りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

君がいた夏。

2009-08-20 | Weblog
あれはたしか、今ごろだったと思う。


1992年。夏の終わり。


僕は、社会に出てまだ5ヶ月足らずの半人前の半人前だった。
念願の広告会社に就職し、これまた念願の制作部に配属になって、
毎日広告制作に邁進していた・・・というと聞こえがいいが、
実際は、上司や先輩に怒鳴られ、覚え切れない仕事に追われ、
クライアントの不条理なニーズに顔をしかめ、
真夜中まで残業残業残業の毎日を過ごしていた。

その日も、僕は日付が変わる頃まで残業をして退社した。
自転車で川沿いの道を走り、近所のコンビニで遅い夕食の
弁当を買うと、誰も待っていない一人暮らしのアパートへ
帰宅した。
部屋の灯りをつけ、バッグと弁当をテーブルの上に置いて、
TVをつけた。

突然、TVから音楽が流れはじめた。
「ミュージック・トマト」だった。
当時はまだ80年代のMTVの余韻が残っていて、深夜にはPVを
タレ流すこのテの番組が、まだ辛うじて生き残っていたのだ。

いつもなら、チャンネルを変えるか、もしくは死んだ目のまま、
その番組を見ながら、コンビニの弁当を食べるところなのだが、
その時は、TVから流れてきたその歌に、僕の鼓膜は釘付けになった。

映像からすると、どうやらバンドのようだ。
でも、バンド名は分からない。
しかしTVから流れるその歌詞、メロディ、サウンドが創る世界に、
僕は完全に吸い込まれてしまった。

気がつくと、涙腺が緩んでいた。
泣いていた。
なぜだか分からない。
ただ乾いてカラカラになっていた僕の心に、その歌が深く染み
込んだことだけは確かだった。

次の日から、僕はそのバンドの名前と曲名を探した。
まだインターネットなんて便利な代物はなかった時代だ。
とにかく、出来る限りの手を使って調べた。
会社で尋ねた。友達に尋ねた。CDショップを回った。
数え切れないほど音楽雑誌を読んだ。
唯一の手がかりは、印象的なサビのメロディと歌詞。
♪また夏が終わる/もうサヨナラだね♪という言葉が、
フィル・スペクターを彷彿させるようなウォール・オブ・
サウンドに乗っていた。
しかし、分からなかった。
どうやっても、その歌にもバンドにもたどり着けなかった。

それから数カ月ほど過ぎたある日。
僕はとある友人のマンションに遊びに行った。
そのマンションには、各部屋に有線が完備されていた。
僕は、友達の部屋から有線の会社に電話した。
そして僕はちょっと照れまじりに、電話口でサビの部分を歌った。

それから15分後くらいだったと思う。
その歌が、流れてきた。

有線会社と電話を切る時、電話口の向こうの女性社員は、
こう言っていた。
「たぶん、 Mr.Childrenの“君がいた夏”だと思います」

その翌年の秋、 彼らは“クロス・ロード”という曲でブレイクし、
さらにその翌年には、“イノセントワールド”という曲で、ついに
レコード大賞まで受賞してしまった。

その頃、彼らのインタビュー記事を読んだ。
ボーカルの桜井くんは、記事の中でこんなことを言っていた。
「影響受けたアーティストですか?挙げたらキリがないけど、
あえて言うなら、佐野元春さん、浜田省吾さん、尾崎豊さん・・・
典型的な80年代の子どもだったんで(笑)」

この発言を読んで、なぜ、あの時、はじめてミスチルの音楽にふれた時、
僕が涙を流したのか、ようやく分かったような気がした。

上手く表現できないけど、たぶん“大丈夫”と思ったのだろう。

暗中模索のような不安だらけの毎日の中で、偶然、自分が10代の頃に
聴いていたような、懐かしい匂いのする音楽に出会った。
傲慢な発言かもしれないが、その時僕は、無意識のうちに、
TVの中の彼らに自分と同じ“匂い”を感じていたのかもしれない。


だから、泣いたのだ。きっと。


その後の彼らの活躍は、みなさんもご存知の通りだ。
しかしいつかは売れるとは思っていたけど、正直言って、
ここまで凄いビッグバンドになるなんて、さすがに思わなかったよ(笑)

Mr.children  【君がいた夏】


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする