りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

初雪が降った日に。

2011-12-16 | Weblog
今日は、寒い。

厚手のツイードのジャケットを着て仕事へ来たけど、それでも寒い
昼前に外に出てみたら、真っ黒い雲から白いものが静かに降りてきた。

初雪。

そりゃあ、寒いはずだ。
黒い雲はしばらく僕らの街の頭上にでんと居座ったが、昼過ぎには、
強い西風に吹かれていつの間にか消え去り、再び、空から冬の弱々しい
陽の光が差し込みはじめ、初雪は、積もるどころか何もなかったように
その痕跡さえも消してしまった。

今日、大きな仕事が1本終わった。

ここ数年、年末になると動くレギュラーの仕事だ。
少しだけ肩の荷が降りた。
この仕事をクリアすると、やっと僕にも年末が訪れるような気がする。
少しずつ少しずつ、いろんなことがあった2011年が終わりを告げようとしている。

・・・と思ってたら、ロゴマークのデザインのオファー!
1回目の締め切りが来週中。
まだまだ私には年末は訪れませぬ・・・(^_^;)
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統廃合。

2011-12-15 | Weblog
昨日の地元の新聞の地域欄に、教育委員会が発表した将来の尾道市内の
小中学校の統廃合について記事が掲載されていた。

僕の母校である小学校も、統廃合の対象になっていた。

予定では、中期目標として、15年以内に同じ町内の小学校と統合される
のだそうだ。

僕が入学し卒業した小学校は、今から35年前に開校した。
僕がその小学校に入学したのも、今から35年前だ。

つまり、僕は、その小学校の入学生第1号だったのだ。

学校は家から約2km離れた海沿いにあった。
小学校に入学したばかりの7才児には、その道のりは果てしなく遠く
感じたが、周辺の他校の児童や保護者が羨むほどの最新の設備と
施設が整ったピカピカの小学校へ通学できることは、この上なく嬉しく、
幼いながらもちょっとした優越感を感じていた。

そんな小学校が廃校になるなんて・・・。
長くてもあと15年・・・。
たった50年しか保たなかったなんて・・・。

僕らが在校中は300人以上いた児童も、今では100人余りしかいないそうだ。
尾道市全体を見回しても、小中学生の人数は現在1万人弱らしいが、
10年後には6000人にまで減少するという。

日本の少子高齢化が叫ばれて久しいが、このように地域社会での実数を
挙げられると、否応なく、それが押し迫ってきていることを実感させら
れてしまう。

母校の正式な廃校時期は、まだ明確になっていないが、確実に15年以内に
“その日”は訪れる。
閉校式とか、行われるのだろうか?
もし行われるのならば、できれば出席したい。

最後の最後に、もう一度、母校の校歌をおもいっきり歌ってみたい。
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キッチン。

2011-12-14 | Weblog
妻が風邪をひいた。

昨夜、仕事から帰宅すると、大きなマスクをして、キッチンで夕食の準備をしていた。
顔も、心なしか少し紅潮していた。
「大丈夫か?」と声をかけたら、「大丈夫」と、かすれた声で返事をした。

でも、そこまでだった。

夕食を作り、僕や子どもたちに食べさせた段階で彼女の限界が来たようで、その後、
リビングに横になってしまった。
妻がここまでにあからさまに調子が悪くなるのは珍しい。
いつもなら、ちょっとやそっとの風邪でも、食後に子どもの相手をしたり、食後の
散らかった食器を洗いはじめたものだった。

熱を計った。37.9°

その数字を見た僕は、気がつくと、キッチンのシンクに立っていた。
テーブルに散らかった茶碗や皿やコップをまとめ、流しに移し、スポンジを手に取って、
蛇口を押した。

久しぶりだ。

昔は、よく妻の代わりに洗い物をした。
娘が生まれた頃だ。
娘は夜泣きがひどかった。
夜中まで寝ないことが当たり前のような赤ん坊だった。
初めての育児でクタクタに疲れ、育児ノイローゼ寸前になっていた妻は、よく夕食の
後片付けができないまま、そのまま娘と寝てしまうことが多かった。
そんな時は、さすがに気が引けて、僕が洗いものをすることがよくあった。

いつからだろう?そんな風に妻の代わりキッチンに立たなくなったのは。

6年前に今の家に移ってからというもの、僕はまったくキッチンに立たなくなった。
今では、どこに調味料やスプーンがあるのかさえよく知らない。

黙々と皿やコップを洗っていたら、キッチンとリビングの間の扉が音もなく開いた。
横目で見ると、わずかに開いた扉から、まるで珍しい生き物でも見るような感じで、
娘が僕を見ていた。

「何だ?」

と僕が尋ねると、「お父さんも洗いものできるんだ?」と面白いものでも見つけた
ような口調でそう言った。

「できるよ~」

・・・と答えようとしたら、娘の背後から声が聞こえた。

「そうだよ、昔は代わりにしてくれてたんだよ、あなたが全然寝てくれないから」

声の主は、妻だった。

今朝、僕より先に起きていた妻は、相変わらず声はかすれてはいるが、昨夜よりも
調子が良さそうだった。
「まぁ、家事がひと段落ついたら、ゆっくり休みんさい」と仕事に行く間際、僕は
妻にそう言った。
もっとも、貧乏性で動いていないと気が済まない人だから、僕の言うことを素直に
聞くとは思えなかったが。

どうやら、今夜は、キッチンのシンクに立たなくてもよさそうだ。
でも、たまには・・・。
たまには、昔のように、妻の代わりに洗いものをするのも悪くないかもしれない。
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小さな幸せ。

2011-12-13 | Weblog
最近、早めに寝ることが多い。

早い時には、もう午後9時半には、布団に入っていることもある。
だいたい午後8時前くらいに帰宅して、夕食を食べて、食後に
リビングでボーーーっとしてたら、もうダメ。
睡魔が、含み笑いをしながら襲って来る。

そこでもうひと踏ん張りすれば風呂に入る力も出て来るんだけど、
最近は、7勝3敗くらいの割合で睡魔が勝ってしまう(笑)

この状態を『年齢』のひとことで片付けていいものやら・・・。

高校時代の同級生で、鉄工所を経営している友達がいる。
何年か前に彼が「家に帰って、メシを食って、風呂に入って、
寝室に行って、後は寝るだけ・・・っていう時が、俺は一番
幸せなんだよなぁ~」と言っていた。
それを聞いた僕は、“コイツ、社長のくせに小さな幸せで生きて
やがるなぁ”と思ったけど、今は、その気持ちがよ~~く分かる(爆)

さて、今夜、僕は何時に寝るのだろう?
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クリスマスツリー。

2011-12-11 | Weblog
この前、クリスマスツリーを出して飾った。

当たり前だが、1年ぶりの登場。
このツリーは、娘が生まれた年の暮れ、僕が買った。

あの時、妻の母が、「家に昔のまま保管しているのが
あるから、無駄遣いせずにそれを使いなさい」と親切に
言ってくれた。
ふだんなら、その言葉に甘えてありがたく譲り受ける
ところなのだが、この時だけは丁重に断った。

クリスマスツリーだけは、どうしても自分で買って
やりたかったのだ。

なぜ頑なにそう思ったのか、その時の心情をうまく言葉で
説明することが、今でも僕にはできない。
単に、クリスマスに過度な思い入れがあっただけなのかも
しれないし、そうではなくて、僕個人の深層心理とか潜在
意識とか、そんなものの中から突き動かされた行動なのか
もしれない・・・とこんなことを考え続けても、あまり
意味がないのも確かなわけで(笑)



上の写真は、6年前のモノ。
ちょうど今の家を買って、初めて迎えたクリスマスに撮った。
娘は幼稚園。息子は2歳。

あの頃、息子はもちろん、娘もまだツリーよりも背が低かった。
それが今では、2人ともクリスマスツリーを見下ろすようになっ
てしまったし、顔つきもずいぶんと変わった。

ついこの前のことだったのに・・・時間が過ぎてるんだな・・・。

この写真を見るたびに、最近そう思う。
さて、あと何年、クリスマスツリーを飾ることができるだろう?

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  よかったら読んでやってくださいませ。購読完全無料です。
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住職で妄想。

2011-12-10 | Weblog
ちょっと前の話。

ある日、妻がクルマを走らせていたら、前から対向車が来た。
交差する時、対向車を見たら、近所のお寺の住職さんだった。
住職さんは、僕や妻と同世代・・・おそらく40代らしき方だ。
妻は軽く会釈したが、住職さんはそれに気付かなかったのか、
前方を向いたまま走り去ったという。
妻が見た限り、住職さんは別に妻を無視したわけではないらしい。
クルマを運転しながら、携帯で話をしていたのだそうだ。

これは交通ルール違反であることは明白だ。
しかし、残念ながら街中でよく見る光景であることも確かだ。
僕は一度もそういうことをしたことがない・・・と言えば
ウソになる。

しかし、どうも違和感がある。

この話を妻から聞いた時、僕はそう感じた。
それはたぶん“住職さん”という、言わば特別な“職種”に
引っかかったのかも知れない。

昔から“聖職”と呼ばれる職種がある。
学校の教師などが、最も顕著な例だと思う。
あと、警察官とか医者もその類いではないだろうか。
そして、宗教に関わる仕事・・・神父、宮司、住職も“聖職”
と呼ばれる職種だろう。

大人になって、分かったことがある。
それは、世の中に“聖職”なんてモノはない、ということだ。

どんな仕事でも、自分の心身を奉仕してその対価を貰っている
ことに変わりはない。
それなのに、なぜか、教師や医者や神父には、何かしらの威厳
というかオーラというか、そんなモノを感じてしまう。
人間の生死につながりが深いからかもしれないが、それは、限
りなく錯覚に近い幻想なのだ、と僕は思う。

今回の妻の一件で、僕が違和感を感じたのも、それに関係が
あるのだろう。
住職は“聖職”なんかじゃない、なんて言いながら、やはり
その長年の幻想に、心のどこかでいまだに引きずられている
のだと思う。

そんなこと考えていたら、いろんなことが頭に浮かんできた。

例えば・・・その住職さんの携帯はスマホだったのだろうか?
もしスマホなら、ツイッターとかmixiとかするのだろうか?
どこに電話していたのだろうか?
海外への電話なら、やっぱり住職でも最初は“ハロー”という
のだろうか?
クルマの中では音楽を聴いていたのだろうか?
それは民謡や演歌ではなく、AKBや韓流POPだったのだろうか?
それともパンクロックやヒップホップだったのだろうか?
それとも山下達郎の「クリスマスイブ」なんか聴いて、“あぁ、
今年も、もうそんな季節か・・・”なんて感慨に耽っている
のだろうか?

そんなことをが次々から次々へと浮かんでくる。
浮かんだ疑問は、脳みそで熟考されないで、そのまま口から出て
妻へ投げかけられる。

宗派は別として、尾道は寺が多いが、尾道だけの寺院の“組合”
のような団体もあるのだろうか?
もしあるのなら、この時期には忘年会とかするのだろうか?
どこでするのだろうか?
ホテルでの立食パーティーでもOKなのだろうか?
コンパニオンは呼ぶのだろうか?
もしもコンパニオンを呼んで、それが全員、瀬戸内寂聴レベルの
尼さんだったら、やっぱり激高するのだろうか?
ゴルフコンペとかも開催するのだろうか?
OBを打ってしまった時に“ファ―――!”と言うのだろうか?
もし言うんだったら、日々の読経の成果で、キャディーさんより
声が通るのではないだろうか?
お寺とは関係ない遠縁の親戚の結婚式に招待されて、その結婚式が
教会だったらどうするのだろうか?
讃美歌を歌わなければいけない場面になったら、素直に歌うのだろうか?
それともみんなが讃美歌を歌う中で、1人だけ般若心経を読むのだろうか?
それ以前に、その時の服装は、やはり洋服ではなく、袈裟をかけた
ような格好なのだろうか?
そういえば、近所の住職さんはクルマを運転していたけど、その
クルマには、交通安全のお守りを付けているのだろうか?
それは交通安全で有名な神社のお守りなのだろうか?
クルマを購入した時、ディーラーに値引きとかオプションの追加とか
そんな俗世的な要求をしたのだろうか?・・・・・

・・・・妄想は、どこまでも続く(笑)
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緊張状態。

2011-12-09 | Weblog
多忙な日々が続いている。

夜中まで大残業・・・ということはないが、
就業時間中は、まさにてんやわんや状態。
大きな仕事から小さな仕事まで、同時に何本も動いている。

今日の昼、1本、仕事が終わった。

某自動車学校のチラシのデザイン。
レベルで言ったら、中の上くらいの仕事。
レギュラーのお客様で、先方とも長年のおつきあいなので、
いつも打ち合わせの空気は和やかなのだが、今回は、違った。

超特急の仕事だった。

普通なら1週間から10日間くらいのスケジュールで動く仕事を、
入稿から印刷会社へのデザイン搬入まで、なんと3日。
でも実際は、原稿を受け取ったのは今日の朝だったので、
制作時間は、実質、4時間程度(爆)

絶対に無理!!!!

・・・と思っていたが、気がつけば、なんとかなった。
さっき、印刷業者にデザインデータを搬入して、僕の仕事は完了。
あとは無事に印刷されて、予定日に折込まれるのを待つだけ。

ホッ・・・。

終了後、社屋の外で一服した。
まるで文章の段落が変わったように、少しだけ緊張状態が解けた
ような気がした。

でも、年末まで、まだまだ大きな仕事が続く。

すべての緊張状態が解けるのは、おそらく12月28日。
そう、仕事納めの時まで。
それまで、ギリギリまで大きな仕事が動いてる。

早くこの緊張状態から抜け出したい気持ちがある一方で、
緊張状態が解けたら、一気に気が緩んで体調を壊す気がしている。

いつも、俺、そうだから(笑)

どっちにしても、仕事、がんばろ。
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12月8日。

2011-12-08 | Weblog
今日は、12月8日。

ジョン・レノンの命日。
生きていれば・・・71歳か。
たしか、今の僕とおなじくらいの年齢で旅立ったんだよな。

奇しくも日本は、真珠湾攻撃から、今日で70年。

時間軸から見れば、後者の方が先なんだけど、
平和主義者で、奥さんが日本人だった彼のことを思うと、
なんだか妙な因果を感じてしまう。

考え過ぎか。

僕は、ビートルズのリアル世代じゃない。
ビートルズの解散は、僕が1歳の時だ。
当然記憶になんか、ない。
僕がビートルズやジョンの音楽と真正面から対峙したのは、
彼が亡くなって2年後のちょうど今ごろの季節だった。

当時、広島初の民放FM・広島エフエムが開局した。

開局と同時に、僕は朝から夜までラジカセに齧りつき、
お気に入りの歌が流れると、つかさずエアチェック
(もはや完全なる死語だ)した。

1982年だった。
その年は、ビートルズの結成20周年だった。

ビートルズと、亡くなってまだ2年前しか経っていなかった
ジョンの曲が、開局したばかりの広島エフエムから頻繁に
流れていた。

翌年の正月。

本当ならば、すべて貯金にまわされるはずだったお年玉を、
僕は両親から少し分けてもらって、レコード屋へ走った。
そして、1枚のアルバムを手に入れた。
それは、ビートルズ結成20周年記念に企画された、彼らの
ベストアルバムだった。
「LOVE ME DO」から「ロング・アンド・ワインディングロード」
まで、約20曲。

それが僕の、洋楽のロスト・バージンとなった。

時代を越えてビートルズから洋楽の世界に入れたことを、僕は
今でも少しだけ誇りに思っている。

John Lennon - (Just Like) Starting Over - 1980
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関係ねぇー。

2011-12-07 | Weblog
昨夜。

風呂に入ろうとしたら、妻がこう言った。

「あ、今日から、シャンプーとリンス変えたから」

あ、そう。

「ボトルの色がよく似ているから、間違わないでね」

あ、そう。

シャンプー変えたからって、俺にはあんまり関係ねぇー。

ついでに言えば、シャンプーとリンスを間違えて頭に付けても、

俺にはあんまり関係ねぇー。
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ちょいと、忙しい。

2011-12-06 | Weblog
歳末だからか、仕事が少し忙しくなってきています。

同じ広告会社でも、取引先のクライアントの業種によって、
繁忙期の時期は変わって来る。

例えば、少し前の日記にも書いたけど、以前働いていた会社は、
クライアントが大型量販店ばかりだったので、クリスマス商戦と
年末年始商戦が続く、晩秋から年末までが繁忙期だった。

で、今、僕が働いている会社は、クライアントの業種には
バラツキはあるが、官公庁などとも大きな取引があるので、
毎年、年明けから3月末までが繁忙期となる。
だけど、今年は少し早めに動いているのかな・・・。

まぁ、身体を壊さないように気をつけながら働きたいと思います。
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