りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

よーそろ。

2010-05-12 | Weblog
重松清の「送り火」を購入した。

9編の短編小説集。
数年前に図書館で借りて一度読んだのだけど、
あらためて購入した。

内容は、重松さんならではの「親子」や「家族」を
テーマにした作品が並ぶ。

読みやすい作品だ。

“読みやすい”というのは、文章や物語が平易だという
意味ではなく、自分の感性や琴線と相性がいい、という意味だ。

僕らの世代・・・いわゆるアラフォーとよばれる世代の物語が
綴られている。

ネットでこの小説の批評を読むと、9つの作品の中では
タイトルにもなっている「送り火」や「かげぜん」の人気が高いようだ。
しかし、僕は圧倒的に「よーそろ」が心に焼き付いた。

なぜ一度読んだ本を、僕があらためて購入したのか?
それはもう一度この「よーそろ」が読みたいからに他ならない。

詳細は割愛するが、物語の中に「ムラさんの世界放浪日記」という
ホームページが出てくる。
もちろん架空のホームページだ。どちらかといえば、ホームページと
いうよりもブログと表現した方がいいようなモノなのだが、
これが、いい。

僕の心臓を鷲掴みにした。

特に、アフリカのアレキサンドリアに到着した時のブログの日記には、
ノックダウンされた。

ムラさんのブログはもちろん、小説だから、物語すべてが架空なのである。
でも、ムラさんのブログの文章を目で追うにつれて、僕は胸の奥が熱くなって、
鼻の奥がキュンとして、そして、両眼に映る世界がぼやけてきた・・・。

陳腐な表現だが、元気をもらえた。

当時は(今もそうだけど)、公私で色々とあって、心身ともに疲れ果てていた。
そんな時に、僕もムラさんのホームページに出会った。
よかった。ありがとう。
素直にそう思った。

僕は今、40歳だ。
だから、40代前半までの人生なら、おぼろげに予想はできる。
しかし、40代後半以降の人生の喜びや苦しみがどんなふうなのか、僕はまだ知らない。
だけど、30代や40代前半でも、それなりに喜びがあり、苦しみがあることは、知っている。
特に、20代に比べて、それまで経験したことがない苦い思いや辛い気持ちを胸に抱えて
生きていかなければならないことがあることを、僕はこの10年で知った。

“生きるのがしんどいな・・・”

誰だって、それなりの人生を歩んでいれば、一度や二度は、そう思うものだ。
そんな時に、この小説を読んで欲しい。
ムラさんのブログを読んで欲しい。
きっと、何か得るものがあると思う。
すぐに元気にならなくても、元気の“種”くらいはもらえるのではないだろうか。
僕は、そう思う。

この「りきる徒然草」も、開設からもうすぐ2年を迎えようとしている。
ほぼ毎日更新している。
別に義務だとは思っていない。
自分の中に書きたいことがあるから、毎日更新している。
ただ、それだけだ。
大げさかもしれないけど、自分を救済するために書いているのだ。
でもその一方で、それと同時に、ムラさんのホームページのように、
誰かを救済できたら・・・救済とまでは言わなくても、このブログを
読むことによって、誰かの心を癒したり、気分転換してもらえることが
できたならば・・・

それは、やっぱり、素直に嬉しい。
コメント (4)
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ずっと好きだった。

2010-05-11 | Weblog
昨日、仕事から帰宅したらこの歌がTVから流れていた。

CMで知っていた。
伊藤つかさに感動してた(爆)

でもそんなことを抜きにしても、
久々に音楽を聴いて身体に電流が走った。

カッコいいじゃん

CMではサビしか流れなかったけど、イントロから渋いギターリフが
ひたすら続くシンプルでカッコいいR&Bじゃないか

夕食後、さっそくPCでダウンロードしてウォークマンに転送した

やっぱり、何と言っても歌詞だよね。この歌は

斉藤和義って、昔から好きだった。
「歩いて帰ろう」も「歌うたいのバラッド」も
「おつかれさまの国」も「真夜中のプール」も。
ボクシングで例えるなら、ボディーブローのように
僕の琴線を少しずつ揺らし続けていた。
そして、今回のこの歌。

ヤラレタよ。

最近、僕がブログでよく書いてるテーマそのものだもん(^_^;)
こういう経験、男なら、誰だってある。

それにしても、ここ数年、10代の頃から好きだった浜田省吾や佐野元春が
30代、40代をテーマにした歌を発表して、それに共感したり、
馬場俊英にのめり込んだり、そして今回の斉藤和義の新曲・・・。

10代20代の残像や30代40代の現実を歌う歌に琴線が揺さぶられるなんて、
僕もオジサンになっちゃったのかな・・・・。
まぁ、今年で41歳なんだから、正真正銘のオジサンさんだけど(笑)


じゃあ、最後に・・・・君はこのブログの存在自体、知らないだろうけど・・・
あの頃、僕も君のこと・・・ずっと好きだったんだぜ

斉藤和義 「ずっと好きだった」


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最後の母の日。

2010-05-10 | Weblog
祖母が、転院した。

どうしてそういう規約があるのか分からないが、
今まで入院していた市民病院は、3カ月間しか
入院できないそうなのだ。

そういうわけで、先週末、祖母は市民病院から
別の病院に転院した。
今度の病院は、僕の実家の近くの病院だ。
僕の暮らす自宅からも近く、双方から歩いて
行けるような至近距離だ。

土曜日に、お見舞いに行った。
相変わらず祖母は、喉に人工呼吸器を装着していた。
熱が下がらないらしく、枕の上にアイスノンをしていた。
そして、眠っている。
いや、もう“意識がない”という表現をした方が
いいのかもしれない。
耳元で声をかけると、たまにうっすらと両目を開けることは
あるが、もう、それだけだ。
口を動かすことはもちろん、耳元で呼んだ人間の顔を確かめる
こともできない。
ただ、薄い意識を戻すだけだ。

そんな祖母を見ていると、思う。

五感をフルに使って生活することが、どれだけエネルギーを
消費する行為なのかということを。
祖母には、もう目を開ける力も、わずかしか残っていないのだ。

以前にも書いたが、鳥人間コンテストを思い出す。
湖水面は、近づいている。
先週よりも。昨日よりも。確実に。

昨日の日曜日。
僕は自宅でのんびりと過ごした。

夕方、実家に電話した。
目的は、ふたつ。
ひとつは、祖母のこと。
もうひとつは、「母の日」ということで・・・。

電話の向こうで母に、祖母の容体について尋ねる。
異口同音。
母も僕と同じようなことを僕に告げた。
「もう、ハッキリと目を覚ますことはないかも知れんね・・・」
独り言のように、受話器の向こうで母はそう呟いた。

僕は、以前より病院が近くなっていること、そのおかげで、
父や母はもちろん、僕の妻や子どもたちも見舞いに行きやすく
なった・・・という母も分かりきったことを口にすることしか
出来なかった。

その後、他愛もない雑用事を話して、電話を切った。
結局、母の日について話すことは出来なかった。
そして電話を切って、ある当たり前のことを僕は思い出した。

祖母は、母の母親だということを。

毎年「母の日」になると、僕の母は、一輪のカーネーションを携えて、
祖母の家・・・つまり母の実家に帰っていた。
ずいぶん前に祖父に先立たれ、諸事情で一人暮らし同然の生活をしていた
祖母にとっても、それは嬉しい一日だったと思う。

やがて祖母が高齢になり、数年前から僕の実家で一緒に暮らすようになって
からは、毎年「母の日」に、母が何か祖母にプレゼントしていたのかどうか、
逆に僕はよく知らない。
これは推測だが、むしろ一緒に暮らすようになってからは、そんな特別な
記念日は、母にも祖母にも必要なくなったのかもしれない。
いわば、毎日が母にとっては「母の日」であり、祖母にとっては「娘の日」
だったのだろう。

もしかすると・・・。
母にとっては、今年の「母の日」が、誰かの“娘”として過ごす、
最後の「母の日」になるのかもしれない。
口には出さないが、僕の母のことだ。
きっとそんな思いが頭をよぎってもおかしくはない。

母は、昨日も祖母の見舞いに行った。
祖母の“娘”である母は、病床の祖母にどんな言葉をかけたのだろう。

うちでは娘と息子が、妻に「母の日」のプレゼントを渡していた。
娘は小物入れとハンカチ。
息子はチョコレートで作ったお菓子。

夕方の、おやつの時間にしては少し遅めの時間に出来あがった、
息子手製のチョコレートのお菓子。
板チョコを溶かして作った、スイーツと呼ぶには、あまりにも
稚拙で不格好な食べ物。
「母の日」のプレゼントなのに、家族4人分作り、しかも自分の分が
一番大きかった(笑)
口の中に入れると、甘い味が広がり、そしてあっという間に溶けて消えた。

祖母にも食べさせてあげたい。
ふと、そう思った。

喉に人工呼吸器をつけているがために、たぶん、もう二度と口から
ものを食べることができない祖母に食べさせてあげたい。

溶けてゆくチョコレートの味を喉の奥に染み込ませながら、
そう思った。
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爆睡。

2010-05-09 | Weblog
今日は諸事情で午前5時起きでした。


夕べは、ほとんど睡眠なし・・・(+_+)


だから今日は、ひたすら寝ます(-_-)zzz
ひたすら・・・おやすみなさい・・・。
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歌声とソテツ。

2010-05-08 | Weblog
娘が参加している合唱団の
練習の付き沿いで、
ただいま娘の小学校。

中庭にソテツの木。

しかし、どうして学校って、
必ずといっていいほどソテツが
植樹されてあるんだろう?
日本全国共通なのかな?
それとも、西日本だけ?

僕の素朴な疑問が、
子どもたちの純朴な歌声に乗って、
青空の下を漂ってる。
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誰かの風の跡。

2010-05-08 | Weblog
ここ数日は、ホントにいい天気が続いてますね。

GWが終わって、梅雨入りするまでのこの1ヶ月くらいの間は、
自分の誕生日(9月)の頃の次に好きな季節です

この季節って、僕は聴きたい歌がだいたい決まっているんです。
下に列挙します(笑)

●「風をあつめて」はっぴいえんど
●「風の回廊」山下達郎
●「夢にいざなえ」浜田省吾
●「サンチャイルドは僕の友達」佐野元春
●「風になれたら」渡辺美里
●「ため息のベルが鳴る時」原由子

・・・こんな感じかな?
共通するのは、すべてのんびりとしたアコースティックな曲・・・って
とこでしょうか?
天気の良い昼下がりの涼しい部屋で聴けたら最高だね

そういえば、タイトルに「風」がついている歌が多いのも特徴ですね。
もしかしたら、僕は「風」という言葉に弱いのかもしれない(笑)

YOU TUBEから引っぱって来たこの歌も、そのひとつ。
この時期、ホントによく聴きますね。
上述したような部屋で聴くのもいいけど、
クルマを海岸線に停めて、海を眺めながら、カーステレオから流れる
この歌を聴くのも最高です

「誰かの風の跡」桑田佳祐


※写真はイメージです(^_^;)

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基地。

2010-05-07 | Weblog
添付の写真。
きっとみなさんには単なる更地にしか見えないだろう。

しかし、今から約30年前、ここは地元の建築会社の
資材置き場で、小学生の僕らにとって格好の遊び場
だったのだ。

もちろん、立入禁止である。
しかし、小学生にとって“立入禁止”という言葉は、
釣り針に付いた餌のような言葉だった(笑)

危ないと分かっていても、
入ってしまう。
入らされてしまう。
入らなければいけない。
そんな場所だったのだ。

いろんな遊び道具があった。
もちろんそれは、本来は家の建築に使用する足場の
一部であったり、セメントを固める型枠の板であったり、
水道を通す土管であったりするわけだが、ユンボや
ショベルカーに勝手に乗り込み、遊んでいる10歳足らず
のガキに、そんなことが理解できるわけがない。

足場の一部は屋根になり、型枠の一部はいくつも集められて
壁になり、土管とつなぎあわせられて、僕らの“基地”となった。



基地。



この言葉ほど男の子を魅了する言葉を、僕は知らない。
今でもこの言葉をつぶやくと、胸の奥で何かがビクンッと反応する。

基地は、簡単に出来るものじゃない。

友達と共同で作り上げてゆく。
組み立ての構想が上手いヤツは設計士の立場。
面白い発想をするヤツは、インテリアデザイナーの立場。
重いモノを運ぶのが得意なヤツは、大工の立場。
自然と役割分担が決まるのだ。

そして、何よりも基地は危ない。

基地を作る資材置き場は、釘やガラスの破片が方々に散らばっている。
僕も何度もケガをした。
左足の太腿には、8歳の頃、釘で引き裂いてしまった10cmほどの傷跡が
今もクッキリと残っている。
友達も何人もケガをして、その都度、町の外科病院に運び込まれて
何針も縫い、手足や頭に包帯を巻いて、翌日学校に現れたものだった。

それでも、僕らは性懲りもなく、基地を作り続けた。

なぜなんだろう?
親になった今、素朴な疑問が僕の中に生まれる。

もし、今、7歳の息子が近所の資材置き場で友達とあの頃の僕らと
同じように遊んでいるのを見つけたら、どうするだろう?
「危ないから、すぐにやめろ!」と血相を変えて叫ぶだろうか?
それとも、「懐かしいなぁ、お父さんもよくやったぞ」と微笑む
だろうか?
たぶん、その両方とも違うような気がする。

「気をつけろよ」

おそらく、それだけしか言わないのではないだろうか?
どっちにしても、それらはすべて推測でしかない。
なぜなら今の子どもたちは、絶対に危ない場所に行かないように、
学校や家庭から強く言いつけられているし、子どもたちもその言葉に
対して不思議なほど従順だ。
何よりも、最近は、建築会社の資材置き場自体が、子どもたちが遊ぶ
ような場所からすっかり消えてしまった。

それは、きっと、いいことなのだと思う。
でも、何かとても大きくて大切なモノを、子どもたちから
大人が取り上げてしまったような気がしてしまうのも、
僕の中の偽らざる気持ちだ。

まだ自身が生きてゆく世界が狭く小さかった男の子にとって、
“基地”という言葉と代物は、金科玉条の言葉と代物だった。
いずれ男の子は、少年となり、思春期を迎え、金科玉条の
言葉と代物は、自然と別の言葉と代物に変わってゆく。

僕は、こう思う。

“基地”とは、男の子がそうやって独り立ちしてゆく直前の、
“最後の砦”のような場所だったのだろう、と。
親とも、兄弟とも、学校の教師とも、好きな女の子とも完全に
隔離された、友達とだけで作り上げた聖域(サンクチュアリ)。



僕にとって“基地”とは、そんな場所だったのだ。



僕らの基地は、完成から一週間足らずで、建築会社のおじさんに
見つかり、あっという間に解体された。
あの時の、悔しさと淋しさは、今も忘れてはいない。
その建築会社は、その後、廃業の憂き目に立ち、資材置き場は野ざらしに
なってしまった。
当時、高校生になっていた僕は、そんな朽ち果てた資材置き場には、
もう見向きもしなくなっていた。

それから20年の時間が流れ、僕はまた基地に戻ってきた。
今、僕らの基地だった資材置き場は、キレイな更地になって、
簡易の駐車場になっている。
いつ、こうなったのか僕の記憶も定かではない。

基地の跡地にたたずむ僕の横を、数人の小学生たちが
自転車で走り抜けた。
きっと、近くにある“公園”に、遊びに行くのだろう。

危ない場所がなくなるのは、いいことだ。
でも大切な何かまで更地にされてしまったような気がするのは、
単に僕が感傷的になっているからだけだろうか。
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ピクトグラム。

2010-05-05 | Weblog
前々から思ってたんだけど。


何度見ても、和式トイレを壊しているようにしか見えない
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太公望。

2010-05-04 | Weblog
ただいま、弟とその子供たち、
僕と息子の5人で、魚釣り中。

息子にとっては、釣り自体が初体験。
釣り竿の投げ方はもちろん、
餌の付け方も分からない状態。←餌の虫を怖がる始末(-.-;)


さすがに古来中国の賢人・太公望のように釣りを
しながら哲学をするような余裕はなさそう(当たり前か)


そういう僕も久しぶりの釣りに、虫を針に付けるのに
死苦八苦

今日は坊主の可能性大です(笑)
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僕が創った言葉?

2010-05-04 | Weblog
昨日あたりから、頭の中で浮かんでは消えている、とある言葉がある。


“昨日の夜に明日の月を浮かべて・・・”


どこかの小説にあった一文だろうか?
それとも、誰かの歌の歌詞のフレーズだろうか?

分からない。

それともそれとも、僕が創った言葉???
もしそうなら嬉しいけど、その後の言葉が出てこない(笑)

仮に自分で創ったと思い込んでも、実は既存の小説や歌詞に似たような
言葉があった・・・ということは多々あることだから。
そういう経験、モノを創ることを仕事や趣味にしている人なら、
一度や二度は経験しているから、分かってくれると思う。

ねぇ、あなたもそう思うでしょ?
上海万博のテーマ曲を作曲した人(爆)
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