あれはたしか、今ごろだったと思う。
1992年。夏の終わり。
僕は、社会に出てまだ5ヶ月足らずの半人前の半人前だった。
念願の広告会社に就職し、これまた念願の制作部に配属になって、
毎日広告制作に邁進していた・・・というと聞こえがいいが、
実際は、上司や先輩に怒鳴られ、覚え切れない仕事に追われ、
クライアントの不条理なニーズに顔をしかめ、
真夜中まで残業残業残業の毎日を過ごしていた。
その日も、僕は日付が変わる頃まで残業をして退社した。
自転車で川沿いの道を走り、近所のコンビニで遅い夕食の
弁当を買うと、誰も待っていない一人暮らしのアパートへ
帰宅した。
部屋の灯りをつけ、バッグと弁当をテーブルの上に置いて、
TVをつけた。
突然、TVから音楽が流れはじめた。
「ミュージック・トマト」だった。
当時はまだ80年代のMTVの余韻が残っていて、深夜にはPVを
タレ流すこのテの番組が、まだ辛うじて生き残っていたのだ。
いつもなら、チャンネルを変えるか、もしくは死んだ目のまま、
その番組を見ながら、コンビニの弁当を食べるところなのだが、
その時は、TVから流れてきたその歌に、僕の鼓膜は釘付けになった。
映像からすると、どうやらバンドのようだ。
でも、バンド名は分からない。
しかしTVから流れるその歌詞、メロディ、サウンドが創る世界に、
僕は完全に吸い込まれてしまった。
気がつくと、涙腺が緩んでいた。
泣いていた。
なぜだか分からない。
ただ乾いてカラカラになっていた僕の心に、その歌が深く染み
込んだことだけは確かだった。
次の日から、僕はそのバンドの名前と曲名を探した。
まだインターネットなんて便利な代物はなかった時代だ。
とにかく、出来る限りの手を使って調べた。
会社で尋ねた。友達に尋ねた。CDショップを回った。
数え切れないほど音楽雑誌を読んだ。
唯一の手がかりは、印象的なサビのメロディと歌詞。
♪また夏が終わる/もうサヨナラだね♪という言葉が、
フィル・スペクターを彷彿させるようなウォール・オブ・
サウンドに乗っていた。
しかし、分からなかった。
どうやっても、その歌にもバンドにもたどり着けなかった。
それから数カ月ほど過ぎたある日。
僕はとある友人のマンションに遊びに行った。
そのマンションには、各部屋に有線が完備されていた。
僕は、友達の部屋から有線の会社に電話した。
そして僕はちょっと照れまじりに、電話口でサビの部分を歌った。
それから15分後くらいだったと思う。
その歌が、流れてきた。
有線会社と電話を切る時、電話口の向こうの女性社員は、
こう言っていた。
「たぶん、 Mr.Childrenの“君がいた夏”だと思います」
その翌年の秋、 彼らは“クロス・ロード”という曲でブレイクし、
さらにその翌年には、“イノセントワールド”という曲で、ついに
レコード大賞まで受賞してしまった。
その頃、彼らのインタビュー記事を読んだ。
ボーカルの桜井くんは、記事の中でこんなことを言っていた。
「影響受けたアーティストですか?挙げたらキリがないけど、
あえて言うなら、佐野元春さん、浜田省吾さん、尾崎豊さん・・・
典型的な80年代の子どもだったんで(笑)」
この発言を読んで、なぜ、あの時、はじめてミスチルの音楽にふれた時、
僕が涙を流したのか、ようやく分かったような気がした。
上手く表現できないけど、たぶん“大丈夫”と思ったのだろう。
暗中模索のような不安だらけの毎日の中で、偶然、自分が10代の頃に
聴いていたような、懐かしい匂いのする音楽に出会った。
傲慢な発言かもしれないが、その時僕は、無意識のうちに、
TVの中の彼らに自分と同じ“匂い”を感じていたのかもしれない。
だから、泣いたのだ。きっと。
その後の彼らの活躍は、みなさんもご存知の通りだ。
しかしいつかは売れるとは思っていたけど、正直言って、
ここまで凄いビッグバンドになるなんて、さすがに思わなかったよ(笑)
Mr.children 【君がいた夏】