りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

釣り。

2011-04-24 | Weblog
昨日、今日と、息子と釣りに出かけた。

昨日は、島の東端の波止場。



ちょうど満潮時だったので期待していたのだが、
2時間ほど釣り糸を垂らしたけど、結局ボウズ・・・(-_-;)

今日は、島の北側で釣り糸を垂らした。
岸壁や桟橋が並ぶ港町らしい景色が続く場所だが、
それでも僅かに残る砂浜へ。



日頃から何人かの釣り人がいる場所なので、
今日も期待していったのだが、結局ボウズ・・・(-_-;)

息子は2日連続のボウズに、さすがにちょっと
不満気味になった。
「この前来た時は、3匹釣れたのに・・・」
ことある毎に、昨年の秋に生まれて初めて釣りに
行った時の成果をそう口にしていた。
つまり、息子にとっては去年の秋の釣りが、釣り
自体の基準になっているようなのだ。

大人なら分かるが、それは明らかな“ビギナーズ・
ラック”だったに過ぎない。
色んな偶然が重なって、そういう成果になったのだ。

いつも自分の思うような成果を得られるとは限らない。
むしろ、その逆が多いことの方が多い。
それでも何度も繰り返す。
失敗しても。失敗しても。“いつか・・・”という
気持ちがある限り。
だからこそ、自分が望む成果を得た時、人は心の底
からの喜びを感じる。
若輩者の僕でも、40数年の人生を通してそういうこと
を知り得た。

釣りなんて、その最たる行為のような気がする。

だから、何も釣れなかったこの2日間であったが、
僕自身は息子のように不満顔になることもなく、
“まぁ、こんな時もあるさ”と吹いていられた。
それどころか“海で釣りをする”という行為を通して、
ここしばらく僕の心身の中にうっ積していたイヤな
ガスを少しは軽減できたような気がしていた。
僕にとっては、それで十分だったような気がする。

思ったような成果を得られず、釣竿を片づけ、
クルマのトランクに収めた時、息子がこう言った。

「ねぇ、また釣りに来ようよ」

その言葉を聞いた僕は、息子の頭を思いっきり撫でた。
コメント (2)
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