りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

世界で最も虚しく、悲しく、恥ずかしい国。

2011-04-20 | Weblog
福島第二原発の事故が原因で、他県に避難した方々に
対して、放射能に関する理由も根拠もない理不尽な
差別がいたる所で発生しているらしい。

ヒロシマとナガサキという人類史上最悪の悲劇を体験
しておきながら、66年もの間、いったい、この国は何を
学んできたのだろう。

世界で唯一の被爆国が、世界で最も被曝に無知だった。

この国は、世界で最も虚しく、悲しく、恥ずかしい国だ。
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選挙ポスター。

2011-04-19 | Weblog
全国、統一地方選挙の真っただ中で。

僕が暮らす町も、市長選挙と市議会議員選挙が先日告示された。
職種上、選挙の季節になると、僕も毎回、これら選挙関連の仕事に携わっている。
今回もとある候補の選挙関連の広報一式に携わることになり、今年の始めから
少しずつ少しずつ打ち合わせや制作を進めて来た。

そして、今週の日曜日。
いよいよ選挙の告示となり、街角の掲示板に各候補の選挙ポスターが一斉に貼り
出された。

さっそく近所の掲示板を見に行った。
そしてそこで、僕はひっくり返りそうになるほど、驚いた。

僕がデザインしたとある候補の選挙ポスターとそっくりのデザインの選挙ポスターが
掲出されていたのだ。
色のトーン、レイアウト、キャッチコピー、デザイン・・・何もかもそっくりだ。

こう書くと、「実は、そっちのポスターが先行して制作されていて、僕が作った
ポスターの方が似たんじゃないか?」と思われる方もいるだろう。

しかし、断じてそれは、ない。

僕がデザインしたポスターは、上述したようにまだ年初の厳冬の頃から制作を開始した。
候補者の方とお会いし、様々なレイアウトのパターンを提案し、その中から様々な方の
意見を踏まえながら、何度も何度も作り替え、まだ選挙が始まる1ヶ月以上も前に、
ようやく決まったデザインのポスターなのだ。

つまり、昨日今日、安易に作ったようなポスターではないのである。

他人のデザインを真似ることを悪いことだとは、僕は思わない。
モノ創りの第1歩は、他人を真似ることだということは、僕自身も異論はない。
僕も駆け出しの頃は、身近な先輩はもちろん、広告業界の著名なクリエーターの
デザインを拝借してポスターやチラシを作っていたし、今もアイデアに煮詰まったら、
ストックしている資料や画集を開いてデザインのアイデアを調達することが多々ある。

しかし、それも時と場合によるのではないだろうか。

仮に、今から4年後の統一地方選挙で、今回僕がデザインしたポスターとよく似た
デザインのポスターが出回ったら、別にさほど驚かなかったと思う。
語弊があるかもしれないが、むしろ、自分がデザインしたポスターの流儀を参考に
してくれたことに対して、少し“人がいい”感情を持ってしまい、嬉しく思ったかも
しれない。

しかし、今回は違う。

同じ時、同じ場所に同じようなポスターが掲出されているのだ。
すべてにおいて、次元が違う。

この日記をお読みの方で、選挙が現在行われている地方の方は、掲示板に貼られて
ある選挙ポスターをよく見ていただきたい。
どのポスターもすべて、最下部あたりに「掲示責任者」と「印刷者」の名前が明記
されているはずだ。
職業柄、僕は選挙のたびに、ポスターのデザインはもちろんだが、この小さく掲載
されてある「印刷者」を必ず確認する。
どこの印刷会社、もしくは広告会社、デザイン会社がそのポスターを制作したのか
確認するためだ。

今回の件のポスターの「印刷者」も確認した。
取引はないが、知っている印刷会社の名前が明記されてあった。

僕は、掲示板に貼られたそのポスターの前で、ため息を落とした。

彼の会社が、どういう経緯でこんなポスターにしたのか、僕は知らない。
その会社のデザイナーの意図的なモノなのか、それとも候補者やその周囲の後援会の
人たちの意向だったのか・・・。

どちらにしても、感心できる行為ではないだろう。

選挙活動においてポスターは、最も大切な選挙アイテムである。
その候補の名前や顔はもちろん、政策や主義、そして人柄や人徳までもが反映されている
はずであり、そうでなければならないアイテムだ。
簡単に言えば、有権者に対して最もダイレクトに候補者そのものを伝えられる最大の
メディアなのだ。

そのように大事なアイテムを他人のポスターを真似て作ってしまったら、いったい有権者に
そのポスターはどのように映るのだろう。
少なからず、僕には誠実さは伝わってこない。
上述したように、選挙ポスターには、その候補者のすべてが詰まっているはずなのだ。
それが他人と同じようなデザインならば、言葉は悪いが、その候補者は“私には中身はあり
ません。主体性もありません。カラッポです”と告白しているのも同然なのではないだろうか。

少なからず、僕にはそう思える。
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血は争えない。

2011-04-18 | Weblog
昨日は、おだやかな一日で。

午前中、娘の図工の宿題に付きあった。
宿題というのは、授業で海の絵を描くので、
その題材にする写真を撮る、ということだった。

別に写真でなくても、家にある本やパンフレットの
ような印刷物でもOKらしいのだが、小さな芸術家で
ある娘は、それでは良しとせず、どうしても自分で
選んだ風景にしたい、とのことだった。

デジカメを持って娘を助手席に乗せて、クルマで
出かけた。

まずは町の北側の岸壁へ。
尾道水道と対岸の町並み、そして海を渡る渡船を撮影。



その後、今度は町の南側へ。
僕の暮らす街は南北で、その風景の表情が違う。

北側は市街地で、港町の風景が広がっているが、
南側は、白い砂浜とおだやかな海と幾重にも
重なる島影が望める典型的な瀬戸内海の風景が広がっている。

そんな風景の中、小さな芸術家は、島と島を結ぶしまなみ海道の
大きな橋の風景を選び、カメラに収めた。



娘が自分が選んだ風景にこだわることには理由があった。

昨年、同じように描いた海の絵が、市主催の絵画コンクールで
入選したのだった。
市内数千人の小学生児童の作品の中からの数十作品に選ばれたのである。
娘の話を聞いた限り、娘の入選は、オリンピックでいえば銀メダルに
当たるそうで、金メダルに当たるのは「特選」なのだそうだ。

今年描く海の絵も、その絵画コンクールに出品されるらしい。
昨年の入選は、娘にとって嬉しい出来事だったことは確かだが、
それ同時に、悔しい出来事でもあったようだ。
移動の車中、娘はどうしても「特選」を獲りたいと何度も言っていた。

日ごろ、小説を執筆しイラストを描き、様々なコンクールに応募してきた
僕は娘の言葉に何度も頷いた。

血は、争えない。
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松山。

2011-04-17 | Weblog
昨日は、四国・松山に行って来た。

目的は、恐竜博士の息子のお伴。
松山市郊外の多目的施設で、恐竜のイベントがあったのだ。



かつては僕も息子に負けず劣らずの恐竜博士だったので、
何度こういうイベントに出かけても、いまだにちょっと興奮(笑)



恐竜展自体は1時間足らずで見終わって、その後、
松山市内に移動・・・しようと思ったが、地理的に
近くにどうしても訪れたい場所があったので、松山市内の
逆方向に向かって、ちょっとクルマを走らせた。



ドラマ「東京ラブストーリー」を見ていた人には説明不要の場所でしょう。
最終回で登場した海沿いの小さな駅のプラットフォーム。
放送から今春でちょうど20年が経つのに、いまだにハンカチを金網に
くくりつけている人がいるんだね・・・・。

その後、反転して松山市内へ一直線。
そして、来ました。



道後温泉・本館
いやぁ、やっぱり大人にとっての松山は、これでしょう(笑)
気持ちよかったよ~。
風呂から上がっても、しばらくはポカポカしっぱなし。
こんなに気持ちがいいのなら、周囲のどこかの旅館を予約しておけばよかった。

他にも松山城や、坂の上の雲ミュージアムや正岡子規関連の史跡も
まわりたかったけど、10歳前後の子ども連れじゃ、チト難しい

松山自動車道としまなみ海道を通って、約2時間。
以前に比べれば格段に近くなったんだから、またゆっくり来ることにしますか。
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オシャレなテレコ。

2011-04-15 | Weblog
数日前に、生まれて初めて手にしたラジカセのことを書いた。

今日は、その次・・・つまり2代目のラジカセについて書こうと思う。
初代のラジカセを10歳で手に入れ、一気に聴く音楽の守備範囲が
広がった僕は、中学生に進学すると、さらに広がった。
佐野元春、サザンオールスターズ、高中正義、浜田省吾・・・etc.

そんな邦楽もさることながら、何よりも僕の音楽の守備範囲を
拡大させたのは、「洋楽」だった。

ビリージョエル、シカゴ、スティービー・ワンダー、
そして、マイケル・ジャクソン。

そんな右肩上がりの音楽ライフを相変わらず支え続けていた
僕のラジカセだったが、或る日、突然壊れた。
まったく、音が出なくなったのである。

当たり前のようにいつも自分のそばにあったラジカセ。
今の時代でいえば、携帯電話が使えなくなったのと同じ
くらいの不便さが僕を襲った。
まるで身体の一部が欠けたような感覚だ。

僕は少しずつ小遣いやお年玉を貯めていた貯金と、
少しだけ親に甘えて(笑)、新しいラジカセを購入した。
購入前にいくつもパンフレットを取り寄せ、家電量販店にも
何度か足を運び、決めた。

SANYOの「オシャレなテレコ」。

今、商品名をキーボードで打ち込んでいて、あまりの
懐かしさにのけ反りそうになった(笑)
(しかし「テレコ」って、何の略なんだろう?)

とにかく、僕は新しいラジカセを購入した。
この2代目ラジカセと初代ラジカセが最も違う点。
それは、ステレオだったことだ。

写真を見てもらえれば分かるが、両側にスピーカーが付いていて、
しかもセパレートタイプで、本体と分離できる。
だからラジカセというよりは、コンポに近いスタイルだった。

この「オシャレなテレコ」にヘッドフォンを挿して、
あるカセットテープの曲を聴いた。

左右の耳から別々の音が聴こえて、頭の真ん中で立体的になる。
そのあまりにもクリアで綺麗なサウンドに感動したことを今でも
憶えている。

ちなみにこの曲は、後で知ったのだが、あのフィル・スぺクターが
プロデュースした曲だった。

なるほどな♪

「The Long And Winding Road」The Beatles
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Who?

2011-04-14 | Weblog
Who is he?




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「戦後」という概念。

2011-04-12 | Weblog
昨日、東日本大震災から1ヶ月が経った。

昨夜のテレビ番組でも、ニュースを中心に
長い時間を割いて特集が組まれていた。

被災地から遠く離れた場所で暮らす僕にとっては
“もう1ヶ月か”という思いが強いが、
被災地の方々にとっては、途方もなく長く辛い
1ヶ月だったことだろうと思う。

数週間前、僕のイラストを委託販売してくださっている
仙台のクリエーター・awesome!の庄司さんとメールで
やりとりしたのだが、その中で、「きっと2011年3月11日を
境に、日本は大きく変わるだろう」という認識をお互いに
持っていることが分かった。

メールにはそれ以上詳しく書かなかったが、
もっと突き詰めると、おそらく2011年3月11日をもって、
日本の歴史や時間軸の基準であった「戦後」という概念は
終わったのではないか?とまで、僕は思っている。

明治維新から日露戦争まで38年。
近代日本は、上述の戦争を契機に世界の強国の仲間入りをした。
しかしそれ以降、皮肉にも下り坂を転がり落ちるように流転と激動の
時代を経て、そして明治維新から77年後、敗戦を迎えた。

昭和20年からはじまった、新たな日本。
復興の名のもとに豊かさだけを追い求め、一直線に邁進し続けた結果、
40年後、あのバブル景気が到来した。
そして熱病のように踊りに踊らされ、その祭りの後は、まるで指標と
拠り所を無くした迷子のように漂流し続け、そして敗戦から66年を経た
2011年3月11日、東日本大震災に襲われた。

もう一度、書く。

2011年3月11日をもって、「戦後」の日本は終わったのだ。

今から66年前、明治維新以降、築きあげてきたすべてが灰燼となり、
日本は何もかもを失った。
しかしそこからもう一度立ち上がり、今日の世界の中心たる
経済大国にまでのし上がった。
そしてその頂点が、80年代後半のバブル景気だった。

そのバブルが弾けて、20年。

自信と拠り所を見失って漂流し続けたこの国にトドメを刺したのが、
今回の大震災のような気がしている。

しかし、日本はもう一度立ち上がらなければいけない。
そして、きっと、立ち上げれるはずだと信じている。

時間軸だけで見れば、この国は、何度も同じような周期で、
同じような国難に遭遇し、そしてその度に立ちあがってきたのだ。

同胞の先達にできたことが我々にできないはずがない。
きっと、できる。

このブログをお読みの方々に、僕は伝えたい。

新しいこの国を、美しいこの国を、もう一度、私たちの手で
創りあげようではないか。
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夢の道具。

2011-04-11 | Weblog
昨日、夕方に所用で実家に戻った。

昔の自分の部屋で、押し入れの中をゴソゴソしていたら、
懐かしいモノが色々と出てきた。
それらを全部ここに書き並べていると、延々と終わりの
ない日記になりそうなので、まずは、これ。

ラジカセ。

今ではもう、この言葉自体、絶滅してしまった。
でも、いまでも“ラジカセ”という言葉を耳にすると、
憧れの想いが僕の中には生まれる。
おおげさではなく、ラジカセは、僕にとっては、そんな
夢の道具だった。

この今ではアンティークのようなスタイルのラジカセは、
僕が小学4年生の時の誕生日プレゼントだった。

当時の僕は、もう音楽を聴いていた。
もっとも、その大半はTVから流れる歌謡曲ばかりだったが。

しかし、この夢の道具を手に入れた僕は、一気に聴く
音楽の守備範囲が広がった。

きっかけは、FMだった。

このラジカセで、僕はAMと比べて格段にクリアで良質の
電波を発信している“FM”というメディアを初めて知ったのである。

TVから流れる歌謡曲を、TVの前にラジカセを置いて録音する一方で、
FMを流しているだけで、TVでは流れてこない音楽も耳にすることができた。

オフコース、甲斐バンド、チューリップ・・・etc.

当たり前だが歌詞の意味はまだよく分からなかったけど、とにかく
そのメロディやサウンドに引力だけは感じていた。

今日、32年前の夢の道具に、久々に電源を入れてみた。

案の定、AMもFMも何も聴けなかった。
引き出しの中にカセットテープが何本かまだあった。



そのうちの1本をカセットデッキに入れて再生してみたが、
やっぱり反応はなかった。

このラジカセは、僕が10歳から13歳まで・・・いわゆる思春期の入り口に
立つまで使い続けた。

もう捨てること自体も忘れられたような、32年前の僕の夢の道具。
きっと、これからも実家の僕の部屋の押し入れの隅で、ひっそりと
眠り続けるのだろう。
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満開。

2011-04-10 | Weblog
世間では桜が満開ですが、我が家の周囲では桃の花が満開です。

「花見」というのはあるけど、「桃見」というのがあってもいいのでは?・・・そう思ってしまうほど、キレイです。

・・・そんな事を書きながら、今日は昼から「花見」の予定です(笑)
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散財。

2011-04-09 | Weblog
今日は、買い物に行く。

1人で行く。

服、雑貨、本・・・etc.

時間の限り、お金の限り、買いまくってやる。

なんだか、昨日の日記の一文と矛盾していることを書いてるけど(汗)

でも、たまにはそんなお金の使い方をしてもいいと思う。

自分のために。

この国のために。
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