りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

選挙ポスター。

2011-04-19 | Weblog
全国、統一地方選挙の真っただ中で。

僕が暮らす町も、市長選挙と市議会議員選挙が先日告示された。
職種上、選挙の季節になると、僕も毎回、これら選挙関連の仕事に携わっている。
今回もとある候補の選挙関連の広報一式に携わることになり、今年の始めから
少しずつ少しずつ打ち合わせや制作を進めて来た。

そして、今週の日曜日。
いよいよ選挙の告示となり、街角の掲示板に各候補の選挙ポスターが一斉に貼り
出された。

さっそく近所の掲示板を見に行った。
そしてそこで、僕はひっくり返りそうになるほど、驚いた。

僕がデザインしたとある候補の選挙ポスターとそっくりのデザインの選挙ポスターが
掲出されていたのだ。
色のトーン、レイアウト、キャッチコピー、デザイン・・・何もかもそっくりだ。

こう書くと、「実は、そっちのポスターが先行して制作されていて、僕が作った
ポスターの方が似たんじゃないか?」と思われる方もいるだろう。

しかし、断じてそれは、ない。

僕がデザインしたポスターは、上述したようにまだ年初の厳冬の頃から制作を開始した。
候補者の方とお会いし、様々なレイアウトのパターンを提案し、その中から様々な方の
意見を踏まえながら、何度も何度も作り替え、まだ選挙が始まる1ヶ月以上も前に、
ようやく決まったデザインのポスターなのだ。

つまり、昨日今日、安易に作ったようなポスターではないのである。

他人のデザインを真似ることを悪いことだとは、僕は思わない。
モノ創りの第1歩は、他人を真似ることだということは、僕自身も異論はない。
僕も駆け出しの頃は、身近な先輩はもちろん、広告業界の著名なクリエーターの
デザインを拝借してポスターやチラシを作っていたし、今もアイデアに煮詰まったら、
ストックしている資料や画集を開いてデザインのアイデアを調達することが多々ある。

しかし、それも時と場合によるのではないだろうか。

仮に、今から4年後の統一地方選挙で、今回僕がデザインしたポスターとよく似た
デザインのポスターが出回ったら、別にさほど驚かなかったと思う。
語弊があるかもしれないが、むしろ、自分がデザインしたポスターの流儀を参考に
してくれたことに対して、少し“人がいい”感情を持ってしまい、嬉しく思ったかも
しれない。

しかし、今回は違う。

同じ時、同じ場所に同じようなポスターが掲出されているのだ。
すべてにおいて、次元が違う。

この日記をお読みの方で、選挙が現在行われている地方の方は、掲示板に貼られて
ある選挙ポスターをよく見ていただきたい。
どのポスターもすべて、最下部あたりに「掲示責任者」と「印刷者」の名前が明記
されているはずだ。
職業柄、僕は選挙のたびに、ポスターのデザインはもちろんだが、この小さく掲載
されてある「印刷者」を必ず確認する。
どこの印刷会社、もしくは広告会社、デザイン会社がそのポスターを制作したのか
確認するためだ。

今回の件のポスターの「印刷者」も確認した。
取引はないが、知っている印刷会社の名前が明記されてあった。

僕は、掲示板に貼られたそのポスターの前で、ため息を落とした。

彼の会社が、どういう経緯でこんなポスターにしたのか、僕は知らない。
その会社のデザイナーの意図的なモノなのか、それとも候補者やその周囲の後援会の
人たちの意向だったのか・・・。

どちらにしても、感心できる行為ではないだろう。

選挙活動においてポスターは、最も大切な選挙アイテムである。
その候補の名前や顔はもちろん、政策や主義、そして人柄や人徳までもが反映されている
はずであり、そうでなければならないアイテムだ。
簡単に言えば、有権者に対して最もダイレクトに候補者そのものを伝えられる最大の
メディアなのだ。

そのように大事なアイテムを他人のポスターを真似て作ってしまったら、いったい有権者に
そのポスターはどのように映るのだろう。
少なからず、僕には誠実さは伝わってこない。
上述したように、選挙ポスターには、その候補者のすべてが詰まっているはずなのだ。
それが他人と同じようなデザインならば、言葉は悪いが、その候補者は“私には中身はあり
ません。主体性もありません。カラッポです”と告白しているのも同然なのではないだろうか。

少なからず、僕にはそう思える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする