りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

VISITORS

2010-05-21 | Weblog
今からちょうど26年前の今日。
1984年5月21日。
1枚のアルバムが発表された。

「VISITORS」。

1983年から1年間、佐野元春がニューヨークに
滞在して作り上げた2年ぶりのオリジナルアルバム。

それは、ちょっとした“事件”だったらしい。
それまでの“佐野元春”のイメージが吹き飛んだから・・・だそうだ。

それまでの“佐野元春”のイメージとは、代表曲「SOMEDAY」や
「ガラスのジェネレーション」のように、“街に暮らす若者の
代弁者”、“街に息づく物語を語るストーリーテラー”といった
イメージだった。

しかしニューヨークから逆輸入のようなカタチで持ち込まれた
このアルバムには、それまでの佐野元春の歌詞に登場していた
街の若者も物語は、どこにもいなかった。

それどころか、“本当の街”ともいうべき、当時のニューヨークの
ストリートのむき出しの音楽ばかりが、収められていた。

1曲目は、ラップだった。

当時は、ヒップホップどころか、ラップという言葉さえも、まだ
定着していなかった。
そんな時代に、メジャーレーベル所属の、チャート1位を獲得
したこともある、いわば当時の日本の音楽シーンのポップアイコン的
存在だったミュージシャンが、いきなりやっちゃったのである。

これが“事件”じゃなければ、なんなのか?

・・・・と、まぁ、これが当時の大半の音楽雑誌や、もしくは僕ら
より上の世代の佐野元春ファンの批評だった。

でも、僕は違った。

当時15歳だった僕は、すんなりとこのアルバムを受け入れた。
何よりも、待ちに待った2年ぶりのオリジナルアルバムだったのだ。
それだけで十分だった。

ラップに対しても、まったく抵抗はなかった。
その一昨年前に映画「フラッシュ・ダンス」、前年に同じく
映画「ブレイクダンス」とそのサントラ盤(懐かしい言葉だ)で、
すでに“音楽にのせて喋る言葉”を体験していた僕にとって、
ラップは、すでに既定のジャンルのひとつになりはじめていた。
むしろ「VISITORS」を初めて聴いた時、“あ、日本語でもラップは
出来るんだ♪”と感動に近い喜びに包まれた記憶がある。

柔らかかったのだ。
感性も。思考も。センスも。
今よりも、ずっと。

昨夜、このアルバムをウォークマンで聴きながら、ウォーキングをした。
そういえば、当時もウォークマンでこのアルバムを聴きながら、
夜中にこっそり家を飛び出して、友達の家に自転車で向かったっけ。
26年経っても、やってることは、大して変わってないじゃないか(笑)

YOU TUBEからひっぱってきた映像は、その「VISITORS」の1曲目に
収録されている曲。
今聴くと、やっぱり“時代”を感じるな・・・・。
PVの演出も・・・“時代”だ(苦笑)

でもこの曲がなかったら、ドラゴン・アッシュも、ケツメイシも、
FUNKY MONKY BABY'Sも存在しなかったかもしれない。

大げさではなく、本当にそう思う。

「Complication Shakedown」佐野元春


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カーゴパンツ。

2010-05-20 | Weblog
カーゴパンツ、好き

今、2本持っている。
モスグリーンのパンツと、
薄いベージュのパンツ。

モスグリーンの方は、もう14~15年前に
ミリタリーショップで購入したもの。
↑我ながら、長持ちさせてるねぇ~。
だから、本当に軍パンかもしんない↓



薄いベージュの方は、古着屋で見つけた。
生地のゴツさが気に入った
それにしてもゴツい
もしかして・・・これ、本物の作業着なんじゃないの(笑)?↓



カーゴパンツって、案外コーディネイトが難しい。
僕が持っているこの2本のカーゴパンツは、いわゆるダブダブの、
ヒップホップ系の兄ちゃんが穿いているようなタイプなんだけど、
このテのパンツに合うトップの服は、必然的に取捨選択される。
タンスやクローゼットの中の服を見ても、僕が持っている服で
パンツと合いそうな服は数えきれるほどしかない・・・。

こう書くと、“これからの季節はTシャツでいいじゃん”という
意見が聞こえてきそうだ。
でもTシャツを着るような季節なら、僕ならカーゴパンツを穿かずに、
短パンを穿くと思う(笑)

あと、靴。
カーゴパンツに最も似合う靴は、やっぱり、ワークブーツだ。
僕も1足、持っている。
・・・でもあれって、履いたり脱いだりが面倒なんだよね(爆)
それこそ、これからの季節に履くのは、罰ゲームだよ~
ムシムシで、絶対に水虫になっちゃう

普通のスニーカーでもそれなりに似合うんだけど、ブカブカのパンツに
小さなスニーカー(僕は足が小さい。ちなみに25cm)だと、何だか違和感が
あるんだよね。

そんなに不満ばっかり言うなら、買わなければいいのに・・・と
自分でも思うけど、なぜか惹かれちゃうんだよねぇ。

で、先日、もう1本カーゴパンツを購入した。

ちょっと濃いめのベージュのカーゴパンツ。
既に所有している2本と大きく違うのは、全体的にスリムなパンツなのだ。
だから、ジーンズ感覚で穿ける
上述したコーディネイト云々ということをあまり考えなくてもよさそうだし、
色あいも、何にでも合いそうな微妙ないい感じのベージュ
今、流行のデニムジャケットとかも合うだろうな。
もっとも、もう夏だから、デニムは秋まで着ないだろうけど(笑)↓



ちなみに、僕のカーゴパンツの理想のコーディネイトは、この人の格好です↓



浜田省吾(笑)
15年ほど前の音楽雑誌に載っていた写真です。
今でも、それほど時代おくれな着こなしじゃないでしょう?
そう思ってるのは、僕だけ?
でも、カーゴパンツを穿く時は、今でも上から下まで
こんな格好をしちゃってます(^_^;)
もはや、僕のマニュアル(爆)

とりあえず、センスが良いか悪いかは別として、いくつになっても
こういうことにも興味を持ち続けたいです

ポロシャツ(しかも、ボタンを全部留める)に、スラックスに、スニーカー・・・
こんな格好をしたおじさんにだけは絶対になりたくないからね

ん?
無駄なあがきかい(笑)?
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雨のウエンズデイ。

2010-05-19 | Weblog

天気予報によると、今日は一日中、雨。

この季節、水曜日に雨が降ると、

どうしてもこの歌を思い出してしまう。

しかたないよね。

80年代に10代を過ごした男なんでね・・・。



「雨のウエンズデイ 」 大瀧詠一


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お前、プロだろ。

2010-05-19 | Weblog


僕は、広告代理店勤務のグラフィックデザイナーだ。

そんな職種だからか、個人的にもよく知人から依頼される。
例えば・・・
「うちの年賀状のデザイン、考えて~」とか、
「地域で使うポスターのデザイン、やって~」とか、
「参加しているサークルの会報の表紙のデザイン、考えて~」・・・etc.

その度に“まぁ、仕方ないか・・・ (^_^;)”と、ちょこちょこっと、創ってあげていた。

依頼してくる人たちは、普段お世話になっていたり、仲よくしてくれている人たち
だし、何よりも、僕がこういう仕事をしているからこそ、僕の元にお願いに来るわけで。
それは大げさかもしれないけど、僕がこの世に存在していることを肯定してくれている
ことと同等の意味だと僕は思っていた。
だから、むしろ喜んで創っていた感がある。
もちろん、ノーギャラで。


「お前、アホか」


その話をしたら、たったひと言、そう言われた。
もう1年以上前の話。
場所はとある小料理屋のカウンター。
ビールを挟んで並んで座っているのは、高校時代の同級生。
今は、親の跡を継いで水道会社の二代目社長としてがんばっている。

「お前、毎日仕事で広告のデザインをしてるんだろ?それで飯を食ってるんだろ?
それを知り合いだからってノーギャラでやって、どうするんだよ
同級生は吐き捨てるようにそう言うと、ビールを飲み干した。
「俺、お前に“代金はいいから”って言ったことがあるか?」
自分でビールをグラスに注ぎながら、同級生は続けた。
「風呂や脱衣場のリフォームした時、・・・まぁ、同級生だから格安にしたけど、
それでも、ちゃんとお前にお金を請求しただろ」
今の家を購入した時、僕はこの同級生に水まわりのリフォームを依頼した。
その時の話だ。
「それにパイプのつまりで俺を呼んだ時も、人件費はサービスしたけど、
パイプ代の2000円は貰っただろ?」
僕は、無言で頷いた。
「それは、俺がプロだからだよ」
同級生は、そう言ってビールを口にした。
「お前も、俺が水道のプロだから俺に依頼したんだろ?」
その通りだ。
「だったら、それにちゃんと応えないとな。応えたら、友達といえども
その対価は少しであっても貰わなきゃ。もう、俺ら、大人なんだからな」
まったく反論できなかった。
僕の行為を正当化させるには、あまりにも寸分の隙もない、完璧な論理だった。
同級生は、2杯目のビールを飲み干すと、僕に向かってこう訊いてきた。


「お前、プロだろ?」


一昨日、旧友から電話があった。
同じ高校と大学に通い、大学時代は同じアパートに暮らしていた親友だ。
大学卒業後、インテリアメーカーに就職し、18年間、営業マンひと筋の男だ。

そんな旧友から、販売促進用のポップの制作を依頼された。
簡単な仕事だった。
依頼を受けて、パソコンを起動させ、10分足らずで済ませた。

旧友から依頼があった時、上述のような水道会社の同級生との経緯があったので、
正直言って、最初は少し戸惑った。
簡単な“作業”だけど、ギャラを請求すべきだろうか?

しかし結局、僕はノーギャラで受けた。

でも、仕方なく・・・ではない。
その旧友からは、よほどのことがない限り、ギャラを貰いたくないからだ。
別に彼に大きな借りがあるわけではない。
そしてジャイアンのように傍若無人ないじめっ子だったからでもない(笑)

上述したように、彼とは若い頃、学び舎も寝床も共にした仲だった。
だから19、20歳の頃から、僕が広告業界で働きたがっていたことを旧友は知っていた。
コピーライターやデザイナーを中心とした、クリエイティブな仕事を僕が渇望していた
ことを、誰よりもよく知っていたのだ。

もちろん、当時の僕には何もなかった。
スキルもキャリアもネットワークも、何もかも・・・・。
それでも、その旧友は、ハッキリとは口にしなかったが、僕の夢やビジョンを
肯定してくれていた。

陳腐な表現だが・・・あの頃は、夢しかなかったのだ。

そんな、お互いの人生の底辺の頃を知っている相手から、僕はギャラを請求するような
マネは、やっぱりできない。

でも、水道会社の同級生の言葉で目が覚めたのも事実だ。
今回の旧友の一件は、いわば、超法規的措置である(笑)
これからは、基本的にノーギャラでデザインの依頼は受けない。

有償か、もしくは会社を通して正式な仕事としてやらしてもらう。

添付の写真は、数年前に広島経済同友会主催の「広島観光ポスター」のコンクールに
出品して、特別賞を受賞した作品。
オリンピックでいえば、銅メダルだ
会社としてではなく、りきる個人として出品したのにもかかわらず、超一流の某大手
広告代理店や地元の有力広告デザイン事務所と同じ土俵で勝負して、受賞した。
今のところ、僕にとっては、このデザインコンテストでの受賞が最高レベルである。

自分でいうのもなんだけど、僕はそういう人間なのだ。

もっと、自分の仕事やスキルやキャリアに、僕は誇りとプライドを持った方が
いいのかもしれない。
でなければ、このコンクールで僕の作品を選んでくれた方々、そして落選した方々、
何よりも、今まで僕のデザインを採用してくださったお客様たちに失礼極まりない。

情けないけど、遅ばせながら、今ごろになってそんなことに気づいた。
バカだよなぁ・・・ (-_-;)
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最近、お気に入りの風景。

2010-05-18 | Weblog
青空に屹立する赤いクレーン。

このクレーンは、昨年末の僕の日記にも
登場したのでご記憶の方もいらっしゃるかも。

ここ、近所の造船所なんだけど、
最近、お気に入りの風景です。

真っ青な空に輪郭がクッキリと浮かび上がった
赤いクレーンは、神々しささえ感じます。

一幅の絵を描きたくなる・・・なんて手垢のついた
言葉は書きません。
そんなの当たり前のような気がする。

それよりも、僕はこの風景を題材に文章を書きたい。
物語を書きたい。小説を書きたい。

もしもこの赤いクレーンに、“意思”が宿っていたら・・・・。

それだけで、物語の車輪は動き出す気がします。
赤いクレーンが眺める街の風景。足元で働く人々。時間の流れ・・・・。

そろそろ、また何か、書こうかな。

ここ数カ月、何もアイデアが浮かばないし、書きたいとも
思ってなかったけど、最近、そんな小さな執筆の“芽”が、
また僕の心の中に芽生えはじめたようです。
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澄みゆくまなざし。

2010-05-17 | Weblog
昨日も好天で。

昼間は家族サービスをしっかりやって、
夕方に祖母の見舞いに行った。
僕一人で、行った。

西陽の射す4人部屋。
その通路側に祖母のベッドはある。病室の前まで来ると、
定期的に祖母の両肺に酸素を送り込む人工呼吸器の音が
聞こえてくる。

一昨日、実家に寄った時、母が僕に“祖母が目を開けて
いる時間が前より多くなった”と言っていた。
もう“目が覚めている”という言葉は使わなかった。

母も、その状態が間違っても回復の傾向だとは、
もう思っていないのだろう。
鳥人間コンテストで飛び立った人力飛行機は、
少しずつ“湖面”が近づいているといっても、
多少の上下は繰り返しながら“湖面”に近づく。

きっと、祖母も同じだ。

多少の細かい上下を繰り返しながらも、祖母の命は
下降線を描いている。
そういうことだ。

病室に入ると、たしかに祖母は目を“開けて”いた。
僕が顔を覗き込むと、僕の目と祖母の目が合った。
でも、“開いているだけ”の目は、僕が誰なのか、
たぶん、もう分かっていないようだ。
人だと分かっていても、その人が、40年前に自分の娘が
産んだ、祖母にとって初孫だった男・・・ということは、
もう分かっていない。

その代わりといってはなんだが、祖母の目は本当に
綺麗に開いていた。
もしかしたら、こんなに近くでゆっくりと祖母の目を
見たのは初めてかもしれない。
祖母の目は、大きかった。
くりくりと、よく動いていた。
冗談のようだが、祖母がキレイな二重まぶただったことも
今回初めて知った。
そして、僕は気づいた。


澄んでいる。


祖母の目は、本当に綺麗に澄んでいた。
近眼や老眼はもちろん、緑内障も経験した90歳を迎えようと
している祖母の黒目は濁った灰色をしている。
でも、澄んでいたのだ。
だから正確にはその目ではなく、まなざしが澄んでいた、と
表現した方がいいのかもしれない。

それに気づくと同時に、僕はこの澄んだまなざしを、以前どこかで
見たことがあることに気づいた。
いつ?どこでだっただろう?
祖母の目をみつめながら、僕は記憶をたどった。そして、思い出した。


11年前だ。


僕の娘が生まれた時。
生後数カ月が過ぎた娘の目と耳がおぼろげに見え聞こえはじめた時の、
あの時の娘のまなざしだった。
自分を取り囲む世界がおぼろげに分かりはじめた娘は、自分の周囲で
音や声がすると、その方向を全身の力を使って凝視していた。

祖母の今のまなざしは、あの頃の無垢で純心な生後間もない娘の
まなざしと同じだったのだ。


祖母は、死ぬんだ。


僕は祖母の澄んだまなざしに気づいた時、あらためてそう痛感した。
人は、生まれ、様々な人生を歩み、そしていつか終わりを告げる。
それは一直線の道ではなく、円環のようにひとつの輪のように
なっているのかもしれない。

89年前にこの世に生を受け、そして苦労と忍耐ばかりのような人生を歩み、
そして今、少しずつまた89年前の姿に戻りつつある祖母を見ていると、
自然にそう思ってしまう。

そうであってほしい。

祖母は、僕が知っているだけでも、本当に苦労をするためだけに
生まれてきたような人だった。
だから、せめてこの世に別れを告げる時くらいは、無垢で純心だった
赤ん坊の頃に戻してあげて欲しい。


神様・・・あなたが本当に存在するなら、それくらいの優しさが
あってもいいじゃないか。
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新しい趣味。

2010-05-16 | Weblog
昨日は、朝から一日中、釣りをしていました

長年、瀬戸内海に住んでるくせに“釣り”って、
ほとんどしたことがなかった。
いつも、どこでも、どこまでも当たり前のように
“海”があるから、“いつでもできるわい”って
思ってて・・・。
東京の人なら、“いつでもTDLに行けるわい”、
大阪の人なら“いつでもUSJに行けるわい”と
思うのと同じようなものでしょうか?←ちょっと例えに無理があるかな(笑)

午前7時すぎに家を出て、僕が住む島の西隣の“岩子島(いわしじま)”
の南岸に。
ちなみにこの島は、僕の家系の総本家がある島。
いわば、りきる家発祥の島です
もうひとつおまけに書けば、浜田省吾が3歳の頃、住んでいた島でも
あります(今でも当時住んでいた小さな家は残ってますよ)

しまなみ海道を眺めながら、浜から投げ釣り。
快晴。風、おだやか。一人でのんびり。気持ちいい~



はじめてから30分くらいして、初めて釣れた。
小さな魚
最初はオコゼの稚魚かと思ったが、どうもハゼのよう・・・↓



これ以降、フグが1匹、アイナメが2匹釣れました。
時間もちょうどお昼になったので、帰宅

すると、普段はインドアな子どもたちが「私たちも連れていってよー」と
珍しく激しく抗議したので、仕方なく午後からも釣りへ行くことに

今度は子どもも一緒ということで、比較的安全な場所を選んだ。
・・・ということは、たぶんあんまり魚もいないんだよね(笑)

しかし・・・竿の準備や錘や針を付けるのは親の俺がしてやったけど、
せめて竿を投げたり、投げた竿の先を見て、釣れるかどうかくらい
自分で確かめろよ・・・(-_-+)
自分でやるのは、リールで釣り糸を巻き上げることだけ。
いつまでたっても自分の竿をセッティングができない・・・↓



そのうち、ものの1時間もしないうちに、子どもたちの口から、
「飽きた」、「帰りたい」のセリフ。
・・・・・・
すぐに妻を呼んで、子どもたちを連れて帰らせた(笑)

その後は、また午前中と同じく一人でのんびり。
釣れなくてもいい。
陽を浴びて、綺麗な景色を眺めながら、深呼吸をするだけで
日常のリセットが出来るような気がする。



毎週というわけにはいかないけど、これからは月に一度は
ブラ~っと、散歩がてら釣り糸を垂らしに出かけるように
なりそう(笑)

新しい趣味が、またひとつ増えました

PS:昨日は、夕方帰宅と同時にバタンキュー(死語)。
 おかげで、今日は午前3時に起きる始末
 これじゃあ。ホントの魚屋さんになっちゃうよ(笑)
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入学祝。

2010-05-15 | Weblog
昨日、仕事から帰宅すると、宅急便が届いていた。

送り主は、東京の友達。
それより驚いたのは、宛名が今年小学1年生の息子・・・。

とりあえず、僕が開封した。すると・・・↓




ナニ何なの?どうして???
この時点で、嬉しさ半分、戸惑い半分。
ゆっくり、ゆっくりとのしを取り、箱を開けた。
すると・・・・↓



栃木名物・レモン牛乳
しかも箱詰めっ

その瞬間、息子が「やった~」と大喜びの声をあげた

レモン牛乳。
みなさんはご存知ですか?
栃木県のみで売られている飲み物。
なぜかこのご時世に、通販とかしてなくて、
以前から“一度飲んでみたいな~”と思っていた。
ずいぶん前にmixiにそんなぼやきを書いたら、今回も送ってくださった
栃木出身で東京在住のこの友達が、わざわざ宅急便で送ってくださった。

初めて口にした時のあの味・・・・。
ミルクセーキでもレモンジュースでもない、なんとも表現できない味。
大人の僕でも美味いと思った。

しかし、僕以上にレモン牛乳にハマったのが息子だった。
栃木県がどこにあるのかも知らないくせに、せっかく送っていただいた
レモン牛乳の大半をこいつが飲みやがった・・・(-_-;)
きっと今回も、この週末の間にあっという間に飲み干してしまうんだろうなぁ↓



でも何よりも、こういう贈り物って、本当に嬉しい
遠く離れてても、数えるくらい(実はたった1回だけ)しか会ってなくても、
年齢も性別も違っても、誰かとつながっている、誰かが思ってくださっているって
感じることができたことが、息子はもちろん、僕にとっても何よりのプレゼントでした。

東京の友達・・・zabeさん、本当にありがとうございました
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こぼれ桜。

2010-05-14 | Weblog
人間とは、本当に都合のいい生き物で・・・。

自分の日記を読み返すと、桜の咲く前の日記は、
直接なり間接なり、“桜よ、早く咲け!”と祈りのように
書き連ねていたり、行間からその思いが滲み出てくる
ような日記もあったりで、とにかく“桜が咲く頃には、
今の憂鬱な気持ちも空気もすべて一掃される”んだと、
何の根拠もないのにそう信じ込んでいた。

当たり前だが、そんなことはないわけで。

たしかに桜が咲いて、風が心地のいい季節になった頃は、
いくぶん気持ちも軽くなったけど、それが桜のおかげだったのかどうか・・・。

今、桜前線は札幌あたりらしい。

このあたりでは、すっかり葉桜になって、今はツツジの季節だ。
つい1ヶ月前まで桜が咲き誇っていたこと自体、もうすっかり過去のこと。
あれほど待ちわびていた桜だったのにね。。。。

今日のタイトルは、造語。
「こぼれ蛍」という言葉があるらしい。
盛夏が終わりを告げ、初秋が訪れつつあることに気づかず、
野で光り続けている蛍のことをそう言うらしい。
それにヒントを得て・・・というと大げさだけど、携帯電話の写メを
整理していたら、娘の通う小学校の校門で撮った満開の桜とTwinの
写真が出て来たので。

上述したが、つい1ヶ月ほど前のことなのに、もう半年くらい前の
出来事のように感じる。

桜って、美しさはもとより、その散り際の潔さにも魅了されるのだが、
それから1年間、まったくと言っていいほど忘れられた存在になることも、
人を惹きつける要因かもしれない。
・・・我ながら、あんまり説得力がないなぁ(^_^;)
話のまとまりも、今ひとつだし(苦笑)

説得力も統合性がないから、今日はこんな画像でおしまい。
近所の空き地にて。
まぁ、そうカッカと怒らないでよ。
それとも、この看板主に何か災難でもあったんだろうか?↓

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星に願いを。

2010-05-13 | Weblog
相変わらず、夜、ウォーキングしている。

今夜(正確にはもう昨夜だが)は、空が晴れていて、
満天の星・・・というには見えにくかったが、
それでも東西南北の星を眺めながら歩くことができた。

ふと、南の星に目をやった。

あれ?オリオン座の3つ星って、あんなに歪んでたっけ?
もっと整然と並んでなかったか???
・・・と思いながら、とある3つの星を眺めた。

そして数秒後に、気づいた。

あ、あれ、さそり座だ
さそり座の頭の部分だ。
よく見ると、赤いアンタレスも山の稜線の上あたりで、
おぼろげに光っている。
僕は、さそり座のハンマーヘッドシャークのような3つ星を、
オリオン座の真ん中の3つ星と勘違いしていたのだ。

冬の間もニット帽を被ってトコトコトとウォーキングしていたせいで、
午後9時から10時ぐらいの時間帯に南にある星座はオリオン座だと、
てっきり思い込んでしまっていたのだった。

そうか。
そうだよな。
もう、5月も中旬だもんな・・・。

こんなことで時間の早さを痛感するなんて・・・(-_-;)

そういえば、“新月の夜に願い事をすると、満月の夜に願いが叶う”って、
友達が言ってた。

今日は、新月だったのかな?

とりあえず、願い事をするなら・・・これだけ歩いてるんだから、
早く痩せさせてくれ(笑)

星に願いを(When You Wish Upon A Star)
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