今日から師走。
毎年言っているセリフだが・・・今年も早かった。
年を重ねるごとに時間のスピードが早くなっている
気がするけど、心理学者に言わせれば、これは決して
錯覚でも気のせいでもなく、本当なのだそうだ。
1歳の幼児にとっては、1年は1/1。
10歳の少年にとっては、1年は1/10。
20歳の青年にとっては、1年は1/20。
42歳の中年にとっては、1年は1/42。
・・・簡単に話せば、つまり、そういうことなのだそうだ。
ふと、昔の師走を思い出すことがある。
僕がまだ1年が1/23だった頃。
つまり、社会に出て最初の師走だ。
42年間の人生で最もハードだった師走は、後にも先にも、
23歳の師走だった。
広島市内の広告会社に勤めていた僕は、超繁忙期のど真ん中にいた。
その会社は、主に大型量販店のチラシをメインに制作をしていた会社
だったので、この時期はクリスマス商戦と年末年始の商戦のチラシ制作
が同時に動いて、怒涛のような忙しさだった。
深夜残業なんて当たり前、徹夜徹夜の毎日で、テレビが放送している
時間に帰宅出来たら、涙が出るほど嬉しかった。
記憶にある限り、その年の12月、僕は布団で寝た記憶がない。
1人暮らしだった僕は、布団で寝たら最後、絶対に起きられなくなると
思い、一ヶ月間、ずっと部屋のこたつで寝た。
希望通り制作部デザイン課に配属されたが、社会に出て1年目の半人前
以下の人間だ。
しかも超繁忙期である。
失敗の連続だった。
徹夜徹夜の毎日を過ごしていれば、仕事をしていても、自分が今、どこの店の
いつ頃のチラシをデザインしているのかさえ分からなくなってきた。
そうすれば、当たり前のようにミスが発生する。
上司に叱られることも、まるで日課のようになってしまった。
それでもまた自分のデスクに戻り、黙々とラフ用紙(写真参照:当時はパソコン
ではなく手描きだった)に向かって、デザインを続けた。
今考えれば、よくも、まぁ、あんな生活、あんな仕事がよく出来たもんだと
思う。
結局、単純に若かったんだろうし、そして下手だろうが半人前だろうが、
やっぱり広告が好きだったのだろう。
そんな僕も、来年、あれから20年を迎えることになる。
あの頃の僕が、今の僕を見たらどう思うだろうか。
“まだ広告業界で働いてるのか!”と呆れるだろうか?
それとも“まだ広告業界で働けたのか”と安堵するだろうか?
どっちだろう?
どっちの僕もいるような気がする。
20年間、いいことばかりじゃなかった。
悪いことや辛いこと、屈辱的なこともいっぱいあった。
辞めようと思ったことも1度や2度じゃない。
毎日1回は考えていると言っても過言ではない。
でも、広告が好きか嫌いか?と尋ねられたら、僕は“好き”と即答すると思う。
その思いがある限り、僕は“まだ、もうちょっと大丈夫かな”と思う。
・・・と20年目について書いてきたが、それは来年の話だ。
まだ2011年は終わっていない。
今年中にクリアしなければいけない仕事が山のように残っている。
20周年の感慨に耽るのはその後だ。
おい、りきる、気が早いぞ。
毎年言っているセリフだが・・・今年も早かった。
年を重ねるごとに時間のスピードが早くなっている
気がするけど、心理学者に言わせれば、これは決して
錯覚でも気のせいでもなく、本当なのだそうだ。
1歳の幼児にとっては、1年は1/1。
10歳の少年にとっては、1年は1/10。
20歳の青年にとっては、1年は1/20。
42歳の中年にとっては、1年は1/42。
・・・簡単に話せば、つまり、そういうことなのだそうだ。
ふと、昔の師走を思い出すことがある。
僕がまだ1年が1/23だった頃。
つまり、社会に出て最初の師走だ。
42年間の人生で最もハードだった師走は、後にも先にも、
23歳の師走だった。
広島市内の広告会社に勤めていた僕は、超繁忙期のど真ん中にいた。
その会社は、主に大型量販店のチラシをメインに制作をしていた会社
だったので、この時期はクリスマス商戦と年末年始の商戦のチラシ制作
が同時に動いて、怒涛のような忙しさだった。
深夜残業なんて当たり前、徹夜徹夜の毎日で、テレビが放送している
時間に帰宅出来たら、涙が出るほど嬉しかった。
記憶にある限り、その年の12月、僕は布団で寝た記憶がない。
1人暮らしだった僕は、布団で寝たら最後、絶対に起きられなくなると
思い、一ヶ月間、ずっと部屋のこたつで寝た。
希望通り制作部デザイン課に配属されたが、社会に出て1年目の半人前
以下の人間だ。
しかも超繁忙期である。
失敗の連続だった。
徹夜徹夜の毎日を過ごしていれば、仕事をしていても、自分が今、どこの店の
いつ頃のチラシをデザインしているのかさえ分からなくなってきた。
そうすれば、当たり前のようにミスが発生する。
上司に叱られることも、まるで日課のようになってしまった。
それでもまた自分のデスクに戻り、黙々とラフ用紙(写真参照:当時はパソコン
ではなく手描きだった)に向かって、デザインを続けた。
今考えれば、よくも、まぁ、あんな生活、あんな仕事がよく出来たもんだと
思う。
結局、単純に若かったんだろうし、そして下手だろうが半人前だろうが、
やっぱり広告が好きだったのだろう。
そんな僕も、来年、あれから20年を迎えることになる。
あの頃の僕が、今の僕を見たらどう思うだろうか。
“まだ広告業界で働いてるのか!”と呆れるだろうか?
それとも“まだ広告業界で働けたのか”と安堵するだろうか?
どっちだろう?
どっちの僕もいるような気がする。
20年間、いいことばかりじゃなかった。
悪いことや辛いこと、屈辱的なこともいっぱいあった。
辞めようと思ったことも1度や2度じゃない。
毎日1回は考えていると言っても過言ではない。
でも、広告が好きか嫌いか?と尋ねられたら、僕は“好き”と即答すると思う。
その思いがある限り、僕は“まだ、もうちょっと大丈夫かな”と思う。
・・・と20年目について書いてきたが、それは来年の話だ。
まだ2011年は終わっていない。
今年中にクリアしなければいけない仕事が山のように残っている。
20周年の感慨に耽るのはその後だ。
おい、りきる、気が早いぞ。