ」について書いた。
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/99ac1e965347a1ffb6bb5cf4cc598c5b
その後、無事に高校受験をクリアして高校生になった僕は、
高校1年生の夏、人生初めてのアルバイトをはじめた。
仕事場は、某ファーストフード風のお寿司のお店の店員で、
時給は、たしか1時間430円
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3時間働いて、やっと1000円稼げるという(爆)
まぁ、25年以上前だから今とは物価の違いもあるんだろうけど、
我ながら、よくやったと思います(笑)
何はともあれ、そこでコツコツと働いて貯めたお金で購入したのが、
僕の3代目のオーディオだった。
AIWAのシステムコンポ。
3代目にして、僕もついに、本物の“コンポ”にたどり着いたのだった。
当時は、今と違って、アンプ、チューナー、デッキ、レコードプレーヤー、
スピーカーといったパーツを、メーカーごとに一番の良品をバラバラで
購入するか、もしくは同じメーカーでも、まるで冷蔵庫のように各パーツが
高く積まれたようなスタイルが当たり前だったし、その方がカッコよく
見えたものだった。
僕が購入したAIWAのシステムコンポも、後者のような各パーツを積み上げた
冷蔵庫のようなコンポだった。
まだCDが普及する直前だったのだが、そのコンポにはCDプレーヤーも
付いていて、コンポを持っていても、CDプレーヤーの付いてなかった友達が
物珍しそうに僕の部屋でピカピカのコンポを眺めている姿に、ちょっとした
優越感を感じたものだった(笑)
ラジカセからコンポに変わって、僕の音楽生活で最も大きく変わったこと。
それは“ダビング”という行為だった。
それまでの僕は、聴きたい音楽があったら、コンポを持っている友達に
テープを渡してダビングしてもらうか、FM番組をこまめにエアチェックして
集める(それこそ狩猟のような集め方だった気がする
)しか
手段はなかった。
しかし、ダブルカセットデッキ&レコードプレーヤー、そして、そして、そして、
時代の最先端のCDプレーヤーまでも備えたコンポを手に入れた僕は、それまでの
受動的の音楽生活から、能動的なミュージックライフに大きく変わった(笑)
財布のカード入れの中には、常にレンタルレコードのカードが収まっていた。
毎週毎週、通った。
毎週毎週、カセットテープが増えていった。
中には、その後あらためてCDを購入したものもあれば、今では廃盤になってしまい、
どこをどう探しても手に入らないアルバムもある。
とにもかくにも、80年代半ばの僕は、古今東西を問わず貪るように音楽を聴きまくった。
今でも聴く音楽の大半は、この時期に耳にした音楽と言っても過言ではないだろう。
あの頃ダビングした数多のカセットは、今でも実家の僕の部屋でAIWAのコンポと
いっしょに眠っている。
宝物か?と問われれば、僕は素直にうなづく。
いくら産業ロックだ、上っ面のロックだ、と上の世代から嘲られても、やっぱり80’Sの、
あのキラキラと煌めいていた音楽達は、今の自分の基礎を作ってくれた時代の音楽だ。
20年以上時間を経た今でも、僕には心から愛しい。
最後に、AIWAのコンポを購入して最初にダビングした曲を。
まさに80年代の“キング・オブ・産業ロック”だ(笑)
Journey 「Be Good To Yourself」
いきなり続編です(爆)。
前回は、中学時代に購入した「オシャレなテレコ」について書いた。
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/99ac1e965347a1ffb6bb5cf4cc598c5b
その後、無事に高校受験をクリアして高校生になった僕は、
高校1年生の夏、人生初めてのアルバイトをはじめた。
仕事場は、某ファーストフード風のお寿司のお店の店員で、
時給は、たしか1時間430円
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3時間働いて、やっと1000円稼げるという(爆)
まぁ、25年以上前だから今とは物価の違いもあるんだろうけど、
我ながら、よくやったと思います(笑)
何はともあれ、そこでコツコツと働いて貯めたお金で購入したのが、
僕の3代目のオーディオだった。
AIWAのシステムコンポ。
3代目にして、僕もついに、本物の“コンポ”にたどり着いたのだった。
当時は、今と違って、アンプ、チューナー、デッキ、レコードプレーヤー、
スピーカーといったパーツを、メーカーごとに一番の良品をバラバラで
購入するか、もしくは同じメーカーでも、まるで冷蔵庫のように各パーツが
高く積まれたようなスタイルが当たり前だったし、その方がカッコよく
見えたものだった。
僕が購入したAIWAのシステムコンポも、後者のような各パーツを積み上げた
冷蔵庫のようなコンポだった。
まだCDが普及する直前だったのだが、そのコンポにはCDプレーヤーも
付いていて、コンポを持っていても、CDプレーヤーの付いてなかった友達が
物珍しそうに僕の部屋でピカピカのコンポを眺めている姿に、ちょっとした
優越感を感じたものだった(笑)
ラジカセからコンポに変わって、僕の音楽生活で最も大きく変わったこと。
それは“ダビング”という行為だった。
それまでの僕は、聴きたい音楽があったら、コンポを持っている友達に
テープを渡してダビングしてもらうか、FM番組をこまめにエアチェックして
集める(それこそ狩猟のような集め方だった気がする
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手段はなかった。
しかし、ダブルカセットデッキ&レコードプレーヤー、そして、そして、そして、
時代の最先端のCDプレーヤーまでも備えたコンポを手に入れた僕は、それまでの
受動的の音楽生活から、能動的なミュージックライフに大きく変わった(笑)
財布のカード入れの中には、常にレンタルレコードのカードが収まっていた。
毎週毎週、通った。
毎週毎週、カセットテープが増えていった。
中には、その後あらためてCDを購入したものもあれば、今では廃盤になってしまい、
どこをどう探しても手に入らないアルバムもある。
とにもかくにも、80年代半ばの僕は、古今東西を問わず貪るように音楽を聴きまくった。
今でも聴く音楽の大半は、この時期に耳にした音楽と言っても過言ではないだろう。
あの頃ダビングした数多のカセットは、今でも実家の僕の部屋でAIWAのコンポと
いっしょに眠っている。
宝物か?と問われれば、僕は素直にうなづく。
いくら産業ロックだ、上っ面のロックだ、と上の世代から嘲られても、やっぱり80’Sの、
あのキラキラと煌めいていた音楽達は、今の自分の基礎を作ってくれた時代の音楽だ。
20年以上時間を経た今でも、僕には心から愛しい。
最後に、AIWAのコンポを購入して最初にダビングした曲を。
まさに80年代の“キング・オブ・産業ロック”だ(笑)
Journey 「Be Good To Yourself」